【三】楽園の村(4)

 日が沈むと満天の星空が浮かび上がった。虫の鳴く音が騒がしいが、どこかひっそりとした空気が流れている。ピーピーと汽笛の音が響く。


 村に宿屋は存在しない。近隣に人の住む集落はなく、訪れる者などいないからだ。探索隊の殆どは夜になると列車へと戻っていったが、エクレールは残留を強く希望した。


「たまには手足を伸ばして、ちゃんとしたベッドで寝たい」


 純白の列車には寝台車が存在しない。だから座席で寝る。野宿よりはマシだが、お世辞にも快適とは言えない。お嬢様には少々窮屈だった様だ。まあリオも、これから続く長旅を考えるとちゃんとしたベッドで寝られる機会は逃したくないとは思った。


 相談したら、村長のタアパカが寝室を用意してくれた。ついでに夕食もご馳走になった。パンと肉料理、そして葡萄酒。質素ではあるが美味い。きっと鮮度が良いからだろう。


「王国とは、どんな所なんだ?」


 タアパカは王国のことを聞きたがった。彼はこの村で生まれ育った。彼の祖父の祖父が王国出身者だったから、又聞きでしか話を聞いたことがないのだという。


「随分酷いところだ。ここは飢える心配が無いから羨ましいな」


 リオがそう言うと、エクレールが何か言いたげに顔を上げた。しかし口には出さない。もぐもぐと葡萄の粒を咀嚼する。相変わらず肉料理には手を付けない。相当な偏食家。さすがは貴族様だ。


「王国では飢えるのか?」

「そうだな、十年前に随分と酷い飢饉があった。あの時は随分人死にが出たな」

「それは災難だったな……すまんな、ツラいことを聞いて」

「いや別に。もう過去のことだ。それに最近は随分マシになった」

「そうよ、飢饉に備えて貯蔵庫を各地に作っている。前みたいなことにはならないわ」


 エクレールが口を挟んだ。さて、リオは少し思案した。所詮その貯蔵庫も貴族様の為だろ。だが別に言い合いをしたい訳じゃないので、黙った。


「そうか。この村は恵まれているのだな」


 タアパカは葡萄酒が注がれたコップを揺らし、何か思いを巡らせてからぐいっと煽った。





「あまり上等なものではないが」


 夕食をご馳走になった後、タアパカは寝室を案内してくれた。木製の質素なベッドが二つ並んでいる。少し大きめの窓の外には星空が見える。洋服棚や荷物の入った小箱が脇に寄せられているところに、生活感を感じる。


「もしかして、誰かの部屋なのか?」

「ああ、娘たちの部屋だ。今夜は親戚の家に行っているから使ってもらって構わない」


 タアパカは天井から吊り下がる照明の魔法具に手を掛けた。淡い光が室内を包み込む。覗き込むエクレールに使い方を説明する。


(もしかして、わざわざ空けてくれたのかな?)


 リオは少し申し訳無い気がした。なのでタアパカに少し余分に金貨を渡した。この村には通貨は存在しないし、必要が無い。でも金貨を渡されたタアパカは喜んだ。一枚を掴み、照明の光に当てる。キラキラと輝く。


「じいさんの遺品より綺麗だな」

「最近新しく金山が発見されたんだ。昔のより金の純度は高いはずだ」

「なるほど。娘たちに見せたら喜びそうだ」


 そう言ってタアパカは自室に戻っていった。寝室にはリオとエクレールだけになる。汽笛の音が聞こえる。前よりも数が少ない。出発は明日の昼前である。今夜はゆっくり眠れそうだ。


「はー、久しぶりのベッドだわ」


 エクレールはぼすりとベッドに倒れ込んだ。ぎしりと音がするが気にしない。リオもあてがわれたベッドに腰掛ける。陽の香りがする。少なくともシーツは干してある様だ。それだけでも有り難い。


「ん? 何か用か?」


 気がつけば、エクレールがリオを無言で見つめていた。ベッドに寝転がっている。白いシーツの上に、金貨よりも純度の高そうな金髪が乱れている。リオは内心、どきりとした。


「……リオってさ、どこの出身なの?」


 その言葉を紡ぐのに、エクレールの唇は少し躊躇っていた。なんだ? そんな聞きにくいことか? リオは不思議に思ったが、素直に答える。


「北都州のユンガスだ。といっても知らないだろ?」

「知ってるわ、チェレリ川沿いの村でしょ。王国の地名は大体頭の中に入っている」

「そりゃ凄い」


 リオが驚いたのはユンガス村を知っていた点についてだ。もう次の世代を待たずに廃村になってもおかしくない寒村だ。昨今の繁栄の恩恵には預かれなかった——どこにでもある話だ。


