【一】復讐の終着駅/始発駅(2)
——薄暗い地下迷宮の奥深く。
黒髪の少年——リオ——は、心の衝動を辛うじて押し止めた。外套の中でナイフが震えている。今だ、確実に今なら殺せる! なんでやらないんだこの臆病者。そんな罵倒する内なる声が聞こえてくる様だった。
(五月蠅いッ、今はまだダメだ……!)
リオは大きく息を吸って吐いた。少し息が震えた。ちらりと直前を行く金髪の少女——エクレール——が振り返る。宝石の様に綺麗な碧眼がリオを写す。リオはぎくりとする。怪しまれたか?
「……どうしたの?」
「い、いや。なんでもない。少し緊張している様みたいだ」
「そう? まあ確かに、あたしも昨日はよく眠れなかったわ」
「それで遅刻したのか」
「む。してない。時計塔の鐘の音の方が早すぎたのよ」
むっとした表情を浮かべたのも束の間、ふわりと笑ってエクレールは前に向き直った。何事も無かったかの様にその無防備な背中をリオに向けて歩いていく。肩まで伸びた綺麗な金髪。その揺れる隙間から白いうなじが見え隠れする。その後を、表面的には平静を装ってリオはついていく。
物理的に言えば、復讐を果たす絶好の機会だった。何しろナイフが確実に届く距離に、無防備に急所を晒しているのだから。リオが「殺す」と思ったら、その次の瞬間にはエクレールは絶命していただろう。
しかしその場合、リオも殺されるだろう。エクレールとリオの前後には、総勢二十名ほどの男たちが列を成している。この地下迷宮の奥にある「始発駅」を目指す探索隊の一行だ。迷宮にはまだ魔物が出るので、男たちの大半は腕に覚えのある者たちだ。剣や鎧で武装もしている。エクレールを殺せば、リオはすぐさま男たちによって斬り捨てられるはずだ。
まあそれでも良い、兄の復讐を果たせるのなら。それでも今殺さない一番の理由は……物足りないからだ。
兄であるカーシアスを殺した犯人を、そんなに楽に死なせてやっていいものだろうか。単に命を奪うだけでは兄も浮かばれない。もっとエクレールが自ら行いを後悔する様な、「許してください」と泣いて懇願する様な時を見計らって殺すべきだ。リオはそう自分に言い聞かせた。
探索隊は狭い通路を抜け、広い回廊へと出た。一列だった隊列が自然と三列に広がる。歩く速度は一定のまま、迷う様子もない。探索隊は今回の為に集められた連中ばかりだが、数ヶ月ほど訓練を受けている。そして「始発駅」までであれば探索され尽くされているから、この段階で問題は発生しない予定だ。
三列の内、真ん中にエクレール。そしてその左隣にリオが立つ。リオは横から視線を感じたが、あえて無視した。
どかん、と大きな音が響いた。前方を見ると、薄暗い回廊の天井目掛けて人間が舞うのが見えた。気がつけば探検隊の先頭に、巨大なゴーレムが出現していた。青い金属製の無骨な人型が見える。
どうやら先頭の何人かが吹き飛ばされた様だ。ばっと残りの隊員が散開する。武装した者はゴーレムへと向かい、そうでない学者連中は後退する。隣にいたエクレールもなぜかリオを一瞥してから、後ろへと退こうとする。
「……ッ! まて!」
「きゃっ!?」
リオは咄嗟にエクレールの手を掴み、引き寄せた。エクレールの細い身体がリオの平均よりはは逞しくある腕の中に収まる。そのエクレールの背後を、ゴーレムの巨腕が床を削る様に振り抜かれていく。見た目に似合わず、動きが速い。
ふわりと。リオとエクレールの身体が宙に浮かんだ。見れば床が落ちていた。ゴーレムの拳が周辺の床を突き抜いたのだ。ゴーレムの足元も崩れている。こんな事態だからこそか、リオはふと思い出した。最新の科学理論によれば、自然落下する物の速度はその大小に関わらず等速だという。つまり、リオたち二人とゴーレムが床下の暗闇に向けて落下する速度は同じということだ。
誰かが二人を呼ぶ声がした様な気がした。あっと悲鳴を上げる間もなく、二人は床下に開いた闇の中へと落ちていった。
