その3 ニートの昼下がり
――今、何時やろ?
遮光カーテンを閉め切った部屋はいつも暗く、目覚ましもかけないので、
大学を中退してからほとんど外出もせず、不規則な生活サイクルでひたすらゲームばかりをやり続けて寝落ちし、自然に目が覚めるまで寝る暮らしをずっと続けている。
腹が減ったら一階に降りて冷蔵庫にある食材を適当に食べ、あとはトイレの時以外、自分の部屋からもほとんど出ない。
暗がりの中、一樹は左手で寝ぼけ眼を擦りながら、近くの机にあるマウスを手探りで見つけ、軽くスライドさせた。
スリープモードで待機していたパソコンの画面が明るくなり、それまで暗かった部屋が本棚で埋め尽くされた狭い空間をぼんやりと浮かび上がらせた。
本棚の中に収まっているのは、数々のゲームソフトとその攻略本、そしてパソコン雑誌ばかりだ。
机にはゲーミング用のデスクトップパソコンが一台とモニターが二台があり、片手用キーボードとマウスのセットに加え、コントローラーとヘッドセットなどの周辺機器で雑然としている。
一樹はここ一ヶ月くらい海外のゲームデベロッパーが発売した都市開発シュミレーションゲームにハマっていて、今日も起きたばかりなのに早速そのソフトを起動させてマウスとキーボードを器用に操った。
一樹がゲーム内で開発している都市は自分が現在住んでいる大阪とそっくりな都市だ。 昨日から天王寺エリアと湾岸エリアの交通事情とインフラを見直し、より良い発展を遂げるための再開発に着手している。
このゲームを始めるまで一樹は政治にも経済にもほとんど関心がなかったが、自分が市長として仮想の都市開発に携わり、大幅な時間の経過と共に綿密なシュミレーションで面白いように繁栄と衰退の成果が表れる都市の様子を見ているうちに、政治や経済への関心が高まり、自分が住む大阪という都市の現状をもっと詳しく知りたいと思うようになった。
オリジナルの都市をいくつか創ってある程度ゲームに慣れると、一樹はスマホのグーグルマップを参考にしながら、リアルタイムの大阪をゲーム内に再現してみることにした。
海外のゲームソフトだから開発で選べる土地も基本的には海外の土地しかないが、一樹はまず比較的大阪に似た海外の土地を選び、地形ツールを使ってその海外の土地を大阪の土地に似せて成形していった。
その作業に二日ほど費やすと、仮想空間内に大阪とよく似た開発地が姿を現した。
大阪府はとにかく面積が狭い。日本の総面積である37万7,974平方キロメートルに対して、大阪府の面積は1,905平方キロメートルほどしかなく、全国の都道府県と比較すると、香川県に次いで二番目に狭い。
その狭い土地に住宅、商業、工業、農業、観光資源などを凝縮して詰め込んだのが大阪という大都市だ。
相当な時間が掛かることを覚悟しながら、次にグーグルマップで大阪市内の主な住居エリアと商業エリア、工業エリアの分布を把握し、初期設定の予算を使って、まずは大阪の“キタ”と呼ばれるエリアの開発から着手することにした。
ゲーム内における都市開発の第一歩は開発エリアと開発エリアの外部を繋ぐ道路の設置だ。
大阪駅にあたる場所をピンの形をしたアイコンでマークし、そこを起点に画面の南北に
次にその御堂筋の中之島付近にあたる箇所から画面の北部にある高速道路に向かってもう一本道路を引く。
とりあえずはこの道が仮想の阪神高速としてゲーム内の大阪市内と外部に人と物の流れを作り、徐々にキタエリアが町らしい様子を見せていった。
町に住宅地が増え、人口が増えると商業地や工業地の需要も高まって来る。
住宅、商業、工業の区画は三角関係を持っているため、それぞれの区画を行き来するための道路作りを怠ると税収が大きく下がったり、渋滞の原因になる。
キタは大阪のビジネスの中心地だ。一樹の構想は福島区を主な居住区域にあててキタエリアの人口を増やし、梅田界隈を高密度な商業区域にして、そこから淀川を越えた大阪市外のエリアに低密度な工業区域を指定するのがベストという判断だった。
そのために必要なインフラ整備として、西淀区にあたる箇所に火力発電所を設置し、水道事業に関しては淀川を頼りに取水施設と排水施設を設置して対応した。
何かを作る度に大幅に変動する予算額。一樹は開発した都市の経済状況を示す情報ページを常にチェックし、キタエリアの収入と支出のバランスが崩れていたら即座にその原因を探るように努めた。
――無駄になっている水道管や電線はないか?
