【四】ケーナという女(5)

 魔法人形(ゴーレム)たちは、乗客同士が殺し合いをしても介入はしてこなかった。乗客の安全を守るといった任務は課せられていないらしい。そして「切符」を持っていても、死体となれば清掃の対象となる。トイレに放置されたトゥスグレの死体が運び出され、血で汚れた壁や床の清掃が始まっている。


 エクレールが寝かされている客室にも魔法人形はやってきて、床に滴り落ちた血痕を清掃し始めた。リオはダメ元で魔法人形に話しかけた。


「この子を治療してくれ、頼む」


 医療箱は持ってこれたが、やはり使い方が分からない。辛うじて清潔な包帯へ交換したが、血は止まらない。エクレールの意識は無く、息が小さくなっていく。


 魔法人形はじっとその目の無い顔面をリオに向けていたが、やがてリオの手から医療箱を受け取ると中の魔法具を使って治療——の様な行動を始めた。何をしているのかリオにはさっぱり分からない。痛むのか、時々エクレールが呻く。


 祈るような時間が過ぎた後、魔法人形は周囲を綺麗に清掃してから客室を出て行った。どうやら終わったらしい。相変わらずエクレールは寝たままだったが、少なくとも出血は止まっている。リオは思わず安堵の溜息を漏らす。


 リオはエクレールの身体の上に毛布を掛けてやると、そっと客室を出た。





 一両目の客車の先は、機関車である。客車から通じる貫通扉は容易く開いた。リオはゆっくりと中に入っていく。


 中は窓の無い、ただの白い空間だった。突起物は何も無い。まるで機関車自体ががらんどうの様にも見える。何というか、動力を生む機械とかは無いのだろうか。それでもあの、機関車が走行時に発している、低く唸る音は聞こえてくる。不思議な空間だった。


 マセイオはその白い空間の中心に立っていた。いや正確には「マセイオに化けた殺人鬼」か。


「アルマーから話は聞いた。正体見せろよ」

「なんだあの男。口は達者だったくせに、存外使えないヤツだったな」


 その声はマセイオのものではなく、女の声だった。マセイオの姿にノイズが入り、次の瞬間にはマセイオより一回り背の低い——リオと同じぐらいの——そして妙齢の女性へと変わっていた。


 ——「影武者」の魔法具。


 触れた相手の姿形を複製し、自身を変化させる魔法具。表層的な記憶も転写する。国王や大貴族当主の影武者を作るのによく利用されたので、そう呼ばれている。


 この女は始発駅からずっと、この純白の列車に紛れ込んでいたのだ。真っ先にボリーバルを殺し、そして彼に変装しずっと機会を伺っていた。探索隊のメンバーを全員殺して、自分が世界樹の願いを叶える為に……。アルマーはそんな彼女に籠絡されていた。


「お前は……ッ」


 リオは女の顔をじっと睨んだ。驚いた表情は隠している。彼女の顔には見覚えがあった。あの、兄カーシアスの骨壺を持ってきた女だった。


「ケーナよ。あの時名乗ったのに憶えてないんだ、カーシアスの弟くん」


 女はそういって片目を瞑った。少し癖のある赤毛が跳ねる。愛らしい仕草だが、全身血塗れの格好では逆に不審さが増す。その手元で魔法銃がくるくると回る。——まだ遠い。この距離だと「手品」はまだ届かない。


「お前、一体何者なんだよ?」

「え。だからあの時も言ったじゃないー。アタシはカーシアスの女だって」

「嘘つけ」


 信じられない。あの兄がこんな殺人鬼の女と付き合っていたなんて。露骨に顔をしかめるリオだったが、しかしケーナは別段気にした様子もなく続ける。


「本当だよ。今でも大好き。だからこうやって、彼の為に働いているのよ」

「これのどこが兄さんの為なんだよ? お前自身の願いを叶える為だろうが」

「ううん、そんなことないよ。ワタシが叶えたいのは、カーシアスの願いなんだもん」


 それを聞いてリオの目が点になる。カーシアスの願い? なんだそれは。


「本当はさ、彼を生き返らせたいって思ってる。でもさ、世界樹は「一つしか」願いを叶えてくれない……だからアタシは彼の、カーシアスが叶えたかった願いを叶えるの。これってすごい純愛じゃない?」


 そう言うと、ケーナは両手を大きく広げた。とてもうっとりとした表情で、その視線はリオに向けられてはいたが視てはいない。自分の世界に浸っている。


 リオは戸惑いつつも、少しずつ間合いを詰める。兄が、カーシアスが世界樹で願いを叶えたいと思っていた? そんな馬鹿な。兄さんは世界樹の伝承は信じていなかったはずだ。公開討論会でも否定派として登壇したと聞いている。少なくともリオは、そんな話は聞いていない。


