その11 YouTuber炎上
西成の事務所のビルの屋上にテントを張り、嵯峨山と欣也が酒を飲みながら夜通し新世界の方を観察していた。
蒸し暑い大阪の夜空は新世界から発せられる異様な光に照らされて紫色の闇に覆われ、前代未聞の出来事に沸き立って眠れない人々の喧噪が路上の至る所から聞こえて来る。
普段は夜の十時で店を閉める階下の居酒屋も、この日は異常事態のお祭り騒ぎに乗じた客たちと盛り上がって深夜まで営業を続け、オカルト前線始まって以来の怪奇現象を前にした嵯峨山たちの興奮を階下から更に煽っていた。
モカの体調不良で終えたライヴ配信後も、嵯峨山と欣也は二人だけで新世界の周囲を嗅ぎ回り、なんとかあの異様な空間の中へ入る方法を探してみたが、夜には新世界に隣接する東西南北の道路全てに交通規制が掛かって現場から閉め出され、結局何も手がかりが掴めないまま事務所に戻ってきた。
仕切り直しを図り、新世界を徹夜で観察する事にした二人は、持て余した行動力ですぐにビルの屋上へ上がり、事務所から持ち出した簡易テントを設置して野営の準備を整えた。
「欣也は徹夜でライヴ配信した動画のチェックと編集をしてくれ。手がかりになるかもしれないから、気になる映像やコメントがあったら何でもいいからバンバン拾ってや」
嵯峨山も欣也も昼からずっと動き回って多少疲れを感じていたが、クーラーボックスに詰めて冷やしてある缶チューハイの酔いで眠気を誤魔化し、高いテンションを維持したままそれぞれの作業に入った。
嵯峨山が双眼鏡を片手に新世界の気になる箇所を拡大し、その横で欣也がパソコンを叩いて動画内の気になる映像や音声を確認していく。
日中、異世界の入り口を探して新世界の周囲を嗅ぎ回っていた時、嵯峨山たちはビリケンの顔がどの方角から見ても正面に来ることに気付いた。
嵯峨山たちが動けば、ビリケンの巨大な顔もゆっくりと動き、必ず嵯峨山たちと対峙するように正面を向く。
それはライヴ配信の動画で確認しても同じで、新世界の現場を報道している他のニュース映像を見ても、巨大なビリケンの顔は何故か常に正面にあった。
「あのビリケンさん、何でこっちばっか見るんやろ? 完全にオレらの方を意識してこっち見てるよな? 首から下は鉄骨やけど、顔だけは半透明で機械仕掛けのオブジェ的な感じでもないやん。やっぱあれは生き物なんか?」
双眼鏡を覗き込んだまま、巨大なビリケンの顔を観察していた嵯峨山が湧いてきた疑問を欣也にぶつけた。
「生き物かどうかは分からんすけど、あのビリケン、他の人らが見ても常に正面なんすかね? 今こっちを見てるってことは、天王寺方面の人らには横顔が見えてるはずやし、日本橋方面におる人らからしたら、ビリケンの後頭部が見えてるはずっすよね? でも僕らが撮った映像もそれ以外も全部正面向いてるって事は、あのビリケンさん、横も正面、後ろも正面で、誰が見ても正面に顔が来るようになってんじゃないすか?」
パソコンの画面を凝視していた欣也がチラッとビリケンの方に顔を向け、嵯峨山の疑問に疑問を返した。
理解不能な出来事を前にして二人が言えるのは憶測だけだ。嵯峨山も欣也も酔いにまかせた会話のテンポとノリだけで、とにかく思った事をどんどん言い合い、次の行動に繋がる手掛かりを探していた。
「誰が見ても正面か・・・・・・なんか“後ろの正面、だぁ~れ”って感じで怖いな。あのニヤッとした笑顔も人を嘲笑ってる感じがしてずっと薄気味悪いしな」
「そうすっね、子供みたいな顔してるのに、子供みたいな可愛げが全然ないっすよね。他の人らにはどんな感じに見えてるんやろ?」
「どんなって? 一緒やろ、それはっ」
「同じ正面ならそうなんでしょうけど、横の正面見てる人とか、後ろの正面見てる人とかにしたら、もしかして違う顔をやったりしないすかね?」
「ああ・・・・・・なるほどな、それは考えてなかったけどありえるかもな」
嵯峨山が手にした缶チューハイを飲み切り、足下に置いたクーラーボックスから新たに冷えた缶チューハイを一本取り出した。
「あっ、オレのももう空なんで一本取ってください」
YouTuberとして成功しても相変わらず金がなかった頃から飲んでいる安いレモンの缶チューハイばかりを二人は好んで飲んだ。
YouTubeの企画で高価な物を買ったり、高級な店に行って派手な金額を使う事はあっても、低所得者が多い
二人のそういった根っからの下町気質が親しみやすいキャラとして人気に繫がり、特に地元のガキ大将だった嵯峨山は大人になってもただ自分の好奇心に任せ、年齢や性別、国や民族の壁を越えて臆することなく見知らぬ人と積極的に交流を持ち、親しくなっても忖度はせず、好き嫌いをはっきりと口にして相手と付き合う性分が、視聴者には無邪気に映って好感度が高かった。
気の合う人たちと戯れ合い、毎日を遊ぶように生きて楽しむその素質は、在日コリアンも多く密集する生野という環境で、同じ苦楽を共にして来た人情味のある人たちに見守られて育ってきた証でもある。
「嵯峨さん、ちょっと見てくださいっ。生配信した動画、なぜかモカちゃんが登場したあたりからチャットのコメント欄が荒れ出しましたよ」
「ホンマかっ、何であんな可愛い子が登場して荒れるような事あんねん?」
嵯峨山が双眼鏡を外し、欣也が凝視しているパソコンの画面を覗き込んだ。
浪速署の前で嵯峨山たちとモカが合流し、現場から嵯峨山とモカのツーショットでやりとりする映像が流れている。
@rukusakatsuki イチャコラ夫婦漫才が始まったぞ!
