第2話 斎奇力──って? なによ
廊下は生まれたての喧噪でトゲトゲしていたな。わたしは迎賓館の東棟に個室を宛てがわれていたが、東西南北に走る、白樺の大廊下──命名の由来は不明、もしかしたら、壁面に白樺が描かれていたのかもしれない──が交差する中央回廊では、もう近衛兵たちの隊列が物々しくできあがるところだった。
「賊の侵入の確認はまだなのか!」
隊列が点呼していくさなか、指揮官のやたらと甲高い声が、背後からわたしたちを追いかけてきた。だが、その間合いとか抑揚とか、どこか嘘くさい。それともたんなる先天的二枚舌なのか、
「ガーランド! おまえ、ヤ=ジウマ殿をどうするつもりなのだ」
さすがにきらいなキュマイソンだけあって、声もダミ声であった。
問われて、わたしとガーランドは立ち止まった。
振り向くと、キュマイソンは糞でもしたいのか、全身をワナワナと震わせておった。きっとこの大事の緊迫感を全身で表すのに懸命なのだろう。自己承認みえみえの、やっぱし、いやーな
でもって、呼び捨てられたガーランドは、今でこそ廷臣六位の警護役人ではあるが、元は近衛兵室付属の身、室長のキュマイソンとは……離別恋人のような
このわずかな間も、伝令士官の吹き鳴らす呼子が、幾度も廊下を行き来しておった。
彼ら近衛兵たちが
しばらしてから、だしぬけにガーランドがしゃべりだした。
「ああっと、室長殿! さっきの質問ですが、お答えします──」答えって、どの質問ことだ?「──すべからく
「不可分とは宗教上の
「大公爵がそう申されたのですか?」ガーランドは不満顔だ。
「いや、わたしの個人的見解だ。だがどうだ、警護役人、おまえもそうは思わぬか」
「残念ながら自分には、人の心を読む〝
その言い様にキュマイソンの表情は硬くなる。
いや、わたしの顔色も厳しくなる。
!、!!、!!!……と、どんだけびっくりマークを並べればよいのだ!
たった、今、お、ま、え、は〝斎奇力〟と口、に、せ、な、ん、だ、か?
言ったよな、あったりまえのように、へー然と言ったよな。
わたしはワナワナと震えた手で、ガーランドを問い詰めようとしたが、そんなものを蹴散らすように、キュマイソンは立て続けに言いくさった。
「ガーランドよ、仔馬の鞭を撃つ者よ、斎奇力人を
だーんっ。な、な、なんとしたことだ! 二人の対話を
わたしの脚が、いつまでもぷるぷると震えておるのは、ただ老齢からきたものか、あるいは驚嘆の
だが、ガーランドの薄らバカらは、ちぃーっともわかっておらんらしい。こんなときに痴話喧嘩ときた。
「ゲスとはまた酷い言い様ですね。せめて常状人ぐらいにしてください。これでも廷臣六位なんですからね」
言いつつ、へてらへてらと苦笑いで、頭をガシガシ掻いておるわ。
わたしは吐き気がするほど高鳴る動悸をこらえつつ、バカ面のキュマイソンを睨んでやった。おまえら、ちょっと待て。ちょっと待てって。その〝斎奇力〟についてな、わたしは尋ねたいのじゃぞ……。
するとキュマイソンは、そこでたっぷりと溜息を吐き、完全にわたしをシカトして、ガーランドに凄んで見せ、
「……おまえとは一度ゆっくりと膝を交えて話したいものだな。さして名立たる武勲のひとつもあげられぬおまえごときが、いかにして廷臣補六位の地位を授かることができるのか、そこらへんの社会の秩序とかいうものを解義してもらいたい──ものだぜ」
だがガーランドはとりあわない。鉛色に濁ったわたしの表情に、何やら不穏なものを嗅ぎとったようで、キュマイソンを完無視して、こちらには険しい顔をして見せた。
なるほど、なるほど──!!そ、そうだ、そのとおり!わたしは
「ワタシハ スベテガ 見タイノダ!」
するとガーランドが、コクリとうなずき返答してくれた。わかってくれた!
