第8話 そして翌朝、めんどいことばっか
……とまあこんな感じなのであろうな。なにせキュマイソンの語りを要約したのだから、後付けの又聞きってことか? 気づけば間抜けのガーランドも
「ということは、姫君はすでに……」
とガーランドが指さすところは、太后妃とヲ・モリーのいる衝立ての向こうだ。キュマイソンは面倒くさそうに首を横に振り、
「おるはずがないだろう。今まで何を聞いておったのだ、ボケが。専医団の施術室だ。新生児なんだぞ、姫様は。動かせるはずがなかろうが」
「でも確かなんでしょうか、太后妃が犯人だと……」
ガーランドは照れ隠しに事務的に訊くと、キュマイソンはまたもや首を振る。
「ヲ・モリーと一緒に、自分はあの場にいたのだ、間違いようがないな」
「そのとき太后妃は何かおっしゃったのでしょうか?」
キュマイソンは眉間に皺で、幾度も首を振った。
「心を閉ざしてしまわれたのだ。廃人同様だ。あっっ、とこれは失言した。撤回する。聞かなかったことにしてくれ」
今度はガーランドとわたしが、一緒に首を横に振った。
「キュマイソンは無礼な物言いをした……と、秘録筆記者として書き留めておくんで心配するな」
そう言いつつ、わたしは衝立ての向こうにいる三人の女性を、あらためて見つめた。
体内のどこにも 〝心〟 は存在しないといった様子の太后。その瞳は光艶はなく、ただ虚空の奥底に向けられている。その姫君を命かけて護ろうとした、けなげな女官のヲ・モリー。そして、気品こそあれ、どこか頼りない貴婦人。きっと尊貴族家の縁者であろうが、事態の深刻さと大きさに呑み込まれ、ただ憔悴しきった様子だ。三人を押し包む闇は深く、ねっとりと絡めとるように重い。だが、わたしには見える。この三人こそは、雅我国を牽引する御仁たちになるであろうことを。
翌朝。
マントヒヒ将軍閣下が一肌も二肌も脱いで、内務省のカッ・クエー大臣と膝詰め談判をした結果、なんとか太后妃の身柄は、宮廷内で擁護することと相成った。さすがに近衛部隊長だけはあると思ったが、どうも引退間近ということもあり、陸軍の軍閥が華を手向けたようだ。されど太后妃の
そして残念なことに、もう一つ、法令どおりだったことがある。太后妃の取調べを受持つ担当課だ。それは、
陸軍憲兵隊諜報室捜査課。
キュマイソンやガーランドが
そんな情報を伝えに、その朝も、ガーランドがわたしを起こしに個室に現れた。よく見れば、こやつにの目には隈ができておる。どうも正四位以上の廷臣らが勢揃いし、この大事件の顛末検証をどう取り計らうかについて、朝方まで
「だからな、憲兵隊を秘録したところで、太后妃の起こした事件の真実が解明されるわけでもなかろう」
「……」
ガーランドは扉を少し開けて廊下を覗き、すぐにひたりと閉じた。無言のまま、一歩、こちらへ踏み出した。これは警棒でド突かれる危険距離だな。だが、なんともこそばゆい小声で、ガーランドは言った。
「直接訊けと言うのではありませぬ。取調中に同室して委細を書き記すのです。秘録筆記者は大公爵から特権を授かっているんじゃありませんか」
「天下御免の秘録筆記者ってやつじゃな。ただし宮廷内に限る……らしい」
「……」
またもやガーランドは一歩近づいた。警棒でなくても素手で殴れる距離だ。そしてまた一歩。もう吐く息の成分が分析できるほどだ。わたしは顔をくしゃくしゃにして、ガーランドのなにかを防御しようとした。すると、
奴は、わたしの耳たぶに囁いたのだ!
