その6 オカルト前線

 

「嵯峨さん見てっ、先週アップした“源氏の滝”の動画がもう二十万再生もいってますよっ」

 ノートパソコンで過去の動画の再生数をチェックしていた欣也きんやが興奮した様子で嵯峨山の方に画面を向けた。

「ホンマか? やっぱあの子持ってんな。生駒のトンネルで撮影した時もそうやったけど、突然空気が変わるというか、霊感のまったくないオレらでもモカと一緒にいると確かに何かおるような気がするもんな」

 テーブルを挟んだ向かいのソファで煙草を燻らしながら考え込んでいた嵯峨山がパソコンの画面を覗き込み、欣也が指し示す数字を確認する。

 二人は西成にある古い三階建てのビルの二階の事務所で昼間から酒を飲み、自分たちのYouTubeチャンネルである『オカルト前線』の企画会議をやっていた。

 主に心霊スポットや都市伝説を検証するYouTubeチャンネルで、好奇心旺盛でアクティブな性格の嵯峨山が、日本、海外を問わず、人が滅多に行かない秘境や僻地と呼ばれる場所に出かけたり、実態のよくわからないアンダーグランドな世界に潜入して、危険を顧みずにそこの様子をリポートする内容が若者を中心にウケ、人気を博している。

 高校時代から野球部の先輩後輩として親しかった二人のノリとコンビネーションだけで、これまで何度も神回と呼ばれるヒット動画を生み出して来たが、地下アイドルの“MOKA”をゲストに呼んで撮影した回の動画が、ここ最近、過去のどの動画よりも勢いよく再生数を伸ばしていた。

“源氏の滝”の動画は大阪府の交野市で一ヶ月前に撮影したもので、滝へ向かう川沿いの遊歩道の途中にある大岩に霊のようなものがはっきりと映り込んでいるというコメントが視聴者から多数あり、オカルト好きなネットユーザーの間で話題になっている。

 嵯峨山も欣也も現場では気付かなかったが、小さな石仏が乗っかっていたその大岩にゲストのモカが近づいた時、彼女が急に寒気を感じて、「あ、あそこっ」と指さした瞬間、懐中電灯で照らした大岩の前を人影のような黒いものがスッと横切っている様子を動画でははっきりと確認できた。

 この場所には昔、源氏姫げんじひめ梅千代うめちよという姉弟が住んでいて、ある日盗賊に襲われて弟の梅千代が死亡する。怒った源氏姫が盗賊の頭である女を刺したが、その女が「お前たちはかつて事情があって捨てた我が子だ」と言い残して息を引き取り、それを知った源氏姫は母と弟を失ったショックで泣き崩れ、思い余って滝に身を投じたという伝説がある。

 動画に映り込んだ黒い人影のようなものがこの伝説に関係する人物のものかどうかはわからないが、この周囲の雑木林には他にもたくさんの無縁仏がひっそりと佇んでいて、平成の時代にも交野市で起きたバラバラ殺人の死体が見つかるなど、かなり曰くがある場所だった。

「再生数上がんのはええ事やと思うけど、この調子だと、次の企画もモカに出てもらわんと、オレらだけではもうこのオカルトチャンネル成立せえへんくなるんとちゃう?」

「その懸念はボクも確かにあるっすね。正直二人だけでは伸び悩んでるとこあったんで」

 二人はこれまでの撮影や編集に関して、超常現象に見せかけたヤラセに該当する行為をした事は一切なかったが、視聴者を楽しませるために、現場でのちょっとしたトラブルを大袈裟なリアクションで盛り上げる演出などはよくしていた。

 嵯峨山のチャレンジ精神で危ない橋を渡り、それに渋々巻き込まれて毎回狼狽するカメラマン欣也のリアクション。それがこのチャンネルの醍醐味であり、人気YouTuberになれた一番の要因でもあるのだが、地下アイドルのモカと出会い、彼女が真実味のある霊能力を現場や動画で披露した事により、二人だけでやって来たこれまでのノリだけではこの『オカルト前線』の面白味を維持できなくなるような気がしていた。

 実際に過去にアップした動画の大半は再生数がほとんど伸びておらず、コメント欄に寄せられる視聴者の意見でも、モカをレギュラーでチャンネル出演させて欲しいという要望は多い。

「オレはモカがオッケーだったら三人でこのチャンネルやってもええと思ってんねんけどな、あの子はアイドル活動がメインでやりたい事やろ? だからこのチャンネルのイメージがあの子の活動の邪魔になったりせえへんかな? って、そこがちょっと考えどころやねんな」

