第6話 封緘宗祀様は?
何! 封緘宗祀とな? おおそうだ、そうだ。なにをぼんくらぢぢぃは今まで聞いていたのだ!
わたしは、またしても、自分の耳を疑った。いや、耳ではなくて大脳かもしれん。あまりにもさらりと言われたので、驚くことを忘れてしまったのだ。そもそも『封緘宗祀』を大字源辞典で紐解けば、
※この世に天意として在る〝善きものと悪しきもの〟このふたつから生まれたとする
まったく意味不明の説明だが、わたしが隣国アージマージの学徒だったころ、先師は、事あるたびに
(この〝亜〟は時代表記の一単位を表し、古、祖、亜、度、零……のひとつ である)
祖の器の、度の時代、人に非ずの異力芽生えし、神代の音調かき消えぬ。これを斎奇力と 呼ばわり、戰の神の目醒めと成す。
人の世は、斎奇力の扱者の掌中にて、瓦解、崩落、塵芥。
斎奇力の者は、更に不壊死、世の底血を呑み干す。
度の、零の、亜の時代、人の世は末期の淵にあり。
神代の音調ひびきあり、斎奇力の力を封ぜし者来れり。
其の者、斎奇力を封じ、人の世は泰平の礎を見る。
其の者、祖人曰く、封緘宗祀と名するものなり。人の世の理を授ける者なり。
其の者、血脈にて、永代にわたり封緘の秘めたる血を伝えしものなり。
たしかこんなものだったと記憶しておるが、意味はやはり不明ではあるな。なかなか刺激的な
わたしは、伸びたゴム紐で首を吊った人形のごとく、幾度もベロンベロンとうなずいた。そしてその封緘宗祀であらせられる義姉様とやらを今一度拝見しようと、ずるずると太后妃のもとへ忍び寄っていった。だって事もあろうに、あの〝斎奇力〟だって畏れ入るのに、救世人のご当人がすぐそこにおいでなのだぞ。たとえ首を刎ねられようとも、この千載一隅の機会を逃す馬鹿はおらぬだろう。刎ねられた首だって、救世人なら接着してくれるはずだし。
「あ、ああのう……」わたしの奇妙な声で、キュマイソンとガーランドはそろってこちらをふりむいた。「あのう、殿下に申し上げたい。わたしはたった今、殿下の口から、封緘宗祀なる尊い名前を耳にいたしましたが、なにとぞ救世人様の拝顔の英に浴したく、切にお願い申し上げ奉り……」
「ヤ=ジウマ殿、それは後でどうとでもなること。今は妃様の善処が最優先事項じゃろ」
マントヒヒが言下に
それよりなによりだ、封緘宗祀様ぞ! 生き神様ぞ、救世人様ぞ……。
会わせろ! この俺に。俺様は秘録筆記者であるぞ! なんでもかでもほじくりだして、書き留めてこその秘録筆記者であろうや。
とかなり血迷ったわたしに向かって、
「もしや、ヤ=ジウマ殿には、この災禍について、あらましでも聞き及んでおいでか」
三人のバカ兵士の壁の向こうから、神の声のように、大公爵の肉声が飛び立ち、わたしの頭上に降り注いだ。おおなんとありがたいことか。そう、大公爵! そもそもわたくしは、まったく何も聞かされてないのだよ。わたしは涙目で殿下を見つめた。イノウだのイノウノウズキだのフウカンソウシだのヒデンカやオヨツギのことだの……まったく、なーんにも、ちゃんとわかりやすくご教示されておらんのだよ。それを
わたしは思念を暴走させて、口でぱくぱくしながら金魚の形相で、大公爵に直訴した。するとだ、なんだこの
「はっ、ヤ=ジウマ殿が宿泊されておりますあの区域では、斎奇力のウズキを
「箝口令?」
「そのとおり、わしが許可しておらぬゆえ」
マントヒヒ閣下が胸を張って言った。聞くやいなや、大公爵の顔色が変わった。
「それでは、わたしがヤ=ジウマ殿に依頼した件はどうなるのだ。情報を差し止めておいて、何が秘録筆記者の公務か」
大公爵の不満顔が険しさを増した。だが、マントヒヒ閣下は融通がきかない。
「はっ、ですが、この状況下では、いたしかたなし……と」
