【七】そして鉄路は続いていく(1)
リオは目を覚ました。
質素なベッドに上には窓から朝日が差し込んでいる。田舎育ちのリオからすると、都の空気は少し澱んでいる。あの何も無い貧村も、朝日の爽やかさだけは都に勝っている。まあ何事にも良い面というものはあるものだ。そう思ってリオは一つ背伸びをした。
——随分と長い夢を見ていた気がする。楽しかった様な苦しかった様な……普段の夢に比べて、やけに現実味が感じられた。でも思い出そうとしてみると、なぜか思い出せない。不思議な感覚だった。忘れるには惜しい気がするが、まあその内思い出すこともあるかも知れない。
隣のベッドを見ると既に空だった。下の階から空腹には堪える香りが漂ってくる。狭い階段を降りると小さなキッチンがあって、古びたテーブルには卵焼きとパンが並んでいる。
「やあおはよう、リオ」
「おはよう兄さん」
整った顔の男が食事の用意をしている。リオの兄であるカーシアスだった。この古びたアパートで兄弟二人暮らし。正確には学者であるカーシアスの住まいにリオが転がり込んだのだ。リオの今の仕事は迷宮探索。定宿は定めていない。だがここ半年ばかりは都に、このカーシアスの借家に居座り続けている。
二人は椅子に座り、両手を合わせてから朝食に手を伸ばす。
「昨晩は随分とうなされていた様だけど、悪い夢でも見たのかい?」
ちょっと心配そうな声でカーシアスが聞いてくる。
「そうなの? まあちょっとヘンな夢は見たかなあ。忘れたけど」
「夢見が悪い様なら、香水でも買ってこようか? 香りを変えるとよく眠れるそうだよ」
「いいよ別に」
リオは苦笑いをする。カーシアスのことは尊敬しているが、若干過保護なところが厄介だ。迷宮探索の仕事を始めた時も最初は散々反対された。そのくせ自身は研究の為といってほいほいと辺境に出掛けるのは少々理不尽だ。心配させるのがダメだというのであれば、まず自分から範を示して欲しい。
「そうそう。来週になったらちょっと出掛けてくるよ」
「どこ?」
「オーハンだよ」
オーハンは都から北に一週間ほど行ったところにある遺跡群の総称だ。研究の為だろうが、諸々合わせて一ヶ月は留守にする流れだな。一ヶ月はちょっとなのか? カーシアスの雑な日数計算はいつものことなのでそこはスルーする。
「私がいないからといって、朝はちゃんと起きる様に。食事も三食摂るんだよ?」
「分かってるよ」
「心配だなあ。……彼女に頼んでおくか?」 「やめてくれ」
先に席を立ったのはカーシアスの方だった。食器を片付け簡単に身支度をする。そしてにっこりと微笑むと玄関から出て行った。
「いってらっしゃい」
カーシアスが玄関を出て行った時、外で誰かが待っているのが見えた。赤毛の女性。挨拶はまだしたことがないが、どうやらカーシアスの恋人らしい。あの兄さんに恋人。リオはちょっと複雑な感情を抱く。まあでも、ちょっと安心もしている。リオから見たカーシアスは、学問やリオの面倒に専念しすぎているきらいがあった。なんだちゃんと人並みの生活しているんだ、そう思うとちょっと感慨深いものがある。
リオも朝食を平らげると、カーシアスの借家を後にした。
カーシアスの借家は都の北側にある。二階建ての借家が五棟一纏めになっている集合住宅、それらが規則正しく並んでいる。古い時代に建てられた、元は軍隊の駐留地だったらしい。貧しい地区ではあるが、通りが比較的広々としている。朝日が地面まで燦々と差し込むので、あまり鬱屈とした雰囲気は無い。
リオが歩いていると、わああと子供たちが駆け寄ってくる。皆面識がある。近所の孤児院の悪ガキ共だ。子供たちはわちゃわちゃとリオを取り囲み、リオは彼らの手のひらを一人ずつ抓っていく。放っておくとポケットの中身が全部空になる。全員に手を抓った後で、一人に一個ずつ小さな包みを渡す。
「なんだよ、また飴かよ」
「もっと腹膨れるものよこせ」
「干し肉だせよ」
そう罵声を浴びせつつ、子供たちは飴を口に含む。ちゃんと砂糖の入った高級品だ。その甘さに子供たちは目を丸くして、大人しく飴を舐め続ける機械となる。
「ちゃんと勉強しているか?」
「算数キライ」
「国語キライ」
「運動キライ」
「そうかそうか」
リオは満足そうに目を細めて子供たちの頭を撫でてやる。好き嫌いが出るのもやっていればこそだ。キライでもこの子たちはちゃんと勉強をしている。それはいずれ彼らが成長した時に身を結ぶだろう。
「リオはこれからどこへ行くんだ?」
「仕事だよ」
「あいびきか」
「どこでそんな言葉を覚えてくるんだ、お前」
「こないだ、ねーちゃんが本読んでくれた時に憶えた。おとことおんなはあいびきをする」
リオは顔をしかめて、ませガキの頬を抓る。何の本を読み聞かせているんだアイツは。
そうこうしていると、遠く孤児院の入口に修道女(シスター)が姿を見せた。子供たちはそれを敏感に見つけて、リオの周りからわあああと散開して修道女に向かって駆け出していく。これから退屈な勉強の時間だ。頑張れと心の中で応援して、リオはその場を後にした。
都は大凡二重の円形城壁から成る。真ん中が王城と行政地区。北から西へかけての区域が一般市民の居住区で、東が商業地区。そして南には貴族たちの館が建ち並ぶ。水路が整備されていて、澄み切った水が流れている。この水利の良さで、都の貴族様ともなると毎日湯で満たした風呂に入る習慣が一般的だ。ここが王国の都に定められた理由も、水が澄んで豊富な点が大きいのだという。
