その15 風変わりな来客
大阪の新世界エリアで前代未聞の異常な事態が発生してから3日が経過し、テロ事案の可能性を懸念して普段よりも緊迫とした毎日を送っていた井原は、上司の真山からの呼び出しで、久々に大阪府警の警備部へ顔を出していた。
上司からの連絡の内容は前日にとある人物が井原に会いたいと警備部を訪ねて来たとの事で、井原のスマホにその当該人物の画像とプロフィールが送られて来た。
画像には剃髪した美しい顔立ちの僧侶が写っていて、プロフィールを確認すると年齢18歳、高野山真言宗僧侶という肩書きが記されていた。
この驚きの肩書きを持つ当該人物に井原自身は全く心当たりがなく、過去に接触した事もなければ、井原が監視対象にしている者たちでもなく、関連する情報リストの中にも含まれていない人物だった。
何の目的で自分に接触して来たのかを上司に尋ねても「それを聞きたいのはこっちだっ」と、失態を犯した者に対する叱責の声だけが返ってきた。
どこで身バレがしたのか、先方は井原が公安で使用している“
井原が公安の任務についてから随分年月が経つが、こんな大胆で不可解な接触を試みて来た人物は今回が初めてだった。
昨晩は自分が犯した失態についてありとあらゆる想像を巡らせてほとんど一睡も出来ず、困惑したままの頭で大阪府警に出向いたのは昼前の時刻だった。
新世界エリアの異常な事態を受けて忙殺されている他部署を横目に、妙な来訪者が待つ地下への階段を降りる。
井原が面会を前に身だしなみを整えようと、途中のトイレに立ち寄った際に鏡の中で確認した自分の姿は、3日以上風呂に入っていない無造作な髪型と無精髭に覆われ、おまけに目の下には腫れぼったクマが出来て頬がこけた、見るに堪えないひどい有様だった。
「井原です。入ります」
指定された時間どおりに井原が緊張した面持ちで警備部公安第一課の応接室へ入ると、既に上司の真山と件の人物がソファに座って待っていた。
白髪混じりの角刈りに神妙な顔つきを浮かべている上司の真山と対面で座っていたのは、黒い法衣に身を包んだ剃髪の男で、入室した井原の方へ振り返ったその顔は、スマホで確認したとおりの、愛らしい笑顔を浮かべた凜々しい造形の美少年だった。「お忙しいところ突然の訪問で失礼しています、真言宗高野山から参りました佐伯真生と申します」
「こちらで真生さんからの要件は一応聞いておいたが、お前と二人きりで話したいという事だから、オレは一旦席を外れるぞ。話が終わったら後で報告してくれ」
「分かりました」
真山が退室して空いたソファの席に井原が座った。
「改めまして、大阪府警公安第一課所属の松尾です。・・・・・・とは申しましても、あなたはどういうわけか私の本名である“井原”の方を使って私に接触して来られましたね? 私たちの職業と任務におきまして、遺憾ながらこのような形で直接この部署へ訪問して来るような面会は失態でしかないものですから、正直なところ大変困惑しております。なので単刀直入にお聞きしますが、今回はどのような件で、僧職であるあなたがこの私に会いに来られたのでしょうか?」
厄介な交渉や恐喝に発展するかもしれない慎重を要する面会ではあったが、井原は風変わりな相手の大胆不敵な行動に対し、只者ではないという素直な驚きを隠さずにその真意を正面から聞いた。
「先ほどこちらの課長さんにも訪問の理由をお話しさせて頂いたのですが、うまく伝える事が出来なくて回りくどい説明になってしまいました。井原さんが単調直入に私の要件を聞いてくださると言うのであれば、私も単刀直入に申します。あなたと一緒に捜査がしたい。それが私が今回ここへ来た要件であります」
「は?」
畏まった態度で笑顔を浮かべている未成年の僧侶があまりにも突拍子もない返答を口にしたので、井原は一瞬緊張の糸が切れ、ぽかんと口を開けてただ相手の言葉を疑った。
「ふざけているのですか? こちらの認識としては、過去にあなたと面識を持った事は一度もないはずです。公安警察であるにも関わらず、あなたが何者なのかまったく見当もつかない状態で今日ここへ呼び出されているんですよ? そんな私に突然一緒に捜査がしたいと言われても、何が何だかさっぱり分かりませんね」
質の悪い悪戯か、巧妙な計略なのか、真意がまったく読み取れない相手の出方に対し、井原が再び警戒の姿勢を強めて、多少語気を荒げながら尋問のように詰め寄る。
「申し訳ありません。実は私、佐伯はこれまでずっと高野山のお山の方で暮らして参りましたので、下界へ降りて来たのは今回が初めてなものですから、一般の方々のような常識というものがあまりございません。突然の申し出で井原さんが困惑されるのは当然の事と思われますが、私、佐伯もまた井原さんと同じく
松本大慈。その人物の名が目の前にいるあどけない顔をした僧侶の口から突然出た事は、井原にとって更なる驚きだった。
松本大慈。それは元弥勒世会の教祖にして、1995年の地下鉄爆破テロ事件の首謀者であり、公安の任務についた井原が長年血眼になって行方を追っている男の名前だ。
あの事件が起こった後、教祖であった松本大慈は忽然と姿を消し、国内、国外のどこかに今も潜伏しているのか、それとも何らかの事情でその命を絶ったか、生死を問わずその消息がまったく掴めていない。
――なぜ自分が松本大慈を追っている事を、この坊主は知っているんだ?
