【一】復讐の終着駅/始発駅(3)

 隠し通路を抜けてからは、エクレールが先導した。彼女の頭の中にはこの地下迷宮の地図が暗記されている。列柱が左右に並ぶ大回廊をしばらく歩いて十字路の数を三つ数えたところで、エクレールは確信した。


「ここ最深部だわ」


 エクレールの表情に喜色、いや緊張に満たされる。地下迷宮の最深部。そこは迷宮探索としてであれば目的地であったが、彼女たち探索隊にとってはここがようやくスタート地点なのだ。


 エクレールの歩みが止まる。足元、膝下ぐらいまでの高さに白い煙、いや霧が流れ込んできていた。リオはエクレールの前に進み出て、鼻をひくつかせる。無臭。毒霧の類では無さそうだ。ただの霧だ。


「——あっ!」


 エクレールは思わず口を開いた。目の前の、霧が流れてきた向こう側から甲高い音が聞こえた。呼び笛の様な——それは汽笛だった。ピー、ピー、と。まるで二人を呼び寄せるかの様に鳴り響く。


 エクレールは思わず走っていた。足元が霧で覆われているので、何度か蹴躓く。それでもなんとか倒れずに大回廊を走り切った。荒い息を整えるのももどかしく、エクレールはその碧眼を見開いた。


「これが……始発駅……ッ!」


 地下迷宮の最深部には、鉄道の駅舎が存在していた。それは王国の馬車鉄道や鉱山鉄道の様な小さなものではない。先史魔法文明が建造し、今も稼働し続けている魔法鉄道とその駅舎だった。


 巨大な空間に白く細長い建物が鎮座している。それは白亜の神殿の様にも見える。線路が幾つも並行して並び、その間にプラットホームが設置されている。ホーム端には古代語で番号が振ってある。数字ならエクレールにも分かる。一番から三十番まで。


 線路の幅は人の身長ぐらいか。大きい。レール自体も太く長い。金属製だが、鉄ではないだろう。目を凝らすと少し表面が煌めいて見える。仮に鉄だとしても、今の人類にはここまでの製鉄技術は無い。


 そして——。


 その線路の上で、純白の列車(アルティプラーノ)は二人を静かに待っていた。動力車である機関車が先頭、そして六両の客車が連結されている。その躯体は一点の染みの無い純白だった。あまりの白さに塗装だとは思えない。削ればその下も白い、生粋の白。そう思えるほどの白さだった。


(これが伝説の、『帰らずの列車』か……)


 リオも思わず感嘆の溜息をついた。神々しい。先史魔法文明の遺跡は幾つか見てきたし、その中にはまだ稼働している物もあった。だがいずれも、どこか古びた印象だった。今は辛うじて稼働していても、いつかは朽ち果てる定めにある。そんな寂寥感を感じたものだ。


 それが、この純白の列車からは感じられない。まるでつい昨日に建造され、そして未来永劫走り続ける。そんな凜々しい感覚。なるほど、人の願望を食い続ける列車には相応しいのかもしれない。


「エクレールさん、ご無事でしたか!」


 理知的な若い男の声が響いた。リオとエクレールが振り返る。大回廊の霧の向こうから、銀髪の青年が姿を現した。こちらも有名人。王国第三王子、マセイオだ。今回の世界樹探索隊の発起人兼隊長でもある。


 マセイオの後ろにはピタリと背の低い白髪の老執事が付き従い、更にその後ろからがちゃがちゃと大人数の足音が聞こえてくる。どうやらこれで逸れた探索隊と合流出来た様だ。


 リオはちらりと人数を数える。リオとエクレールを含めて十五名ほど。五名脱落か。ゴーレムにやられたのか、それとも他に何かあったのか。探索隊のメンバーは純白の列車を見つけると、一様に足を止め表情を固くした。


 探索隊が揃ってからしばらくして、ちょっとした騒動が起きた。メンバーの少なくない人数がマセイオに詰め寄っている。いや逆か。マセイオの方が、弱気な表情を浮かべている男たちに詰め寄っているのだ。


 純白の列車の車体をじっと眺めていたリオは、直前までマセイオと打ち合わせをしていたエクレールに声を掛けた。


「何か問題でも?」

「列車に乗りたくないって」


 ふんと鼻を鳴らしてエクレールが答えた。リオは少し目を丸くした。え、今更? ここまで来てそんな話をしているのか。ちょっと呆れた気持ちでマセイオに詰められている男たちを見る。声が聞こえてくる。


「……だってよ、オレたちだって命は惜しい。この列車に乗って、生きて帰ってきたヤツはいないっていう話じゃねえか」

「だからこそ、私たちがその世界樹探索の旅を完遂させた最初の一人になろうと、そういう話で集まってもらったはずだが?」

「そうだけどよ、やっぱりコイツはマズイよ……これは、マズイ」


 マセイオと直接話をしている小柄な男が、ちらりと純白の列車を見つめる。時々汽笛を上げるそれは、少しずつ間隔が短くなっている。それは早く乗れ、もうじき出発するぞと誘惑している様にも聞こえて、小柄な男はますます身体を小さくした。


