第2話 出会い
王宮で国王陛下に挨拶した後、私は中庭のオープンスペースで王太子と二人きりでお茶をすることになったが、彼は私の正面に座り黙って俯いている。
私が「良い天気ですね」とか「ご趣味は?」とか当たり障りのない話題を振っても、彼は何も答えず、ただ俯いているだけだった。
手持ち無沙汰の私は目の前の焼き菓子を頬張った。さすがに王宮。美味しい!
「殿下。美味しいですよ。殿下も召し上がったらいかがですか?」
試しに声を掛けてみると、途端に真っ蒼な顔になった。
「……あっ……いや、僕は……いらない」
明らかに栄養失調なのに、なんで食べないんだろう?
「でも、何か召し上がった方が宜しいですよ。お腹空いていらっしゃるんじゃありませんか?」
「い、いや……あ……いやお腹は空いていない」
そう言った瞬間に、彼のお腹がぐぐぅ~と鳴った。王太子の顔が真っ赤に染まる。
ほら、やっぱりお腹空いているのに。なんで食べないんだろう?
「……毒が……入っているかもしれないから……」
消え入るような小さな声で呟いた王太子は、顔を赤くしたまま深く項垂れた。
毒!?
驚いたが、王妃が王太子を排除しようと企んでいる噂は聞いたことがある。まさか子供相手に毒まで使うとは思っていなかったが……。
もしかしたら、こんなに痩せているのは毒が怖くて王宮で食事が出来ないから?!
そう考えたら猛烈に腹が立ってきた。
「……安全な食べ物が分からないから……毒で何度も死にそうになった。苦しくて……怖くて……」
小さな声でボソボソ話す王太子が可哀想でならなかった。
私は近くにあった焼き菓子を半分に割って、片方をむしゃむしゃと食べた。
「殿下、これは大丈夫そうですよ。もう片方をお召し上がりください」
差し出すと、王太子の目がまん丸に見開かれた。
彼は震える指で半分になった焼き菓子を受け取ると貪るように食べる。
良かった、食べてくれた。
話を聞くと、王妃は毒見役や王太子の侍従も追い出して、彼を孤立させているという。国王は多忙で王宮を留守にすることが多く、王子たちの処遇は完全に王妃に任されているらしい。
さすがに公爵令嬢を招いたお茶会で毒を入れることはないだろう、と思いつつも、残りのお菓子も全部半分に割って、一緒に食べた。王太子の瞳に微かに光が戻ってきたような気がする。
そうだよね。空腹はとにかく辛い。
王太子の食事には頻繁に毒が入っているので、毒を覚悟して食べるか、食べずに飢え死にするかしかない状態まで切羽詰まっているという。
「殿下、国王陛下に毒のことをお伝えした方が宜しいと思いますが……」
しかし、王太子は必死で首を横に振った。頼むから誰にも言わないで欲しいと懇願されて、私は戸惑った。
どうやら国王は強い息子が欲しかったらしく、王太子は父親が自分に失望していることを深く気に病んでいた。国王は王妃のことをまるで疑っていないし、毒のことも神経質だと一喝されるのが関の山だとブルブル震えているのを見て、強制することは出来ない。
「殿下、私は自邸で料理をすることが多いのです。私が作ったお料理なら毒の心配はありません。宜しければ、明日から毎日お食事をお届けしましょうか? 私が全部作って、お届けするのも責任をもって行いますから、毒の心配はありません」
余計なお世話とは思ったけど、まだ10歳の子供がこんな状況にあるのは許せない。
王太子は私の言葉を聞いて、心底驚いたようだった。
「なん……で、そんなことまでしてくれるの?」
「だって! 殿下はこのままだと死んでしまいます。そんな殿下を放っておけるわけないじゃありませんか!」
王太子の切れ長の瞳から涙がポロポロと溢れる。
「……あ、ありがとう……」
そう言いながら泣く王太子が気の毒で思わず椅子から立ち上がり、彼に近づいた。
驚いたのか、王太子が体の向きを変えた時に彼が痛そうに表情を歪めたことに気がついた。
「殿下……どこかお怪我なさっているのではありませんか?」
王太子の顔を覗き込むと、彼は瞬き一つせずに私の顔を見つめている。
「殿下……?」
「い、いや……すまない。つい……見惚れて……」
「はい?」
「なななんでもない!」
「それより殿下。どこか痛むところはおありではないですか?」
重ねて尋ねると、王太子は渋々ながら、足が痛むとズボンを捲って見せてくれた。足の脛とふくらはぎに大きな赤黒い痣が出来ている。誰かに暴行されているんだ……。子供相手になんてひどい。王宮の侍医も王妃に脅されて王太子の怪我の治療はしてくれないそうだ。
「殿下。少しじっとしていて下さいね」
幼い頃から治癒魔法を練習してきた。魔法の中でも一番役に立ちそうだったので、お父さまに頼んで治癒魔法の家庭教師をお願いしたこともある。おかげで、屋敷の使用人が怪我をした時には私が治癒魔法で直すのが習慣になっている。
私が手をかざすと、手から発せられる青白い光の粒子が怪我をしている部分に吸い込まれていく。ひんやりしてとても気持ちいいとマリアが言っていたけど、王太子はどうだろう?
