第2話 斎奇力──って? なによ

 

 廊下は生まれたての喧噪でトゲトゲしていたな。わたしは迎賓館の東棟に個室を宛てがわれていたが、東西南北に走る、白樺の大廊下──命名の由来は不明、もしかしたら、壁面に白樺が描かれていたのかもしれない──が交差する中央回廊では、もう近衛兵たちの隊列が物々しくできあがるところだった。


「賊の侵入の確認はまだなのか!」


 隊列が点呼していくさなか、指揮官のやたらと甲高い声が、背後からわたしたちを追いかけてきた。だが、その間合いとか抑揚とか、どこか嘘くさい。それともたんなる先天的二枚舌なのか、愚鈍ぐどんの舌足らずなのか。こいつが宮廷配備の近衛兵室長、輝栄きえい一族の末裔にして分家惣領ぶんけそうりょう球舞孫キュマイソンである。のだが、下剤を飲み過ぎた顔をして、アホ面しているくせに、けっこう狡猾こうかつな兵士なのだ。つまり見かけどおりではない。よく言えば傑物。というより、言った、言わない、で、いちゃもんつけてくる兄ちゃんタイプ。つまり「嫌忌人けんきじん」と見たな。


「ガーランド! おまえ、ヤ=ジウマ殿をどうするつもりなのだ」

 さすがにきらいなキュマイソンだけあって、声もダミ声であった。

 問われて、わたしとガーランドは立ち止まった。

 

 振り向くと、キュマイソンは糞でもしたいのか、全身をワナワナと震わせておった。きっとこの大事の緊迫感を全身で表すのに懸命なのだろう。自己承認みえみえの、やっぱし、いやーなやからだ。おっと、これは失礼した。〝ヤ=ジウマ〟とはわたしの通称である。俗称かもしれないし、屋号とか、てきとうな仇名かもしれない。いずれにせよ、以後お見知りおきを願いたい。

 でもって、呼び捨てられたガーランドは、今でこそ廷臣六位の警護役人ではあるが、元は近衛兵室付属の身、室長のキュマイソンとは……離別恋人のような淫猥いんわいな関係になるのかの? 違うか。いや、似たようなものか。

 

 このわずかな間も、伝令士官の吹き鳴らす呼子が、幾度も廊下を行き来しておった。


 彼ら近衛兵たちがまとう、緑石泥みどりで染めた渋めの官服だが、見ようによってはダサイ。ひどい。くさい。おまけに目障りだ。が、ここまで統率がとれていると印象が違って見えてくるから不思議だな。戦場に外見は無用だとのいい証拠ではあるな。

 

 しばらしてから、だしぬけにガーランドがしゃべりだした。

「ああっと、室長殿! さっきの質問ですが、お答えします──」答えって、どの質問ことだ?「──すべからく大公爵グラン・パの御意のままに。ヤ=ジウマ殿自身がご辞退、あるいは不可分な忌避拒絶がなければ、この国のすべてをご覧に入れる所存ですが」

「不可分とは宗教上の忌避令きひれいということか。だとしてもだ、これは尊貴族家みこときぞくけの私事に他ならない。よそ者が聖なるしとねを覗き込んでいいとは思えぬがな」

「大公爵がそう申されたのですか?」ガーランドは不満顔だ。

「いや、わたしの個人的見解だ。だがどうだ、警護役人、おまえもそうは思わぬか」

「残念ながら自分には、人の心を読む〝斎奇力さいきりょく〟は授かっておりませぬ。大公爵の、ただ口から発せられた肉声を、我が耳が聞き、我が大脳がそれを理解し、我が心が従うのみであります。悪鬼めいた能力は、凡俗の徒には余るもの。寄ってないほうが幸いというもので──」

 その言い様にキュマイソンの表情は硬くなる。

 

 いや、わたしの顔色も厳しくなる。


 !、!!、!!!……と、どんだけびっくりマークを並べればよいのだ!

