【五】その罪を見届ける(2)

 リオは夢を見た。




 天高くそびえる世界樹の、その先端は空の先に消えていて見えない。大樹と呼ぶにはあまりに太い——地には複雑に根が張り巡らされ、その間に街が一つ、まるまる入るのではないかという大きさであった。


 その世界樹の直下は、木の根で出来た巨大なドーム状の空間がある。そこにはやはり巨大な魔法陣が描かれている。刻まれた文字は先史魔法文明末期の文字。




『世界の中心にて願いを述べよ。世界樹はたった一度だけ、願いを叶えるであろう』




 魔法陣の中心には金髪の少女(エクレール)が立っていた。それを遠くから見つめるのはマセイオだった。エクレールが先史魔法文明の言葉を呟くと、魔法陣が輝き始める。その光は青く、地を伝って世界樹全体に伝播していく。濃密な魔力が溢れ出して蛍の様に宙を舞う。


 リオには分かっていた。エクレールが何をしようとしているのか。その命を使って、マセイオの願いを叶えようとしている。なんでそんなことを? マセイオとの約束だからか。


 ——いいや、違う。


 リオの為だ。リオの命と引き換えに、願いを叶えるとマセイオと取引したのだ。今リオは、無様にマセイオの足元に転がっている。手足を撃ち抜かれ、頭には魔法銃の銃口が突きつけられている。


「やめろッ!」


 リオの掠れるような悲鳴が響いた。それはエクレールの耳にも届き、金色の髪が揺れて一度リオの方を見つめた。彼女は何も言わなかった。ただにっこりと微笑んだ。




「——マセイオ・ヴィラ・グレイルに、不老不死を与え給え——」




 エクレールの言葉に呼応するように、世界樹から発する光が強くなり始めた。蛍のような光は螺旋を描いて天に向かって昇っていく。それを見たマセイオがどんな表情を浮かべていたのか。リオがそれを見ることは無かった。


 魔法銃の光弾がリオの頭蓋を貫き、彼の意識はそこで途絶えた。





 —— ※ —— ※ ——





 リオは展望車の末端、展望台で夜風に当たっていた。月明かりだけが照らす緑の大地を、純白の列車だけが走っている。がたんごとん。普段は眠気を装う走行音と振動だが、今のリオは目が冴えて眠れそうにない。


 ——はっきりと分かってきた。リオは手で顔を拭う。あの夢は予知夢だ。どういう理由で見せられているのかは分からないが、あれらは「このまま行けばそうなる」という未来なのだろう。


 本当にそうだとすれば——リオはマセイオに殺される。なぜか? マセイオがエクレールに自分の願いを叶えさせる為に。どうして? どうしてエクレールは、リオの命と引き換えに願いを叶える——自分が死ぬことを選択したのか。


 分からない。カーシアスを殺してしまった罪を償う為か? いや、そうではない。あの最後の微笑みは、そういうものでは無かった。


 リオも、薄々気がついているのだ。リオはポケットから、丁寧に折り畳まれた紙を取り出す。皺くちゃになっているが、かなり上質の紙だ。この旅の最初の頃、自分の座席になぜかあったものだ。自分が尻で押し潰したらしい。何かが折られていた様だが、潰れていたので何だったのかは分からない。


 ——ああ、分かっている。この列車に乗った連中で、香を焚きしめた折り紙を持ってきそうな人間など一人しかいない。エクレールだ。彼女がリオの座席に置いたのだ。


 その理由は……分かる。エクレールのことを調べた時に、上流階級の風習などもざっくりとだが理解している。随分と奥ゆかしい作法だ。


 リオは星空を見つめた。王国に居た時と比べて、星座の位置が随分とずれている。随分と遠くまで来てしまったものだ。


 一体、自分は何がしたいのか。リオにはそれが分からなくなっていた。最初の頃はシンプルだった。兄カーシアスの仇が取れれば——それで良かった。今も仇であるエクレールが手に届く範囲にいるのは変わらないのに、随分と遠くに感じる。殺して、それでボクは良いのか? 本当にそれを望んでいるのか?


 エクレールがカーシアスを殺した事件は——少なくともエクレールから聞いた限り——ある意味、事故とも自己防衛とも取れる行動だった。それでもカーシアスを殺したのには変わりない——ちょっと前までのリオだったらそう断言しているところだが、今の彼は揺らいでいる。


 あの兄が、他人を害してまで実は世界樹を目指していたという事実。それはリオにとってショックだった。優しくて頼もしい、そんなカーシアスへの信頼が揺らいでいる。


 ふとリオは思い出す。そういえば、エクレールはあの時の女の子だったんだな。幼少期、カーシアスに憧れて勇者気取りで女の子を助けた記憶が蘇る。顔の傷跡をそっと撫でる。リオはすっかり忘れていた。




『……そうだと思った。随分昔の話だもんね……』




 リオは車内へと戻った。彼の終着駅は一体どこにあるのか。今夜は眠れそうになかった。





 —— ※ —— ※ ——





 朝日が昇り始める。マセイオは東の空を見る。以前は一本の糸の様だった世界樹も、今は人差し指ほどの太さになっている。ここ数日、世界樹はその大きさを急速に増している。——終着駅は近い。


 マセイオは一番先頭の客室へと足を運んだ。ノックもせずにドアを開くと、中に居た人物がびくりと怯えた様に顔を上げる。アルマーだ。裏切り者のアルマー。しかしマセイオは穏やかな表情を見せている。それにどう反応したものか。アルマーはにっこりと笑おうとして失敗した。