「兄さんが……叶えたい願いって、何だよ?」

「知らないわ」

「おい」


 それでどうやってカーシアスの願いを叶えるつもりなのか。しかしケーナは全く気にした様子が無い。あっけらかんと告げる。


「だって世界樹は何でも叶えてくれるんでしょ? だったら「カーシアスが叶えたかった願いを叶えて下さい」って言えば良くない?」


 どうやらケーナは、カーシアスの願いの内容については全く興味が無い様子に見えた。故人の願いを叶えようとする自分の所作に酔っている。リオにはそう見えた。だがケーナはふふふと笑いながらリオを見つめた。今度はちゃんと視ている。


「お子様には分からないか。本当の愛ってのは、そういうもんなんだよ」


 そう言われてぴくりと眉が動く。リオは嫌悪感を憶えた。それは肉親の仇を討ちたいというリオの思いが、まるで濃度が足りないとでも言いたげに聞こえた。そんなことは無い。そんなことは、無い。


「カーシアスに会ったら伝えてよ。貴方の女は健気に頑張ってましたって」


 ケーナが魔法銃を構えた。銃を握った右手が伸びる。それで間合いに入った! リオはパチンと指を鳴らす。「手品」で、右手首の骨を抜くつもりだった。


「おっと」


 ケーナが右手をちょっとだけ上げた。リオの表情に動揺が走る。リオの手には何も握られていない。失敗した! 光弾が走ってリオの右肩を貫いた。


「ぐっ!」


 着弾の衝撃で仰向けに倒れるリオ。激痛と、右腕が動かない。やられた。こっちの「手品」の特性を見切られていた。魔法の発動時に、対象が想定している位置に無いと入れ替えは発生しない。ケーナはそれを見切って、右手を上げることで「手品」を躱したのだ。やっぱり魔法は秘するもの、何度も見せるもんじゃない……!


 立ち上がろうとしたリオにケーナが再び銃口を向ける。リオはその表情を見て、思わず仰け反った。先程までの一種陽気な雰囲気はまるで消えている。ただ強い憎しみと、そして嫉妬。それだけがケーナの顔を歪ませている。


「彼を殺した女といちゃいちゃしやがって。うぜえんだよお前」


 正確にリオの眉間を狙った魔法銃の引き金が引かれた。その瞬間、パチンと指を鳴らす音と共にガタンと機関車全体が跳ねるように震えた。光弾はリオの額を掠め、遠く壁面に着弾する。外れた。


 一瞬体勢を崩したケーナだったが、すぐさま魔法銃を構え直した。リオは既に立ち上がっていて、一歩間合いを詰めた。ケーナは指に力を入れるが、それが伝わることは無かった。彼女が最後に聞いた音は、リオが指を鳴らす音だった。どくんとリオの胸が脈打つ。


「ぐ……は……」


 どさりと、ケーナの身体が足から崩れ落ちる。倒れてしばらくは手足がぴくぴくと動いていたが、それもやがて止まる。リオはその身体の傍へと歩み寄る。ケーナの首は、明後日の方向へと曲がっている。リオの手には、首の骨の一つが握られている。


 機関車が振動したのはリオの仕業だ。先程マセイオ——ケーナが落とした金属製のペンダントを「手品」で自分の真下、線路の上の「空気」と交換したのだ。そのペンダントを機関車の車輪が踏む——列車の寸法を予め把握しておいて正解だった。


 ——殺してしまった。リオは大きく息を吸って、吐く。殺すしか無かった。少しだけリオの指先が震えている。人殺しは、初めてでは無い。冒険者をしていれば、色々厄介ごとに巻き込まれることはある。


 だが——これほどリオに近しい人間を殺したのは初めてだった。兄カーシアスを愛していた女性。一体どんな人物だったのか、どういう関係だったのか。そんなことが強制的に想像され、感情がぐちゃぐちゃになっていく。


 リオは強く頭を振り、そしてとぼとぼとエクレールの待つ客室へと戻っていった。





 —— ※ —— ※ ——





 ケーナは首元の鎖を掴んで、金属製のペンダントを目の前で振り子のように揺らした。今日何度目だろうか。でも飽きない。にやにやと頬が弛緩するのを止められない。やばい。ケーナは思った。今、とても幸せだった。



 ——二年前。



 周囲は随分と騒がしい。歓声と怒号、下品な言葉が錯綜する。都には賭け事が幾つかある。ドッグレースはその中でも庶民的で、直接的にいえばガラが悪い。鬱屈の溜まった貧民たちが憂さ晴らしに来る一般的な娯楽だからだ。


