復讐の少年は魔法の鉄路を往く

沙崎あやし

【一】復讐の終着駅/始発駅(1)

 伸びて目に掛かるようになった黒い前髪を、リオは血で濡れた右手で払った。紅茶色の瞳が気怠げに車窓の外を眺めている。まるで水面が鏡のような海上を純白の列車(アルティプラーノ)が進んでいく。波一つ無いとても静かな海。機関車が汽笛を一つ鳴らし、いよいよ終着駅へ向けて最後の加速をしていく。列車の行く先に向けられたリオの瞳には、天高くそびえる世界樹が見えていた。


 ——長かった旅も、もう終わる。


 いや、リオにとってはもう終わっていたのかもしれない。今さっき、彼の旅の目的は果たされた。血塗られた手と、握られたナイフ。そして床には一人の少女の死体が横たわっている。それはぴくりとも動かず、ただ血の海だけがゆっくりと広がっていく。


 がたんごとんと、列車の振動に合わせて血の海の表面が揺らぐ。生気に溢れて輝いていた金髪も今やくすんでいるように見えた。


 少女の名はエクレール。年齢はリオと同じぐらいで、まだ若い。著名な魔法学者で、世界樹探索隊の主要メンバーの一人。そしてリオの兄を殺した犯人。リオの旅は、その復讐を果たす為にあった。


 そして今、復讐は果たされた。ナイフの切っ先はエクレールの心臓を的確に抉っている。リオの胸中に去来するものは何か。それを問う者は誰もいない。純白の列車は只一人、リオだけを乗せて終着駅へと走っていく。


 平坦な魔法の海の中心に終着駅は存在した。駅舎も何も無い。わずか二本の線路とホーム、そして転車台だけがある。ゆっくりと減速して、純白の列車は終着駅のホームへと滑り込んだ。停止すると六両あった客車の全ての扉が開く。降りてくる乗客は黒髪の少年、リオただ一人だけだ。


 ホームからは一本の道が伸びている。白い大理石の様な路面、サーカス団がパレードをしてもなお余るぐらいの広い道幅。その道先にあるのは巨大な世界樹である。覚束ない足取りでリオは歩いていく。もう目的を無くしてしまったリオには、歩く理由すらも無かった。惰性だった。惰性だけがリオを動かしている。


 リオは世界樹の根本に辿り着く。普段は視えないはずの魔力が青い光となって発現している。神々しさを感じさせるほどの濃厚な魔力。リオに虚ろな瞳に、少しだけ生気が戻ってくる。……ああ、思い出した。まだボクにしたいことが一つだけあった。


 ゆっくりと両手を広げ、そして仰ぎ見る。世界樹の先は空の彼方まで続いていて、果てが見えない。ああ、これならば。この神々しさの前では信じざる得ない。世界樹は、人の願いを叶えるのだ。



「世界樹よ、ああ世界樹よ。兄さんの——カーシアスの願いを叶えて欲しい」



 溢れ出した青い光が振動し周囲のものを包み込んでいく。リオも世界樹も、何もかもが光の果てに消えていく。リオの声に、願いに、世界樹は応えたのだった。世界の再構成が始まる——



 —— ※ —— ※ ——



 兄のカーシアスとは、実際のところ血が繋がっているかどうかははっきりしない。だがリオにとっては兄とは敬愛し尊敬する存在の代名詞であり、カーシアスはそれを態度で、行動で示してくれた存在であった。血縁かどうかなど些末な問題だった。


 リオは田舎の貧しい村の出身である。古の魔法と新参の科学が切磋琢磨して伸長していく時代。光と影のように、富が増えるということは貧もまた増えるということでもあった。


 収穫物を二束三文の金で収奪されていく村の片隅で、リオは少年期までを生きていた。物心ついた時には母親と名乗る女と一緒にいた。血縁かどうかは結局分からなかった。いつも酔っ払っていて、いつも殴られていた。


 カーシアスは、そんなリオを常に守ってくれた。母親が殴り付ける場面に現れ、そのリオよりは大きな身体で庇ってくれる。気紛れで食事を貰えなかった時も、そっと自分の食べ物を分け与える。そしていつもその温和な笑顔で包み込んでくれる。そんな存在だった。


 更に。そんな厳しい生活——農作物を作り収奪され、それだけで疲れ果てる様な村での生活。カーシアスはそこから抜け出し、皆に希望を示したのだ。


 いつからか、カーシアスは書を読み、学問を学び、僅かな蓄えを元手についには国立学院へと入院した。国立学院、それは都にある王国最高峰の知の拠点。身分問わず優れた人材を集めるという建前だったが、実際に貧民出身者が入院するのは初めてだったという。


 リオも一度だけ、都にある国立学院を見たことがある。白亜の殿堂。紫色の外套を纏った学院生たちが肩で風を切って歩く姿は、とても凜々しく見えた。そしてその中の一人に、兄カーシアスの姿があったことも。


 それがどんなに誇らしく、そして明るい吉兆に見えたことだろう。


 今は貧村の底辺で澱んでいるこんなボクでも、きっと歩いて進んで行ける道はあるんだと、本当にそう思えたのだ。だからリオはその帰り道、いつもは自分のことだけで精一杯なのに他人にも気が回る余裕さえあった。貧民街で何人もの悪ガキ共に絡まれている女の子を、まるで勇者にでもなった気分で助けたりした。随分と殴られて、最終的には周りの大人たちに助けてもらった。


 それでもリオは胸を張っていた。今は道化師の様かもしれないが、いずれ本当の勇者になる。兄カーシアスの様な立派な人間になるんだと心に誓ったものだ。


 ——だから。


 一年前。カーシアスが小さな骨壺になって帰郷した時のことを、リオは忘れない。兄は都の陰謀に巻き込まれて死んだのだと、一人の女学者に撃たれて死んだのだと聞かされた、あの日のことを。


 その女の名前は、エクレールといった。

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