その2 シングルマザーの昼下がり
「オムライス美味しかった?」
「うん」
NPO法人が運営している子ども食堂の帰りに、アパートの近所にある公園に寄った
日中事務のパートで勤めている会社が休みの日は娘の優愛を保育所には預けず、子ども食堂を利用し、優愛がそこで昼ご飯を食べている間に一週間分の買い物を済ませ、帰りにこの公園に寄って遊ばせる。
遊び疲れた優愛がアパートに帰って昼寝をし出すと、優樹菜もそれに合わせて仮眠を取り、起きたら夕飯の支度と夜の仕事に出る準備をする。
夫と別れてからそんなルーティーンがもう三年も続いていた。
いつもの休日の昼なら近所の子供たちが溢れて賑やかな公園なのだが、今日は夏休み期間に入ったからか、優樹菜親子と年寄りの夫婦が一組ベンチに座って和んでいる姿があるだけだ。
家計と優樹菜の将来のことでいっぱいになった頭を休めるため、この公園にいる時間だけはなるべく何も考えずにボーッとすることにしているが、不安や問題を抱えた状態ではそれも難しく、すぐに行き先の暗いネガティブな思考が自動的に頭をよぎってしまう。
先月から元夫の行方が突然分からなくなり、それまで支払われていた養育費の4万円を当てに出来なくなっていた。
優樹菜の両親も優樹菜が高校の時に離婚し、高校を出るまで母親と姉の三人で暮らしていたものの、高校卒業して一人暮らしを始めてから家族みんなバラバラになり、次第に連絡する頻度も少なくなって、今は音信不通の状態だ。
頼れる身内がいない心細さに、養育費がなくなった金銭的ショックのストレスが加わり、優樹菜の心は乱れていた。煙草の本数が以前より明らかに増え、それが家計の負担に響くことを理解しつつも、公園に来てから立て続けに二本も吸ってしまっている。
「優愛、お昼オムライス食べたから、今日の晩ご飯は焼きそばでええか? ママ最近疲れてて、簡単な料理しか作る気せぇへんねん」
「うん。ママがつくるおりょうりだったら、ゆあなんでもいい」
「ごめんな、そのかわり目玉焼き乗っけた特製の焼きそばにしてあげるからね」
そう言って優樹菜が三本目の煙草に手を出そうかどうか迷っていると、スマホの音声通知が鳴った。
通知の表示を見てみると、最近始めたマッチングアプリからのものだった。
一人親で子供を育てるのはもう限界かもしれないと思った優樹菜は、確かな拠り所を求めて、日々の暮らしの中で気が抜ける僅かな時間を婚活目的のマッチングアプリに費やしていた。
“メッセージが一件あります”
通知の内容からアプリを開き、相手の詳細を確認する。
ユーザー名・
プロフィール写真を見ると、年齢に見合った良くも悪くもない無難な顔立ちの男性がスーツ姿で微笑んでいる。
“はじめまして、阿久津と言います。プロフィール拝見しました。笑顔がとても素敵ですね。優樹菜さんはお子さんがいらっしゃるみたいですけど、僕はマメ柴を飼っていて、家族のように大事にしてます。将来温かい家庭を作りたいと思っているので、まずは友達からメールのやり取りしませんか? ご連絡いただけると嬉しいです。よろしくお願いします”
――これも無理やなぁ。
マッチングアプリからの通知は週に何度か来るが、優樹菜に好意を持つ相手のユーザーはいつもこんな感じの男性ばかりだった。
マッチングサービスの運営が推奨するテンプレート化したプロフィールのコツなどを参考にして、少しでも好印象に見えるように慣れない笑顔を浮かべてアピールする様。それに対して優樹菜はいつも堪らない嫌悪感を覚えていた。