「そ、そろそろ終着駅が近いんだな」


 ぎこちなく話掛ける。車窓からでも世界樹は見えている。膝をやられて満足に歩けないアルマーは、殆ど車窓を眺めて過ごしている。一応軟禁といった形だが拘束はされていない。拘束するまでもないと判断されたのだ。


「そうだね。『手記』通りであれば停車駅はあと一つ。君はどうする? 降りるかい?」

「勘弁してくれよ」


 アルマーは顔を歪めた。こんな身体で列車を下ろされたら、それは死ねと言われているのと一緒だ。せめて身内の居る王国まで帰りつければ、生きていけるだろうが……。


「何かあれば言ってくれよ。今度は、裏切らねえ」


 今のアルマーにはマセイオの慈悲に縋るしかなかった。何かあればとは言ったが、今のアルマーに何が出来るだろうか。——いや、何も出来ない。


 でも逆にそれは、また裏切られても大したことはないということでもある。そういう無害な存在だ。そこをマセイオが理解してくれれば、慈悲は無くても無関心になってくれる可能性はあると思っていた。


「安心して。君はもう裏切らなくて済む」

「は?」


 そこでアルマーの意識は途絶えた。魔法銃で額を撃ち抜かれた死体がごろりと転がる。マセイオは死体の顔を覗き込み、きちんと絶命していることを確認してから安堵の溜息をついく。些末だが、不確定要因を排除出来た。


(……もう、失敗は許されない)


 マセイオの表情に険しい影が浮かんで消えた。





 その街は「魔法都市」と呼ばれていた。


 純白の列車は汽笛を鳴らしながら、広大な駅構内へと進入していく。単線だった線路は気がつけば複々線となっていて、更に駅の手前で複雑に分岐する。プラットホームが全部で二十もある。駅舎の屋根は透明なステンドガラスの様になっていて、昼間の強い日射しも柔らかなものへと変えている。


「おお……」


 駅舎を出たリオは思わず唸った。人だ。大勢の人がいる。まるで王国の都の様に大勢の人で溢れている。駅舎から真正面に広い道が伸びていて、綺麗に街路樹が整備されている。道を行くのは馬車では無く、何か車輪のついた四角い乗り物である。通りの両脇には商店や露店が建ち並んでいて、活気良く商いが行われているのが見える。


 そして空を見上げると、何かが飛んでいる。鳥か? いや鳥にして大きい。金属製の様で翼は短く、頭上で何かを回転させている。リオは思い出した。——飛行機だ。空飛ぶ魔法具。都で一度だけ見たことがあるが、それが幾つも飛んでいる。ぽかんとリオは口を開けるしかなかった。


 魔法大陸をずっと旅してきて、ここまで大規模な街に遭遇するのは初めてだった。人々の喧騒から聞こえてくるのは王国語だけでは無い。時折聞いたことの無い言語も混じっている。


 リオはエクレールを見た。こんな状況、さぞかし目を輝かせているかと思いきや反応が薄い。ぐるりと一瞥しただけで興味を失っている。リオは声を掛けようとしたが、その間にぬっと影が入り込んだ。


「……」


 マセイオだった。彼の表情はいつも通り明るい。連続殺人事件以降、余裕のない表情を浮かべていた時期があったが、最近は元通りに戻った。あの時の彼はどこか余裕がない様な、もしくは怯える様な、そんな表情を浮かべていた。さすがの王子でもそうなるのか。あの事件で老執事は亡くなった。多分腹心中の腹心だったのだろう。その衝撃は理解出来る。


 でも。リオはどこか違和感を感じる。マセイオの笑顔が仮面の様に見えのだ。そしてかつてはリオがそうしていた様に、今はマセイオがエクレールを護るかの様に振る舞っている。誰から? リオからか? ——リオはマセイオに問い質したいことがあった。あの時、エクレールが言ったことは本当なのか?




 ——世界樹で願いを叶えた者は死ぬのよ。

 ——そう。世界樹に着いたら、あたしが世界樹にマセイオの願いを告げる約束。




 だとすればマセイオはその命を世界樹に捧げさせる為に、エクレールを連れてきていたというのか? それはお前、随分と酷い話じゃないか。そう言いたかったが、そのリオ自身だってエクレールの命を狙っていたのである。だから問い質す機会を逸したまま、ここまで来てしまった。


 リオは空を見上げる。雲が少し多いが、晴天と言っていい。陽はそろそろ頂天を迎えようとしている。


「……世界樹も、随分近くに見えるようになったわね」


 ぼそりとエクレールが呟く。彼女も空を見上げていた。そろそろ旅の終わりが近い——世界樹が、終着駅が近づいている。だがリオは、いよいよ疑問が確信に変わった。前は目が悪くて見えないのだと思ったが……どうしてボクには世界樹が見えないんだ?


「……ちっ!」

「あっ!」


 マセイオが突然エクレールの手を引っ張って走り出した。突然のことにエクレールは足をもつれさせる。マセイオは駅舎の中へ戻ろうとして、だがすぐに足を止めた。行く手に黒服の男が立ち塞がる。


 気がつけば、三人は黒い制服を着た集団に囲まれていた。その手には魔法銃の様なものが握られている。マセイオのものと一緒だとすれば、抵抗すればあっという間に蜂の巣になるだろう。リオが両手を挙げると、マセイオとエクレールもそれに従った。


 黒い制服の集団から、背の高い帽子を被った指揮官らしき男が歩み出て告げた。

「純白の列車の乗客よ。魔法王陛下がお会いになる。ご同行を願おう」

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