ラーメン修羅道

高橋未艸

第1話 みやこ軒は今日も大忙し!

「おいぃ! 俺のラーメンまだかぁ?」

 平日の昼間.今日もラーメン屋「みやこ軒」は満席御礼.ホール担当の宮子エリスは忙しく働く.

「お待ちどおさま,味噌ラーメンです」

 客の前に待望のラーメンを置く.味噌ラーメンはこの店で最も人気の一品で,こだわりにこだわり抜いて開発された.一度口にすれば,そのあまりの旨味に脳の一部が破壊され,すっかり虜になってしまう程だ.

 厨房では店長の中諸(なかもろ)敦油(あつゆ)が釜から麺を揚げ,湯を切り,味噌味のスープに入れる.具を載せて「一丁上がりだ」とエリスに渡す.

 中諸敦油はラーメン屋「みやこ軒」店長で,この店で提供される全ての品を開発し,調理する.身長は2 mで,整った精悍な顔立ちに,短い黒髪,がっしりと筋肉質な体.額にタオルを巻き,一心不乱に厨房を動き回る.

 エリスはラーメンに対して真摯で,懸命に働く敦油を愛している.愛する彼と共に働く時間はいつだって宝物だ.

「おいぃ,ラーメェン! 俺のラーメェン……」

 何ともまあ喧しく囀るではないか.俺の至福の時間に水を挿しやがって.エリスは哀れにもいつまで待ってもラーメンが出て来ない客の向かい側の席に座る.

「ラーメェン……」

 客の悲壮な声を目の前で聞くが,エリスは動く素振りも見せない.

「どうしたエリス?」

 厨房から敦油が出て来て,エリスの隣の席に座る.

「いえね,こいつが」

 エリスはさっきから「ラーメェン……」と哀しげに希求する客を指差して言う.

「何やらずーっと音を出してるんですよ.だから,眺めてたら何か面白い事が起こるんじゃないかと思って」

「面白い事って何だよ?」

「ラーメェン……」

 エリスは客の言葉が聞こえないかの如く続ける.

「例えば,こいつは察するにラーメンを食べにこの店に来ていると思うんですが」

「ああ.確かめた訳ではないが,その推測は恐らく正しい」

「ラーメェン……」

「このままラーメンを出さなかったら,こいつは餓死するかなあ?」

「ああ.このまま数日ラーメンを出さなかったら,こいつは餓死するだろう」

「やっほう! そりゃあ愉快だ! しかもその間,こいつはどんどん衰弱して行く訳だろ? 最高の見せ物だ!」

「ラーメェン……」

 客の悲痛な声が四方八方から木霊する中,中諸敦油が言う.

「しかし,それを見ることは無いがな」

「えっ? どうして?」

「それは俺がラーメンを出すからだよ」

「なんでラーメンを出すんですか?」

「それは俺がラーメン屋だからだ」

「ラーメェン……」

「ほら,かわいそうに,こんなにも悲痛な声で泣いている.ラーメンを楽しみに待っている客を蔑ろにするだなんて,ラーメン屋の名折れだろ?」

 中諸敦油は親指を立て,自身の胸を指した.宮子エリスには彼が世界一カッコよく見えた.

「敦油さん……」

 エリスの目から涙が一筋流れる.

「ラーメェン……」客の目からは滂沱の涙.

「というわけで,美味いラーメン食わせてやるよ! 楽しみに待ってな!」

 中諸敦油は立ち上がり,ドタドタと騒がしく厨房に入った.誇らしい心持ちで後ろ姿を見送るエリスのすぐ背後から声が掛かる.

「ホッホッホッ,中諸もラーメン屋らしくなって来たのう」

 声の主は和服の老人だった.彼はラーメン翁.ラーメン界の重鎮にして長老だ.

「彼奴は元々はラーメンにしか興味を抱かぬラーメン狂だった.それが今や一端のラーメン屋店長だ.これが滑稽でなくて何とする? ハァーッハッハッハァ!」

 ラーメン翁が後ろで高笑いするが,宮子エリスには彼が何を言っているか理解出来ない.


 夜.みやこ軒の閉店時刻.

「お疲れ様でした」

「おう,お疲れ」

 最後の客を追い出し,みやこ軒は閉店作業に入っていた.暖簾を下ろし,卓を水拭きし,椅子を上げて床を掃除する.店に関する様々な雑事は普通の人間であれば肉体を酷使する労働だが,体力自慢の宮子エリスには何の苦にもならない.たった一人であらゆる雑事をこなしていた.

「今日も大忙しでしたね」

「ああ.ありがたいことにな」

 中諸敦油も厨房を片付け,明日の仕込みを済ませた.後は帰宅するだけだ.二人の塒に.

「そういえば敦油さん」

「あ?」

「この店ってどうして『みやこ軒』って言うですか?」

「『みやこ軒』という名前だからだよ」

「ああ,俺が聞きたいのはそういうことではなく,どうして『みやこ軒』って名前にしたんですか?」

「どうしてってお前…….言わせる気かよッ」

 中諸敦油は急にモジモジし出した.どうしたんだろう,どこか痒いのだろうか,と宮子エリスは眼を丸くする.

「えっと,敦油さん?」

「わかったよ,そーゆー肚なんだな.わーったよ,乗ってやる」

「何に乗るんですか?」

 敦油はそれには答えず,宮子エリスを見上げて言う.

「良いか,耳かっぽじってよーく聞けよ? 『みやこ軒』って店名は,勿論お前が由来だ!」

 がらんとした店内に中諸敦油の声が響く.しかし宮子エリスはきょとんと目を瞬くばかり.

「えっと,俺の名前の何が由来なんですか?」

「お前の姓だよ!」

「性って,女とか男とかどっちでもないとかあるとかの概念ですか? 未だによく解りませんが」

「違う.苗字のことだ」

「えーっと,俺の苗字ですか?」

「そうだよ.『みやこ』だろうが」

「いいえ,俺の苗字は『キュウシ』です」

 中諸敦油はあんぐりと口を開けた.今の今まで,すっかり勘違いしていた.愛するエリスに因んで店名を付けたというのに,これでは台無しではないか.

「店名変えるッ!」

 敦油は店を出ようとした.

「ちょっと敦油さん! どこ行くんですか?」

 エリスが羽交い締めると,敦油は腕の中でジタバタともがく.

「役場とか税務署とかそういうとこだよ!」

「落ち着いてくださいよ.今行っても誰もいませんって」

「穴があったら入りてえ〜〜」

 敦油の絶叫が夜の商店街に響いた.

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ラーメン修羅道 高橋未艸 @kijaudij

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