以前の夫と比べたらまだまともな男性たちではあるのだろうが、今年二十七でバツイチの子持ちであることを堂々とプロフィールに記載して再婚に挑んでいる自分の覚悟と、なんとなく世間体を気にして交際を望んでいるような相手方の覚悟が全然釣り合っていない。独身に対する不安や焦りばかりが透けていて、結婚に対する強い意志のようなものがどの男性ユーザーからも全然伝って来ないのだ。
優樹菜はマッチングアプリから通知が来る度にそんな落胆を味わい、腑抜けた男性としかマッチングする機会がない自分の不遇を呪った。
男性との出会いは夜に働いている水商売のクラブでもあることはあるが、店に来る大半の客が女性を性の対象としか見ていないクズ男たちばかりで、隙あらば下心を剥き出しにして優樹菜を口説いてくる。
「キタもミナミも散々飲み歩いて来たけどな、優樹菜ちゃんみたいな美人でおもろい子はようおらん。アンタと付き合えるんやったら、俺ホンマに今の奥さんと別れてもええわ。どや? いっぺん本気で考えてみてくれ。それがダメやったらマンション買うたるから、いっそ愛人にならへんか?」
週末の夜に来る常連客なんかは、酔いにまかせて大胆に優樹菜の太腿に手を置き、冗談でも笑えないようなことを本気で言って来る。
大阪の富裕層が集まる
見た目は普通以上、性格は真面目で誠実、家庭のことを第一に考え、浮気をしない。仕事は公務員のような安定した職についていればそれでいい。
そんなに厳しい条件ではないと思うが、優樹菜はこれまでの人生の中で、この条件を満たしている男性に一度も出会ったことがなかった。
——どこにそんな男がおるんやろ?
優樹菜はマッチングアプリの画面を閉じると、三本目の煙草に火を付けて、煙と一緒に深いため息をついた。
ふと隣を見ると、遊び疲れたのか、さっきまで勢いよくブランコを漕いでいた優愛がブランコの手摺りにもたれてぼんやりしていた。
「優愛、そろそろお家戻ろか?」
「・・・・・・うん」
娘の返事に明らかな疲れの色が見えていた。
「ほな、帰ろ。帰ってママと一緒にお昼寝しよ」
おぉぉぉぉぉん、まぁぁぁぁい、
優愛の手を引いて公園を出ようとした時、
どこからともなく大きな音が鳴り響いた。
優樹菜は突然の出来事に驚き、何事かと辺りの様子を窺った。
町内放送のスピーカーが何かのサイレンを発したのだろうか?
たぁぁぁぁぁぁ、れぇぇぇぇい、
「・・・・・・なんやろ、この音?」
音が鳴る度に背筋がゾクッとして、優樹菜は全身の毛が逆立つような震えを感じた。
「ママ、どうしたの?」
音に驚いている優樹菜を優愛が不思議そうな顔で見つめている。
「優愛も聞こえるやろ? なんか変な音鳴ってんねん」
やぁぁぁぁぁぁ、
「ほら鳴ってる? どこからや?」
「・・・・・・ママ?」
道端に立ち止まったまま困惑している優樹菜の手を優愛が軽く引っ張った。
「優愛にはこの音聞こえへんの?」
「音? 聞こえないよ」
「えっ?」
そぉぉぉぉぉぉ、
その音は低く、重く、地鳴りのような、あるいは何かが唸るような声にも聞こえる。
優樹菜には確かに聞こえているが、隣にいる優愛には全く聞こえていないのか、音が鳴っても平然とした顔をしていた。
優樹菜が公園の方を振り返り、べンチで和んでいる老夫婦を見ても音に気づいている様子はまったくはない。
わぁぁぁぁぁぁぁ、
遠くでも近くでもなく、上からでも下からでもない。
どの方角から聞こえてくるのかさっぱり見当がつかず、優樹菜の頭の中だけで鳴っているような気もした。
「ママ、だいじょうぶ?」
かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、
心配した優愛が優樹菜の手を強く引っ張った瞬間、一際大きな音が鳴り響いて優樹菜の意識が突然飛んだ。
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