 たった、今、お、ま、え、は〝斎奇力〟と口、に、せ、な、ん、だ、か? 

 言ったよな、あったりまえのように、へー然と言ったよな。


 わたしはワナワナと震えた手で、ガーランドを問い詰めようとしたが、そんなものを蹴散らすように、キュマイソンは立て続けに言いくさった。 


「ガーランドよ、仔馬の鞭を撃つ者よ、斎奇力人をそしるような口を叩くではない。畏れ多くも欽定異種進化論きんていいしゅしんかろんニイワク〝現世人類ノ本来ノ能力ハ 授カリモノデアル。斎奇力ノ者ノ ナシエタル事象ガ、常状人じょじょにんニハ能あたがワズトモ、同ジ人ナり〟とある。事象というものは、いつもこちらに表だけをさらしているものだ。それがなんであるのか深慮するのだな。もし、おまえが文言どおりにしか生きられないゲスであれば、面倒が重なるばかりぞ。いっそ尊寝室の外で、二人して待たれるがよい。ヤ=ジウマ殿の身の安全を、貴公がその両眼で見守るには、それが最良策だと、わたしは思うがな、へっへへへ」


 だーんっ。な、な、なんとしたことだ! 二人の対話を傍聞はたぎきしていて、わたしは脳天から痺れ、足は震えやがるではないか。こいつら、いともあけすけに「斎奇力、斎奇力」と口にしゃあがるではないかーー! この国では、それは禁句ではなかったのか! 我が祖国は亜流津馬津国あるつまーじでは廷臣公位に就くお歴々が、軽々と口にすべき言葉ではなかったはず。それがどうしたことだ。あれほど国元を立つときには、「斎奇力」なる言葉は禍言ままごとだと強く戒いましめられた、そのはずだのに、なんとなんと、これは由々しきことぞ!。

 

 わたしの脚が、いつまでもぷるぷると震えておるのは、ただ老齢からきたものか、あるいは驚嘆の震顫しんせんというものなのか──。


 だが、ガーランドの薄らバカらは、ちぃーっともわかっておらんらしい。こんなときに痴話喧嘩ときた。


「ゲスとはまた酷い言い様ですね。せめて常状人ぐらいにしてください。これでも廷臣六位なんですからね」


 言いつつ、へてらへてらと苦笑いで、頭をガシガシ掻いておるわ。


 わたしは吐き気がするほど高鳴る動悸をこらえつつ、バカ面のキュマイソンを睨んでやった。おまえら、ちょっと待て。ちょっと待てって。その〝斎奇力〟についてな、わたしは尋ねたいのじゃぞ……。


 するとキュマイソンは、そこでたっぷりと溜息を吐き、完全にわたしをシカトして、ガーランドに凄んで見せ、

「……おまえとは一度ゆっくりと膝を交えて話したいものだな。さして名立たる武勲のひとつもあげられぬおまえごときが、いかにして廷臣補六位の地位を授かることができるのか、そこらへんの社会の秩序とかいうものを解義してもらいたい──ものだぜ」


 だがガーランドはとりあわない。鉛色に濁ったわたしの表情に、何やら不穏なものを嗅ぎとったようで、キュマイソンを完無視して、こちらには険しい顔をして見せた。


 なるほど、なるほど──!!そ、そうだ、そのとおり!わたしは王蟲おうむのように、何度も、何度も、うなずいてやった。そして開口一番、


「ワタシハ スベテガ 見タイノダ!」 


 するとガーランドが、コクリとうなずき返答してくれた。わかってくれた! 

