【五】その罪を見届ける(5)

 飛行機は狭い路地に墜落していた。建物の間に挟まって宙ぶらりんになっている。マセイオは下から操縦席を見上げるが、誰も残っていない。騒ぎを聞きつけた近くの住民たちが集まり始めている。それらをマセイオは意に介さず、地面へ視線を落とした。路地の奥に向けて血痕が続いている。人垣を割って、マセイオはその血痕の後を小走りで追う。


 マセイオは内心焦りを感じていた。リオたちが時間切れを狙っているは明らかだ。純白の列車の乗車に間に合わねば、マセイオがエクレールを追い掛ける理由も消滅する。血痕は、大駅舎から遠ざかる様に点々と続いている。マセイオにとって誤算だったのはこの短時間で動ける程にリオが回復したことであり、リオにとっての誤算は傷口が完全に塞がっていなかったことだろう。


 血痕の間隔は急速に短くなりつつある。マセイオは目を細めた。血痕の一部に足跡が残っている。二種類。血痕の付き方でリオとエクレールがどう動いたのか、手に取るように分かる。傷口が開き、歩くのも侭ならなくなってきた。一旦立ち止まり、恐らく周囲を見回した。どこかに隠れられる場所はないか——。


 そして。


 マセイオは立ち止まった。大きな倉庫の前だった。周囲に人の気配は無いが、血痕が倉庫の中へと続いている。観音開きの大きな扉が、少しだけ開いている。二人はこの中に逃げ込んだ。いや、マセイオを迎え撃つ覚悟を決めたのか? マセイオは慎重に、扉の隙間を潜って中へと入る。


 ガキン。


 顔の前に構えた魔法銃に飛んできたナイフが当たる。マセイオには当たらない。予想通りだ。マセイオはナイフを外に蹴り出してから、倉庫の中を見回す。


 倉庫の中には袋が高く積まれていて、それらが列柱の様に並んでいる。中身は穀物か何かだろうか? 薄暗く、辛うじて天井の窓から柔らかな朝日が差し込んでいる。その光の中を埃がきらきらと舞っているのが見える。


 そして倉庫の丁度真ん中に、リオが立っていた。毅然しているが、遠目にも顔色が悪い。足元に少し血溜まりが出来ていた。


「エクレール! 今戻るというのなら、リオは殺さない。約束するよ。私が君との約束を破ったことがあるかい?」


 マセイオが倉庫に響き渡る声を出す。反応は無い。


「エクレールは逃がした。ここにはいない」


 リオがそう告げるが、マセイオは信じていなかった。ゆっくりと魔法銃の銃口を上げる。


「そうか。なら君はここで死んでくれ」


 引き金を引く直前、二人の両側に高く積まれた袋が崩れだした。マセイオは構えたまま後退する。どしんと床の上に袋が落着し、もうもうと埃が舞う。いや埃だけではない。袋の一部が破けて、その中身だった粉も一緒に舞い上がる。あっという間に粉塵で視界が悪くなる。


 その粉塵の向こうで駆け出す音がした。粉塵の向こう側にちらつく人影。それが二つ、左右からマセイオに迫って来る。どちらかがリオで、どちらかがエクレール。なるほど、そうやって銃撃するのを戸惑わせる算段か。確かにマセイオとしては、エクレールを誤って殺してしまうことは出来ない。


 しかし。マセイオは躊躇いなく引き金を引いた。光弾が弓なりの軌道を描いて、人影の丁度肩の辺りに命中する。


「あぐっ!」


 悲鳴が上がった。エクレールだ。マセイオはニヤリと笑う。この魔法銃に掛けられた魔法は光弾を発射することではない。その魔法は「必中」だ。狙ったところに必ず命中する。だから間違えて相手を殺してしまうことは無いのだ。


 マセイオはもう一方の人影を睨んだ。こちらに向けて駆け込んでくる。しかし遅い。マセイオは再び引き金を引いた。今度は確実に相手を殺す様に、頭を狙って。


 悲鳴は無かった。光弾が人影の頭に命中して、砕く。


「なに!?」


 マセイオは目を見開いた。「必中」の魔法で、光弾は確かに命中した。しかし人の頭ではない。甲高い破砕音が響いた。粉塵の向こう側からリオが踊り出る。いつの間に用意したのか、彼の頭上には砕かれた壺の欠片があった。


「マセイオッ!」

「ちいいッ!」


 リオがマセイオに飛び掛かり、そのまま床の上を二人の身体が転がる。魔法銃はマセイオの手から離れた。粉の色は白く、二人はみるみる内に白くなっていく。


「惜しかったな、リオッ!」


 最後に上を取ったのはマセイオだった。マセイオはリオの上の跨がり、その両手で首を締め上げる。苦悶の表情を浮かべるリオ。手を伸ばすが届かない。体格も身長も、そして手の長さもマセイオの方が上だった。


「くっ……か……」


 リオの右手が伸びて、そして指を鳴らした。「手品」の魔法具か! しかしその魔法具は破壊した。お前に「手品」は使えない。マセイオは一気に指先に力を込める。窒息ではない。このまま首をへし折る!