「いいですか、貴殿が隣国アージマージから、本国へ招致された理由をなんと心得ているのですか?」
「ふんっ、人を小馬鹿にするでない。太后様を選び抜いた
「──皆まで言わずともいいです。ですが、よっく憶えていましたね。そう、表立ってはそういうことになっています。ですがそれは、いまこの事態を予知していたからだと思いませんか。貴殿がここに呼ばれたのは、他でもなく、太后妃の禍いの行方を隣国中に知らしめるためだと」
「どういうことか……というか、ガーランド、ともかく下がれ。近すぎるぞ」
「いいや、まだ遠いくらいです。もっと密接に話す必要があるんです。いいですか、太后妃殿下は籤霊視で選ばれた他国の貴人、いいかえれば他所者です。そのお方が雅我国のお世継ぎを亡き者にしようとしたのです、修祓の義だけでは済まないと思えませんか!」
「ガーランド……、それ以上の言は慎め」
わたしはガーランドの胸板を押しやった。そのうち耳ではなくて、口うつしで語りそうで怖いぞ、こいつ。実際、ガーランドはわたしの手を上からつかみ、またもや顔を近づけてきゃやがった。
「憲兵隊の捜査課の奴らはみんな昇華者なんです。尋常人ぢゃないんです。土壁の一枚、無垢板の一枚なぞ筒抜けで人の話しを聞き盗るんです、だ」
「はっ。つまり盗聴されていると……な? それを先に言いたまえ」
ガーランドは
ガーランドとわたしは身構えた。
そこに現れた影は、かすかに首を垂れ、額にかかる前髪を人差し指一本で払い、そして言った。
「失礼、ガーランド殿もここにおられるとは思いませんでしたよ」
これが初対面の目上の者に対する態度とは、無礼極まる!
とっさの秘録筆記の第一項、まずは
するとここで、
「おっふぉんっ。ここは宮廷内の貴賓室です。憲兵隊の押し入っていいところではありまぬ」
ガーランドが腰に拳をあてて、向かうところ敵なしといったガンを飛ばした。憲兵はヘラヘラと
「それにノックもなしで、この国の兵士は儀礼を知らんのか」
「隣国アージマージでは、奇襲をしかけるときも、兵士はノックしておいでか」
と言いつつ、憲兵は顔右下半分だけで
「紹介が遅れて済まぬ。自分は憲兵隊捜査課一級士官のデヴァ・メガーメだが、ヤ=ジウマ殿に話しがある。ガーランド殿は席を外してはくれまいか」
「それは承諾いたしかねる。上位廷臣として、大公爵からヤ=ジウマ殿の警護を命じられているのでな」
デーヴァ・メガーメはうすーく笑んで言った。
「なにもヤ=ジウマ殿を取って喰おうというのではない。我が国の大切なお客様だ、ご無礼はありえぬよ」
「近衛兵が陸軍に所属しているとはいえ、大公爵の先鋭麾下でもあることを忘れないでもらいたい」
「それは──」ガーランドの言葉にかぶせて、憲兵隊は答えた。「──むろんだ。キュマイソン殿にも近衛兵部隊長閣下殿にも話しは通してある。しばしの間、ヤ=ジウマ殿をお借りしたい。兵団内に軋轢を生じせしめるためにわたしは来たのではない。それが証拠にこうして公示式命令達示書が出ておるのですよ」
デーヴァ・メガーメは最初から見せればいいものを、後出しジャンケンのように朱文字の達示書を突き出してきた。
はははは、わたしひとりを別室に監禁とな。これでは、まるでわたしが犯罪者のようではないか。この憲兵隊に、蹴るだの、殴るだのと取調べられ、それでもって、口封じとばかり、最後に首をねじ切られておしまいってことか。
わたしはガーランドを煙の出るほど睨んでやったが、縦横十文字の管理社会に生きる兵隊には、命令に背くことはかなわぬとみえる。
「ではわたしは廊下で警護にあたります」
チラリとわたしに目配せしてから、あっさりとガーランドは部屋を出て行った。
「では、あらためて、自分は憲兵隊の……」
