【二】魔法列車での旅(2)

「ん……よいしょ……と。ほら、次。そのまま右に動いて……違う、行き過ぎ! もう鈍くさいなあ」


 頭上から鈴、いや鐘の様なエクレールの声が響いてくる。リオは呆然とした眼で、ゆっくりと身体を左に戻した。リオの頭の脇にはエクレールの太股があって、ぎゅっと締め付けてくる。生暖かい感触。ボクは一体何をしているのだろう……? リオは割り当てられた客室の中でエクレールを、つまり肩車をしていた。


 がたんごとんと、車輪の走る音が響いてくる。窓の外は暴風雨だが雨風の音はしない。あらゆる船を難波させてきた嵐の海が、車内においては霧雨程度にしか感じられない。


 純白の列車の機関車を除いて六両編成だ。食堂車と展望車、残りの四両は客車である。客室は全て個室だった。二人がけの席が対面に配置されていて、それが一両辺り五室ある。だから定員は八十名といったところか。探索隊は総勢十名。一人一室使ってもお釣りがくる。


「二人で一部屋、この車両に纏まってもらう」


 部屋割りを決めたのはマセイオ王子だった。折角客室は一杯あるんだから広く使えば良い、とは誰も言わない。大体理由は察している。何か問題が発生しない様にお互いを監視する為であり、そして問題が発生した時には証人になってもらう為だ。


 それはいい。問題はリオと同室になったのがエクレールだということだ。探索隊で女性は一人だけ。かといって先の理由から一人には出来ない。そこでエクレールの意見が優先された。


「万が一襲われても勝てそうだし」


 酷い理由だった。リオは心の中で苦虫を噛み潰していた。むしろお前のことはいずれ襲う気満々だが、そういう意味では無い!


 ……殺す相手と同室というのは、まあ悪いことでは無い。後先のことを考えないのであれば、いつでも殺せるのだし。だが、この旅は恐らくは半年は続く。仮に終着駅で殺すことになったのだとしたら、最長半年間は殺したい相手と同室ということでもある。生殺しか……。


 割り当てられた客室へと入ると、エクレールはがさごそと荷物を広げ始めた。衣類、何冊もの書物、ティーカップとカトラリーのセット、ブラシ。その他諸々。一体どれだけの荷物を持ち込んでいるのか。しかも小さな棚まで用意してある。旅支度とは思えない。もはや引越しだ。


 エクレールの領域と定めた後部側の座席の周囲はあっという間に小さな私室と化した。そして最後に天井からカーテンを垂らす。そのカーテンを垂らす為のピンを天井に打ち付ける為に、リオはエクレールを肩車していたのだ。


 鼻歌を歌いながら自分の座席を装飾していくエクレールを、リオは生暖かい目で見つめている。明らかに旅慣れていない。長旅であればあるほど荷物は少ない方がいいし、実際それでなんとかなるものだ。服など、今着ている分ともう一着有れば事足りる。それを聞いたエクレールは、


「……ちゃんと洗濯してよ。臭いのはイヤだからね?」


 と、何か信じられない物を見た様な目をしていた。リオは心外だった。そちらこそ、比較的シンプルとは言えドレスまで持ち込む方がどうかしている。どこぞのお嬢様か。


 ——実際、お嬢様なんだよな。


 リオは思い返す。彼女の名はエクレール・レゾナンデス。十八歳。レゾナンデス伯爵家の三女。男子三人、女子四人。順当にいけば将来エクレールはどこかの貴族の元に嫁ぐことになる。現当主は開明的で教育熱心。


 エクレールも幼少期から私立の学校に通い、王国最後の魔法使いと呼ばれる老サバスを師と仰ぎ、そして国立学院へと入院して頭角を現すこととなる。魔導船レイファクタルの復元作業を成功させたことでも有名。独身。婚約歴無し。好きな食べ物、柑橘系のフルーツ。嫌いな食べ物、肉全般。


 殺す相手のことだ、リオは入念に調べた。結論からいえば、殺すのはそう難しいことではない。典型的な学者で運動は全般的に苦手だ。持久力も腕力も乏しい。リオ自身、平均より少し小柄な男子ではあるが、生業としている遺跡探索で鍛えている。うら若き非力な乙女に抵抗されたところで容易に排除出来るし、逃げられても相手はすぐに息を切らすだろう。


 本当なら、この探索の旅に入る前にケリをつけたかった。だが彼女には護衛が付いていて、その隙が無かった。……この探索隊に入れたのは僥倖だった。今、リオは絶好の立ち位置にいる。きっと兄カーシアスも、復讐を果たすことを望んでいるのだろう。


「なあ」


 リオはエクレールに言葉をかけた。だがエクレールは振り向かない。カーテンを取り付け、リオの上から降りた彼女は、相変わらず鼻息交じりに荷物の整理をしている。外の暴風雨は、まるで別世界のように見える。室内はがたごとと車輪がレールを叩く音だけ。聞こえていない訳はない。つまり、無視している。


 リオはこめかみを揉んだ。分かっている、無視している理由は分かっている。無視されない様にするのは簡単だ。しかしリオにとっては、眉間に皺が寄るぐらいには苦痛だった。


「……エクレール」

「なにかしら、リオ?」


 くるりとエクレールが笑顔で振り向く。こめかみに青筋が立つとはこのことだろうな、とリオは内心思う。エクレールの要求は単純だ。名前で呼ぶこと。なあ、とか、おい、とかで呼びつけない。至極真っ当な要求だ。礼儀的にも。しかしリオにとっては、兄の仇の名前を親しげに呼ぶのは些か忍耐の必要なことでもあった。


「お前の旅の目的って、何なんだ?」

「……」

「……エクレールの、旅の目的って何?」

「あれ? 話してなかったっけ?」

「人捜しだとは聞いた。でもな、魔法大陸に知り合いでも居るっていうのか?」


 リオが怪訝な表情を浮かべるのを見て、エクレールは苦笑いした。まあ当然の反応だ。この純白の列車に乗ってしか行く方法の無い魔法大陸へ人捜しに行く? それはつまり、前回またはその前か、やはりこの純白の列車に乗った人間を探しているということだ。


 しかしなるほど。純白の列車に乗って帰ってきた者はいないが、イコール死んだとは限らない。魔法大陸で生きている可能性もあるだろう。純白の列車は五年に一度運行される。最低でも五年前に別れた人物か。さて、エクレールの両親が不在という話は聞かない。


 エクレールは窓の外に目を向けた。室内の明かりが反射して、半分鏡の様になっている。そこに映る彼女の表情は少し呆れている。


「馬鹿兄貴よ。五年前に飛び出したっきり」


 リオは表情には出さずに納得する。リオが調べた時、確か次兄が旅の途中で行方不明になったということだったが、前回の純白の列車に乗っていたのか。


 リオは兄カーシアスを思い出す。そうだな、別に血縁が無くとも、いや無いからこそ繋がりが強いというのは分かる話だ。リオだって、こうやって生きては戻れぬかも知れない危険を冒してまで、兄を殺した犯人を追っている……。


 気づかれぬよう、リオはエクレールの横顔を盗み見る。いい顔だ、きっと兄を慕っていたのだろう。リオの中の薄暗い感情が一つの方向を指向する。そうだな、それは良い考えだ。エクレールの兄を、彼女の前で殺そう。もし死んでいるのであれば、その墓前で悲しみ暮れる彼女を殺そう。そうすることで、この憎しみをようやく癒やすことが出来るだろう。リオはそう思い、懐のナイフの柄をぎゅっと握り締めた。

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