【四】ケーナという女(2)
リオの「手品」にはタネも仕掛けもある。それは魔法具である。
右手の人差し指に嵌めた質素な指輪。それが魔法具の本体。発動する魔法は「入れ替えの魔法」。先程の場合であればリオの手元のカード束のカードと、ボリーバルの手札を入れ替えたのだ。効果範囲は三メートルぐらい。手元に納まるぐらいの大きさで、同形状の物同士でないと入れ替えは出来ない。入れ替える物が視認出来ているか、もしくは明確にイメージ出来ている必要がある。
これだけだと正直使いづらい魔法具だが、リオは一つ抜け道を見つけて重宝している。それは、「同形状の空気」と入れ替えが出来るという抜け道だ。先日楽園の村で襲われた時に村長の手からナイフを奪うことが出来たのは、この抜け道のお陰である。
こうなると使い方によっては色々と応用が効く——悪用が出来てしまう魔法具ではある。例えばスリとか。だがリオは平時は使い方を限定し、安易なことには使わないことにしている。この「手品」の魔法具を使う時、胸が少し痛むのだ。ちょっと疲れる気もする。まあそれぐらいの代価は必要だろう。
それに魔法の基礎は秘めることだ。どんなに便利な魔法でも、特性を知られてしまえば対策されてしまう。切り札だからこそ、その使用は慎重に——。
ではエクレールの機嫌を取る為に先程「手品」を使ったのは良いのか? そう自問するリオではあった。
純白の列車はゆっくりと減速し、停車した。低い吸気音を響かせて、その上を汽笛が響いていく。扉が開くと、真っ先に降りてきたのはエクレールだった。大きく背伸びをして周囲を見回す。今度の駅舎はかなり古びていた。表面上は石造りに見え、屋根の一部が崩落している。意匠はシンプルだ。
これまで五つほどの駅に停車してきたが、様式は大きく三種類に分かれている様に見えた。シンブルな石造りと豪華な彫刻の施された大理石、そして金属製。エクレールに寄れば、それぞれ先史魔法文明の初期・最盛期・末期に相当するらしい。となればこの駅は、先史魔法文明初期の駅ということになる。
無人だった。駅舎だけでは無い。外には廃墟が広がっていて、駅舎の保存状態はまだ良い方だった。人の気配は当然無く、動物の気配も感じられない。今のところ人が住んでいたのは、あの楽園の村だけである。
エクレールにとっては、五年前に出奔した兄の手掛かりが得られない状態が続いていることになる。少し落胆しているのかとも思ったが、存外機嫌が良い。廃墟に向かった後をリオがついていくと、エクレールは笑顔を向けてきた。
「別に? この辺りは魔法大陸の辺境部。正直、あの村があったこと自体が驚きだったもの」
エクレールは東の空を指し示した。雪化粧をした山脈が横たわり、さらにその向こう——青空へと伸びる一本の線が見える。
「あれが世界樹よ。この鉄道の終着駅でもあるわ」
リオは目を細める。なんだ? 良く見えないが……まさか視力が落ちたのか? この歳で? ちょっとショックである。
「魔法大陸に人が住んでいるとしても、基本的には過去に王国から渡ってきた人たちの子孫。元々の目的地は世界樹なのだから、彼らの大半はその近くにいるはずよ」
「お前の兄貴もか?」
「その可能性があるわ」
「可能性が高い、とは言わないんだな」
リオはそう言って、しまったという表情を滲ませた。素直な疑問で、別に嫌味の様に言うつもりはなかった。しかしエクレールは気にした様子は無かった。
「そりゃあたしも学者よ。馬鹿兄貴が生きている可能性が低いなんて、分かっているわ」
そう思っていて、それでも純白の列車に乗ることを選択したというのか。少なくとも、今まで誰も戻ってきていない旅路なのに。
「じゃあ逆に聞くけど、リオだったらどうなの?」
「ボクか?」
「そ。身内の為だったら、貴方だって損な賭でも乗るんじゃ無いの?」
そう言われてリオは沈黙した。そうか、そうだな。リオも兄カーシアスの仇を取る為に、分の悪い賭をしているじゃあないか。そう思えるとリオはエクレールに共感を覚えてしまい、慌ててその感情を振り払う。——忘れるなリオ、エクレールは兄カーシアスの仇なんだ。同情も共感も不要だ。だが、その脳裏に彼女の笑顔がちらつく。
エクレールがリオの前を歩いていく。特に警戒している様子は無い。揺れる金髪の隙間から、白いうなじが見え隠れする。これ以上情が移らない内に殺してしまうか? 指を鳴らせば背嚢の中のナイフをいつだって取り出せる。そう、いつだって仇を討てるんだ。
だが結局。リオが指を鳴らすことは無かった。
——世界樹が見える。
マセイオは塔の上に立ち、山脈の向こうに見えるそれをじっと見つめている。天空へと伸びる一本の糸。マセイオは喜色を隠しきれない。ぎゅっと無意識に拳を握り締める。喜ぶのはまだ早い。そう思いつつも逸る気持ちを抑えきれない。世界樹が実在するのであれば、お伽噺もまた真実となる可能性が一気に増す。つまりマセイオは、その願いを叶えることが出来る……!
ゆっくりと息を吐く。まだだ。ここまでは——幾つか問題があるとはいえ——順調に探索の旅は進んでいる。だからこそ油断は出来ない。簡単な旅であればある程、一つの疑問が浮かび上がってくる。——なぜ純白の列車に乗った者たちは、誰一人として帰ってこないのか?
マセイオは一つの可能性を危惧していた。
世界樹が叶える願いが本当に「一つ」なのだとすれば、その願いを誰が叶えるのか。願いを叶える伝承がその真実味を増すほどに、きっと起こるのだろう。——争いが。たった一つしか叶わぬ願いなら、そのたった一人になってしまえば良い。
それは玉座を巡る争いと似ている。確実に玉座に座りたければ、競争相手を全て排除してしまえばいい。一緒に育った兄弟姉妹が骨肉の争いをする様に、同じ目的の為に集まった者たちが最後の一人になろうとかつての仲間を、殺す。
だからそうならない様に、マセイオは慎重に人選を進めた。俗世の欲にしか興味の無い——世界樹で無ければ叶えられない様な法外な人間は排除した。ああ、そうさ。マセイオは知っている。金品を要求したリオが、本当はエクレールの命を狙っていることを。でもだから、そういう意味では信用出来るのだ。だから探索隊に加えた。
しかし——人の心は変わるものだ。玉座の煌めきは、それに興味が無い人間の心さえも変えてしまう。それが世界樹の願いともなれば、尚更だ。
だからマセイオは可能性を除去しない。必要とあれば——探索隊のメンバーを先んじて殺す。そのタイミングを慎重に彼は計っていた。
探索隊のメンバーは世界樹を見つめていた。車内から、廃墟から。様々なところから、彼らの視線は遠く天の伸びる一本の線の元で交わっていく。一体どんな思いで世界樹を見つめているのか。それは本人たちにしか分からない。
物言わぬ純白の列車は、その汽笛を青い空に向かって響かせた。
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