【四】ケーナという女(1)

 ——一年前。




「……ごめん、今なんて言ったの?」


 エクレールは思わず聞き返した。不機嫌な上に、年上に対して敬語を使っていない。お転婆と言われる彼女でもどうかと思う対応だったが、でも止めない。


「明日の公開討論会、君に負けて欲しいんだ」


 相手は同じ事を二度言った。なんという恥知らずな。全く雑味の無い、清水のせせらぎの様な声をしているのに、言っていることは汚濁そのものだ。エクレールは眉間に皺を寄せる。


 そりゃエクレールだって公開討論会が真実の探求に程遠いのは知っている。討論の内容では無く、聴衆の道楽的な支持によって決まるのだから。それでも、登壇者が真摯な議論を重ねることによって、辛うじて公開討論会の意義は保たれる。エクレールはそう信じていた。


 それなのに、まさかその登壇者自身がイカサマをしろなどと言うとは。


「見損なったわカーシアス。結構尊敬してたのに」


 唾を吐き捨てそうな勢いでエクレールが言うと、整った顔をしたカーシアスは少しだけ困った表情を浮かべた。


 満月の明かりが二人を照らしている。周囲の建物は薄暗い。夜の闇のせいだけではない。ここは都の北にある貧民街の一角。少し据えた匂いが漂っている。エクレールであれば昼間でも近づかない区域である。それでもこの深夜一人で向かったのは、競争相手とはいえカーシアスを信頼し尊敬していたからだ。


「一応、理由を聞いてもいいかしら?」


 その場からすぐにでも立ち去りたい気分だったが、エクレールの中でほんの僅かに好奇心が上回った。なんでカーシアスがそんなことを言い出すのか。そもそも討論で相手を負かすことに意義を感じる人物には見えない。黙々と研究に没頭し外界のことには興味が無い、まさに典型的な学者タイプだと思っていた。


 なら。どうしてカーシアスは討論会に参加したのだろうか。


「エクレール。公開討論会で君が勝てば、王国は探索隊を派遣することになる。そうだよね?」

「たぶんそうね」

「純白の列車には、私たちが乗りたいんだ」


 エクレールの瞳の虹彩が驚いた様に揺らぐ。カーシアスが取り出したのは、うっすらと青く光るカード状の物体——「切符」だった。


「列車に乗って、どうするつもり?」


 愚問だった。エクレールは心の中で自分に対して舌打ちする。そんな分かりきったことを聞くなんて。


「勿論、願いを叶える為だよ」

「貴方、世界樹は願いを叶えないって言っていたじゃない?!」

「そうだね、確かにそう言った。今でもそう思っている。願いを叶える万能器なんて存在し得ない」


 そしてカーシアスは少し困った表情で笑った。


「願いを叶えた者が一人も帰ってこないという条件であれば、万能器は存在出来る。一つの欠点に目を瞑ればね」

「……どういうこと……?」


 その時、近くの物陰からがたりと物音がした。びくりとエクレールが振り向く。暗くて見えない。他に誰かが潜んでいる?


 ——その後は、言葉のやり取りはなかった。


 突然カーシアスはエクレールに襲いかかった。ナイフの切っ先が月光に煌めく。二人の身体が縺れ合う。バン。銃声がした。カーシアスの震える指先がエクレールの首元から象牙のペンダントを引き千切る。


 そして動かなくなったカーシアスの下から這い出たエクレールも震えていた。手には護身用の銃が握られている。銃弾は発射済み。どこからか、カーシアスの名を呼ぶ女性の声がした。


 エクレールはその場から逃げ出した。その後のことはよく憶えていない。分かっているのは逃げ出したエクレールを保護したのはマセイオ王子で、彼がその後始末をしたことだ。


 震える彼女とマセイオは取引をした。エクレールは兄を探す為に、今捕まるわけにはいかなかった。カーシアスの死を隠蔽する代わりに、エクレールがマセイオの願いを叶える。そういう契約を交わした。——願いを叶えた本人が戻らないのであれば、別の人間が代わりに願いを叶えれば良い——


 そうしてエクレールは探索隊へと加わった。





 —— ※ —— ※ ——





「ぐぬぬぬ」


 エクレールは配られたカードの手札を見ると口を尖らせた。握られた五枚のカードには様々な絵柄が描かれている。共通の絵柄は無い。そのカードは王国では一般的な遊戯用のカードである。十三種の絵柄が四色。