「——未来が見える魔法具?」


 ケーナはペンダントを見つめるのを止め、隣に立つ男を見上げた。すらりとした長身だが、別段美形という訳ではない。こんな群衆の中に居れば紛れてしまう程度の男。でもケーナは、そんな彼をどこに居ても見つける自信があった。彼女にとって男は大切な人——このペンダントの贈り主——だった。


 その男の名はカーシアスといった。カーシアスの首にも同じデザインのペンダントが下がっている。


「そう。これはね、そういう珍しい魔法具なんだ。色々制約はあるけどね」


 カーシアスはケーナと同様、ドッグレースは見ていなかった。手にしたリング状の道具——魔法具を陽にかざしている。きらりとリングの縁が反射する。


「よく分からないけど、次のレースの結果とかが分かったりするの?」

「それは近すぎてダメだな。もっと遠くて大きな出来事なら、見える時もある。例えば二年後のケーナのこととかね」

「二年後のアタシ? どんな感じになってるの?」


 明日のことさえよく分からないのに、二年後なんてマジで想像がつかない。この赤毛の癖っ毛が直ったりしないかな?


「二年後もかわいいよ、ケーナは」

「うへへ」


 ケーナは照れた。カーシアスは良くケーナのことを褒めてくれる。その度にケーナは幸せを感じる。ちょっと前まではあんな汚濁の中で生活していたのに、今は全ての物が輝いて見える。すごい。カーシアスは凄い。


 ケーナはだから、彼の為になりたいと思っていた。ケーナにとって彼が大切な人であるのと同様に、彼にとっての大切な人にケーナはなりたかった。


 ——知っている。彼にとって一番大切なのが、弟だということは。彼の言動、表情からそれは一目瞭然だ。弟の話をするカーシアスの顔は、いつも輝いていた。その度にケーナは嫉妬したけど、仕方が無い。アタシもいつかああなりたい。


 だからカーナは彼に協力するのだ。


「未来が視えた。私は世界樹を目指そうと思う。叶えたい願いが出来たんだ」


 そう告げたカーシアスの視線は、遠く東の空の彼方へと向けられていた。それは世界樹があるとされる魔法大陸の方角だった。





 —— ※ —— ※ ——





 「……ッぷはあ!」


 マセイオは息を吹き返した。その身体がごろんと落ちて床を転がる。彼の死体を魔法人形が運んでいたのだ。表情など無い魔法人形だったが、死体が息を吹き返してちょっとだけ動揺する様に全身を震わせた。床の上で咳き込むマセイオ。魔法人形はじっとその様子を見つめていたが、やがてマセイオを置いて別の車両へと立ち去っていった。


 マセイオはよろよろと立ち上がった。吸い込んだ空気が身体を巡る度に、虫が這い回るような感覚が薄れて言って意識が明瞭になっていく。ここは……食堂車か。窓の外を見る。雲海の中を列車は走っていた。雲の切れ間から広大な平原が見える。どうやら大トンネルは抜けた様だった。


 あれから。マセイオが「殺されてから」一体どれぐらい経ったのだろうか。懐から小さな手鏡を取り出す。魔法具だ。鏡は割れている。——「身代わり」の魔法具。装着者を生き返らせる貴重品だ。欠点は一度だけしか使えないことと、本当に生き返るかどうかは使ってみないと分からない点だった。お守り程度の気持ちだったが、本当に助かった……。


 がたんごとん。食堂車には列車の走行音だけが響き渡る。マセイオは近くのテーブル席に座り込み、大きくため息をついた。


 ——失敗した。


 そう、マセイオは失敗したのだ。ボリーバルが怪しいところまでは掴んでいた。だがアルマーが裏切っていたことに気づけなかった。背中から斬られてようやく気づくという体たらくだった。額を抑える手がカタカタと震える。自分の不甲斐なさへの怒りと、そして……死の恐怖が彼を震わせる。


 ああ。本当の死の恐怖を味わったのは、たぶんマセイオだけだろう。本当の死とは、凄かったとしか形容のしようがない。子供の頃、マセイオは「死」について考えた。死とは無。無とは一体どんなものなんだろう。何も無いということが想像出来なくて、子供のマセイオは泣いた。


 マセイオの瞳がきゅっと締まる。本当の死とは、無とは想像を超えていた。自分の形というものが無残にも解体され希釈される様なおぞましい感覚。ああ、怖い。いや怖いという言葉すら生ぬるい。


 しかも「身代わり」の魔法具を使ってしまった。生き返る為とはいえ、一体「どれだけの寿命を代償にした」のだろうか。想像するだけでも恐ろしい。


 もう、失敗は出来ない。なんとしても世界樹に辿り着き、願いを叶えなければ——。マセイオはゆらりと立ち上がる。その顔に温和な表情は無く、眉間に寄った皺がまるで剣山の様だった。

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