第二章 通天閣の怪奇現象  その5 穢れたアイドル

   


 次の出番を待つステージの袖で、朋香ともかは新人アイドルたちのパフォーマンスを見ながら、緊張から来る吐き気を堪えていた。

 今日は朋香が所属する芸能事務所の十周年を記念したライヴイベントだ。事務所所属のアイドルやお笑いタレントたちが自分たちのホームであるコロポックル劇場でそれぞれの芸を披露する。

 120名ほどのキャパシティを持つ劇場には観客たちがスタンディングで詰め、ほぼ満員状態になっていた。

 ステージの照明とサイリュームの蛍光色に包まれながらファンの声援を浴びている新人アイドルたちの歌とダンスは初々しく、技量こそ無いが、がむしゃらな元気と若さが朋香の目にやたらと眩しく映る。

 ポップカルチャーの聖地として知られる大阪日本橋の電気街、通称“オタロード”の中心に位置するこの劇場と事務所に所属してもうかれこれ六年になるが、朋香は未だ地下アイドルの域を越えられずにいた。

 アイドルとしての活動はコロポックル劇場でのライヴをメインに、関西圏や地方で行われる小規模なイベントに出演したり、あとはSNSを活用した事務所公認のチャンネルでコンテンツを配信しているくらいだ。

 アイドル活動で得られる収入はライヴのチケットと物販の売り上げ次第。事務所と交わした契約により、朋香にはその売り上げの30パーセントがタレントのギャラとして支払われるだけだった。

 知名度がほとんどない地下アイドルの集客力ではほとんど収入にならないような月もあり、駆け出しの頃は、アイドルとしての活動はおろか、日々の生活もままならない状態が続いていた。

 コンビニのバイトで食いつないでいた時期もあったが、アイドルを志望する多くの女子たち同様、朋香もファン獲得の機会が得られるコンカフェやラウンジなどのバイトに切り替え、そこで人並みの生活を維持すると共に、本業の集客に繋げる努力もしてきた。

 それでも質の良いライヴパフォーマンスを披露しなければ継続的に応援してくれる厚いファン層は付かない。凝った衣装やダンスのレッスンのなどを受けてパフォーマンスを磨けば磨くほどお金はいくらでも嵩み、そのお金の工面で本業ではない仕事に削られてしまう時間も惜しくなる。

 そんな努力と苦悩の最中、朋香がラウンジに来た客に紹介された飛田新地での風俗バイトを始めたのはある種必然的な流れでもあった。短時間で高額な報酬を得られるようになった事で、アイドルの活動により専念出来るようになったが、バレたら清純を売りにしたアイドル像が完全に崩壊する危険な賭けでもあった。 

 幼少期に両親が離婚し、朋香は父親の顔がどんな印象だったかあまり覚えていないが、小顔で端正な顔立ちは父親譲りらしく、身体のプロポーションも良く、容姿には恵まれていた。 

 アイドルとしては少し地味な印象がある長い黒髪の清楚な雰囲気が飛田ではよく持て囃され、青春通りを歩く男たちの大半が一目朋香を見ただけで立ち止まった。そして朋香が照れと憂いのある笑顔を向けて手を振ると、立ち止まった人たちが吸い込まれるようにそのまま客として部屋に上がって来る。

 男性を性的に奉仕する技術に自信はなかったが、恥じらいを捨てきれない朋香の態度やぎこちない動きがかえって男性を興奮させるらしく、プレイの終わりに朋香の名刺を希望してリピーターになってくれる客も多かった。

 夜の時間帯に週三くらいのペースで働けば、コンカフェやラウンジでもらう給料を軽く越える。一日複数の男を相手にし、時に手荒なプレイを要求してくる客への対応で神経をすり減らすため、決して楽な仕事ではなかったが、本業のアイドル一本で生計を立てるようになるまでは、この短時間で効率良く稼げる飛田でのバイトを辞めるつもりはなかった。 

 幸いこれまで朋香のファンや知り合いが客として飛田へ来たことは一度もなく、2チャンネルや爆サイのような掲示板サイトで目撃情報を晒されるようなこともなかった。

 ただここ最近、西成で活動している人気YouTuberのチャンネルにゲスト出演したことがきっかけで、アイドルとして活動する朋香の知名度が一気に上がり、街で朋香を見かけたファン以外の人たちからも頻繁に声を掛けられる機会が増えて来た。

 その度に清楚を売りにしたアイドルとしてのイメージと飛田の仕事で穢れてしまったリアルな心身のギャップに苛まれ、メジャーへ駆け上がる予感に期待しながらも、将来の展望が依然闇雲な状態である懸念が拭い切れず、元々不安定なところがある朋香のメンタルが、ここ最近より一層不安定になっていた。

 今日楽屋でスタッフに用意されたステージ衣装はビビットなピンクの水玉模様をあしらったタイトなミニスカートに、ヘソ出しにしたビビットなパープルのTシャツと赤いピンヒール。新人アイドルのような弾けたステージを要求されているのか、全身の露出が多く、髪型もロリータっぽいツインテールに仕上げられている。 

 新人アイドルたちのパフォーマンスで盛り上がるステージの後に朋香がソロでその熱量を引き継ぎ、自分のファン以外にも古参アイドルとしての実力を見せつけなければいけない。そんなプレッシャーを感じて胃酸が逆流し、息苦しさで目から涙が零れた。

