【三】楽園の村(5)
睡眠中に襲うとしたら、いつが最適なタイミングなのだろうか。冒険家という職業をしていると、そんな情報も知識として入ってくる。基本、入眠してから三時間ぐらいが一番「割」が良い。そう言ったのは一人二人は人を殺してそうな顔をした猟師だった。そいつと同じ火を囲んで野営した時は眠れなかったから、リオはよく憶えている。
遠くで汽笛が鳴ったが、ベッドの上の毛布は身動ぎもしなかった。エクレールのベッドの脇に人影が立つ。手元で煌めいたナイフの刃がゆっくりと上がり、そして振り下ろされた。ざくりと根本まで突き刺さる。
別に眠りが深くなるのを待っていた訳ではなかった。そんな知識は無い。殺そうかどうしようか迷って、この時間になってしまっただけだ。まだ躊躇いはある。突き立てたナイフを握る手は震えている。だから気がつくのが遅れた。この手応え、人間じゃ無い?! 慌てて毛布を剥ぐと、そこには丸まった布団があるだけだった。
「——やっぱり、切符が狙いなんだよな?」
人影——村長のタアパカが振り返る。扉の影、暗い部屋の隅にいたのはリオだった。その後ろには壁により掛かって寝ているエクレールの姿もある。二人ともベッドでは寝ていなかったのだ。タアパカはナイフを握り締めつつも、落胆の様子は隠さなかった。
「どうして、分かったんだ?」
「悪いけど、ここほど恵まれた村の生まれじゃないものでね。初対面の人間をそこまで信用していないだけさ。それにアンタ、夕食の時に切符の話をしなかった。だから覚悟決めてるのかなってね」
「そうか……外の人間は擦れているんだな」
リオは溜息をつく。その視線は油断なく、タアパカのまだ手放さないナイフに注がれている。
「そんなに外の世界がいいのかね。戦争も飢えも無い。アンタらの祖先は魔法使いに楽園を頼んだらしいが、まあ確かに楽園だよなココは。川の水がミルクだったら完璧だ」
「だったら……そう思うのなら、変わってくれよ!」
突然。タアパカが叫んだ。突然の感情の吐露にリオは目を丸くする。焦りでも怒りでも砂染みでも無い複雑な感情が、タアパカの全身を震わせている。目尻には涙が浮かんだ。
「ここは……息苦しいんだよッ。何も代わり映えしないこの村は、本当に気が狂いそうだ。たった百人そこそこ。いつも変わらない連中と同じ様な会話を繰り返す毎日。——知ってるか? お前が夕食に食べた鹿。毎週同じ時間に同じ場所に現れるんだぜ? 芋もそうだ。今じゃ目を瞑ってたって収穫出来る……そんな毎日は、もう懲り懲りなんだよ」
「だけどアンタ、外に出たら多分すぐ死ぬよ?」
リオは冷たく言う。たぶんここの連中は、もうココでしか生きられない。タアパカはぎりっと歯を軋ませた。
「構わない。こんな所で生きるぐらいなら、外で死んだ方がマシだッ!」
星光に煌めいて、ナイフの刃が突進してくる。リオは動かない。パチンと何かが鳴った。
「死ぬなんて簡単に言うなよ」
タアパカの身体をどしんとリオが受け止める。一瞬リオの表情が歪む。タアパカは一瞬目を瞑るが、はっと気づく。手の中にナイフが無い!
ナイフはリオの右手に握られていた。タアパカは知る由も無い。それはリオの「手品」だった。
「生きていれば、良いことだってあるさ。きっとな」
それがタアパカが気絶する直前に聞いた、最後の言葉だった。
リオは気絶したタアパカをじっと見つめていた。「手品」で彼から取り上げたナイフをきらりとかざす。リオには見たことがあった。それは昨晩の夢の中でだ。
(ただの夢ではないのか……?)
昨晩見た夢は、エクレールがタアパカに刺される夢だ。エクレールは一人で村に出掛け、宿泊した。リオが駆け付けた時は、もうベッドの中で血塗れになって死んでいた。復讐相手を失ったリオは生きる目的を失い、この楽園の村に留まって残りの人生を送る。そんな夢だった。
エクレールから目を離すつもりはなかったが、しかしあの夢がなければここまで効果的に対処できたかは怪しい。
(……予知夢、なのか?)
