第2話 「本当に素敵なご家族だったわ」

 カフェでのAとの会話の後、私はAが気でも狂ったのか、はたまた何かに取り憑かれでもしたのか、と不安になった。Aは私にとって長年の親友だ。あの様子を見れば、心配にもなる。カフェを出た後、心配する私を見てAは微笑みながら語った。

「大丈夫だ。俺は冷静だし、取り憑かれてなんかいやしない。…無鉄砲にあの家を荒らしに行くつもりもないよ。最初は近所の人に話を聞いてみるつもりだ。一緒に来ないか?」


 数日後の夕暮れ時、私とAは『薔薇に囲まれた家』の前にいた。私たちの記憶のまま、その家はそこにあった。ただ、正確には家を囲んでいるのは薔薇ではない。無数の荊棘だ。それが薔薇なのかどうかは、植物に疎い私たちにはわからなかった。荊棘は、まるで触手のように家中を囲んでいる。廃墟となって数十年は経つであろう、西洋風のおしゃれな窓や凝った意匠の門、灰色一色のその家はまさに『荊棘に囲まれている』。

「俺たちが子どもの頃に見た記憶と一緒だよな。おしゃれで、ここらへんじゃあ見ないくらい手が込んでる家の造り。んでこの薔薇。何も変わらない」

  Aは家を見ながら、そう呟く。私も同意見だった。

「だけどさっき聞いた話は本当みたいだな。建物やら壁やらは薔薇だらけなのに、ここから見える庭は歩けそうな程度には手入れされてる。…管理している人がいる」

 さっき聞いた話。それは午前中にこの家の近所を数軒回って、話を聞いた結果手に入れた情報だった。口々に、人々は「噂は本当にあったことだ」と語った。この家に住んでいた家族は噂通り子どもを亡くした後、母親が精神に異常を来たし、蒸発するように家を出ていったという。

 ここまではよくある話、といえるだろう。 数件の聞き込みの中で、私たちは気になる話を耳にした。

『あそこ、今も薔薇がすごいでしょ。花は咲かないみたいだけれど…〇〇さんの家のおじいちゃんがたまに手入れをしているみたいよ。あぁ、〇〇さんの家といってもあなたたちにはわからないわよね。ほら…ええっと、あの家から少し離れているけど…そう、ちょうど近くの交差点にコンビニがあるでしょう?まだ新しいあのコンビニ。そこの裏手にあるお家よ。私も手入れしているところを見たことがあるわ。優しいおじいちゃんよ。話を聞きにいってみたらいいんじゃないかしら。あなたたちは心霊スポットだのなんだのって騒ぎに来た感じじゃないし、あの人ならきっと何か話してくれるわ』

……………

 私たちは一旦『薔薇に囲まれた家』を離れ、話に聞いたコンビニへ向かった。このコンビニ自体は去年オープンしたものだ。もしあの家に家族がまだ住んでいたなら最寄りのコンビニ、ということになるのだろう。喫煙所で煙草を吹かす私たちの視界には、あの家の荊棘に囲まれた二階の窓だけが他の家越しに顔を覗かせていた。

「成果はあったね、聞き込みの」

 眉間に皺を寄せながら煙草の紫煙を吐いているAに私はそう話しかけた。Aは情報の進展に喜ぶわけでもなく、苦い顔をしている。

「ああ。近所の人たちが優しい人たちでよかった…。だけどさ、なんで手入れをしてるのがその家のおじいさんなんだろうな。あの家の親戚だとかって話は出てこなかったし、そもそも遠くはなくとも隣近所ってわけでもないだろ?当時の近所付き合いってのはわからんけど、世代も違うだろうし、この距離じゃ、あの家の家族によく会ってたってほどでもないだろう」

 Aの言うことは確かに最もだった。聞き込みはあの家の近所…隣だとか、裏手だとか、そういった範囲で行った。あの家族が生活をしていた時、実際に交流があった可能性が高いからだ。事実、「噂が本当にあったことだ」と口を揃えて語る近所の人たちは、当時のことを知っていたらしい。手入れをするおじいさんを教えてくれたご婦人も別れ際に「おしゃれで、優しくて、本当に素敵な家族だったわ」と語っていた。わざわざ聞かなかったが、ご婦人の年齢を考えると実際に交流があったのだろう。ただ同時に、その近所の方々があの家の手入れをしているだとか、入ったことがあるという話は一つも出てこなかった。

「たしかにそれはわからない。いまいちしっくり来ないのは私も一緒だ。当時何か交流があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。まぁ、どちらにせよ実際話を聞きに行けばわかるさ」

「そうだな…考えても仕方がない、か」

 Aは煙草をもみ消すと、缶コーヒーを煽った。私もそれに倣い、残ったコーヒーを飲み干す。

「A、行こうか。もうすぐ日も暮れる。あまり遅いと先方に申し訳ないからね」

 私の言葉に、Aは軽い微笑みと頷きで返答した。その顔には疲れが見える。Aも私も、慣れないことをしているのだから、疲れもするというものだ。

「…大丈夫か?疲れてるぞ、顔が」

「あぁ。疲れた。久々に歩いてるしな。一服もしたし、行こうぜ」

 Aはそう言うと軽く背伸びをして、私より先に歩き始めた。その視界の先には、ちょうどあの家の二階が見える。後に続こうと足を動かした私に、Aは背中越しに静かに、言った。


「みんな悲しそうだった。あの家の話をした瞬間、まるで昨日お葬式だった、そんな顔だ………なぁB。正直俺は少し、気が重いよ」

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