【三】楽園の村(1)

 王国貴族の令嬢にとって、相手を自分の方から誘うというのははしたないこととされる。特にそれが男女関係であれば特に。舞台観劇だろうが舞踏会だろうが、男性側から誘うのが基本で逆は存在しない。


 とはいえ。家父長制が揺らぎ始めている久しい昨今、女性の権利は年々強くなる一方である。女性が領主を務めることも、そう珍しいことではない。だが一方で、貞淑さという概念は存外根強い。だからいろいろと「技」が生み出されることになる。


 例えば、婚姻を申し込む時には「結婚したい」とは言わない。もっと優雅で詩的な表現をする。星は空で永遠に変わらず輝くものであるからそれに掛けて「星が消えるまで二人で眺めていませんか?」とか言う。相手の教養レベルを見極めて、ギリギリ察せられる線を狙うのが通とされる。


 折り鶴も、そんな技の一つである。八十四種ある折り方は、それ自体が一種の暗号となっている。令嬢は思いを込めて折り鶴を折り、意中の相手に送る。相手はその折り方から逢瀬の場所を特定する。そしてばったりと出会った体を取る。そういう仕組みだ。


 エクレールも三女とはいえ伯爵令嬢として、折り鶴の折り方は習っていた。一人客室で、エクレールは鶴を折る。香を焚きしめた紙、さすがに不要かと思ったが持ってきて良かった。器用に、三連の折り鶴が折り上がる。エクレールはそれをそっと、リオの座席に置いた。


 リオが戻ってくる。どきどき。リオはまず車窓を確認した。嵐がかなり遠のいている。薄い光が感じられる。


「本当に嵐の海を抜けたんだな」

「そ、そうね。でないと魔法大陸には行けないもの」


 ぎこちないエクレールの様子に、リオは気づいた様子はなかった。しばらく窓の外を眺めていたが、やがてどっかりと自分の座席に座った。


「あ!」

「ん?」


 エクレールが思わず声を上げる。リオが何事かと下ろした腰を浮かせる。その下にはかつては鶴だったものが潰れていた。


「なにかあったのか?」

「……なんでもない」

「そうか? 魔法大陸(向こう)に着いたら展望室に行こう。ここよりずっとよく見えるだろ?」

「……そうね」


 エクレールは不機嫌だった。結果的には目的は果たされたが、経緯も大事じゃないかと思う彼女ではあった。





 陸地が近づくにつれて嵐は遠のき、ついに海岸線へと到達した時には綺麗な青空が広がっていた。純白の列車が、滑るように魔法大陸の大地を走っていく。探索隊の面子は食い入るように窓の外を見つめていたが、その表情に高揚感があったのは最初だけだった。


「つまらん」


 しゃくれ顎のボリーバルは遠慮無く感想を吐き捨てて、展望車から出て自室へと戻っていった。ボリーバルは素直だった。車窓に広がる魔法大陸の風景は、乾燥し荒涼とした茶色い大地だったからだ。濃い緑と果実に覆われた豊かな大地でも無ければ、荘厳な先史魔法文明の遺跡が林立している訳でも無い。小一時間眺めて動物の影も見えないともなれば、ボリーバルで無くても席を立つ。展望車に残ったのはエクレールと測量士のフィッツ、そして付き添いのリオだけだった。


「……面白いか?」


 リオは思わず聞いてしまった。エクレールはまるで子供のように車窓に齧り付いて外を見つめている。窓ガラスに写ったエクレールはふんすふんすと鼻息荒く、その碧眼は落ち着き無くあちこちへと向けられている。


 何が彼女の歓心をそこまで引きつけるのか。残念ながらリオの目には依然代わり映えしない荒野にしか見えない。ちょっと変わった点といえば、線路に並行して河が見えるようになったぐらいだ。蛇行する河を幾度となく鉄橋で渡っていく。


「魔法大陸っていうぐらいだから、もっと面白い物が見れるかと思ったんだが」

「さすが魔法大陸ね。来た甲斐があったわ」


 エクレールの感想はリオと真逆だった。くるりとリオの方に振り向くと、ぷぷっと揶揄う様に笑みを浮かべる。あれ? もしかしてコレが分からない? リオは少しムッとした。この女、今この場で殺したろうか?


「貴方にはどう見えて?」


 エクレールは、少し離れたソファーに座っているフィッツに声を掛けた。帽子を被った、毛先の乾いた男だ。先程までエクレールの様に車窓を見ていたが、今は何やら金属製の器具を弄っている。恐らくは魔法具だ。双眼鏡に半円や直線のプレートが複雑に組み合わさった形状をしている。


「断言は出来ないが、たぶん面白い。測量が楽しみだ」


 フィッツの声は淡々としていて、視線も合わせない。あまり人付き合いを丁寧にするタイプには見えない。その後のエクレールの言葉には答えず、黙々と魔法具を弄り続けるだけだ。


 しかし、これで二対一か。リオは再び窓の外を見る。相変わらず荒野が広がっているが、少し変化も出てきた。河と交差する回数が増え、乾いた大地に緑が散見される様になってきた。でもどこが面白いのかはさっぱり分からない。


「降りてみれば、きっと直ぐに分かるわ」

「降りる? どこで?」

「勿論、次の停車駅でよ」

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