しかしリオにはそんな特殊能力は無い。リオは袖を捲って二の腕を見る。一つ心当たりがあるとすれば、この右腕に嵌めた質素な腕輪——「手品」の魔法具——だ。「手品」だけで無く「予知夢」の魔法も使えるのか?
いやしかし、もう二年ほど使っているが、今までそんなことは無かった。あんな夢を見るようになったのは……そう、純白の列車に乗ってからなのだ。
図太いことに、エクレールは目を覚まさない。就寝後三時間が一番眠りが深いということをその身を以て証明してくれる彼女の身体を、リオは仕方が無く肩に担いだ。
「リオ、大丈夫か!」
家を出たところで、マセイオがやってきた。近衛騎士のアルマーも同行している。アルマーは得物である剣を抜き身で持っている。それで大体察する。多分、村に残った探索隊の連中が襲われたのだろう。
「こいつは寝てるだけだ。——誰が襲われた?」
「グスマンだ。幸い切り傷程度で済んだが……あとフィッツの姿が見えない」
アルマーが周りを警戒する中、リオとマセイオは急ぎ足で駅に向かう。明かりのついている家がちらほらと見える。物音はしなかったが、我々を襲う為に出てくるんじゃないかと思えてくる。幸い途中では誰とも出会わなかった。
列車の扉の中に入ってようやく一息つく。「あれ……? ここどこ?」エクレールは床の上に下ろされてようやく目を開けた。まだ寝ぼけている。リオは説明を後回しにしてマセイオに向き合う。
「フィッツは村の人間に襲われたのか?」
「分からない。夜になっても列車に戻っていないし、村に宿泊するとも聞いていない。リオは最後に見たのはいつだ?」
「日中、湖の畔でだ。駅からずっと真っ直ぐにいった所だ」
「そうか。最後に見たのはアルマーで、やはり湖の近くだ。日が沈む直前ぐらいか?」
マセイオが聞くとアルマーはこくりと頷いた。フィッツは恐らく測量と製図をしていたのだろう。そのまま村の外まで出ているのだろうか? いや夜に地形の測量は出来ないだろうし、その線は薄いか。
物音がした。複数の足音だ。アルマーは扉の内側に陣取り、油断なく外を見つめている。駅舎を潜り抜けて列車に接近する人影がある。村人たちだ。五名ほどだろうか。手には鎌や鍬といった農具を持っているが、その表情からはこれから農作業に向かうという雰囲気は感じられない。
だが、リオたちが顔を出している扉へ向かってくる様子はない。真っ当な武器である剣を握り、見た目逞しいアルマーがいるからだ。アルマーも車外に出ていこうとはしない。そのまましばらく膠着状態になる。
ふと。一人の村人が離れた。小走りに列車の先頭の方へ駆けていく。そしてリオたちの乗っている客車の、一両先の客車の扉へと手を掛けた。そこは無人で開きっぱなしだ。
がん。
いい音がした。扉に手を掛けた村人の身体が弾かれて地面の上を転がっていく。水面を跳躍する水切り石の様だ。それは丁度「ここまでが駅である」と主張する石畳の向こう側まで飛ばされて、そして動かなくなった。
(……やっぱりな)
リオは少しだけ村人に同情した。客車の扉には、立ち塞がる様にあの魔法人形(ゴーレム)が立っていた。非力にすら見える右腕が元の位置に戻っていく。あの人形はこの純白の列車の管理者なのだろう。乗客には傅くが、切符を持たない者は排除する。
切符が列車への乗車を保証するというのなら、そうでない場合はどうするのか。これではっきりした。リオが想像していたより直接的で乱暴な手法だった。てっきり魔法の見えない障壁とかで乗車できないとか、そういうものかと思っていた。
魔法人形は何体かいる。他の開いた扉に一斉にその姿を見せると、村人たちはたじろいだ。ひそひそと声をかわし、やがて列車の前から退散していった。弾き飛ばされた仲間も担いでいく。どうやら死んではいない様だ。
「殿下、私はここで見張っています。万が一がありますので」
「宜しく頼む。後でトゥスグレを呼ぶから、交代で見張りをしてくれ」
アルマーは扉の近くに陣取った。剣は鞘に収めた。切符がなければ列車には乗車出来ない。万が一というのは、フィッツが村人に殺されていた場合のことだろう。アルマーをその場に残し、一旦展望車へと向かう。道中リオはエクレールに事情を説明する。エクレールはがっくりと肩を落とした。「また車内泊かあ……」