小一時間ほどかけて、リオは南側の地区までやってきた。明らかに豪華な邸宅が建ち並び、何よりも人口密度がぐんと減る。閑静という雰囲気だ。時折歩哨らしき衛兵と擦れ違う。リオは思わずちらりと見た。背が高い、確実に頭一つ分は高い。向こうもリオの方へ一瞬目配せをしたが、そのまま二人は擦れ違った。
リオは憶えていないが、もしかしたら一度か二度会ったことがあるのかも知れない。この地区に出入りする様になって最初の頃は、よく衛兵たちに呼び止められたものだ。まあ向こうとすれば貴族以外の人間が歩いていれば警戒するのが仕事だからな。今はそんなことも滅多になくなった。
やがてリオは、少しこぢんまりとした邸宅の前で止まった。そうは言っても貴族の邸宅である。リオの身長の倍はある壁に囲まれ、入口は巨大な櫛の様な金属の扉で守られている。門番はいない。しかしリオが扉の前に立つと、どこからともなく執事が姿を現して扉を開けた。軋む音一つ無く開く。
「お嬢様は只今お召し替え中です。しばしお待ちください」
執事にそう告げられて邸宅の中へと案内される。あ、これ長いヤツだ。リオは覚悟した。通された待合室は、カーシアスの借家の十倍は広い。ふかふかのソファーに沈む込む様に座ると、テーブルの上に甘い香りを漂わせた紅茶がかちゃりと置かれる。高級すぎて口には合わないが、甘さはリオの舌に正確に調整されていた。
ゆっくり三杯ぐらいはおかわりしたところで、ようやくお嬢様が現れた。
「今日は遅かったのね、リオ」
開口一番、少し咎める様な物言いをするのは腰まで綺麗な金髪を垂らした少女だ。名前はエクレール・レゾナンデス。レゾナンデス伯爵家の三女。王国随一の学府、王国学院の首席研究員。リオの現在の雇用主でもある。
「着替えたんじゃなかったのかよ」
リオは目を細める。エクレールは淡い桃色のワンピースを着ていた。フリルとレースが高級品であることを控えめにアピールしている。一般庶民にとってはドレスに見えるが、貴族様にとっては単なる室内着だ。つまり、まだ出掛ける準備は出来ていないということだ。お召し替え中とは何だったのか。
「着替えたわよ。さっきまで殿下の相手をしていたのよ」
エクレールはリオの隣に座った。ふわりと花の香りがする。なるほど。もっと豪華な衣装から普段着に着替えたのか。ではなぜそのまま外出着に着替えなかったのか。リオはちょっと考えてから答えを出した。
「よく似合っているじゃないか、その服」
「あら、ありがとう」
ふふふっとエクレールが笑顔を浮かべる。ちょっと棘がある。七十点。そんなエクレールの心の声が聞こえてくる様だ。
「ところで、こんな早くから殿下は何しに?」
「例のアレよ。殿下はどうしても行きたいらしいわ」
エクレールはちょっと困った表情を浮かべる。リオもそれで察する。殿下——マセイオ王子はこのところ、世界樹の伝説にご執心だ。半年後には魔法大陸へと渡れる純白の列車が姿を現す。それに合わせて派遣される探索隊を自ら指揮しようとしているらしい。
「誘いを受けるつもりか?」
「まさか、興味ないわ。だから困ってるの。あんたのお兄さんのところにも来ているんじゃないの?」
「兄さんは断っていたよ」
「あら意外。カーシアス、世界樹肯定派なのに」
「兄さんは『とはいえ、世の中そんなにうまい話がある訳がない』って言ってたな」
「分かってるじゃん。ならなんで先史魔法文明は滅んだのかって話よね」
むふんとちょっと自慢げにエクレールが鼻息を漏らす。リオはちょっとムッとする。先日行われた公開討論会では世界樹の伝説が討論された。果てして世界樹は願いを叶えるのか? ——勝利したのは否定派のエクレールだった。
公開討論会は一種のお祭りだ。だがその結果を受けて、学院での首席と次席の順番がひっくり返った。カーシアスは今次席である。リオはそれがどうにも納得いかないし、都度自慢してくるエクレールが少々うざい。
「別に、議論の内容で負けたわけじゃないし」
「そんなにカーシアスが負けたのが悔しいの? 本当にお兄さんっ子ねー」
「お前に言われたくは無い」
エクレールだって大概お兄さんっ子である。特に病気がちな次兄とは仲が良い。今は都の西にある高原で静養しているが、エクレールは都度で見舞に出掛けている。うん、別に良いんだ。兄妹は仲良くあるべきだ。ちょっとだけ引っかかる点があるとすれば、異母兄妹であるということだ。リオはこほんと咳払いをする。別に嫉妬などしていない。
「まあ世界樹は置いておくとしても、魔法大陸を研究できるのは悪い話じゃないんじゃないか?」
「あたしが行くって言ったら、リオはついてきてくれる?」
「え、やだ。帰ってきた人間いないって言うじゃん」
「そういうと思った」
エクレールは立ち上がって、んべっと舌を出した。令嬢らしからぬ態度だ。エクレールの両親は庶民に感化されたと嘆くが、リオは素が出ているだけだと主張したい。
エクレールはワンピースの裾を翻して、にこやかな笑顔で退室していく。今日はこれから近郊の遺跡へと出掛ける予定だ。活動的な学者としての衣装に着替えるまで、まだ紅茶が二杯は飲めそうだった。
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