【二】魔法列車での旅(4)
食事を終えると眠くなってくる。柔らかいソファーに包まれていると、うつらうつらと眠気が押し寄せてくる。がたんごとん。リオの瞼が落ちかける。
食堂車の隣。展望車は談話室の様な設えになっていた。最後尾の展望台は嵐の為、扉は閉鎖してある。車内にはソファーが並び、何やらビリヤードの様な遊戯台が中央に鎮座している。先程までグスマンとトゥスグレが何やら弄っていたが、遊び方が分からないのか、諦めて退出していった。
本棚に食い付いたのはエクレールだった。小さいながらも書棚があり、四十冊程度本が並んでいる。勿論、先史魔法文明文字で書かれている。エクレールは三冊ほど手にして、先程から食い入るように読書に没頭している。さすがは国立学院の英才、読めるんだな。リオも職業柄憶えるように努力はしているが、簡単な単語が分かる程度だ。書棚に並んだタイトルを見る限り、そう小難しい本では無い様だった。
がたりと客車側の扉が開いた。銀髪の青年、マセイオ王子だった。寝そべって読書をしていたエクレールもさすがに居住まいを正す。マセイオは特に気にした様子も無く、柔らかい笑みで返した。
「どうだい。この列車での旅は、問題なさそうかな?」
「悪くないわ。浴室があったら完璧だったのに」
「ははは。私としては食堂車があって助かっているよ。道中、食事の確保は一番の悩み所だったからね」
ほっと一安心といった表情を浮かべるマセイオ。そういえば運び込んだ荷物の大半は食糧だった。結果的に無駄になったといえるが、まあ何かの役には立つだろう。
「リオもどうだい? 彼女との同室で窮屈な思いをさせてすまないが……」
「いえ殿下。問題ありません」
リオはかしこまる。さすがに相手は王国第三王子だ。王位継承権第三位。だが今回の探索行を成功させて、一気に頂天に踊り出る野心を持っているともっぱらの噂だ。あまり心を許せる相手とはいえない。
固い表情だと思ったのか、マセイオは少し口元を苦そうに歪めた。
「前にも言ったけど、この旅の間は名前で呼んでくれると有り難いな。確かに私は雇い主だが、たぶんこの旅は長い。ちょっと窮屈だよ」
そう言ってマセイオは、はにかむ様に微笑んだ。確か歳は二十五。しかしこうやって微笑むと、まるで少年の様に見える。少し杓子定規過ぎたか? リオは小さく咳払いをする。
「それでは……マセイオ」
「うん。宜しく頼むよ、リオ」
マセイオは満面の笑みで手を差し出す。リオはちょっとだけ躊躇ってから、その手を握った。少し冷たい手。そこに、マセイオがすっと顔を寄せてくる。小さく囁く。
「彼女のことを、見守っていて欲しい」
「それは、どういう」
「……出発前、彼女が狙われているという情報が入った」
どきりと、リオの瞳が揺らぐ。息を乱さない様に腹部に力を入れる。
「この旅に彼女の魔法学者としての知識は不可欠だ。残念ながら私には敵が多い」
「エクレールを殺して、旅の失敗を狙っていると……?」
「だから君と同室にした。守ってあげて欲しい」
気がつけばマセイオは離れていた。リオは先程まで握っていた手を見る。マセイオの手は冷たかったが、リオの手は少し汗ばんでいる。ぎゅっと握り締める。
(……大丈夫だ、オレは疑われていない)
文字通り冷や汗ものだった。不審な態度を取れば、リオも疑われたことだろう。だが大丈夫。マセイオは今はエクレールと話している。温和な雰囲気。マセイオが気づいた様子は無い。リオは心の中で深く息を吐いた。
(殺そうとしている相手に護衛を依頼するとは、滑稽な話だ)
しかし、そこまで考えてはたりとリオは気づいた。リオとしては自分でエクレールを殺したい。だが、リオとは別にエクレールを殺そうとしている人物が紛れ込んでいる可能性がある。つまり、場合によってはリオがエクレールを守らないといけないのか? そんな馬鹿な。リオは軽くショックを受けていた。
だから。エクレールがマセイオに告げていたことを、リオは聞き漏らしてしまっていた。
「……分かっている。あなたの願いは、あたしが叶えてあげるわ」
—— ※ —— ※ ——
リオの手は血塗れになっていた。なぜか? 理由は簡単だ。彼の眼下には金髪の少女(エクレール)の死体が転がっている。背中から心臓を一突き。刺した本人が呆然とするぐらい、呆気なく殺せた。客室の床に、エクレールの血が流れていく。
血で濡れた手の甲で口元を拭う。なんだろう、この感覚は? 兄カーシアスの仇を討てたんだ。もっとこう、こみ上げる衝動というか歓声みたいなものは無いのか。——なかった。兄さんが死んだことを知らされた時はあんなに泣いたのに、その仇を討ったのに、リオは何も感じていなかった。
いや、感じていた。なぜボクは、喪失感を感じているのだろう? 分からない。何も、分からない。
「——リオ、貴様ッ!」
背後から怒鳴られてリオは反射的に振り返った。驚きの表情を浮かべたアルマーが立っている。止せば良いのに、リオは思わずアルマーにナイフで襲いかかってしまった。ざしゅ。声を上げるまでも無く、一刀で斬り伏せられるリオ。床の上に倒れると、エクレールの死に顔が見えた。
笑顔だった。
——リオは目を覚ました。夢だった。勢い良く上体を起こし、反対側の客席を見る。カーテンの向こう側から寝息が聞こえる。エクレールだ。がたんごとんと列車の走行音が響く。
そう、夢だ。
リオは大きくため息をつく。なんて酷い夢なんだ。兄の仇が近くに居るので昂揚しているのか。今までそんな夢は見たことなかった。それに、あれはボクの望む結末じゃあない。あんな無様は晒さない……リオは掌を見つめる。生々しい感触だった。ふと思う。自分の望む結末とは、一体どんな形なのだろうか。仇討ちの実感が歓声となって込み上げてくれば、それで良いのだろうか。
仇討ちとは、一体何なのか。リオはぐるりと迷宮入りし始めた思考を振り払って、再び横になった。眠気はすぐにやってきて——今度は夢を見なかった。
——皆が寝静まった頃。
風雨が少し弱まってきた。大鉄橋は続いていたが、その行く先に大きな影が見え始めた。右から左へ。水平線をくまなく覆うそれは陸地の影だった。第三大陸「魔法大陸」はもう近い。
不意に。露天である展望台へと続く扉が開いた。一つの人影が出てくる。何かを担いでいる。その大きさは人影と同じぐらいで、そして人影はその担いだものを展望台の外へと投げ捨てた。
それは線路の間を擦り抜け、大鉄橋の遙か下へと消えていく。嵐の海は依然ざわついていて、それが着水した影はついに見えなかった。
人影はそのまま展望車の中へと戻った。機関車の汽笛が一つ鳴る。もうじき夜明けだった。
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