 深く息を吸い、辛いのはステージの袖で出番を待つ今この瞬間だけだと言い聞かせて、朋香はこの後自分が披露する曲を口ずんでは、それに合わせてステップを踏んだ。

 朋香は自分にアイドルの才能があるとは思っていなかったが、不思議とステージにさえ立てばいつもそれなりに自分の歌と踊りを上手くこなすことができた。そして人前に出る事で得られる興奮や快感は、なぜかどんなものにも代え難い生き甲斐を朋香に与えていたので、アイドルの活動だけは何があっても辞められない。

「どぉもーありがとうございますっ、以上アタシたち大阪府立池田高校出身アイドル“METAメタセコイヤ”でしたぁー。次は皆さんお待ちかね“MOKAモカ”姉さんの登場ですっ、イベントはまだまだ続くんで、この後も楽しんでくださいねっ」

 新人アイドルたちのステージが終わり、全身から湯気を上げた彼女たちがステージの袖に捌けてきた。

「お疲れぇーっ。良い感じに盛り上がってたよぉ」

「ありがとうございますっ。めっちゃ緊張しました。MOKA先輩も頑張ってくださいっ」

 お世辞でも本音でもない言葉で彼女たちを労い、朋香はMCの紹介と出囃子になる自分の曲が鳴るのをジッと待った。

 今日のステージの持ち時間は二十分。3曲披露する予定になっている。

「MOKAっ!、MOKAっ!、MOKAっ!・・・・・・」

 MCのマイクを掻き消す勢いでファンのコールが響き、激しく点滅する照明の演出と共に非常に速い変則的なドラムビートが鳴り出した。

 その途端に朋香の緊張がスッと抜け、頭と足がドラムビートに合わせて自然にリズムを刻んだ。そして歌い出し直前のうねるベース音を合図に朋香の履いた赤いピンヒールがカモシカのように高く跳ね、薄暗いステージの袖から煌々と光るステージへ歌いながら躍り出る。

「腕切りげんまん星降る夜にっ、アタシはルージュに包まれて、ワルツを踊る夢を見るっ!」

 朋香の曲に合わせて観客たちの手にしたペンライトとサイリュームが高速移動する蛍のように劇場内を動き回った。

 腰を落とし、左右の足を前後に繰り出してクロスさせるツーステップを軽快に踏みながら、眩い光と激しい音の中で朋香はすぐにトランス状態に入った。

 目の前にいる観客たちの顔が点滅し、一人一人の顔と表情がスローになってはっきりと見えて来る。高速移動しているはずのペンライトとサイリュームが描く光の軌道もしっかりと目で追えた。

 トランス状態に入ると身体の感覚は重力から解き放たれたように軽くなり、足に負担が掛かりやすいピンヒールを履いてのダンスでも痛みを全く感じなかった。

「想い出を星屑にっ、グロいアタシはルージュに溶けてガラクタに・・・・・・?」

 オン・マイタレイヤ・ソワカッ

 曲に合わせて順調に歌い続けていた朋香の頭の中で、突然何か別の音が鳴った気がした。 

 その途端マイクがキィイィイイィイインッとハウリングを起こし、劇場のスピーカーから流れていた曲にもヴォオオンッ、という耳障りなノイズが入った。

――音響機材のトラブルだろうか?

 朋香が歌うのを止め、マイクを持ったまま呆然としていると、曲のスピードが速くなったり遅くなったり、音量が上がったり下がったりしてどんどん狂っていく。

「どうしたっ? なんやこれっ?」

 観客たちが騒ぎ出し、ステージの袖と会場にいた運営スタッフたちが慌ただしい動きを見せた。

 暗かった会場の照明が全て点灯し、ステージのボルテージは一気に冷めたが、狂った曲は朋香と観客たちを置き去りにしたままずっと鳴り響いていた。

「大変もうしわけございません。ただいま音響のトラブルが発生したようなので、復旧までもうしばらくお待ちくださいっ」

 MCの芸人がステージに登壇して状況を説明する。

「もうええから、とりあえずこの変な曲止めてえやっ」

 鳴り止まない曲に気分を悪くした観客たちが不満を洩らし、何人かグッタリとして会場の地べたに座り込んでいる。スタッフに吐き気や頭痛を訴える者もいて、中には失神している客もいる。

 とりあえずスタッフが音響の電源を全て落としたことで狂った曲は止まったが、原因の解明と復旧の目処がつかないため、ライヴの続行は不可能という判断になり、そのまま中止となった。

 突然のライヴ中止に会場は一時騒然となったが、出演タレントが全員でチケットの返金に対応し、物販ブースでファンとの交流に時間を割いた事で、どうにか事態は収まった。

「・・・・・・お疲れ様でしたぁ」 

 不完全燃焼の十周年ライブを終え、すっかり疲弊してしまった朋香が予定より早い時間に楽屋に戻って一息つくと、テーブルに置いていたスマホの画面にLINEの通知が何件か来ていた。

 アプリを開いて通知を確認すると、以前一緒に撮影して親しくなったYouTuberの嵯峨山さがやまからだった。

“モカ、新世界がどえらい事になってんねんっ。今、急遽撮影してるからこのメッセージ見たらすぐにモカも合流してほしい”

 緊急を要したそんなメッセージと一緒に、おそらく新世界を撮ったものだと思われる、赤黒い奇妙な光景の画像が添付されていた。

――えっ・・・・・・何、これ?

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