【五】その罪を見届ける(3)
夜になった。天には星空が、そして地には街灯が煌めいている。魔法都市は大駅舎と王城の間に広がっていて、碁盤の目のような綺麗な街路が浮かび上がっている。街の広さは都の方が大きいが、街灯の緻密さは魔法都市の方が上のように見えた。まだ人の気配がする街の上を、汽笛が鳴り響く。
リオが軟禁されたのは、王城に設けられた客館の一室だった。ホテルの様な豪華な装飾。どう控えめに見ても牢屋には見えない。壁には何やら荘厳な絵画と高そうな壺が飾られている。扉の傍にはメイドが控えている。
先程食事も出た。キングサイズのベッドより大きなテーブルの上に溢れんばかりの食材が並んだ。とてもじゃないが全部食べきれないと言ったが、メイドには好きなものだけを食べろと言われた。「最後の晩餐だから」無表情でメイドはそう付け加えた。
そして腹が充分に膨れたところで、魔法王陛下とやらと謁見することになった。案内されたのは謁見の間では無く書庫だった。渦巻き状に高くそびえる書架がリオを見下ろしている。照明は月光だけの様に淡く青い。リオを案内してきた無表情メイドが退室する。
「食事は如何だったかな、旅の方」
書庫の中心には古書に目を落とす魔法王がいた。なぜリオは魔法王だと思ったのか。それはその人物が異質だったからだ。年齢はリオより若く見える。中性的な顔つきで性別が分からない。古書のページを捲る仕草からは老齢な落ち着きが感じられて、リオは一瞬混乱する。その昔、伝承の時代には不老の人種がいたという。それを思い出した。
「ボクたちが、殺される理由を聞かせて欲しい」
「殺される?」
魔法王は少し驚いた顔を書面から上げた。魔法王とリオの視線が初めて交わる。魔法王の瞳は少し青みがかった黒だった。その瞳にリオの姿が写る。
「最後の晩餐だと言われた」
「……ああ」
魔法王は納得したかの様に口元を綻ばせた。見た目の年相応の、少し悪戯っぽい笑みが一瞬現れて消える。
「それは少し早とちりだが、リーベの言い方も悪いな。わざとだな、困った娘だ」
「早とちり?」
「そうだな。順を追って説明しよう、旅の方」
ふわりと、唐突にリオの目の前に小さなテーブルが現れた。その上にはリオの荷物が並んでいる。日中、黒服たちに捕まった時に没収されたものだ。ナイフに切符、そして腕輪——これが「手品」の魔法具だ——そして象牙のペンダント。リオはふと象牙のペンダントを掴む。そういえばエクレールに返しそびれたままだった。
「安心したまえ。あとで直ぐに恋人とも会える」
「恋人?」
「違うのか? 王国では、愛するものに同じ柄のペンダントを贈る風習があると聞いたが」
ああ。そう言われてリオは納得した。エクレールも今、自分の兄の遺品——同じ柄の象牙のペンダントを持っている。それを勘違いしたのか。
「そういう関係では、ない」
「そうか」
なぜか魔法王は残念そうな顔をした。リオは荷物を回収していく。魔法王はそれが終わるのを待ってから話を続けた。
「我々は、世界樹を目指す者に忠告をしたいと思っているだけだ」
「それって、世界樹で願いを叶えると死ぬって話?」
エクレールは書架に積まれた本を眺めながら言った。背表紙に刻まれた題名は古代魔法語だけでなく王国語、更には見知らぬ言語で書かれたものも散見される。どれも先史魔法文明に関する書物。エクレールはふうとため息をつく。どうしてだろう。胸が高鳴らない。
「ほう、さすがは魔法学者だな。気づいておったか」
魔法王は感心した様に高い声を上げる。エクレールはちょっとイラッとくる。まるで子供を褒めるかの様な声色だったからだ。魔法王、何様のつもりか。でも悔しいがこの魔法都市を見る限り、こと魔法に関しては王国より進んでいるのは否めない。
「魔法具は人の力を吸って稼働する。その効果が強く、そして広範囲になれば今度は寿命を吸う」
