第27話 秘密にしておこう
理事長室の前の廊下で、僕らは満足感に浸っていた。
「良かった、良かった。倉野さん、嬉しそうだったね」
「そうだね、水上くん。僕もこれ以上ないほど充実していると感じるよ」
津川先輩の声はいつもよりもさらに柔らかで優しい。
「伝えられることは全て伝えた。理事長も天国で喜んでいるだろうさ」
天国という言葉が向井さんから出てくることが、何だかおかしかった。
それに――
「あ」
思わず思い出してしまった。このタイミングでの言葉に何を言い出すのだろうと、三人の視線が集まる。
「えっと、二人には黙っていたのだけど。実はさ」
僕はただ親の事情で学園にやって来たわけじゃないことを語り出す。向井さんが突然家にやって来て、亡くなった理事長の手紙を渡してきたのだ。
きっと、あの手紙も理事長の伝えたかったことの一部だろう。
そして、三か月以内にこの慈従学園を相続するか、しないかの答えを出さなければならない。
「答えは出ていません。そして、一か月先も出ないと思います」
向井さんにはっきりと言い切った。
この学園のことは好きだ。もうすでに、いくつも思い出が出来たからだ。
でも、だからこそ、簡単には答えを出してはいけない気がする。
「学園を継ぐなら、教員免許も取っておいたはずがいいですし。でも、きっと僕に向いている、好きになれる職業もあるはずだし。まだ、将来のことははっきりとは決められないです」
言いながら一つ一つの言葉を噛みしめた。
「だから」
「ああ。そうだろうな」
「へ?」
向井さんは平然とした顔でこちらを見ている。まるで最初から見透かしていたかのような表情だ。落ち着いて話していたはずの僕は混乱していく。
「そうだろうなって、え? 学園のこと」
「ああ。三か月なんかでは決められないだろう」
「で、でも、相続放棄は三か月以内って……!」
確かにそう言っていた。向井さんは何でもないことのように話す。
「そこは俺の嘘だ」
「嘘?」
「正確には、そうだな。とりあえず、十年は先じゃないか。俺の身体は健康ではあるし」
自分の身体をペタペタと触る向井さん。思わず僕は眉間を押さえた。
「えーと、つまり、向井さんが学園を?」
「もう継いでいる」
これには僕だけじゃなくて、水上くんも津川先輩も驚いている。
「え、じゃあ、向井さんが理事長なんですか? 代理じゃなくて?」
「ああ。キミが学園に来てから少し後だったか。張り紙をしたが、まぁ、生徒はあまり気にしないだろう」
「いや、ちゃんと言ってもらえれば気にしますよ」
いつもクールな津川先輩も苦笑気味だ。
「理事長の手紙は? あれも嘘なんですか⁉」
丁寧な言葉でつづられた手紙。
全く知らない人間だったが、そこに嘘はないように見えた気がする。
学園を誰かに譲らないといけないと真摯な思いだった。
「ああ。縁者がいないのは俺も同じだからな。俺の後をどうするのか。理事長は心配だったのだろう。俺は信用がない」
信用がないと言いつつ、思い出したように微笑む向井さん。まさか、信用がない人間に学園を譲ったりはしないだろう。
「だけど、どうして――」
「じゃあ、透は卒業までにどうするか決めるってこと?」
「わっ!」
いきなり後ろから声がして、びっくりした。理事長室の重厚なドアが開いて、倉野さんが顔を出している。泣いていたようで、少し目が腫れていた。
「えっと、いや。進路は卒業までに決めると思うけれど、学園のことは……」
一気に相続のことなど頭から消えてしまう。向井さんが他の人に頼んだ方が良いと決断することの方が早い気がした。
これだけ手入れを怠らない向井さんが学園を手放してしまうことはないだろう。
だけど、向井さんは僕の考えなど見透かしたように言う。
「前の理事長の遺言だからな。俺はそれに従うよ」
「そんな。本当に僕は何もないような人間なのに」
がっくりと肩を落とすと、水上くんがポンと背中を優しく叩いてくれる。
「大丈夫だって。若狭くんなら、向井さんが生きている内に決断するよ。それに、僕だって何もないよ」
友情が深まったような気がするけれど、なんとも情けない友情だ。
くすりと、津川先輩が笑い声を漏らす。
「そんなことないさ。もし、本当に何もないと思うならこれから見つけるといいよ」
向井さんも頷いた。
「まぁ、まだ高一だからな。大学、社会人になってからでも遅くはない」
「はぁ……」
社会人になってからでは流石に遅いのではと、心に不安が差すが黙っておく。
そうそうと、倉野さんが話題を変えるように言う。
「絵を見つけてくれたお礼にみんなを招待するってパーが言っていた」
「パー?」
「お父さん」
「えっ! 本当に!?」
倉野さんのお父さん。つまり、オランダにいるお父さんだ。
僕らは一気に色めき立つ。見つけた絵画そのものが、宝を見つけた僕らに対するごほうびだと思っていた。それが、友達とのはじめての海外旅行だなんて。
「夏休みでいいよね。大丈夫。わたしが全て案内する」
「さすが倉野さん!」
「やった!」
最初は怖かった倉野さんも、全てが解決してしまえば頼りがいがあるように見えた。もちろん、繊細なところもあると分かっている。
「でも夏休みって言っても、母さんがうるさいからな」
「七月に行く? みんなで学園から行った方が空港で集合するよりいいよね」