聞きたくもない自己紹介がはじまったので、わたしは無視して窓辺に立った。
遠くに遠雷かと思われる響く音は、驚愕噴水の
「ご忠告申します。窓はそのままで……」
「開けてはならぬ、とな?」
「ガーランド殿から聞き及びかと思いますが、斎奇力昇華人は宮廷内には多いので……アシカラズ。さて、貴殿が大公様より秘録筆記者として任を与えられた者だとしても、我々憲兵隊は我々の任を全うするのみです。たとえそこに尊貴族家を傷つけることが含まれていた、としても、いささかの躊躇も庇護もなく、ただ任務の完遂を目指すことを本務とするものです」
「なに言ってるんだかよくわからんが……」わたしは憲兵隊のデヴァ・メガーメに向き直った。「まるで憲兵は大公爵の命令なんぞ聞かぬと言いたげだな。陸軍だろうと最高指揮権は大公爵にあるのじゃないのかね」
「よく聞きたまえ秘録筆記者よ。我が国は、議会政治制度を帝三大公おんみずからが発布されたのです。軍事力の一極集中管理に危惧したのですよ。英才であり、英断です」
「それは認めるが、集中管理は軍事統率が執れて、軍事作戦には効率がよいはずだが……」
「権力機構はそうであっても、実際の軍事行動では危険なのです。とくに斎奇力の者たちが蘇生した場合には、一極集中の弱点を突かれ、ふたたびこの大地は生き血の大河に流されることとなる。とはいえ、もう貴殿も拝顔したであろう、封緘宗祀様がああしてご健在であれば、悪しき斎奇力の力は封じられている。よしんば、封緘宗祀様が不在となっても、我らが居れば、つまり最悪の状況に至っても、国軍は正常機能していられるのだよ」
なるほどなるほど、権力の分割ということだな。大公爵直属の近衛兵たちとは違って、こいつらはある意味で客観的立場をとっているのだな。つまり斎奇力だの封緘宗祀だの、詳しいことはこの男に訊けばよいということか。
面倒は省かれた。
わたしはニンマリとして、デヴァ・メガーメを見つめた。手のひらを返したような気まぐれさは我が一族の天賦の才。そのあまりの変わりように、こいつはギョッとしたようだが、わたしもガーランドがやったように顔を近づけて問うてみた。
ぐいっぐいっと唇をふるわせて……。
「その……なんだ、サイキって具体的にはどのようなものなんだ。いや、なんでしょうかね。そして封緘宗祀ってのも教えてくれませんかね。あの正体はなんですの」
「ご勉強なさったのでは?」
「べ、勉強って……どこにそんな教本があるのだ? 祖国アージマージには、斎奇力について知る手がかりは妙な古文や古書のみだけぞ。我が大脳大空間の爺いどもはぼんくらばかりで、いつになったら、あいつらがまともに機能するのかわからんし」
「あいつら? 大脳大空間? 初耳ですが……」
デーヴァ・メガーメの眉間がピリリッと閃いた。さすがにわたしの言辞に嘘臭さを嗅ぎ取ったか、感応器官が構えたな。わたしは今ぞとばかりに続けて言ってやった。
「貴殿も一度降りていってみるといいな。クソつまらんくせに、クソ忌々しい爺いが、知恵のクソを垂れ流しておるところじゃ」
ほうれ、憲兵小僧の大脳はピラピラと輝き、わたしの言辞を分析しはじめたな。怪しそうにこちらを凝視しておるわ。
「大脳大空間」それは何か。先祖伝来の「大脳大空間」はのぅ……「大脳空間」は……。ははははははっ自分でも言ってて、よーくわからんとこじゃ。そこには小鬼魂がおってな、ざんざらざんと尻ペタの尻尾を掻き鳴らすわい。ざんざらざん、ざんざらざん……とな。
「そうよ、あそこにはホンマルハイトとかいう奈落の騎士団がおってな。そいつの
「ど、どうもそいう不衛生的な空間は苦手です。ご遠慮しますよ」