「いたたた……まったく、酷い目にあったわ」
エクレールの手元で明かりが灯る。最初は彼女の顔だけだったが、ゆっくりと光が溢れて周囲を均一に照らし出す。エクレールの手元にあるのは、水晶が填め込まれた細長い棒状の道具。魔法具だ。
先史魔法文明が滅び、詠唱による魔法行使が神話世界の出来事になった現代、人間が魔法を行使するにはこうやって魔法具を使う必要がある。特定の魔法しか使えないという制約はあるが、それでも科学技術よりは頼りになるという点は否定出来ない。
満遍なく照らす不思議な光の中で、リオは上体を起こす。身体のあちこちが痛いが、動かない箇所はない。随分な高さを落ちてきたはずだったが、幸運といえた。一緒に落ちたゴーレムの姿は見えない。
リオは立ち上がって壁を叩く。金属製。広さは十メートル四方程度だろうか。ほぼ真四角の部屋だ。困ったことに出口らしきものが見当たらない。しかしリオには地下迷宮——先史魔法文明の遺跡——に関する若干の知識があった。淑女の部屋の扉をノックする様に、リオはゆっくりと壁を叩いて回る。
視線を感じた。今度は無視しなかった。この部屋には二人しかいないからだ。リオはノックを続けながら、部屋の中心で座り込んだままのエクレールの方へ振り向く。少女の、その碧眼がじっとリオを見ていた。
「……何か?」
「あ、うえっ?! 別に!……なんでもないわ」
エクレールはまるで悪戯が見つかったかの様に慌て、少し顔を赤らめた。リオはちょっとだけ鼻を鳴らす。リオの額から右頬にかけては古い傷跡がある。子供の頃につけられたもので、随分と馴染んできてはいるがそれでも目立つ。エクレールみたいな反応には慣れている。
エクレールは話題を逸らそうとしたのか、口を開いた。
「そういえば、挨拶がまだだったわね。あたしの名前は」
「エクレールだろ。知ってる」
「あら、さすがあたし。人気者はつらいわね」
そういってエクレールはちょっと戯けた表情を向けてくる。実際、都では随分な有名人だ。若輩ながら王立学院において十指に入る英才。古代魔法塔の再起動を成功させ、王国に肥沃な大地——フロンティア——をもたらした英雄の一人。だから彼らの肖像画は近年普及し始めた印刷技術のお陰もあって広く出回っている。一つリオの感想を述べるなら、エクレールのそれはちょっと美化し過ぎだな。鼻はそこまで高くない。
エクレールはゆっくりと立ち上がった。少しお尻をさすっているが、怪我をしている様子には見えない。
「貴方の名前は?」
「……リオだ」
「ふうん。探索隊には何で入ったの?」
「そりゃ勿論、金さ。マセイオ王子は気前が良い。これで十年は遊んで暮らせる」
そこまで話してリオはちょっと口をつぐんだ。少し饒舌だったか? 人間、嘘をつく時は饒舌になるからな。気をつけよう。
「でも、探索隊に入れる技能がある様には……見えないわね? 若すぎるわ」
意地悪くエクレールが呟く。口元がにやついている。リオを試しているらしい。若いといってもリオとエクレールは多分同年代に見える。リオはエクレールを一瞥しただけで、誘いには乗らなかった。まあ嫌味を言うには、ちょっと可愛らしすぎる。
リオは根気よく壁を叩いていく。ノックする音が、エクレールにも分かる程度に音程が変わった。リオは立ち止まり手を差し出す。パチンと指を弾くと、突然何も無い空間からカードが出現した。エクレールが目を丸くする。
「……ほえ。手品?」
「タネや仕掛けはあるけどね」
リオはカードを壁の、金属の隙間に差し込んでいく。カードが半分ぐらい入ったところでカチリと手応えがあった。軋む音と共にゆっくりと壁全体が後退していき、人間一人が通れるぐらいの通路が出現する。
「これでどうですかね? お嬢様」
「なるほど。合格だわ」
エクレールは満面の笑みを浮かべた。
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