「馬鹿を言っては困るな」ずいっと大公爵はマントヒヒ閣下を睨んだな。「ヤ=ジウマ殿は君たちの部下でもなければ有衆でもないのだ。わたしがみずから招いた、言うなれば国賓ぞ。さればヤ=ジウマ殿は貴族官僚と同格の扱いをうける身であろう。そもそもヤ=ジウマ殿は秘録筆記者の能力を見込んで隣国より招致したのであるから、彼にはこちらの都合制約はいっさいなしとすべきであろう!」
「は、
キュマイソンが軽く殿下に一礼すると、太后妃たちのおられる一隅とは真反対の、衝立てのあるほうへわたしを導いた。
衝立てと言っても、その材質は堅牢な
うっざい野郎だ。
だがわたしの、家柄はおとなしいものだから、まるで童子がおやつをねだるように、ちんまりと座したな。そのおかげで、わたしはようやくのこと、キュマイソンの口から、事件の委細を拝聴することとなったのだが、我が好奇心の小鬼魂も、そろって耳を
なになに、小鬼魂とは何物かと聞きたいか。やはりそこが気になるか。実を言うと、わたし自身もその正体はよくは知らんのだ。なにせおとなしい家柄の惣領であるのでな。
だがな、奴が活動しだすと、ともかく、痒いのだ。痒みこそが奴の「兆し」なのだ。
そこでわたしは、かゆーい眉間あたりに、左右の人差し指を押しあてて、好奇心の小鬼魂のケツの穴を刺激してやった。ほんとうに痒くてならんのだ。痒みというものは、掻けば掻くほど、本来の痒みとは違う刺激に変じていくだろ。それでもたまらずに掻いてゆくと、とうとう痒部の中核部分はへこみ、ついには竪坑が開通する。竪坑は、わたしの大脳大空間へとつながっており、もう迷うことなく、痒みを蹴散らそうとして、わたしの意念は飛び込むのだな。
そのときの降下速度と跳距離は、経験的にいつも違っていると感じたな。このときは、そう、降下するというより、下から足を引っ張られて跳躍した感じだった。
こういう感覚は、経験的に、大脳大空間に騒ぎがあったということを示しているな。
紫色の霞と悪臭が漂う大脳大空間は、物理的な空間として想像したほうが理解しやすいが、自身の大脳の中へ、自身が飛び降りるという奇妙な描写しかできず、景観としてはだな、ともかく猥雑で不潔きわまりない。暗渠のような穴倉に、延々と書架が並んでおり、そこには広大無辺の情報が、時代や地域、文化や言語によって種別されおり、今現在もその作業は、気高い司書によってつづけられておる。
そうして日の目をみる書本は運がよいほうだ。天文学的数量のため、司書たちは作業に倦み疲れ、ついには放棄された書本の多いことか。足元がぐらつくと思って見下ろせば、ぐちゃぐちゃになった紙片が散乱していたり、
書架の暗渠は迷路と化し、迷子にならぬよう司書が木札を立てているが、それも複雑怪奇な読取装置がいるとかで、こちらもうんざりだ。
それもそのはずで、司書たちはみな、なんとヤ=ジウマ家のご先祖様たちの魂魄なのであるな。自分の大脳大空間なのだから、当然といえば当然か。ここの管理者たちは、ご先祖様なのであるからして、直系のわたしには、手厚く親切にご指導ご鞭撻あるかと思いきや、まるで盗人のように眇めで睨みつけ無視しくさるのが習わしとなっておる。
このときも、シラミのたかったザンバラ髪を振り乱して、眼前から逃げて行こうとする魂魄の襟首をつかむと、それはどうも先先代のヤ=ジウマ・ヘンダイ・ヘンタイ爺いのようだ。わたしは喧嘩腰でヘンタイ爺いに訊いた。
「おっさんは西国遍路で秘録筆記の仕事をしたことが過去にあるだろう」
わたしは素早く鉄のゲンコツを作って、このヘンタイの背骨を打ち砕こうと振り上げた。その殺気の意味を勘づいたか、ヘンダイ・ヘンタイは、振り向きざまに薄っぺらな探訪記を書架から抜き出し、差し出してきたぞ。
そいつは、薄っぺらいくせに、もう付箋だけでも小石の重さがある。
この付箋のどこに記してあるというのだ、くそじじい。
「どこだ」
わたしが心に問うと、ヘンタイは十八と指を折って数を知らせてきた。爺いは口が使えんのか、それとももう忘れたか?
