【二】魔法列車での旅(1)
公開討論会という催しがある。
国立学院に隣接する大議事堂で行われる、一種のお祭りだ。近年における印刷技術の目覚ましい進展によって書籍が一般にも広く普及し始めると、都市部においては一般市民にも学問が広く浸透し始めた。王国が提供する市民向けの娯楽といえば、昔は逞しい戦士たちによる格闘大会が常だったが、それに知による討論会が加わった形だ。
なぜ火は燃えるのか。なぜ太陽は東から昇るのか。神は存在するのか——雑多な題材が討論会の論争の題材となり、二者によって争われる。基本的には討論は三日間行われ、十一人の判決員の評決——実際には聴衆の支持を受けた方が「勝利」となる。
学者の一部からは、所詮は見世物だという批判もある。最終的には聴衆の支持を集めた方が勝つのだから、理論の正しさでは無く弁の立つ方が有利なのは間違い無い。しかしそれでも、結論が出ない様なものに対して、とりあえずでも結論を出さねばならぬということであれば、そう悪い方法では無い様に思われた。
その時の議題も「世界樹は願いを叶えるのか?」というものであった。願いを叶えるとしたのはエクレール。叶えないとしたのはカーシアス。いずれも国立学院の英才である。
世界樹とは、世界の果てにあって天高く聳える構造物のことである。樹なのか塔なのか。この王国からでも地と天を結ぶ一本の線として見ることが出来る。今は滅んだ先史魔法文明の遺産と言われ、願いを一つだけ叶えるという伝承が根強く存在していた。
神話やお伽噺の類とされた世界樹の伝承が一つ現実味を帯びる切っ掛けとなったのは、今は「マギア・フェロガリア」という題名のついた手記の発見であった。王国が存在する第一大陸の東端に、先史魔法文明の遺跡である魔法鉄道があるのは広く知られていた。その魔法鉄道の上を今も走る純白の列車。その車内から手記は発見された。百年ほど前の出来事である。
手記の著者は不明。だが純白の列車の乗客であり、魔法鉄道の伸び行く先——魔法大陸での旅程が詳細に記されていた。逆さまに流れる大河、果ての無いトンネル、雲海鉄橋——そして鏡の海の先にある終着駅には世界樹が存在し、願いを一つ叶えてくれる。そう記されていた。
この手記の内容が一般に出回ると、大勢の冒険家たちが純白の列車に乗って魔法大陸へと旅立っていった。願いが叶う、それを信じたのであろうか。だが終着駅へと向かった彼らが、帰ってくることは無かった。
だから世界樹が願いを叶えるのか、そうでないのか。分からないというのが実際のところではある。何せ世界樹から帰ってきた者が誰もいないのだから。でも今、ここで一つの結論を出す必要があった。なぜならば、もし世界樹の伝承が本当であるというのなら、国王が世界樹探索隊を出すと宣言したからだ。もし実現すれば、王国が直々に探索隊を出すのは実に二十年振りとなる。
——公開討論会三日目。
開始前だというのに、まるで闘技場の様な熱気に包まれていた。半円形に設置された傍聴席は全て埋まっている。集まった市民の視線は、議場の中心に据えられた二つの立席に注がれている。討論者の一人であるエクレールはもう来ている。あとはカーシアスの登場を待つばかりだ。
二日目までの経緯でいえば、ややカーシアスが優勢といった雰囲気であった。神話や手記を証拠として自前の理論を進めるエクレールに対し、カーシアスが科学的手法で反論するという展開だった。
カーシアスは問いかける。魔法とは結論から経過が生成される、通常の物理現象とは真逆の事象である。であるが故に、その「結論」は魔法具の回路の様に緻密に組み立てる必要があり、必然として単機能品となる。「願い」という人に寄って千差万別なものを叶える万能魔法は果たして存在しえるだろうか?
エクレールがそれに反論出来ぬまま、二日目は終了した。だから三日目は、エクレールがどういった反論をするのかに市民の注目は集まっていた。今までは比較的想定通りの理論を展開していたこともあり、エクレール側には何か切り札があるというのがもっぱらの下馬評だった。
喧騒の中、エクレールはじっとまだ無人である相手側の立席を見つめていた。手摺りにかけた右手が小刻みに震えている。それにはっと気づき、左手で押さえる。エクレールは平静を欠いていた。震えは唇へも伝播する。エクレールは唇を噛み締め、何とか虚勢を張った。辛うじて傍聴席からは昨日までの彼女に見えていただろう。エクレールは早く終わって欲しいと願った。
時間が経ち、市民たちの熱気が困惑に変わり始める。いつまで経ってもカーシアスが現れない。まさか、欠席? 判決員たちの席に誰かが来て耳打ちをしている。
その様子を見ていたエクレールの肩を、ぽんと叩く者がいた。振り返ると、そこに居たのは銀髪の美丈夫、マセイオ王子だった。彼は何も言わず、エクレールを安堵させる柔らかい微笑みを浮かべて頷いた。
——ややしてから聴衆に向かって、カーシアスの死亡と、それに伴って今討論会の勝者はエクレールとする宣言がなされた。
そして数日後。国王の名において、二十年振りとなる世界樹探索隊の派遣が決定されたのだった。
「……えっ?」
リオは呆然と、目の前に差し出された骨壺を見下ろした。兄だという。あの自分よりも背が高く、いつも太陽のような笑顔を向けてくれた兄カーシアスが、今は水瓶よりも小さな骨壺に納まっているという。リオはカーシアスが死んだということを認識するのに、しばし時間を要した。
リオの住まいがある寒村まで骨壺を届けてくれたのは、カーシアスの恋人だと名乗る女性だった。初耳だったが、彼女の悲しみにくれる表情を見て、少なくとも自分と同じ境遇の人なんだなと思った。カーシアスが死んで悲しいのだ。
しかし、女性の表情にあったのはそれだけでは無かった。悲しみが雨だとすれば、それは炎。雨に濡れても尚燃え盛る、復讐の炎だ。彼女は涙に濡れた瞳を滾らせながら、こう告げた。
「カーシアスは、殺されたのよ……ッ!」
リオはあとで知ったが、カーシアスは深夜、都の貧民街で泥酔したところを暴漢に刺されて死んだということになっていた。だが女性は歯軋りをしながら言う。
「殺したのはエクレール、あの女よ! それがバレるとヤバイもんだから、みんなで寄ってたかって隠したのよ……!」
女性は骨壺をリオに押しつける様にして姿を消した。しばし呆然としていたリオだったが、やがてその表情には変化が訪れた。女性の炎が乗り移ったかの様に、怒りで顔が揺らめいている。
(エクレール……! 兄カーシアスを殺した女!)
そしてリオは村を離れ、都へと向かった。一年前の出来事である。
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