第5話 出発

 11月中旬――晩秋の空気に世間では、1年がもう終わるだとかクリスマスが楽しみだとか騒いでいる中、僕は別のことで浮き足立っていた。場所は静岡駅改札口前。広告が映し出された柱に何人もの人が寄りかかったり座ったりしている。僕も同じように柱の側で立ち、あれから何度も見直したスマホのメモを見返す。いまではすっかり暗唱できてしまうほど見直したのだ。きっと間違いはない。服装はなるべく無難なものを選び、白の長袖Tシャツに黒のスキニーパンツ。髪もセットした。背中にはリュックサックを背負い、財布や毛布などを入れている。


 スマホのメモを閉じて画面左上の端に映るデジタル時計を見る。14時20分――自分が乗る予定の東京行き新幹線は14時41分。そろそろ改札の内側へ入って駅のホームへ向かわなければ。この約束はきっと違えてはいけない種類の約束だと思う。もちろん約束を破って良いわけではないが、破って許される約束と許されない約束がある。そしてこの約束は後者なのだ。この1回で大きく何かが変わるのだ。そんな予感がひしひしと僕の内側から溢れてくる。それを抑えるようにスマホをポケットにしまい込み、代わりに新幹線の乗車券と特急券を取り出す。そのまま新幹線ホームに通じる改札へと向かい、持っていた券を吸い込み口に滑らせる。1メートル先にある吐き出し口からその券を取って、そのまま歩き続ける。


 ゆっくりと階段を登り、ホームへと向かう。新幹線ホームにはスーツを着た人やスーツケースを持ってカジュアルな服装でベンチに座る人がいた。スーツの人は仕事関係で乗るのだろうか?スーツケースの人はこれから旅行先へと向かうのか?それとも帰省や旅の帰りだろうか?そうやってホームに居る人々の過去とこれからを考える。そのどれもが時間の流れを意識させる。……僕もこの、長い長い旅の果てに何を見るのだろう?この時間から、いったい何を得て、何を失うのだろう?いや――今は、いい。ただ彼女に、ハルに。会いたいだけなのだから。それだけが目的であり、望みなのだから。


『5番線ホームに、まもなく東京行きの新幹線が参ります。危ないですから、黄色い線の内側でお待ちください』


 アナウンスが入り、今まで内に秘めていたものが手足の僅かな震えとなって外に漏れる。――あと数時間で、ハルに会える――それだけを考えながら、5番線ホームにゆっくりと止まった新幹線ひかりに乗り込む……。




         ***




 座席に座って窓に映る景色を眺めていると、山や緑の風景からポツポツと民家や建物が見え始めた。東京に着くまでにはあと30分ぐらいだろうか。読んでいた本を閉じて背負ってきていたコールマンの黒いリュックサックにそっと入れる。そこにふと映る、横長の黒い財布。帰るころにはすっかりカラになっていることを想像すると……少し懐が痛いようにも感じたが、会いに行く出費ならば、十分かける価値がある。


 本当ならばもっと早く安く行くつもりだったが、こちらにも部活や生活がある。生活の方はどうにでもなるのだが、部活の方は大会も近く、土曜日の練習試合や日曜の半日練習はサボれなかった。今こうして新幹線にお金をかけて乗っているのもそのためだ。予定としてはこれから東京駅へ行ってそこで東北新幹線に乗り換え、新青森まで行く。新青森から彼女の最寄り駅であり待ち合わせ場所の瀬辺地駅までは、さほど遠くはないので、ほとんどの時間は新幹線に乗ることになる。


到着は夜になるし、会って話したいことも多かったため、帰りは翌日の早朝にした。彼女にもそのことを話したら、駅のホームが無人であり、唯一の駅舎が小さな小屋になっているので、そこで一緒に寝ようという提案を受けた。果たして向こうの両親が了承しているのかが気になるが、「大丈夫だって」と彼女は言っていた。――いま考えれば、恐らく両親に話していなかったのだろう――月曜の授業はサボってしまうが、幸い部活は休み。両親には「必ず帰るので、心配しないで」と手紙だけは残してきている(よくこの、何も知らない状態であれだけの行動ができたなと、今では半ば呆れつつ感心する)。


 運転は良好に進んでいるようで、予定時刻にはきちんと到着しそうだ。段々と家やビルが増えていき、すっかり緑が少なくなって人の気配だけが増える。今日の午前中は雲も少なく陽も出ていたが、いま見える景色には雲の影が民家に被さる。天気予報をスマホで確認しても雨が降ることはなさそうだが、だんだんと見えなくなっていく空に不安を覚えた。雨は普段なら歓喜する(野球部は雨が降ると嬉しい)のだが、このタイミングで降られると少し、嫌なのだ。


『まもなく、新横浜~新横浜ですお出口は——』


 東京までもうすぐだ。ここで乗り換えて、東北新幹線に乗る。乗車券と特急券も買わなければならない。始めての場所で、始めての手順。不安なことばかりだが、ここまで来たのだ。いまさら後戻りはできない。なにより、ハルに会うのが目的であり楽しみなのだ。これだけ会いたいと素直に思った人は、いままでにいない。その想いに名前がつくのかは分からない。もやっとしているようで、隠したいようで、でもつい名前を言いたくなるような、会いたいと思うような、想い。……でもこれは、会えばいいのだ。会って確かめれば良いのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る