 間髪を容れずに、わたしもうなずいた。

 そして今度は、キュマイソンにもうなずいて見せた。

 刻々コクコクと三人は、無言で、互いにうなずき回すのであった。

 

 だが、まだまだガーランドはあきらめない。しぶーい声でこう言った。


「……部屋の外で待っていろとおっしゃるが、ヤ=ジウマ殿は国賓でありますれば、蚊帳かやの用意は必須。別途調達せねばなりますまいて。ここで蚊帳の用意ができる兵站部へいたんぶは、大河ヨースコウの北辰部に二拠点あるのみです。いまさら早馬の準備を命ずるぐらいなら、いっそヤ=ジウマ殿の尊寝室の内覧を、お認めなさればよろしいのでは」


 すると、ぶそっとキュマイソンは鼻で返事をしてから、


「好きにするがいい」


 と言い捨てて、ついで隊列に掛け声を発した。


 だが、ガーランドの性格は粘いこと粘いこと、キュマイソンの背中に向かって、またまたしつこく、


「お待ちを! それと、わたしは廷臣真正六位です。『補』ではありませぬ。そのうえ烈族の准六位とは一線を画す貴人まれびとの生まれであって──」


 とその後も、べたべたとつづけようとしたが、


「やーやどーっ、凸トッ! 凸トッ、ウ覇ハッ──!」 


 まるで鋼の一閃のごとき、キュマイソンの喊声号令かんせいごうれいが、ガーランドの声を掻き消した。ビリっビリっと鼓膜が残響で震えたな。此奴こやつならば、雄叫びだけで土壁を穿うがち、兵士の首をもへし折るであろうぞ。それほど気が昂じているとわたしは見たな。それはすなわち、宮廷内が異様な凶事にめ尽くされていることを表しているのであろうぞ。ならばその凶事とは如何様なものなのか。なにやら背筋がぴりりっと粟立あわだつわ。

    

            ※ ※

 

 その尊寝室は、その名のとおり大公爵夫妻の寝室なのだが、ここ数日来、大公爵は太后妃と独り離れ、別室にてやすまれておる、ということだ。不仲でもなんでもない。太后妃がお世継ぎをご出産なされたからだ。ちょうどわたしがこの国に招致される直前だったと思う。ゆえに太后妃には拝顔の機会も未だなく、当然ながらお世継ぎの性別さえ不確かである。いずれにしても、狼藉のあった尊寝室には太后妃とお世継ぎがいらしたのだから、これは大事ではなくて事であろう。

 

 それにしてもだ、こんな火急の凶事をまえに、わたしのことなどほうっておけばよさそうなものなのに、ずいぶんと悠長な近衛兵室長もいたものだ。


 ──などと心中でつぶやきつつ、苦々しい面持ちで隊列の後をついていくと、ガーランドがそれを察したか、小声で言い寄ってきた。


「ご心配には及びませんよ。室長はすでに事態の収拾をつけているはずです。医療部の専医団のもとから呼子よびこが返ってきましたからね」

「あ、あの呼子が?」


 それは甲高く、まるで夜鷹が舞い降りて、そこいらを旋回したような音色だったな。応じて今度はヒキガエルの絶叫が廊下を這って行くではないか。まるで音そのものが生きているようで、なんとも無気味な呼子があったものだ。我が好奇心の小鬼が油断なく耳を澄ませておるが、小鬼のやつ、まったき、さっぱり、意味不明だとぼやいておるな。


 するとガーランドが尋ねもしないのに、えらそうに説明してきた。


「これはですね、一つの音韻おんいんに数十もの示達じたつや諜報素を含ませてあるとか。上級者ともなると数十、いや幾百もの情報が聞き取れるとも申します。どうやらこの近衛兵ものたちは、宮廷内の探索に組織された精鋭部隊のようですよ」


「そんな神業を?さては、邸内だけでも斎奇力の封印……あ、いや、封緘ふうかんは解かれているのでしょうかな? 常状人の成せる伎技ぎぎともおもえませぬが」


 わたしは鎌をかけて、さも口がすべったふりして言ってやったな。そのときのガーランドの表情が見ものぢゃったわ。目をパチクリして、じぃぃぃっとこの爺ィィィを凝視してけつかるのだ。