 遊び方は様々だ。今エクレールが興じているのは、五枚の手札で役を揃えるゲームだ。競争相手より良い配役で上がれば勝ち。勝負を降りることも出来る。


「三枚」


 エクレールがテーブルの上に三枚カードを放り出す。審判役のリオはカードの束から三枚、エクレールに渡した。途端に彼女の口元が綻んだ。眉間に皺が寄る。どうやら「良い手札」が来た様だ。その様子を見た隣席のボリーバルが、ちょっと困った様にリオに笑いかける。このゲームは心理戦が肝だ。相手に手札の状況を悟られずにいかにして出し抜くか。エクレールは顔に出すぎる。


 展望車。テーブルを囲むのはエクレール、ボリーバル、アルマー、そしてリオだ。昼食を摂った後、何となく集まってカードゲームに興じている。集まる面子は大体一緒だ。マセイオが加わることも意外と多いが、今はいない。センデロは周囲の人間には無関心。トゥスグレは人当たりは良いが、賭け事が嫌いなのでカードゲームには参加しない。グスマンは隣のテーブルで読書中だ。


 ——王国を出発して既に二週間。探索隊の人間関係も大枠で纏まりつつある。マセイオは雇い主ではあるが、基本的には口出しをしない。そういう風に心掛けている節が見える。狭い空間での集団生活だ。あまり強く管理すれば不平不満がすぐに噴出するだろう。


 潤滑油として機能しているのはボリーバルだ。雑多な人間と集団行動することの多い冒険家らしく、手慣れている。メンバー全員と均一に接し、問題が起きそうな時には常に裁定役として調整出来る立ち位置を確保している。一見下卑た言動も、周囲を和ませる為だと思えば理解出来る。


 まあその被害者ともいえるのがエクレールだ。探索隊唯一の、そしてお年頃の女の子である。貴族令嬢、偏食家など特徴的な点も多い。ボリーバルにとってはさぞかし揶揄いがいのある相手だろう。


 そして今も、ボリーバルの悪戯の餌食になろうとしている。


「二枚」


 ボリーバルがニヤニヤと手札の交換を要求する。リオは二枚、カードをテーブルの上を滑らせる。ボリーバルはカードを掴むと、手元のカードと合わせて一回シャッフルした。リオはすっと目を細める。


 ——今、イカサマしたな。


 予めカードを隠し持って手札と入れ替えるのは、典型的なイカサマの手法だ。たぶんボリーバルはそれをやった。相当良い役に変えたはずだ。


 こんなのは単なるお遊び。わざわざイカサマする程のものでもないが、真剣に取り組んでいるエクレールを見ているとつい揶揄いたくなるのだろう。


 でもなあ、今彼女は四連敗中。五戦全敗ともなれば、その癇癪を受けるのはリオである。だからリオは「手品」を使った。パチンと指を鳴らす。同時に胸が少し痛むが、平気な顔を崩さない。


「それじゃ、ゲームエンド」


 リオが宣言すると、まずエクレールが手札を開示する。テーブルの上に開かれたのは、同柄のカードが四枚だ。


「フォーカードよ」


 勝利を確信しているのか、少し低い声でエクレールが宣言する。続いてアルマー。


「ツーペアだ」


 アルマーの手札は同柄が二枚揃っただけ。フォーカードより役が低い。エクレールのふっふふと薄ら笑いが聞こえてくる様だ。そしてボリーバルは、その様子をじっくりと眺めてからちょっと勿体ぶった仕草で自分の手札を開示した。


「残念だったなお嬢ちゃん。ストレートフラッシュだ」


 ぎょっ、とエクレールが目を丸くする。ストレートフラッシュは同色のカードが五枚、それが柄の強い順に並ぶ役だ。フォーカードより上の役。滅多に出る役では無い。


 まさか、また負けたなんて……意気消沈するエクレールだったが、テーブルに並んだボリーバルの手札を見て、むっと唸った。ぎろりとその碧い瞳がボリーバルを睨む。


「なによ、何にも揃ってないじゃない?!」

「え! あれ? んな馬鹿な!」


 ボリーバルはテーブルに食い付く。彼が出した手札は色も柄も全く揃っていない。無役というやつだった。


「何も揃ってないからって、嘘は良くないわね。嘘は」


 今度はエクレールがニヤニヤした表情でボリーバルを見下ろした。おかしいなあと呟きながら頭を搔くボリーバル。その様子に多少は満足したのか、エクレールがテーブルから立ち上がる。今日のゲームはこれでおしまいだ。


 エクレールが席を離れてから、ボリーバルはちらりとリオを見た。


「……お前、何かやっただろ?」

「別に、何も」


 リオはすました顔で、カードを箱にしまった。

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