――人口規模に対する教育機関や医療機関の数は適切か?
――土地の地価はどうだ?
一樹はパソコンの明かりだけが点る薄暗い部屋の中でそんな事を延々と考え、社会との繋がりをほとんど持たない身にも関わらず、自分が作った大阪という仮想都市の発展と衰退を見守りながら一喜一憂する毎日を送った。
キタエリアに続いて大阪“ミナミ”の開発にも着手し、グリコの電子看板やかに道楽のオブジェなど“食い倒れ”と呼ばれる道頓堀界隈の派手なディテールにもこだわりを持って作り込み、天王寺エリアから湾岸エリアへと、その再現性を拡張して行った。
仮想の大阪を自分でリアルに開発していく中で、一樹が一番気に入っている場所は新世界だった。
一樹は生まれも育ちも大阪だったが、新世界界隈にはほとんど足を運んだことがなく、大阪のランドマークタワーとも呼べる通天閣にも上ったことがなかった。
小さい頃からインドアだった一樹にとってこの界隈は観光客と地元の古参たちをアルコールとジャンクフード漬けにする下世話な街という印象しかなく、全ての装飾が時代に取り残された安っぽいハリボテとして映り、その押しつけがましいほどにアナログな雰囲気を醸し出す景観に、コテコテの大阪という苦手意識を持っていた。
ただ自分がデジタルの手段を使って再現したアナログの新世界には、映画『ブレードランナー』を彷彿とさせるサイバーパンク的な世界観がどことなくあるような気がして、その中央に位置する無骨な通天閣が、大阪全体を監視するためのパノプティコンのように異様な構造物に見えた。
一樹はマウスのカーソルを通天閣に当て、最上階の展望台付近をズーム機能で拡大して中を覗いてみた。
このゲームで作った建物は360度、どの角度からでもカーソルを合わせて眺めることが出来る。ズームした展望台は家族連れの観光客で溢れていて、そこから一望できる雑多な大阪の街を楽しんでいるように見えた。
今度はズーム機能で通天閣を縮小して、その外観をゆっくりと回しながら俯瞰した。
スマホで画像検索した実物よりも仮想現実空間に誕生した通天閣の方がやはり見映えが良い。
――一生に一度くらいはリアルな通天閣にも上ってみてもええかな?
一樹がそう思った時、突然ポン、ポンと複数の警告アイコンが通天閣の周りに表示された。
水道と電気が通っていないことを知らせるアイコンと下水の処理に困っているアイコン。それに加えて労働者不足のアイコン、顧客不足のアイコン、火事、病気、死亡を知らせるアイコンまで出てきた。
――なんや、これ?
とりあえずズーム機能で大阪全体を縮小して他のエリアの状況も確認する。警告アイコンが出ているのはなぜか新世界がある区画だけで、天王寺や新今宮の駅周辺には何の異変もない。
一樹はもう一度新世界の区画をズームで拡大してみた。そして都市の状況が詳細に把握できる情報ビューを開き、新世界の区画があるマップの土壌と水質の汚染、騒音、渋滞、犯罪のレベルがどれくらいか調べた。それぞれの項目に指定されているマップの色の濃度が示した結果はなぜかどれも最悪レベルだった。
地価も大幅に下落していて、商業施設にどんどん廃墟のアイコンが立っていく。
――マジでなんなん、これ? バグか?
これまで何度か都市を開発した中で財政破綻レベルまで追い込まれるような困難を迎えたことはあったが、小規模のエリアにだけこんな異常事態が発生する事例は初めだった。事態を改善するにしても原因が全く分からない。
一樹はとりあえず都市の時間を止めて、廃墟になった建物を解体した。賑やかだった新世界がほぼ更地の状態になり、通天閣だけが辛うじてその更地の中央に残っている。
再び時間を動かすと、通天閣の展望台が突如グーンッと上に伸び、次第に飴を溶かしたようにグニャグニャとした形状に変化して、展望台の部分だけが膨張した。 ――完全にバグやな、これは・・・・・・。
そして膨張した展望台が何かの巨大な顔のようになったと思った時、一樹の意識が突然飛んだ。
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