 パチン。


「な……に?」


 視界の隅で、マセイオはあるはずのない光景を見た。指を鳴らしたリオの手に、何も無かったその手に、一枚のカードが忽然と出現したのだ。苦しんでいたリオの口元がニヤリと歪む。


「これ、が……本当の……手品だ、よ」


 魔法具ではない、本当の「手品」。そう理解するのに、マセイオの反応は半歩遅れた。指先だけで投げられたカードの先端が、マセイオの右目に突き刺さる。「ぐわっ!」顔を押さえるマセイオ。その刹那、リオは身体を捻って上に乗っていたマセイオの身体を横に弾き飛ばす。


「おりやあああっ!」


 そして。その上にエクレールが降ってきた。二人が縺れ合っている間に、傍の袋の柱の上によじ上っていたのだ。エクレールの膝がずしりとマセイオの腹に食い込む。


「ぐっはっ!」


 マセイオの身体がくの字に曲がった。吐瀉物が撒き散らされる。しばらく震えていた身体だったが、ぱたりとその四肢が床に倒れる。意識は既に飛んでいる。


 恐る恐るマセイオの顔を確認するエクレールだったが、気絶したのを確認すると喜んでリオに飛び付いた。







 ——どれだけ経ったのか。


 マセイオが意識を取り戻した時には、もう二人の姿は無かった。生きている? 殺さなかったのか? 魔法銃も残っている……その事実に安堵し、立ち上がる。腹が痛い。足がよろめく。それでも何かに取り憑かれた様に歩き始める。まだだ、まだ終わっていない。生きている内は、まだ終わらない。


 地面に点々と続く血痕が、再びマセイオを導く。今度は大駅舎へと向かっている。純白の列車に戻るつもりか。好都合だ。それであれば、まだマセイオにチャンスはあった。そう思えた。


 マセイオが大駅舎についた時、長い汽笛が一つ鳴った。発車直前の合図だ。良かった、間に合った。血痕は列車の中まで続いている。マセイオは用心して、血痕がついている扉から遠く離れた車両の扉に手を掛けた。


 がつん。


 何が起こったのか、マセイオには理解出来なかった。片足を車両に掛けたと思ったら、ホームの上に投げ出されて尻餅をついている。胸が痛い。


 見上げる。


 白い車両の扉には、あの魔法人形が立ち塞がっていた。表情は無い。マセイオがようやく事態を理解する。マセイオは今、魔法人形に殴られてホームに投げ出されたのだ。


 一体どういうことなのだ。マセイオの脳裏に、これと似た状況が思い出される。あの楽園の村から発車する時、何が起こったのか——


 はっ、とマセイオの顔に理解の色が走る。慌てて懐を弄るが……無い! 「切符」が、ない! 純白の列車に乗る為の「切符」が無い!


 慌ててマセイオは立ち上がり、列車の扉に取りついた。


「切符は、あるんだ! 今その列車に乗っている二人のどちらかが持っているはずだ! 奪われたんだ!」


 しかし。魔法人形は無表情でマセイオを突き飛ばす。ホームの上を転がるマセイオ。ぎっと血走った瞳で魔法人形を睨み、マセイオは魔法銃の引き金を引く。


 がん。


 光弾は魔法人形の頭部に命中した。しかし、ただそれだけのことだった。魔法人形の目が光り、まるで鏡写しのように光弾が魔法銃に命中した。マセイオの手の中で分解し崩れる魔法銃。


「あ……ああ……」


 その破片を握り締め、呻くようにしてマセイオはホームに頭を埋める。悟った。切符の無い者は、あの純白の列車には乗れないのだということに。


 ぷしゅーと空気の抜ける音がする。客車の扉が閉まり、先頭の機関車から低い唸り声のような音が響き始める。がたんごとん。純白の列車がホームの上を滑り出す。


「ちくしょおおおおおっ!」


 マセイオの嗚咽は、列車が姿を消すまで続いていた。

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