間髪を容れずに、わたしもうなずいた。
そして今度は、キュマイソンにもうなずいて見せた。
刻々コクコクと三人は、無言で、互いにうなずき回すのであった。
だが、まだまだガーランドはあきらめない。しぶーい声でこう言った。
「……部屋の外で待っていろとおっしゃるが、ヤ=ジウマ殿は国賓でありますれば、
すると、ぶそっとキュマイソンは鼻で返事をしてから、
「好きにするがいい」
と言い捨てて、ついで隊列に掛け声を発した。
だが、ガーランドの性格は粘いこと粘いこと、キュマイソンの背中に向かって、またまたしつこく、
「お待ちを! それと、わたしは廷臣真正六位です。『補』ではありませぬ。そのうえ烈族の准六位とは一線を画す
とその後も、べたべたとつづけようとしたが、
「やーやどーっ、凸トッ! 凸トッ、ウ覇ハッ──!」
まるで鋼の一閃のごとき、キュマイソンの
※ ※
その尊寝室は、その名のとおり大公爵夫妻の寝室なのだが、ここ数日来、大公爵は太后妃と独り離れ、別室にてやすまれておる、ということだ。不仲でもなんでもない。太后妃がお世継ぎをご出産なされたからだ。ちょうどわたしがこの国に招致される直前だったと思う。ゆえに太后妃には拝顔の機会も未だなく、当然ながらお世継ぎの性別さえ不確かである。いずれにしても、狼藉のあった尊寝室には太后妃とお世継ぎがいらしたのだから、これは大事ではなくて大大事であろう。
それにしてもだ、こんな火急の凶事をまえに、わたしのことなど
──などと心中でつぶやきつつ、苦々しい面持ちで隊列の後をついていくと、ガーランドがそれを察したか、小声で言い寄ってきた。
「ご心配には及びませんよ。室長はすでに事態の収拾をつけているはずです。医療部の専医団のもとから
「あ、あの呼子が?」
それは甲高く、まるで夜鷹が舞い降りて、そこいらを旋回したような音色だったな。応じて今度はヒキガエルの絶叫が廊下を這って行くではないか。まるで音そのものが生きているようで、なんとも無気味な呼子があったものだ。我が好奇心の小鬼が油断なく耳を澄ませておるが、小鬼のやつ、まったき、さっぱり、意味不明だとぼやいておるな。
するとガーランドが尋ねもしないのに、えらそうに説明してきた。
「これはですね、一つの音韻おんいんに数十もの示達じたつや諜報素を含ませてあるとか。上級者ともなると数十、いや幾百もの情報が聞き取れるとも申します。どうやらこの近衛兵ものたちは、宮廷内の探索に組織された精鋭部隊のようですよ」
「そんな神業を?さては、邸内だけでも斎奇力の封印……あ、いや、
わたしは鎌をかけて、さも口がすべったふりして言ってやったな。そのときのガーランドの表情が見ものぢゃったわ。目をパチクリして、じぃぃぃっとこの爺ィィィを凝視してけつかるのだ。
なぜなら、そのときのわたしの双眸は、水晶のごとくキンラキンラと輝き、◯は処女のようにのぼせておったからだな。よいか、世界には謎というものが、三大だの七大だのとよくいうが、この〝斎奇力〟こそは別格の格別。【神】の構成物質より謎深いのだ。わたしは
いやいや、せっかくであるから、この場を借りて読者の方々には、この〝斎奇力〟について、アラタメテ、弁じようではありませんか。
えー、よいか、この斎奇力こそは、我が祖国
だがしかし、世界は未だに存続している──?
そう。わたしのような、チンケで間抜けな
不思議であろう? おかしかろう? 笑っちゃうだろう! 学者どもは、この現象を〝斎奇力封緘現象〟と命名せずにはおられんかった。誰にも命名権など与えておらんくせにな。幾ばくか胡散臭い気はするが、各国の気鋭学者どもが連立学会を興し、売名行為であろうが、実態調査に乗り出したのだ。しかしな、数年間もの調査も虚しく、まったく字句どおり、斎奇力の痕跡など、世界のどこを探しても跡形もなくなっていたのだ。
だがな、ひとつだけ、連立学会も認めざるを得ない事実が判明したのであるな。
この東奥の環状僻村群リング・リングの懐に抱かれるようにある神国雅我国には、永年、祀りごとを束ねてきた大公爵家がある──いま、わたしを招致した貴族家のことだな。この家系からは、代々「封緘宗祀」という呼称を授けられし賓まれびとがあらせられるというのだ。あまりの僻地で、隠れるように存在している雅我国であるから、「封緘宗祀」などといった大それた呼称など、ただの
それは初代ヤ=ジウマが認したためはじめてから、千と百と七十と八年。
しっかと「封緘宗祀」の存在が遺っていたのだよ。歓喜! 歓喜! これを歓喜と呼ばずしてなんという!
その
おお、神代の息吹を再び。安寧と地獄は繰り返される運命にあるのか……。
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