「アンタはいい、世界樹に願いを叶えてもらうんだろうからな。オレたちは……金より命が欲しい」


 小柄な男の、消え去りそうなぐらいに小さくなった声に、周囲の男たちが無言で同意した。リオは、マセイオが小さく溜息をついたのに気がついた。お、諦めたな。まあ心が折れた連中に何を言っても無駄だし、仮に強引に連れ出したとしても逆に面倒を引き起こすだけだろう。諦めて正解だ。


 ——第五次世界樹探索隊。王国ではそう呼ばれている。


 王国領のある第一大陸から未踏の嵐の海を越えたところに、かつて先史魔法文明が栄えたという第三大陸——魔法大陸がある。文明は滅びて久しいが唯一、かの黄金時代に敷設されたと魔法鉄道が今も稼働している。


 曰く、魔法鉄道はこの始発駅から嵐の海を越えて魔法大陸を横断している。そしてその終着駅には世界樹があり、何でも一つ願いを叶えてくれる——。そんな神話めいた伝承が今でも根強く信じられている。有史以来、純白の列車は多くの人々を世界樹まで誘ってきた。


 記録に寄れば五年に一度、純白の列車はこの地下迷宮の最深部にある始発駅に現れる。王国がその自国史を編纂する様になって以降、四度探索隊が派遣されている。無名の冒険家による探索は恐らく数え切れない。多くの人が世界樹を目指し、そして、誰一人として戻ってきた者はいなかった。王国史にはそう記されている。


 リオは探索隊のメンバーたちの背中を見つめている。列車に乗る者とそうでない者、その選別をしている様だ。リオは呆れた気持ち半分、同情する気持ち半分で見ている。


 魔法大陸は先史魔法文明の中心だと言われながら、探索がほぼ行われていない未知の領域だ。世界樹が願いを叶えるというのが眉唾だとしても、魔法大陸を探索するだけでも大きな価値がある。危険は承知の上で探索隊に志願したのではないのか? ちょっと覚悟が足らなすぎる。


 とはいうものの、命より大切なものはないというのも事実だ。死んだ人間は戻らないのだ。逃げ出して生きられるのであれば、そうした方が良い。リオはそう思う。


「貴方は、逃げなさそうね」


 ふわりと金色の髪が目の前を流れる。エクレールだった。そういう彼女も、今更逃げ出す玉には見えない。少し呆れた表情で、額を付き合わせている探索隊の男たちを見つめている。


「世界樹まで行けたら、報酬は倍になるんでね」

「意外とがめついのね」

「すみませんね、貧しい村の出なもので」


 それは本当だった。金はあるに越したことはない。


「そういうアンタは何が目的なんだ? 本当に世界樹が願いを叶えるとでも?」

「それは王子に譲っているわ。あたしは……単なる人捜しよ」


 エクレールは少し言い淀んだ。そこにどんな感情が込められていたのか。リオの目尻がすっと細くなる。なるほど、そうか人捜しか。それはそれは。この探索行にして、単なる人捜しと言わしめるのは、一体どれだけ大切な人なんだろうか。どんな人なのだろう。肉親か? それとも恋人か? どのような関係にしろ、エクレールにとって大切な人であるのは間違い無いのだろうな。


 すうっと、リオは心の中の復讐心が疼くのを感じた。衝動的な殺意が鳴りを潜め、とても計算高いものに変わっていく。エクレールの目の前でその捜し人を殺し、そしてエクレールも殺す。リオは心の中でニヤリと笑う。そうだ、それがいい。それでこそ、兄カーシアスの無念は晴らされるというものだ。





 汽笛の音が一段と長く鳴った。先頭の機関車から低く唸る音が響き始める。出発の時は近い。


 結局男たちで探索隊に残るのは約半分の六名だった。それにマセイオ王子、老執事、リオとエクレールを加えて総勢十名。彼らは老執事から水晶のカード——切符——を受取り、一人ずつ客車へと乗り込んでいく。


 ——その影で、一つの人影がひっそりと客車に紛れ込んだのに気がついた者はいなかった。


 そして。


 再び長い汽笛が鳴ると、客車の扉が一斉に閉じた。ホームに残された男たちの目の前で、純白の列車がゆっくりとその車輪を回していく。がたん、ごとん。ゆっくりと滑り出す様に列車はホームを離れていく。


 先頭の機関車の照明灯が照らすのは、長い単線のトンネルだった。青光りする金属で出来たトンネルが緩やかな斜度を付けて登っていく。機関車の躯体が少し震える。力強く、そして少しずつその速度を速めていく。


 この地下迷宮、始発駅は第一大陸の東端にある。第一大陸の東に広がる海は嵐の海と呼ばれ、未だ渡航に成功した外洋船は存在しない。その海も空も黒く荒れ狂った空間を、一筋の大鉄橋が屹立している。建造されて幾年月が経つのか。嵐にも微動だにしない先史魔法文明の遺産を、今一両の列車が走っていく。トンネルを抜け、大鉄橋へと入った純白の列車は小揺るぎもしない。黒き嵐を一筋の白い線が貫いていく。


 今はまだ見えない。


 だが大鉄橋の延びる先には、彼らの目指す魔法大陸が横たわっていた。

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