第3話
やがて高校生活も終わり、僕たちは異なる大学に進学した。お互いの関心の違いで同じ大学に通うことは叶わず、地元に住んでいる僕と別の地方に引っ越した弥生の間で「月に一回会う」という約束が交わされたのは自然な流れだった。
初めて訪れた彼女のワンルームには、必要最小限の家具と壁一面の本棚以外は何も無かった。あまりにも彼女らしい部屋に苦笑する僕に、弥生は少し不貞腐れながら反論する。
「こういう時にセンスがあるのは君じゃん。じゃあさ、交換しようよ!」
「何と何を……?」
「会えない期間に、お互いへのプレゼントを無理のない範囲で用意するの。須藤くんは私の部屋に置きたい物を選んで、私は……どうしよう……?」
「そこで悩む? じゃあ、弥生ちゃんが僕に読ませたい本とかにしようか。本選びのセンス、信用してるから!」
その日、僕たちは初めて身体を重ねた。誰にも邪魔されない環境で甘い囁きだけが耳に届き、いつまでも残り続ける。自分という存在そのものが溶け出し、繋がって混ざり合うような感覚は、どんな小説よりもリアルに僕を突き動かす。
言葉で、指で、僕そのもので感じている弥生を愛おしく思いながら、僕はただ果てた。朝まで肌を寄せ合って彼女の熱を感じながら、この幸福な時間が永遠に続けばいいと思った。
心のどこかで、今でも思っている。
* * *
翌月から、弥生の部屋にはシックな小物が並ぶようになった。僕から見た彼女の雰囲気に合うような物をセレクトしたつもりだが、ワンルームに彩りが増えるたびに上機嫌になる弥生を見る楽しみもあった。近くの雑貨屋で買ったフクロウのブックスタンドを並べ、彼女は不器用に小躍りしている。
「踊り慣れてないなら、無理にやらなくていいんじゃない?」
「こうしたら須藤くんにも私の喜びが伝わるかなって……」
「その言葉で充分だって!」
僕の手元には弥生セレクトのハードカバーが一冊。海外の文学賞を獲った長編小説で、表紙のカセットテープを模した図柄が目を惹く。特徴的なタイトルだった。
家に帰り、弥生からのプレゼントを一冊ずつ本棚に飾っていく。今月もらったものは机の上に置けば、部屋そのものが彼女の色に染まっていくような気がした。
次のデートはどこへ行こうか。車の免許を取って、二人でドライブするのもいいかもしれない。弥生が行きたがっていた遠方のカフェだって行けるし、久しぶりに地元まで帰るのもいい。そのためにはもう少しお金を貯めて……。
そんな展望を考えながら、それが夢物語ではないことを確信している自分がいた。僕たちには無駄にできるほどの時間があって、楽しいことをもっと共有していける、そんなカップルになれると本気で思っていた。
* * *
そんな往来に変化が訪れたのは、それから一年ほど経ったある日だ。付き合って三年目の九月、お互いに二十歳を迎える直前。その日の弥生は、今思えばいつもと様子が違う気がした。
「——弥生、聞いてる?」
「……あっ、聞いてるよ!」
「疲れてるなら言ってよ。ちょっと近道して帰るね」
「遠回りでいいよ。もうちょっと話したいし!」
フロントガラスを打ちつける雨粒をワイパーが拭い、遠くの赤信号は滲んでいる。助手席で外の景色を見つめる彼女の瞳は、雨が反射するたびに微かに揺れていた。
その日は、朝から弥生のテンションが少し変だった。どこか無理してはしゃいでいるかのような、僕との会話にも生返事ばかりが返ってくるような、細かい違和感だ。その理由を掴みきれないまま、その日のデートは終わりつつある。
「あっ。今月の小説、用意するの忘れた。ごめんね……」
「あー、大丈夫だよ。次また会う時にオススメ教えて!」
沈黙に雨音が容赦なく襲いかかる。ヘッドレストに頭を預けた弥生は、無言で何かのタイミングを待ち続けていた。
「あの、さ……」
「お腹空いた? なら一旦ファミレスとか寄って……」
「須藤くんは、まだ私のこと好き?」
「何言ってんの? 好きだよ。当たり前でしょ」
「……君の思う私じゃなくても?」
信号が変わる。ゆっくりとアクセルを踏む。弥生の言葉の真意が理解できなくて、僕は反射的に思考を声に出した。
「全部好きだよ、弥生のことは。良いところも、ダメなところも」
「……ありがと」
視界の端で彼女が笑う。その表情の中に何が潜んでいるのか、運転に集中していた僕には知る由もなかった。
「私も好きだよ、須藤くんのこと。君が悲しんでる姿は見たくないな、って思ってる」
「弥生と一緒にいて悲しいことなんてある?」
「どうだろうね? 須藤くんは私を買い被りすぎだよ」
弥生の住むマンション前に停車し、お決まりとなったハグを交わす。後部座席に置いた手荷物を持ち上げると、彼女は僕の方を振り返る。
「夜遅いけど、泊まってく?」
「あー……ごめん、明日は1限ある。次は泊まるよ」
「承知。楽しみにしてるね」
結果的に、それが僕と弥生の最後の会話になった。
彼女から別れを切り出すメッセージが届いたのは、それから5日経った日のことだった。
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