大体の者は、そのへんで片づけて、先に進もうと小癪なことを言い出す。だがな、我が大脳大空間の爺いどもは、えげつない菌類にさも似たり。すばやく言葉の菌糸を捉まえるとたぐり寄せ……。
デーヴァ・メガーメはほんの一瞬間、まばたきの転位があったのも知らぬまま、わたしの対話の続きを所望する。ではここで、素早く話題を転換して……。
「──だからだ、斎奇力とは何であるのか、存じているだけでいいのだ、教えてくれまいか……と言っておるんじゃ」
「そ、そうですね、斎奇力は……はるか遠い過去の出来事ですからね」
デーヴァ・メガーメはどこか上の空で言をつむぐ。ここでわたしはすかさず奴の言葉尻をつかんで、たぐりよせる。
「逃げ腰なセリフだな。なんだ、貴公も知らぬのか」
「失敬な、憲兵隊捜査課の者が知らぬわけがない」
やはりここで奴は気色ばむ。底が浅いよ、こいつ。
「だったら、サイキってなんだ」
すかさずわたしは畳み込む。
「うーっ、それはですなあ、尊貴族家につたわる尊貴族家御法度の神代の書記に〝特異霊位能〟とあるのが最初の記録だとされています。国生みの神によって造られた
「時空の理が崩れて、斎奇力者たちが生まれた、と?」
「そう。その者たちの中には、空を飛ぶ者や死者をあやつる者、はたまた砲弾を喰らう者や、大地を切り裂く者などと、想像を絶する斎奇力者たちがいたそうです。
「……そして、もうこの世も終わりかと思ったとき、斎奇力者の中でも最強の能力者が生まれたのだな。斎奇力そのものを封じてしまう者、つまり封緘宗祀だ」わたしは知ったかぶりで言ってみた。「斎奇力が封じられれば、みな大同小異のただの常々人だ。斎奇力の発揮しない者たちが、それこそ素手で襲いかかってきても、怖くも何ともないものな。治安の乱れは、たちまち常々人たちで組織された国営兵力によって制圧され、滅びの戦は阻まれた。初代封緘宗祀が救世人といわれる所以でもあるわけだな」
「ほう、そこはご存知なのですな」
「その程度のオハナシはハナタレ小僧でも知っておるわ。それは唯神記の譜代相伝に書かれた内容そのまんまでねえか。封緘宗祀様は代々尊貴族家から輩出される。ゆえに尊貴族家は、永劫に崇め、尊び、奉らなければならぬ……とあるだけで、結局のところ、斎奇力そのものは、わからんことだらけじゃないのか」
「……それを言われると身も蓋もない。謎とは永劫に解けぬものだと承知していますので」
「偉そうにしくさっているから、さぞかし詳しいかと思いきや、その程度のことか。もしかしたら、ガーランドもキュマイソンも、ああ、大公爵もその程度なんじゃないのかい」
「ここだけの話しだが、意外とそうなのかもしれませぬな」
「おお、まあな」その一言で好奇心の小鬼魂が、大あくびした。「それで話しとはそれだけか」
「ようやく聞く気になったようですな。では、本題に移りましょうか。話しといったのは他でもない、太后妃の取調べについてです。貴殿は大公爵より秘録筆記者として任ぜられ、当人が拒まぬ限り、宮廷内の出来事はすべからく見聞きして記録できる、天下御免の特権が賦与されている。ゆえに太后妃の取調べも同席ができ、その一部始終すらも記録できるということですが、な……」
「そんなふうなことをガーランドも言っていたかな」
「そこでです、貴殿には、取調べの同席およびその記録に関して、拒否してもらいたのです。法律用語でいうところの不可分の拒絶というものですね。そうすれば、太后妃の取調べは我々だけがあたることになる」
「はあっ? どうして? なんでわたしが同席することを拒むのだ。好奇心の塊のわたしが、それはありえんだろう」
「それがありえるんですな。是が非でもそうしてもらう」
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