【六】そして、世界は再構築される(2)

「アルマーッ!」


 リオが絶叫した。世界樹の根の影から飛び出て、エクレールを背後から斬りつけるまで。リオは反応出来なかった。達人の動き。その動き、その顔にリオは見覚えがあった。マセイオに殺された筈のアルマーだった。


「おっと動くなよ」


 少し目尻が黒く窪んだアルマーだったが、その動きは鋭敏だった。飛び掛かろうとしたリオの動きを制し、倒れたエクレールの首筋に剣の切っ先を突きつける。白い大理石の地面に血が流れていく。


「魔法具を失ったことは知っている。諦めろ、お前じゃオレには勝てないぜ」

「アルマー……死んだ筈じゃなかったのか」

「切り札を持っているのは自分だけだと思わないことだ。オレだって「身代わり」の魔法具ぐらい用意出来る」


 魔法具か! アルマーが殺されていたことには魔法都市を出る時に気がついた。魔法人形たちが死体を片付けているのまでは見ていたが、まさか生き返っていたとは。油断した。


「何が目的だ?」

「目的? ここまで来てそれを聞くのは野暮ってもんじゃねえのか。何の為に命懸けでここまで来たと思ってるんだ」


 アルマーの背後には世界樹がそびえたつ。そうだな、目的は一つしかないか。リオがにじりと足を踏み出すが、剣の切っ先がエクレールの白い喉に突き刺さる。血が薄く滲んでくる。リオが歯を剥くのを、アルマーは余裕の表情で嘲る。


「安心しろ、致命傷じゃない。今列車に戻って治療すれば、まだ間に合う」

「……何が条件だ?」

「お前がオレの願いを叶えろ。そうしたらこの女の命は助けてやる」


 アルマーは、願いを叶えた当人が死ぬことに気がついている様だった。だからエクレールの命を盾に取ったのだ。他人に、リオに自分の願いを叶えさせる為に。


「アルマー、お前が約束を守る保証は?」

「そんなこと言ってられる身分なのかよ! 小僧がッ!」


 突然アルマーは激高し、剣を引いた。びしゃりと血が白い地面に楕円の線を残す。アルマーの剣がエクレールの耳朶を斬り裂いたのだ。「うぐッ」とエクレールが呻くが、その頭を足で踏みつける。


 リオは内心歯軋りをした。このままではエクレールが殺される。どうしたらいい? 今のアルマーの様子では約束が果たされるとは思えないし、そもそもリオはもう世界樹で願いを叶えている身だ。そのことを正直に告げるか? いや告げたところで信じるかどうか怪しいし、仮に信じたら今度はリオを人質にエクレールに願いを叶えさせるだけだろう。


 アルマーは剣の達人だ。骨を抜いたはずの膝も治っている。それに対して今のリオに出来ることは、本物の「手品」で上着に仕舞った小物を取り出すことぐらいだ。分が悪いってもんじゃない。


「……分かった。言えよ、お前の願いとやらを」

「素直にそう言えばいいんだよ」


 アルマーの昂ぶった表情が柔和なものへと変わる。そしてすぐに——その瞳に恍惚とした煌めきを浮かべる。


「オレを王国の、いや世界の王にしてくれと願えッ!」


 それを聞いてリオは侮蔑の表情を隠しきれなかった。そんな欲得に塗れた願いしか思いつかないのか、この男は……! リオの表情にアルマーは気にした様子は見せなかった。リオは深く溜息をつき、ゆっくりと世界樹の前へと歩み出た。アルマーとエクレールを背にして世界樹を見上げる、ふりをする。




「——世界樹よ。アルマー・ティブレに世界の王たる地位を与え給え——」




 青い光が満ちる空間にリオの声が響き渡り、そして消えていく。アルマーは思わず世界樹を見上げたが、その期待は疑惑に変わる。何も……起きない? 世界樹は青い光を纏ったまま、悠然と存在し何の変化も見せない。


「おい! 何も起きないじゃねえか」


 そうアルマーが怒声を上げた瞬間。ぱちんとリオは指を鳴らして振り返った。リオの右手にはカードが現れ、アルマーの顔面向かって投擲される。


 かつん。しかしそれは剣で容易く防がれた。ニヤリと嗤うアルマーの顔が、驚きの表情に変わる。カードを弾いた刀身に、何か細い鎖が絡みついている。その鎖の先はリオの左手に繋がっていて、リオがぐいを引っ張るとアルマーは少しだけ体勢を崩した。アルマーの身体がエクレールの上から遠のく。


 「手品」は、両手同時に行われていたのだ。そして左手に現れたのは象牙のペンダント。——カーシアスがエクレールからもぎ取った、あのペンダントだった。鎖はすぐに断ち切られたが、その一瞬で充分だった。


「おらあ!」

「ぐはっ」


 体勢を崩したアルマーをリオは体当たりで吹き飛ばす。白い床の上を転がるアルマーはすぐに立ち上がるが、リオは素早く距離を詰める。剣が胴に命中するが、根本で深くは斬り込めない。リオの拳がアルマーの頬に命中する。


 いやダメだ。躊躇っている場合じゃない。リオはアルマーの目家を狙って親指を掛けようとするが、突然がくんと意識が飛びかけた。足が膝から崩れる。


「調子に乗りやがって」


 アルマーは剣の達人だった。密着した間合いでも戦う術を心得ている。剣をくるりと回転させ、柄の先端でリオの顎を痛打したのだ。脳が揺れる。リオは辛うじて意識は保ったが、足が動かない。アルマーは一歩退いた。剣戟の間合いだ。鋭く剣を振り上げ、袈裟懸けに振り下ろす。