そして世界樹ほどの万能器であれば、きっと人の寿命全て吸い尽くす程になるだろう。それは終着駅から戻った者がいないことと符合する。世界樹は願いを叶える代わりに、その命を要求するのだ。
「ふむ。そこまで分かっていて、なお世界樹を目指すというのか? 他人の為に?」
魔法王にそう言われて、エクレールは振り返る。魔法王はエクレールに背を向けたまま、本のページを手繰っている。この男……いや女か? 人の心を覗き見ているのか。あまり良い趣味ではなくて腹が立つが、エクレールはため息をついた脱力した。人間が表情から相手の心情を察する様に、きっとこの魔法王は人の心——もしくはその過去——が読めてしまうのだ。だから本人に悪気は無い。彼らにとってはこれが普通なのだ。
「他人の為にっていうつもりはないわ。あたしは、あたしの願いを叶えてもらった。だからその代償を支払うだけ。結局自分の為よ」
そう、全ては自分の為だ。兄がどうして世界樹を目指したのか、それは今でもよく分からない。ただ傍に居るだけで良かったのに。エクレールは兄にもう一度会いたかった。それが例え墓標であったとしても。その願いを叶える為に手を差しのばしてくれたのが——マセイオだった。
願いは叶った。だからその代償を支払う。エクレールにとっては、それだけの価値があるものだったのだから。
でも、ふと思う。
もし手を差し伸べてくれたのが、あの顔に傷のある少年——リオだったら。もしもう少し、二人の再会が早ければ、未来はちょっとだけでも変わったものになっていたのだろうか。エクレールは自虐的な笑みを浮かべた。
「君は面白いことを思いつく。しかし、その為には問題が一つ存在するな?」
「ああ、そうだね。困ったことに」
魔法王の言葉に、マセイオは素直に首肯した。これも魔法なのだろうか、どうやらこちらの状況は筒抜けの様だ。隠し事は通じない。そういう時は素直に認めるに限る。
「彼女は、あの魔法学者は君の為に命を使ってくれるかな?」
「正直分からない。——貴方は、どう見る?」
マセイオが鋭い視線で聞くと、魔法王は愉快そうに笑った。
「残念ながら、私はあまり人の心が分からない。それでリーベにもよく叱られる。——そうだね、少年と少女が手を取り合って逃げ出すというのが我々の好みではある。駆け落ち物というのは悪くない」
「それだと私が悪役ということかな?」
「悪役は嫌いかね?」
「いや、はっきり言うと善悪に興味は無いんだ。本当だよ?」
赤ん坊の頃から策謀渦巻く王宮で育ったマセイオにとっての唯一の真実は「死んだら負け」ということだった。岩砕く程の武があろろうとも、傾国の美があろうとも、明日には死体となって王宮の片隅に転がっているかも知れない。それがマセイオにとっての日常だった。
母が毒殺され、弟が病死し、そして叔父が斬殺された辺りでマセイオは自覚した。死なずに生を全うすること。きっとそれがこの人生という「ゲーム」の勝利条件なのだと。
不意にマセイオの脳裏に記憶が蘇る。記憶の体を成していない、死の記憶。握り締めた拳に脂汗が滲む。もう失敗は出来ない。あんな思いをするのは、もう嫌だ。
魔法王は、そんなマセイオの様子に関心を抱いた様子は無かった。再び書物の文字に視線を落とす。
「忠告はした。それでも行くなら誰も止めはしない。君たちは自由だ」
「一つ、質問をさせて貰っていいかな?」
「なんだい?」
「世界樹に叶えられなかった願いというのは、あるのかい?」
マセイオの質問に、魔法王の目の動きが止まった。とんとんと、その指先が書面を叩く。しばらくして魔法王は宣言した。
「世界樹にはこれまで百七つの願いが焼(く)べられ——その全てが叶っている」
「ありがとう、魔法王陛下」
マセイオは柔らかく微笑むと、ゆっくりと書庫を退室した。
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