第六章 冥い祈り  その16 使徒たち

  

「解脱するぞ、解脱するぞ、解脱するぞ、解脱するぞ」

 小さな祭壇に蝋燭の火が点った六畳ほどの薄暗い部屋の中で、若い男女五人が輪になって瞑想していた。

 白檀のお香の匂いが漂うカーペットの上で背筋を真っ直ぐに伸ばし、蓮華座のポーズで一時間以上続けている。頭には教団が開発したVRのヘッドギアを装着して、そこに映る映像と音楽を聴きながら同じ言葉を早口で何度も連呼していた。

 男女が行っているのは、ヘッドギアの映像と音が織りなす仏の世界に身を委ねて身体の感覚を無くし、意識を拡大して天と繋がる事を目的とした特別な瞑想プログラムだ。

 この部屋に集まった若い男女五人はバルドー教団の大阪道場に在籍している宗教二世で、教団の代表が将来の幹部候補生として特に目をかけているメンバーたちだった。

 一般の信者たちよりも修行の成果が目覚ましかった彼らは、教祖が予言した2025年の大変革がいよいよ始まった事により、代表からさらに高いステージを目指して修行するよう指示されている。そして彼らだけに用意されたこの部屋とカリキュラムを連日こなしていた。

 男女五人が装着したヘッドギアのVR空間の中では立体化した弥勒菩薩の尊い姿が巨大に浮かび、慈愛と威厳を持った弥勒菩薩の真言が大音量で延々と響いている。

 この特別プログラムの瞑想は弥勒菩薩のVR空間の中で五人全員が恍惚とした状態に達し、失神するまで続けられる。既に二人がカーペットの床の上で涎を垂らしながら突っ伏し、残り三人も立体化した弥勒菩薩の臨場感に魅せられて失神寸前の状態でいた。

 恍惚とした状態の果てにまた一人床に倒れ、残りの二人もほぼ同時に失神した。

「コングラッチュレーションッ、お疲れ様ぁ。あなた方は今日、兜率天とそつてんに入った、天と繋がったんだよぉ。おめでとう」

 特別プログラムの瞑想を終えた男女五人が床に伏せっていると、部屋の照明が点灯し、マイクを通じて代表の声が部屋に響いた。

「みんな昇天して良い顔してるよぉ。意識が戻るまでしばらく休んでいいからね。今日はみなさんに大事なお話があります」

 別室から監視モニターで部屋の様子を見ていた代表が、男女五人の意識が回復するのを待ち、嬉しそうに労いの言葉をかける。

 しばらくして五人全員の意識が戻り、それぞれがゆっくりと起き上がってヘッドギアを外した。

 全員すっきりとした顔をして部屋の小さな祭壇の方に向かって整列し、正座の姿勢で座り直す。

「改めて修行お疲れ様です。みなさん着々と霊的ステージが上がってますよ。さすがです。現在のあなた方は仏教で言うならば天部てんぶに位置するかな? まもなく解脱する私たち幹部の後に将来この教団の法を守護して、他の信者たちを導いていく尊い者たちだ。今日はそんなあなた方五人に私から素敵なホーリーネームを授けたいと思います」

「光栄ですっ。ありがとうございます」

 マイクを通じて代表の言葉を聞いた五人が感謝の言葉を口にしながら祭壇に向かって深々と頭を下げた。

「あなた方は今、天部に位置するから明王だ。五人いるから五大明王だね。あなた方は明王だから私たちの教団に帰依しない者や私たちの教団の教えに耳を貸さない者たちを諭す役目がある。だからその五大明王の役目にちなんだホーリネームをそれぞれ用意しましたよ。まずは高崎さん、あなたのホーリーネームはずばり“アチャラナータ”。つまり、不動明王です。あなたにはリーダーの資質がある。だからこの五人をまとめるリーダーとしてこの名前をあなたに授けます」

「ありがとうございますっ」

 男女五人の幹部候補生の中で一番大柄な体格をした男子の高崎たかさきにアチャラナータのホーリーネームが付与された。

 アチャラナータと呼ばれた高崎が軍隊の敬礼のようなお辞儀を祭壇に向けて、リーダーとして選ばれたその意気込みを示す。

「お次は上念じょうねんさん、あなたのホーリーネームは“トライローキャヴィジャヤ”です。ちょっと長くて覚えづらいかもしれないですけど、降三世明王ですね“三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者”という意味があります」

 細いフレームの眼鏡をかけた知的な雰囲気のある男子が静かに頭を下げ、目から一筋の涙を流して歓喜する。

 続いて最年長の男子、小籔こやぶに大威徳明王の“ヤマーンタカ”、最年少の女子、三宅みやけに軍荼利明王の“グンダリー”が付与された。

「最後は天音あまねさん、あなたのホーリーネームは“ヴァジュラヤクシャ”です。つまり金剛夜叉明王だね。金剛夜叉明王は、人を襲っては喰らう恐るべき魔神であったそうですが、天音さんのご両親にもかつてはそんな業があったんだよ。ただあなたのご両親は弥勒世会の時からこの教団に帰依して、教団の教えをずっと信仰して来たから、二世のあなたの代ではすっかりその業が解消されている。だからあなたには敵や悪を喰らい尽くして善を護る聖なる力が宿っているんだ。その力をこの教団のためにフルに使って頂きたい」

「はい、これからも教団のために精進し、教団のために尽力するつもりです」

 一番最後に美沙の名前が呼ばれ、五人のホーリーネームが全て決まった。

 五人の男女が感極まりながら小さな祭壇に向かって傅いている空間に代表の言葉が更に続く。

「ホーリーネームはあなたたちの今後の役割を示すコードネームでもあります。だから今後はお互いをこのホーリネームで呼び合ってください。ただし一般信者には秘密ですよ。この名前を使用していいのはこの五人でいる時と、私と連絡を取る時に限ります。これからみなさんにどうしてもやって欲しいミッションがあるので発表しますね。これは危険を伴う任務ですので心して聞くように。それではもう一度ヘッドギアを装着してください」

 五人に与えられたミッションの具体的な内容が、ヘッドギアから送信された映像と音声でそれぞれ五人に伝えられた。

 それは大阪に根付く古い神々の抹殺を意味したミッションで、明王のホーリーネームを授かった五人ともが固唾を飲みながら決行までの綿密な計画を必死に頭の中へ詰め込んでいく。

「これは人類に救いを齎す弥勒の真言をより広範囲に拡声させるための非常に大事なミッションです。失敗は決して許されませんよ」

 そう告げる代表の柔和の声の最後が厳粛なトーンを持って五人の耳に響いた。

「私からの話は以上です。それでは我が教団の決意を表す“救済ストーリー”を最後にみんなで歌いましょう」

 代表の言葉に従い、全員がヘッドギアを外して、スッと起立する。そして力いっぱい声を出し、『救済ストーリー』と題する教団独自の歌を全員で歌い出した。

 

 すべてを捨てて 礼拝するぞ 全霊込めて 帰依培うぞ

 天へ向かうには 神に至るには グルに帰依するしか方法はない

 観念を遮断し 真理だけ行い 闇に射す光を目指し 覚醒する

 すべてを捨てて 聖戦するぞ 全霊込めて 救済するぞ

 悟りに向かうには 解脱に至るには グルに帰依するしか方法はない

 観念を遮断し 真理だけ行い 聖典をたどって 神の国始まる

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