【三】楽園の村(3)
——曰く。この停車駅には一人の魔法使いだけが住んでいた。彼は寂しかった。だから純白の列車で通り掛かった乗客に、ここに住んで暮れるよう懇願した。乗客たちは、ここが楽園であるのなら降りてもいいと言った。だから魔法使いは魔法を唱えた。この地が楽園と成る様に。
すると乾いた荒野であったこの地に水が集まり始め、湖が出来た。一晩経つと土は肥え、耕さなくても穀物が実り始めた。どこからか動物たちが現れて、有り余るほどの肉が手に入った。乗客たちは「飢えることの無い、素晴らしい楽園だ」言って列車を降りた。それが村人の祖先である。
魔法使いは死んだが魔法は消えることなく、豊かな恵みを村人たちに与え続けている——
「なるほどね。水だけでなく、土地そのものを豊かにするのね。随分複雑な術式……見られないのが残念だわ」
エクレールが心底落胆した様に呟く。リオも同感だった。
「そうだな。こんな魔法を持って消えれば、飢える連中もいなくなるのにな」
肥料も撒かず、水路も作らず、土を耕さずにいても豊かな実りがある。貧しい寒村で育ったリオからすればまさに楽園だ。穀物の栽培方法は昔に比べて随分と改良されてきてはいるが、それでも未だに飢饉は無くならない。少なくとも寒村にとっては。
しかし、それを聞いたエクレールは微妙な表情を浮かべる。相手の期待を裏切る様で申し訳無い、といった雰囲気だった。
「たぶんこの魔法は、その目的には使えないわ」
「なんで? 土地を豊かにするんだろ?」
「たぶんこの魔法は、そこまでの魔法じゃない。リオも見たでしょ? ここまで来る間、ずっと荒野が続いていたわ」
——ああ、なるほど。リオは理解して、少し落胆した。つまりこの魔法は豊かさを生み出している訳ではなく、周りから水や肥えた土地や動物といった豊かさを集めているだけなのだ。ここが豊かに成った分、他が貧しくなる。総量は変わらない。
まるで手品の様だな、とリオは思った。手品には必ずタネがある。リオの手品も「魔法みたいだ」と賞賛されることはあるが、それは錯覚だ。どこからともなく現れる手品のカードも、どこかに仕舞ってあって、それらしく取り出しているだけだ。
だからリオは、世界樹が願いを叶えるということを信じない。「本物の魔法」など存在しないのだ。
気がつけばフィッツの姿が消えている。恐らく別の場所を測量しに行ったのだろう。探検隊で測量士の仕事といえば、地図の作成と相場は決まっている。未踏の魔法大陸の地図だ、さぞかし高値で売れるであろう。もっとも王国に持ち帰れなければ宝の持ち腐れだが……。
『探検隊の面子は皆、オレだけは生きて帰れると信じている。そういうもんだろ』
リオに質問されたフィッツはそう答えた。なるほど、そういうものか。リオはちょっと感心した。王国の総人口は一千万人。そういう自信過剰な人間は幾らでもいるということか。
ちなみにリオは、他の連中にもそれとなく聞いた。旅の目的だ。衛士のトゥスグレと近衛騎士のアルマーは名誉の為だ。王国軍の中から特に選抜され、マセイオ王子に随行し世界樹より生きて戻る。その成果を持ってマセイオが次期国王になれば、その恩恵は計り知れない。
商人のグスマンは先史魔法文明を継承する集団ないしは国家が存在すると信じており、そことの通商の足掛かりとする為。魔法具工のセンデロは世界樹は巨大な魔法具だと仮定し、その術式を見る為だという。冒険家のボリーバルは「浪漫だろ?」となぜか得意気に答えた。本心かどうか分からない。
マセイオにも聞いた。世界樹は「一つだけ」願いを叶えるとされているから、その権利は探索隊の出資者でもあるマセイオにある。彼にとってみれば、魔法大陸へ行って帰ってくるだけでも充分な名声になる。世界樹が願いを叶えるということを、どこまで信じているのか——
『世界が平和でありますように……だとちょっとキザかな』
マセイオはそう言って初々しい少年のような笑顔を浮かべた。ちなみにマセイオに付き従う老執事は無回答だった。
日が傾き始めている。遠くで機関車の汽笛が聞こえる。エクレールは村人たちを一人ずつ訪ねて歩いていた。
『五年前にも、純白の列車が停車したと思うのだけれど』
『ああ、そういえば来ていたな。あの時も切符は手に入らなかった』
『背がこれぐらい高くて、ちょっと目は細め。髪形はたぶん短く切り揃えていたと思う。額の真ん中に黒子があるの。そんな乗客見かけなかった?』
『いやあ……どうだろう。見た様な、見ない様な……』
『そう、ありがと』
そうやってエクレールは人を探していた。リオは何度も聞かされたお陰で、随分と明確にその容姿がイメージできる様になっていた。かなり美形な感じがするのは、エクレールの主観が入っているからだろうか。素直にイメージすると何だかきらきら輝いている。
エクレールが探しているのは、ロレンソ・レゾナンデス。レゾナンデス伯爵家の次兄で、エクレールの兄だ。五年前、私設の探索隊に参加して純白列車に乗り、そして未だに帰ってきていない。
エクレールは、まだ彼が生きていると信じている。
「そういえば、そんなヤツを見かけたかな……たぶんそのまま列車に乗って行ったかと思うが。この村にいないんなら、そういうことだよ」
「そう、か。ありがと」
最後の村人に聞き取りを終えたエクレールがとぼとぼと戻ってくる。嬉哀の混じった複雑な表情だ。村人たちの話を聞く限り、ロレンソと思しき人物がこの村に訪れて、そして出て行ったのは確かな様だ。少なくともこの時点までは生きていた。だがあまり喜べないというのも頷ける。
少なくとも現時点で、純白の列車に乗った人間が王国まで戻れないパターンは二種類。旅の途中で死んだか、途中駅で降りたかだ。ここでは生きて列車に乗って出て行ったのだからまだ望みはあるが、しかし終着駅が近づくほどに望みは少なくなる。
「ま、ここにはいないと分かっただけでも収穫だったわ」
「そうだな」
それでも、まだエクレールは元気だ。リオも相槌を打ちながら、エクレールの横顔を盗み見る。ちょっとだけ、疲れた様な影が見え隠れしたのをリオは見逃さなかった。
(ああ、いいな。その希望が絶望に反転する様は……)
リオは自身の心で燻る復讐心がちょっとだけ満たされるのを感じて、一瞬口元を綻ばせた。良い気分だ。そのはずだ。しかし、何か濁ったものを感じる。なんでだ? その濁りはリオの心をとてもザラつかせて不安にさせる。リオにはその正体は分からなかった。
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