 ざしゅ。


「……ッ!」


 悲鳴は上がらなかった。刀身が右肩から鎖骨を切断すした。アルマーはそのまま振り抜けようと力を込める。が、動かない。


 はっとアルマーは気づいた。リオが薄ら笑いを浮かべているのを。相手を大上段から斬り捨てようとして、一瞬動きが止まってしまった。


 リオはその瞬間を待っていたのだ。動く左腕が背中に隠したナイフを取り出し、そして渾身の力をこめてリオの足が跳ね上がる。最後の力を振り絞ったそれは、右肩に食い込んだ剣を弾き、そしてナイフの切っ先がアルマーの喉仏に突き刺さった。鋭く、根本まで入り込む。


「がっ!」


 喉からナイフを生やしたアルマーの身体は、その場で立ち崩れた。血は喉からだけでは無く、口からの噴き出した。溢れ出した血は肺を溺れさせる。ずるりと両手から剣の柄が離れた。


 幾度となく痙攣していたアルマーはやがて動かなくなり——そして二度目の死を迎えた。





 —— ※ —— ※ ——





 どのくらい意識を失っていたのだろうか。エクレールは背中の痛みで、辛うじて朦朧とした意識を取り戻した。背中の痛みが指先まで伝わってくる。寒い。立ち上がる。周囲を見回すが、立っている者はエクレール以外誰もいない。


 少し離れたところに人間が倒れている。二人。


「……リオ……」


 エクレールは駆け寄ると言うにはあまりに遅い歩みで、仰向けになって青空を見ているリオに縋り付いた。エクレールもリオも、一体どちらの血なのか分からないぐらいに赤く染まっている。加えてリオの右肩が大きく裂けていて、骨が見えた。息をしているのが不思議なぐらい……エクレールの顔がくしゃくしゃになる。これはもう、助からない。


 リオの唇が薄く動いた。


「……生きて、いるか……?」

「うん……今はまだ」


 エクレールの震える指先が、リオの手を握る。もう随分感覚が鈍くなっている。リオの手の感触が薄くなっていく。だから出来るだけ強く握り締めた。


 エクレールの元にも、死の影が着実に歩み寄っている。今列車に戻れば、まだ間に合うのかも知れない。しかしエクレールはその場を動かず、その額をリオの胸に埋めた。まだ心臓の鼓動が聞こえる。


「まあ……良かったよ……色々あったけど、良かった……」

「ダメだよリオ……それは、ダメ」


 エクレールの瞳から涙が零れる。辛うじて動いている学者としての理性が警告している。もし世界樹があらゆる願いを叶えるのなら、そしてカーシアスが本当にリオの幸せを願ったのなら……リオはそうやって満足してはダメなんだ。今リオが幸せでなければ、世界樹の願いがリオを延命させるかも知れない……!


 しかし。リオは口元に微笑みを浮かべた。それはとても穏やかで、満ち足りている感情だった。


「……良かったよ。君を許せて、本当に良かった……」


 リオはそう呟いて、大きく息を吐いた。——思えば復讐心は、嫌な気分だった。復讐せずにはいられないと心を激しく機掻き乱し、圧迫する。それでいて相手の心臓にナイフを突き立てたとしても、虚無感だけが残る。満たされないと分かっているのに、走らざる得ない。


 そんな感情からリオはようやく開放されたのだ。エクレールを許し、受け入れることによって。それはもしかしたら贖罪の道だったのかも知れない。エクレールだけでなく、リオも一緒にその贖罪の道を歩く当事者だったのだ。




——願いは、満たされた——




 どこかで誰かが、そう告げた様な気がした。リオは心の中で頷き、そしてそっと目を閉じた。











 エクレールは考えていた。


 感情は嬉しさと悲しさと恐怖とか入り交じってぐちゃぐちゃになっているが、頭の片隅の理性が思考し続けていた。このままではリオが死んでしまう。どうしたら良いの?!


 ——世界樹に願いを焼べる。


 問題は願いの内容だ。リオの蘇生を願う——却下だ。あたしはリオと生きたい。それは凄い我が儘だが、譲れない一線でもある。リオと同様、自身の幸せを願うか? それでリオは蘇生されるかも知れない。しかしその瞬間にあたしは「幸せ」になってしまって、世界樹に命を焼べることになってしまう。——却下だ。


 もっと、世界樹の仕組みを上手く利用する方法はないのか?


 願いに自分自身を含める手法は良い。少なくともその願いが満たされるまでは生きていられる。恐らくカーシアスが言っていたのはこのことだろう。だが願いは一つしか叶わない。リオとエクレール、二人を対象とすることが果てして可能なのか——。


「——あ」


 絡み合った感情を押し退けて、エクレールの脳裏に一つのひらめきが生まれる。そういえばこの旅の最初、リオとマセイオが話していたこと。リオが「どんな願いを叶えるのか?」と聞いて、マセイオが答えた願い。


『世界が平和でありますように……だとちょっとキザかな』


 エクレールは重たい首を持ち上げた。青い光に包まれた世界樹が視界の大半を覆っている。指先には冷たくなるリオの体温が感じられた。もう時間は無い。エクレールはすうと息を吸い、そしてしっかりとした口調で願いを告げた。




「——世界が、幸せであります様に」




 世界樹はその声に呼応した。幹を包み込む青い光が震えるのが視える。ぶわんぶわんと鳴り響いているかの様に聞こえて、その実は無音だった。圧倒的な光の奔流が、エクレールにそう錯覚させたのだ。


 遠くで汽笛が鳴った。純白の列車が小さなホームを滑り出していく。乗客はいない。世界樹が鳴動し、鏡の様な魔法の海もその水面が揺れている。その水面の上を列車は還っていく。


 そしてエクレールは意識を失った。最後に見たのは、ただただ青い世界だった。







 ——そして、世界は再構成される。

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