展望車にはフィッツとアルマー以外の全員が集まった。グスマンの治療は丁度終わったところだ。頭に包帯が巻かれている。治療器具を箱にしまって老執事がごく自然に後ろに下がる。さすがは王子付きの執事だ。
「いやいや、まさか突然襲われるとは……王国語が通じると思って油断しました」
軽い調子でグスマンが笑顔を浮かべる。犬に噛まれたとしてももう少し真剣な面持ちをするものだ。殺されかけた人間とは思えない。その後ろからボリーバルがへらへらと笑いかける。
「まさか手ブラじゃねえよな?」
「それは勿論、私も商人ですから」
そういってグスマンは懐から何かの道具を取り出した。四角い金属製の箱だ。何かは分からないが、恐らくは魔法具だろう。切った張ったをした相手と商談して譲り受けたとは考えにくい。くすねてきたのか。それは商人では無く盗賊では? と思った言葉をリオはそっと飲み込んだ。
グスマンが襲われた経緯は、概ねリオの時と一緒だ。グスマンの場合は相方が衛士のトゥスグレだったことも幸いした。トゥスグレはマセイオから指示を受けると展望車から出て行った。アルマーの所へ向かったのだろう。
「どうしてフィッツと一緒じゃなかったんですか?」
マセイオにそう問われると、センデロは白い顎髭を撫でながら露骨に顔をしかめた。探索隊の面子の中では最年長。職人特有の気難しさが如実に出ている。
「なんで一緒に行動する必要がある? 儂等は子供か。自分の身ぐらい自分で守れる」
センデロはそういってマセイオに背を向けた。テーブルの上に置かれた魔法具は、たぶんセンデロが村から入手したものだろう。その品定めに没頭する。
リオはちらりとマセイオの横顔を見る。センデロの言い分も分からなくもない。結果的に襲われたとはいえ、日中の時点で村の脅威度は低かった。センデロは村人が所有している魔法具に興味があり、フィッツは周辺の測量をしたい。一緒に行動する理由が無い。リオがエクレールと一緒に行動しているにのは、マセイオからエクレールが狙われるかも知れないという情報を得ているからだ。つまり探索隊の中に危険人物がいる。——リオ以外に——。今のやり取りをを見る限り、マセイオはセンデロにはそのことを知らせていない。
きっとマセイオも内心迷っているのだろう。ヘタに知らせてお互い疑心暗鬼になられるのも困る。しかし犠牲者が——恐らく——出てしまい、それがエクレールでは無かった。危険人物の目的が分からなくなった。そもそも本当にフィッツは殺されたのか? それすら判然としない。
リオとしては、あまり状況が渾然となるのは困る。今は信用されているが、色々と調べられて困るのはリオの方だ。狸を探していたら狐が見つかった、では目も当てられない。
努めてマセイオたちの信用度を得つつ、出来れば危険人物を特定して排除する。それが当面のリオの目標となった。くそ、結局この女を守ることになるのか。本末転倒だな。
「とりあえず、もう村には行かないようにしよう。切符を持っていなければ車内には入れない。ここは安全だ」
マセイオがそう言うと皆は首肯した。結局、危険人物の情報は開示しなかった。リオとしては有り難いが、この判断がどう出るか。まあ、まだフィッツが戻ってくる可能性も無くは無い。皆はしばらく展望車にたむろしていたが、一人また一人と客室へと戻っていった。もう一眠りは出来る時間だ。リオもエクレールと一緒に客室へと戻った。エクレールはすぐに眠りに落ちたが、リオは結局その晩は眠れなかった。
—— ※ —— ※ ——
陽が少し高く昇り始めた。雲一つ無い青空に、長い汽笛の音が吸い込まれていく。発車の合図だった。
純白の列車、その扉が一斉に閉まる。機関車の動輪がゆっくりと動き始める。がたんごとん。無情にも駅舎を離れていくその列車を、村人たちは遠くから見つめていた。ある者は他人事手の様に、ある者は落胆の色を抱えて。あの列車が次に来るのはきっと五年後だ。それまで、村は包まれることになる。平和で豊かで、そしてミミズの歩みのように遅々として退屈な時間に。
——結局フィッツは、発車の時間までに戻らなかった。彼の切符を手にした村人が乗り込んでくることも無かった。フィッツの生死を知る者は只一人。彼を湖の底に沈めた人物だけだ。その者は、村を離れていく列車と共に去っていった。
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