第4話 時計じかけの春
最初の彼女との電話は、また電話をするという約束で終わった。終始ふわふわした心地でのんびりと進んだ会話を、「また、電話しようよ」と言う彼女――ハルの提案で終えた。それは僕自身も言おうと思っていたことなので、二つ返事で賛成した。電話を切ってベットにぼふりとダイブした時、今まで探していたものが、この電話にあったと感じた。その時はまだ確信してはいなかったが――今となっては確信を通り過ぎて、呪いとなってしまった。
それからは毎日、深夜1時きっかりに僕が電話をして、ハルが出て、とりとめのないことや他愛もない話をしあった。友達と行った喫茶店の雰囲気が良かったことや、学校のテストや部活であったこと。シカが轢かれたことで電車が止まったことや、最近読んだ本がすごく面白かったこと。それを話しているとき、僕は自身で植え付けた孤独感を忘れることができた。友達や家族と話す時でさえ消えなかった、拭いきれなかった漠然とした不安が、彼女の声を聴けば霧が晴れるように消えていった。ハルの声が、心地良い。僕のスマホのスピーカーをつたって僕の鼓膜をふるわせるとき、そのふるえが琴線を捉えるのだ。
***
中学2年の10月――すっかり夏の影は消え、外ではすずむしがリリリと鳴く頃。いつものように電話をしていたのだが、どうにもハルの調子がおかしい。何かを言いかけるような変な間があったり、こちらに聞こえないぐらいのため息を吐いていたり……なにか隠し事をしている。そうは思ったが、果たして電話だけの、言ってしまえば、よくわからない関係である僕がそのことを問いただして良いのだろうかと迷っていた。こうも迷ってしまうのは逆に親密になり過ぎたからだろう。それがなんだか嬉しいようで、少し辛いようで。
首を振って思考を落とす。迷っていても埒があかないし、なによりハルのことをもっと知りたい。半年も電話をしているのだ。ハルがどう感じているかは知らないが――少なくとも、僕にとってはもう十分な存在になったのだ――そうして決心し、聞いてみることにした。
「ねぇハル……なにか、隠してる?なにか辛いことでも――」
そこで息を呑むハル。始めて電話をしたとき以来の変な汗が頬をつたう。……返事がない。電話は切られていないが、しばらく返事は返ってこなかった。――やはり聞くのはまずかったのでは――そんな後悔が訪れ、僕はスマホを強く握る。目を泳がせて次に来る言葉とその返事として最善の言葉を黙考した。……しかしその考えは杞憂に終わり、代わりに予想外の笑い声が電話口から聞こえてきた。そんな笑い声もやっぱり好きだなぁという考えを脳の片隅に押し込み、ハルの言葉を聞く。
「やっぱりバレちゃった。実はね、前から言おうと思ってたんだけど、なかなか言い出せなかったことがあって。今日こそ言おうと思ってたんだけど……先にバレちゃった」
「言おうとしてたこと?」と聞き返すと、彼女はこちらにも伝わるぐらいの緊張と高揚をもって、ゆっくりとしかし、この関係の形を変えるであろう提案をした。
「会ってみたいな、トモくんと」
会ってみたい。その言葉にどう反応すれば良いか、というより会った時、彼女との関係がどうなってしまうのかということを考えてしまい、声が詰まる。その僕の反応が気になったのか、「やっぱりダメかな?」と悲しそうに言うハルの声に我を取り戻し、返事をする。
「僕も会ってみたい……会おう、会って話したい」
「やった!……じゃあ今日はもう遅いし、これからのことはまた、電話しよ?それじゃ私、切るねっ」
「うん、またね」と僕が言うと、すぐに切れてしまった。スマホを机に置き、しばらく虚空を眺めてからハァ~とため息をついて、机に突っ伏す。横目で目覚まし時計を見ると、ぼんやりとした光の中で時計の短針は2の数字をさしていた。
……ハルはいったいどんな姿をしているんだろう。
思えばハルについては声と、彼女を取り巻く環境やそれに対して彼女が感じたことしか知らない。だから彼女がどんな髪型をしていて、どんな目や鼻をもっていて、どんな出立ちをしているかなんて考えたこともなかった。ただ彼女の声と、その存在が僕にとって大切なものになっていること。そしてこの関係をずっと持っていたいこと。これだけは確かなのだ。そしてそれをいつか、伝えたいと思っていた。
スタンドライトを消してベットに飛び込む。むくりと上半身の起こし、窓を開けて夜景と夜風に浸る。スズムシはいつにも増して鳴いており、浮かぶ星は普段よりキラキラと輝いて見える。ふわりと頬を撫でる夜風。この風はきっと、ハルにも届くのだろう。そうふと考え、窓を閉めてもう一度、今度はゆっくりとベットに横になる。
横になっても瞼を閉じても、浮かぶのはハルの声と想像の姿。いったいどんな姿をして、どんな表情をするんだろう。あのコロコロとした笑い声を奏でながら微笑むハル、冗談混じりに怒るハル、そして僕を呼ぶハル。そのどれもが見たい。見て、聴きたい。その日はそんなことを考えながら、やがて夢の世界へと落ちていった。
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