そんな井原の困惑した心の中を読むように、佐伯真生と名乗った未成年の僧侶が淡々とした口調で一方的に話しを続けた。
「俄には信じがたい話だと思いますが、大阪の通天閣で異変が起きた数日前、松本大慈と思われる人物が我々高野山の聖地であるお大師様の御廟へ現れました。目的は御廟の封印を解いて弥勒の神霊をこの世に顕現させる事です。私どもの対応が遅れ、それが見事に成就してしまいまして、通天閣のビリケンさんがその弥勒の神霊を受け入れる依り代として選ばれたようなのです」
新世界エリアが異様な風景に変わり、通天閣の天辺に突然巨大なビリケンの顔が現れた事は、当日現場へ急行した井原もこの目で確認している。
「オカルトめいた話過ぎて、私には状況がさっぱり掴めないのですが、要するに松本大慈が何らかの新たなテロを企てているという事ですか?」
「はい、そうです。本人はそれを“救済”とおっしゃっていましたが」
笑顔を浮かべていた未成年の僧侶が真剣な表情でそう答えた。
目の前の僧侶が言うとおり俄には信じがたい内容ではあるが、少なくても井原にとってこの未成年の僧侶が自分に脅威や不利益を齎す人物ではない事だけは、この短い時間のやり取りで分かった。
多数の人が原因不明の体調不良を訴え、緊急搬送された新世界の異常な現象に対し、警察もまず真っ先にテロの可能性を疑ってはいたが、現場で観測された事象があまりにも不可解なものであるため、テロに使用されたと思われる兵器も特定出来なければ、関与しそうな人物や組織の情報もない。
そんな状態の中で第一方面本部となるここ大阪府警は、更なるテロの拡大を阻止するべく、新世界エリアから半径5キロ以内に緊急配備を敷いて事態の収束を図っていた。
「あなたの言っている話が仮に本当だとして、あなたは松本大慈だと思われる人物と高野山で接触したというのですね? ではあなたはなぜその人物を松本大慈だと特定する事が出来たのですか? 本人がそう名乗ったのですか?」
「いいえ、これは私の勘によるものです。ただ常人には計り知れない、些か特殊な勘ではありますが・・・・・・」
その人柄を見る限り、佐伯真生と名乗る未成年の僧侶が自分にとって脅威となる人物ではない事は分かったが、映画やドラマならまだしも、公安警察が民間人とバディを組んで捜査をする事など到底あり得ない。ただ彼の言うことが警察を翻弄する質の悪い悪戯であったり、妄想の類いでなければ有力な情報提供者である事は間違いなく、井原個人としては今後懇意に付き合っても良さそうな判断を下していた。
「我々公安は基本単独での行動が多い任務ではありますが、警察組織として動いている以上、民間の方と一緒に捜査行動するという事は原則として認められていない。ただあなたの情報に関しては大変興味深く、私個人としては松本大慈の行方は早急に知りたいところですので、今後ともご縁があれば、捜査に協力を願えればと考えております」
「それはありがたいです。私がここに来たのも前世の縁が引き寄せた事ですから、井原さんがどう考えようと、今後もご縁は必ずありますよ」
佐伯真生はまた愛らしい笑顔を井原に向け、慣れない手付きで黒い法衣の裾からスマホを取り出すと、「連絡はLINEでいいですか?」と、照れ臭そうにキレイに剃髪された頭を掻いた。
あまりにも浮世離れし過ぎた風変わりな少年のそんな様子がおかしくて、緊張していた井原の顔にも思わず「フフッ」と笑みが零れた。
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