「オランダの歴史を調べておこうか」
反対する人はひとりもいない。そういえば、向井さんも一緒に行くのだろうか。
そう思って、後ろを振り返る。
「楽しんで来い」
まだまだ先の予定なのに、そう言って向井さんは去っていった。
寮に戻って、お風呂と夕食を食べる。いつものサクサクのコロッケは、いつもよりも美味しく感じた。
僕と水上くんは二人部屋の自室に戻って、のんびりとくつろぐ。
「倉野さん、嬉しそうだったね」
「うん。津川先輩も、向井さんもね」
何度もした会話をまた繰り返した。僕らも指摘しないだけで、顔が緩んでいるだろう。
僕はふと思い出した。
「そういえば、あの折り紙に書かれていた暗証番号。どうして、日付だったんだろう」
「どうして? うーん、何度調べても分からなかったから、もしかしたら理事長の思い入れのある日だったんじゃないかな」
「理事長の……」
「どっちにしても、僕らには分からないよね。そうだ。僕、飲み物を買ってくるよ。僕ら二人だけだけど、今日の打ち上げをしよう」
水上くんは財布を持って、部屋を出ていく。僕は自分のベッドに寝そべった。
「暗証番号か」
僕はスマホで記録してある日付を再度見てみる。十年前から二年前の日付だ。
日付同士を見ても、関連はなさそうだ。
つまり、やっぱり理事長の思い入れのある日付なのだろう。
考えられるのは、誰かの誕生日とか、結婚記念日とか。そういえば、もうすぐ妹の誕生日だ。
僕らは五人兄弟だ。誕生日プレゼントは貰ってもほんのささやかなものばかり。その代わり、チビたちのために料理だけは頑張って豪華さを演出する。演出するのが味噌だ。
今年は僕がいないけれど、どうするのだろうか。
まさか、一番上の妹本人が用意するわけにもいかない。僕も平日だから帰ることも出来なかった。
「そうだ。写真なら」
謎解きのために、たくさん撮った写真がある。妹も僕が撮った写真が好きでよく覗きに来ていた。まだSNSにもあげていないから、家族の誰も見ていない。
「現像して送れば」
――プレゼントの代わりになる。
そう思ったとき、はたと気づいた。
あまりに強引で急で。向井さんに借金まで肩代わりまでしてもらったので、忘れていたけれど。どうして、理事長は僕を向井さんの後の跡継ぎを僕に指定したのだろう。
ひとつの可能性に思い当たった。僕は起き上がって、スマホを操作する。
「そうか。繋がりがあったのは僕じゃないんだ」
写真を上げるためのSNS。これは実は僕だけのアカウントではない。僕と母と父と三人の共同のアカウントだ。
高校生になっても親と共有のアカウントなんて、恥ずかしくて誰にも教えていない。
スマホは中三になってから、個人のSNSは大学生になってから。
そんな変なファミリールールがある。大家族だから、いろいろ制約があることは仕方はないけれど。
「やっぱり、そうだ……」
暗証番号だった一番古い日付の写真。
案の定、家族の写真だ。
小学生の僕と妹、そして生まれたばかりの赤ん坊、弟の写真だった。
イズミという人から、おめでとうございますと祝福の言葉がコメントされていた。
次の日付を見てみる。弟が大きくなって、妹が生まれていた。みんなで、そうめん流しをしている写真だ。
ここでもイズミさんから、祝福の言葉と大きくなりましたねとコメントされている。
間違いない。このイズミさんは、理事長の坂東和泉さんだ。他の日付でも、僕らの成長と誕生を祝福している。
最初のコメントがあってから、約十年以上。
理事長は僕ら家族を見守って来たのだ。謎解きの手がかりだった折り紙は、暗証番号であると同時に、理事長からのタイムカプセルだったんだ。
そして、気づいていたのだろう。あまり、生活に余裕のないことに。何かあれば、あっという間に悪循環のサイクルにはまってしまうだろうことに。
「僕は学園に特別招待されたってことなのかな」
ひとりだけでも、生活費や学費が浮けば家計は楽になる。実際に両親の会社の倒産という危機に助けてもらった。
向井さんなら、高校生になるときに妹を呼ぶことも許してくれるだろう。
助けてもらってばかりだ。たぶん、気づかれなくても構わないと思っての暗証番号だったのだろう。ここまでされては、あの遺言のことも真剣に考えなくてはならない。
そう思った途端に疑念が浮かぶ。
「もしかして、そういう作戦?」
謎を作ることが得意な理事長なら、僕がそう思うことまで想定していてもおかしくないのではないだろうか。
一度、考え出すと止まらない。ドアが開いた音でやっと俯かせていた顔を上げた。
「ただいま。若狭くんの好きなミックスジュース売り切れていたよ」
水上くんがジュースを抱えて戻って来た。差し出してくるのは甘いカフェオレだ。
「ありがとう。これも美味しいよね」
なんだかすっかり好みを把握されているようで笑ってしまう。水上くんがベッドに座る僕の横に腰かける。
「じゃあ、改めて祝杯だ!」
「うん。乾杯!」
思惑がどうであったとしても、未来の決断は僕の手の中にある。
そして、理事長からまた小さな贈り物をもらったことは確かなことなのだ。
日付の謎は理事長と僕だけの秘密にしておこう。
第二章 オランダ旅行編につづく
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