@masasato6772 これが正しい「ビジネスカップル」
@user-ok3zk6rs4y デリにいそうな天才的な地下アイドル様~
@mail46491 カップルユーチューバーの面白さが全くわからない
@user-qs6jb9yn7b 事後系YouTuberとして一定の層から人気集めてほしい
@blackdiamond 可愛くねーなw
@user-oq4iv1kz2s この女ラリってるよ
@user-gt9lv9oc8h この長い黒髪でフェザータッチして欲しい
@user-yn5mr2uk 金髪男の発言と態度がヒドイ。
@user-iu2cz1od5n アイドルはファンの人に夢を与える仕事なのに、わざわざ裏で男と繋がったりするならアイドルになるなって話よね
突如荒れ出したコメント欄には何故か嵯峨山とモカの関係性について囃し立てるような内容のものが多く、中には過激な性的表現を含む辛辣な言葉も多くあった。
人気YouTuberともなれば、毎回少なからず低俗なアンチコメントは来る。過去に動画内で嵯峨山が口にした不謹慎な言動や行為のために炎上する事態を招いた事もあったが、今回のライヴ配信に関しては、演者側に何か落ち度があるような点は見当たらない。
「マジでなんやねん、これ? オレら炎上するような事なんもしてへんでっ」
「そうなんすよっ、何が原因なんすかね?」
二人でモカが登場するシーンから何度も見直し、コメントが荒れる理由となるものを探した。
「何度観てもオレらに落ち度は全然ないな。別にイチャついてへんし、普通に絡んでるだけやんな? もしかしたら配信前にネット内にオレとモカのスキャンダル記事か噂みたいなもんでも流れたりしたんか? オレもモカもそこまでメジャーな芸能人ちゃうぞっ」
不快なコメントを読み返していた嵯峨山が、黒いタンクトップから剥き出した逞しい筋肉を震わせ、半分くらい入っているチューハイを一気に飲み干して、空いた缶を握り潰した。
かなり酔いが回って来たのか、缶を握り潰した酒臭い手を拭きもせず、濡れたままハーフパンツのポケットからスマホを取り出すと、モカと自分の名前を検索エンジンに打ち込んでエゴサーチを始めた。
その結果として表示されたのは、YouTubeチャンネル同様の荒れ模様で、見るに堪えない罵詈雑言や誹謗中傷が二人がやっているどのSNSのアカウントにも集中していた。
かつてこれほどまでの規模で炎上した事はない。昨日までのファンが突然全員アンチになってしまったかのように謂れのない理不尽なコメントを書き込んでいて、このまま放って置けばYouTuberとしての存亡が危ぶまれる異常な熱を帯びていた。
「今日はホンマ一日中わけわからん事だらけやったな。これかなりヤバい状況やと思うねんけど、オレ酔うてるからかな? なんか怒りとか不安も込みで久々に震えが来るほどオモロイわっ」
「そうすねっ。最近なんか妙に安定してて、こんな感覚なかったすよね。なんか自分も久々に燃えますわ。とりあえず今日はもう対策錬るの面倒なんで、このままキャンプみたいに屋上で飲んで酔い潰れましょうっ」
欣也がノートパソコンを閉じて、冷えた缶チューハイを片手で開け、勢い良く半分まで一気に煽った。
不測の事態に陥った嵯峨山と欣也の楽観的な性根に闘争本能が加わり、さらに酒が作る酩酊の妙な快感もあってか、それから二人は意味もなくゲラゲラ笑いながら、クーラーボックスに入っている残りの缶チューハイを平らげるために乾杯した。
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