「確かに。嵯峨さんとのコラボで向こうも良い宣伝にはなると思いますけど、僕らアンチも多いから、彼女のブランディングには十分気を遣ってあげんといかんでしょうね」

「「なんやモカって、嵯峨山と付き合うとんの?」とか言い出すヤツ絶対出てきそうやしな」

「ハハッ、それはないんちゃいますかね」

 今後の方針について悩みつつも、テーブルの上は空いた缶チューハイでいっぱいになり、二人だけの企画会議は酔いにまかせた上機嫌で進む。

「ほんで次はどこ行こ? 視聴者からどんなリクエスト来てる?」

 嵯峨山に促され、欣也が酒で赤くなったふっくらした顔をパソコンの画面に近づけて、危うい手つきでマウスを弾きながら視聴者のコメント欄をチェックした。

「知ってるとこばっかでめぼしい情報はあまりないっすね・・・・・・あっ“近所にあるバルドー教がかなりヤバイんで、ぜひ調査お願いします”これどうすか?」

「バルドー教? なんやそれ? 聞いたことないな」

「ちょっとネットで検索して見ます。ていうか、腹減ってきません?」

 階下で営業している立ち飲みの居酒屋からホルモン焼きの良い匂いが二階の事務所にたどり着き、欣也の弛んだ腹がその匂いにつられてグゥーッと鳴った。

「よっしゃ、オレ下行っておっちゃんから適当に旨いもんパクって来るから、その間ちょっと調べてといて」

 嵯峨山が寝そべっていたソファから飛び起き、事務所を出て、勢い良く階下へ駆け下りていった。

 好きな人たちに囲まれて、やりたい事をやりたい時にやり、食べたい物を食べたい時に食べて、とにかく人生を謳歌する。それが二人の信条だ。

 あれはいつだったか? まだ世の中の事をまったく知らず、お金も全然なかった青春真っ只中の頃、ここ西成の土地で野宿生活をしながら、安い自動販売機の前で嵯峨山と二人、今日のように缶チューハイを酌み交わして誓い合った自分たちの生き方と夢。

 YouTuberという天職を見つけてそれが叶い、今もその夢と生き方が継続中である事にこの上ない幸福を感じながら、欣也はパソコンと格闘し、嵯峨山と過ごす今日一日、そして明日明後日の未来に心を躍らせていた。 グーグル検索で“バルドー教”というワードを打ち込むと、検索結果のトップにそれらしき教団の公式HPが表示された。

 マウスをクリックしてその公式HPにアクセスすると、雲の上に青空が広がる画面が映り、画面の上部中央に曼荼羅のような図像が浮かんだ。

「現世における救済」「病苦からの解放」「解脱、悟り」。

 バルドー教団はこの三つを活動理念に掲げ、仏教やヨガの教えを実践している新興宗教らしく、本部を大阪に構え、他札幌、東京、名古屋、京都、四国、福岡に道場を持っていた。 

 HPを見る限りは特に不審な情報はない。ただ教団の広報部サイトを覗くと「一連の事件の被害者の方々への補償について」というトピックがあり、視聴者の投稿にあるこの教団の“ヤバさ”がそのトピックと何か繋がっているような気がした欣也は、その詳細についても調べてみる事にした。

 ウィキペディアで得られた情報によると、このバルドー教団はかつて破産した弥勒世会という新興宗教の後継団体で、2000年に発足し、2008年に現在の名前に改称していることが分かった。

 前身である弥勒世会は1995年までに様々な事件を起こしており、その最たるは国家転覆を目的とした「東京地下鉄爆破テロ事件」と呼ばれるもので、朝の通勤ラッシュ時に、丸ノ内線と日比谷線、千代田線の利用者をターゲットにして大多数の死傷者を出していた。

 自分が生まれた頃に起きた出来事だけに欣也は当時のニュース報道をほとんど知らなかったが、過去の歴史的事件を振り返るテレビ番組か何かでこの事件を扱った映像を観たような記憶はある。

 映像では地下鉄駅のホームに歪な形をした電車の車両が横たわり、爆破で負傷した大勢の人たちが何人もホームに倒れて苦しんでいた。

 救急隊員のタンカーが地下と地上を何度も往復して、負傷者で溢れるその地獄絵図は地下鉄駅の外にも広がり、救急車両と警察車両とマスコミの車両が物々しく辺りを埋め尽くしていた。

 後継団体であるバルドー教団は前身である弥勒会世が起こしたこの事件の影響を受けて法人格を認められておらず、現在も公安委員会の監視を受けながらひっそりと活動を続けているような状態だった。

 確かに興味深い教団ではあるが、自分たちYouTuberがエンタメのネタとして扱っていい代物ではない事は、普段楽観的な欣也にもすぐに判断はつく。

――これはボツやな。

 欣也がそう思った時、階下が突然騒がしくなり、嵯峨山と居酒屋の店主が「欣也っ、上、上、屋上へ上がれっ」と叫びながら階段を駈け上がってきた。

「どうしたんすか?」

「オレもようわからんけど、新世界の方がなんか大変な事になってるみたいやねんっ。とりあえず屋上へ行って様子見たいから、カメラ持って来てっ」

 嵯峨山と居酒屋の店主が興奮しながら先に屋上に向かっていった。わけがわからないまま欣也もすぐにGoProのコンパクトカメラと三脚を持って二人の後を追った。

「なんやねんっ、どないなっとんねんっ」

 三人が見晴らしの良いビルの屋上に出るとそこには信じられない光景が広がっていた。

 新今宮駅がある高架付近を境にして、新世界の界隈とその上空が赤黒い靄のようなものにスッポリと覆われていた。

 まるでそのエリアだけが空ごと赤黒い寒天にでもなったような不可解な状態で、高架の上に突き出していた通天閣の姿も異様な物に変わり果てていた。

「信じられんっ、通天閣にでっかい顔ついてんでっ。あんなもんあったか? なんやあのけったいな顔・・・・・・ビリケンさんか?」

 通天閣の屋上展望台にあたる部分が普段よりも大きく膨張していて、そこにニンマリと笑う巨大なビリケンの顔が不気味に浮かんでいる。

「欣也っ、とにかくそのままカメラでライブ配信しよっ。これは超常現象の大スクープ映像や、オレはモカに連絡してみるわっ」

 そう言って嵯峨山がすぐにスマホでモカに連絡を取り出した。欣也もすぐにGOProのカメラをライヴ配信に切り替える準備に入る。

 今日はいつになく長い一日になる。

 信じられない未知の出来事を前にして驚きと興奮に震えながら、二人はそんな事を同時に思った。

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