「まあまあ都に近いわね? ぎりぎり日帰りできるぐらいかしら」

「まあ、そうだな」


 それは馬車の場合だろうと思ったが黙っておく。リオが冒険家になる前は農作物を都まで売りに何度か行ったことがある。片道二日。勿論野宿だ。


「都には結構来たことあるの? 子供の頃にも?」

「……なあ、一体何が聞きたいんだ?」


 なんか尋問の様になってきたので、リオが溜まらず聞き返した。本当は何が聞きたいのか、回りくどい。


「聞きたいことがあるのなら、ずばりと聞けばいい」

「答えてくれるの?」

「……内容によっては」


 リオがそう答えると、むむむとエクレールは悩み始めた。まさか幾つも聞きたいことがあるのか? リオはちょっと怖じ気づく。他人からそんなに関心を寄せられるのは初めての経験だった。ちょっと怖い。


 リオは他人にあまり興味が無い。だからエクレールの様に、他人に聞きたいことが幾つもあるというのが感覚として分からない。まあ、しかし。そんなリオにも一つだけ、エクレールに聞きたいことはあった。


『——これは、お前のペンダントなのか?』


 兄カーシアス殺害の件。証拠は揃っている。骨壺を届けに来た女。無論その証言だけで信じるリオでは無い。都に赴いて密かに調べた。こういう時、情報屋は役に立つ。特に高額の情報料を要求するヤツは。折角の蓄えは全部無くなったが収穫はあった。


 兄カーシアスが出席していた公開討論会最終日の前日。カーシアスとエクレールが密会していたのだ。何か言い争いになり、縺れ合って男が倒れて女が逃げ出した。しばらくすると近衛隊がやってきて男の死体を運んでいった。そして後日カーシアス殺害犯とされる「男」が逮捕され、投獄された。


 情報屋はリオに「証拠」を渡した。白い象牙に鷲を緻密に刻み込んだ、恐らくは女性物のペンダント。縺れ合った時に、男が女の首から引き千切っだという。一部始終を見ていた浮浪者が、近衛隊が来る前にくすねたのだ。鷲はレゾナンデス家の紋章にもなっている——。


 そのペンダントは、今はリオの懐にしまってある。白い象牙は血で少し汚れている。それを突き出したい衝動を、リオは抑えた。そのペンダントを鼻先に突きつけられたとしたら、エクレールはどんな表情をするのだろうか。心の中で何度もその光景を思い描き、そしてどんな表情でもリオの取る行動は一つだった。


「ねえ、聞いてる?」


 リオは我に返った。エクレールが少し覗き込む様に身を乗り出している。微かな花の香りにリオは動揺する。咳払いを一つして誤魔化す。


「な、なんだい?」

「——コレ」


 エクレールは指で、自分の額から頬に向かってなぞった。それだけでリオは理解する。ああ、この古傷のことか。リオの顔には、額から右目を通って頬に至る部分に古傷が残っている。大分薄くなったとはいえ、初対面の人間ならまず真っ先に注目する程度には目立つ。


「その傷、どうしたの?」


 どうやらそれがエクレールの一番聞きたいことらしい。リオは苦笑する。みんな遠慮するのか、面向かって聞かれたのは初めてだった。


「別に大したことじゃない。子供の頃、喧嘩した時に出来た傷だよ」

「それにしては随分大きい傷ね」

「子供は容赦無いんだよ。煉瓦の縁にこうゴリッとやられてね。まあ見た目ほど酷い傷じゃあない」


 リオは思い出す。そうそう、煉瓦の上に倒れた所を蹴られたんだよな。それがたまたま良い感じ、いや悪い感じで縁に引っかかったんだ。都の餓鬼たちにしては逞しかったな。


「ふーん」

「……なんだよ」


 エクレールの表情を見て、リオはちょっと不機嫌になった。エクレールはなぜかニヤニヤと笑っている。何がそんなに愉快なのか。傷跡のことは気にしていないとはいえ、そうあからさまに笑うのはどうかと思う。やっぱりこいつは酷い女だ。


 なのでリオは、追加の質問には答えなかった。エクレールは不満顔であったが、眠気がやってきた。汽笛がまた鳴る。二人は照明を落としてベッドに潜り込んだ。月明かりは無い。星の僅かな光だけが、二人のベッドの間の床へと落ちていた。

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