第二章 オランダ旅行編

第28話 はじめての海外へ出発


 僕は夜の冷たい窓の横でスマホを耳にあて、ただひたすら向こうから聞こえて来る文句に一応耳を傾けていた。


「お兄ちゃんばっかり、ズルいズルいズルいーーーッ!」


「ズルいズルい!」


「夏休みは帰ってくると思っていたのにーッ!」


 実家の妹とチビたちの叫び声だ。


「ちゃんと帰りはしただろ?」


「でも、すぐ行っちゃった! しかも、海外に行くなんて聞いてなーい!」


 僕はいま、倉野さんとの約束のオランダに向かう空港にいる。


 本当は七月、一学期が終わってすぐに四人一緒に向かうはずだった。だけど、それを許さなかったのが、それぞれの親だ。


 津川先輩の親は、友人との旅行に喜びはしたものの、何も礼の品も持たずに行くなんて考えられないと、一時帰省を求められた。


 水上くんの親は、お母さんが水上くんのことを溺愛している。


 夏休みに帰省しないなど考えられない。旅行は渋々オッケーしたそうだ。それでも、お盆には絶対に戻らないといけない。


 結局、各自の実家に一度帰省してから、八月初めに改めてオランダへ出発することになったのだ。


 ただ、一番の問題は僕の家だった。オランダに行くということを両親に伝えたときに、まず返って来た言葉は、お金はどうするの?だった。


 両親が勤めていた会社は倒産している。母さんのパート先はすぐに決まった。父さんも失業保険は下りて、何とか転職の面接も上手く行きそうだという。


 そんな矢先の僕の海外旅行だ。でも、僕はお金の心配をされることは見越していた。だてに十五年以上、大家族の長男をしていない。


 向井さんに、あらかじめ相談していたのだ。借金が増えることになるけれど、僕個人が借りることに。そもそも、借金は新しく理事長になった向井さんにしていたのだ。


 簡単に頷くわけだ。


 しかし、予想していなかった問題が、パスポートとチビたち弟妹たちのことだ。


 パスポートがないことは言われて初めて気づいた。


 僕は海外に行ったことがないので、当然パスポートを持っていない。発行にも日数がかかる。どうしても帰省しないといけなかった。


 妹とチビたちは、何か月も留守にしていた僕をもちろん歓迎した。


 お土産がないことに不満そうにしていたけれど、それでも学園生活の土産話を楽しく聞いていた。


 家事の方は一番上の妹ががんばってくれていたみたいだし、両親が家にいたのであまり心配はいらなかったようだ。


 チビたちも、会社の倒産という異常事態を間近に見て、危機感を覚えたらしい。少しは家事を手伝うようになったそうだ。僕に褒めてくれと、うるさかったけれど。


「実は部活の友達から、家に遊びに来ないかって誘われているんだ」


 出発前、僕は嘘ではなく、若干ぼかして家族団らんの場で話した。こう言われれば、国内だと思うのが普通だ。


 これは両親からの入れ知恵だ。海外に行くなんて言ったら最後、全てを投げ捨てでもついていこうとぐずるに違いない、と。


 だてに十五年以上、大家族の親をやっていないわけだ。


 実際、旅行に行くことはぶつくさ言いつつも、弟妹たちは大人しく僕を見送った。


 そして、空港について行く先がオランダだと告げた途端、火がついたように猛抗議が始まったのである。


「お土産! 絶対買ってくるから、えーっと、ミッフィーが有名だって!」


「ミッフィーのぬいぐるみ!? やったーっ!」


「えー、ミッフィーのグッズはいいけど、お兄ちゃんセンスないからなぁ」


 世界的キャラクター、ミッフィーの効果は絶大だ。とりあえず、妹たちは収まった。


 しかし、弟たちのふくれっ面が見なくても、頭に浮かぶ。


「絶対、めちゃくちゃいいお土産買ってくるから! じゃあ、もうすぐ搭乗時間だから!」


「行ってらっしゃい」「気を付けてね」


 何だかんだで、弟たちも納得したようだ。ほっとして僕は通話を切る。


「搭乗時間はまだだけど」


「ああ、倉野さん」


 いつの間にか、近くに倉野さんが来ていた。僕はみんなと離れて、飛行機が見える全面ガラス張りの壁で電話をしていたのだ。


「透の親、大丈夫?」


「いや、親はいいんだけど、妹と弟たちが。ちゃんと話してなかったからうるさくて」


「ふふ、楽しそう」


「楽しくはないって。もう、本当うるさくてさ」


 不毛なやりとりを思い出しては、重たいため息が出て来る。出発前からこんなに疲弊してどうするんだ。


 だけど、倉野さんは綺麗なブロンドがかった髪を揺らして首をひねった。


「わたし、ひとりっ子だから、そういうの分からない」


「あ。そうなんだ」


 何となくひとりっ子っぽそうとは思っていたけれど、はじめて聞いた情報だ。これから行く家のことだし、水上くんや津川先輩と情報を共有しておいた方がいいのだろうか。


 でも、勝手に話すのは悪い気がする。


「まだ、時間ある。みんなでトランプするって」


 それよりも、カードで遊んだ方が楽しそうだ。修学旅行みたいでワクワクした。


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