 なぜなら、そのときのわたしの双眸は、水晶のごとくキンラキンラと輝き、◯は処女のようにのぼせておったからだな。よいか、世界には謎というものが、三大だの七大だのとよくいうが、この〝斎奇力〟こそは別格の格別。【神】のより謎深いのだ。わたしは東奥神国雅我国とうおうしんこくがっがくを探訪し、最終的にこの謎の一端でも解明できれば、それだけでも本望だと思っておった。死んでも良いと考えておった。それがなんと! 物語が始まってまだ数ページもすすまぬうちに御開陳とは!

 僥倖ぎょうこうが腕組んで、足並みそろえてやってきた感じぞ、それも乱舞しながらなっ。


 いやいや、せっかくであるから、この場を借りて読者の方々には、この〝斎奇力〟について、アラタメテ、弁じようではありませんか。


 えー、よいか、この斎奇力こそは、我が祖国 阿留津馬津あるつまるつでなくとも、隣国はみな興味津々、好奇満々なのだ。なにせ、遠き昔より幾星霜、人類史に幾度も出現していた、おぞましくも忌まわしい破局的出来事カタストロフィは、すべてがこの斎奇力が発端となっていることをご存知であろう。酸鼻を極めた数度もの大戦乱は、端的にいって、神鬼たる斎奇力人と一般民の常状人との戦さと言っても過言ではあるまい。この世に終焉のとばりが今にも下りてきそうな、どえらい戦乱こそ、神も恐れる斎奇力人による終焉末路への狂瀾怒濤きょうらんどとうだったのだぁ。


 だがしかし、世界は未だに存続している──?


 そう。わたしのような、チンケで間抜けな老頭児ろうとるも、ふらふらと国外で仕事にありつけるほど世界は安泰であるのだ。おかしいだろう。何故だと思うだろう。それは実に簡潔明瞭、しかもシンプルな答えがあるのだ。彼ら斎奇力者は、こつ然と霧雲のごとく消えてしまったのだよ。さながら世界終焉劇を演じていた悲劇の立役者が、舞台から飛び降りたか飛び立ったか、世界の果ての壁を突き抜けたか、消滅したのだよ。


 不思議であろう? おかしかろう? 笑っちゃうだろう! 学者どもは、この現象を〝斎奇力封緘現象〟と命名せずにはおられんかった。誰にも命名権など与えておらんくせにな。幾ばくか胡散臭い気はするが、各国の気鋭学者どもが連立学会を興し、売名行為であろうが、実態調査に乗り出したのだ。しかしな、数年間もの調査も虚しく、まったく字句どおり、斎奇力の痕跡など、世界のどこを探しても跡形もなくなっていたのだ。


 だがな、ひとつだけ、連立学会も認めざるを得ない事実が判明したのであるな。


 この東奥の環状僻村群リング・リングの懐に抱かれるようにある神国雅我国には、永年、祀りごとを束ねてきた大公爵家がある──いま、わたしを招致した貴族家のことだな。この家系からは、代々「封緘宗祀」という呼称を授けられし賓まれびとがあらせられるというのだ。あまりの僻地で、隠れるように存在している雅我国であるから、「封緘宗祀」などといった大それた呼称など、ただの粉飾位ふんしょくいだと古典学派は決めつけておるが、どうしてどうして、祖国、阿留津馬津国で秘録筆記者を十五代も続けている我がヤ=ジウマ家の記録簿にもあるのが発見されたのだよ。ちゃんと、書かれておったのだよ。


 それは初代ヤ=ジウマが認したためはじめてから、千と百と七十と八年。

 しっかと「封緘宗祀」の存在が遺っていたのだよ。歓喜! 歓喜! これを歓喜と呼ばずしてなんという! 


 そのまれびとが実在しておったとは──!

 おお、神代の息吹を再び。安寧と地獄は繰り返される運命にあるのか……。

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