わたしは、しわくちゃのヘンタイを横目で睨みつつ、ぺらぺらめくると、付箋からは強烈な酸の臭いが立ち上ってきた。だれの唾液だ、これは……。舐めた指先が痛痒いぞ。
※ ※
うーんとだ。ヘンタイ爺いは独自の癖字が酷くてな、一旦頭の中でがらがらと粉々にしてから、紡ぎあげてみないと文字にならんのだな。そいでもって、読んでいくとだな……
この国の太后妃は、
※ ※
と読めたが、こんな回りくどいことに時間を割いていれば、いったい何時になったら今日の事件へたどり着くのかわからない。わたしはヘンタイ爺いに探訪記を突っ返した。爺いはこちらを恨めしそうに睨んでおった。
──とまあ、てっとりばやい話がだ、縁結選裁公示のあらましは……ともかく選出団が面倒臭い手続きの末に候補者を抽選し、選別し、一次選考から二次と選んで、選び抜いて、花嫁御寮は決まった……らしいのだな。
それは一昨年の春というから、まだ
まずは年齢のこともあって大公爵は、お世継ぎの誕生をなにより渇望した。幸いのことに妃はすぐにご懐妊なされ、まずは籤霊視の占師の面目躍如(めんもくやくじょ)といったところか。宮廷に占師は呼出され、大公爵より直々慰労の言葉がかけられた。が、そのとき、なにを思ったか占師は、「宮廷内に禍いの匂いを視(み)た」と、預言をぶちあげた。
その広間に居合わせた
大公爵は即座に、謁見の大広間から陰の間に場所換えを命じ、占師に詳しく述べよと詰め寄った。だが、占師は自分の生命に不吉な爪が喰い込むことを感じとり、言を呑み、口を固く閉ざしてしまったのである。
いつもの大公爵であれば、そんな不埒な占師でも、温情によってその身柄は解放し、つつがなく慶事も終了したはずだ。ところが占師は帰路につくどころか、その日より太陽を拝むことなく、独り地下の独居房に投獄され、不運なことに数日後に息を引きとった。尋問には陸軍憲兵所属の捜査官が任命されていた。それだけで占師の運命は決まったようなものだった。斎奇力昇華人の占師が、ひとたび口を閉ざせば、その結果はどうなるか知らぬ大公爵ではなかった筈だのに……。それがどう血迷ったのか、無分別な処置を講じてしまったのだった。
あらゆる拷問の器具が取調室に運び込まれたと噂されている。魂魄が生き残っていれば、うめき声ぐらいは漏らそう。しかし、その魂魄すら挽きつぶされたのだと、まことしやかに言われている。
そして占師は末期の言葉として、妙な一言を遺し、そして息絶える。
「……この国の尊貴族家の記録を……秘録として……後世に遺すよう、籤霊視師は進言致す。その秘録筆記者は自国の智慧者にあらず、他国の零落した名家の子孫にして下卑たる名士を召還せねばなるまい……」
下卑たる名士の部分にはむかつくが、しかし、この言の真意も、また謎のままであった。
大公爵は慚愧に堪えない思いで、冷たくなった占師に、あらためて謝罪と感謝の言葉を送った。謝罪の表明として、占師の進言を忖度することなく、そのまま受け取り、隣国へと使者を派遣した。秘録筆記者の当該者を選出し、議会など公的機関を通じ招致を依頼したのであった。
つまるところ、このわたし、ヤ=ジウマ──国府人名記載帳簿に列記された名は、ガセネタマジネタ・ヤ=ジウマ・ユークトシクールトシ三世──が召還されたわけである。このへんの経緯はまたとして、閑話休題、籤霊視の占師が死んだことで、大公爵は、国内のいずこかで暮らす、姉の封緘宗祀を
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