痣はみるみる治り、王太子は驚きで声も出ないようだった。
「君は……すごいね……」
「殿下! それより、殿下には護衛騎士が必要です! 王太子殿下にこのような狼藉を働く者がこの王宮にいるなんて信じられません! どうか国王陛下にお話しになって下さい!」
私の剣幕に恐れ慄いた王太子から事情を聞くと、なんと彼に乱暴しているのは第二王子だという。異母兄弟の弟だが、体が大きくて粗暴らしい。だから、目撃者がいても誰も助けてくれない。国王は『自分の身は自分で守れるくらい強くなれ』というのが口癖だから、護衛騎士をつけて欲しいなどと言ったら、益々失望させてしまう。
「……情けないよね。弱虫だし、きっと君も僕に失望しただろう。こんな僕には生きる価値がないし、誰からも嫌われる邪魔者だから消えてしまいたいと思うこともあるんだ」
ああ、この子は相沢さんと一緒だ。自分には価値がないと思い込んでいる。絶対にそんなことないのに。子供にこんな台詞を言わせちゃいけない。
「殿下。国王陛下にお話しになる時に、護衛ではなくて、剣術を教えてくれる騎士をつけて欲しいと仰って下さい。常に一緒に行動して、騎士のように強くなりたいと仰れば、国王陛下も喜んで騎士をつけてくださるのではないでしょうか?」
王太子は私の言葉を聞いて、考え込んだ。
「それから、王太子殿下はとても勇敢でご立派な方だと思います。こんな過酷な状況でよく頑張ってこられました。無抵抗な人間に乱暴を働くのは、絶対に悪いことです。殿下には何一つ非はありません。乱暴する方が100%悪いんです。ですから、ご自身を卑下する必要などありません。それから、命の危険を感じたらまず逃げて下さい。逃げることは弱いことでも卑怯な行為でもありません。生存本能に忠実に、危機が迫った時に適切に逃げることは勇敢な行為です。できることがあれば、私もお手伝いいたします。ですから、危険が迫った時に逃げることを躊躇しないで下さい」
「逃げることが……勇敢? ……立派?」
王太子は私の言葉を熟考しているようだった。
私は自分の椅子に戻り、冷たくなった紅茶を一口飲んだ。彼は黙って考え込んでいる。
あれ……言い過ぎちゃったかな?
気まずいな、と思っていたら、王太子が私の方を見て微笑んだ。
うぉ! 元々美形だけに笑顔が眩しい。
初めて見る明るい表情に私も嬉しくて笑顔になった。
何故か顔を赤らめた王太子が私を熱心に見つめる。
「あの……君の名前はソフィア・ブロンテ公爵令嬢だよね? ソフィアって呼んでいい? 僕のことはレオって呼んでくれる?殿下って堅苦しいからさ」
「はい!」
私は大きく頷いた。
「それで、明日から毎日食事を届けてくれるんだよね? ソフィアが王宮に自由に出入りできるように父上にお願いしておくから。本当に大丈夫?」
ああ、そうだ。食事ね。私は前世でも料理は好きだったし、今世でも屋敷の厨房で料理人たちと一緒に料理をするのが趣味だ。
「喜んで!」
張り切って返事をすると、レオが楽しそうに笑い声をたてた。
*****
私は両親と一緒に王宮に来たけれど、彼らはまだ用事があるとかで、私は一人で自邸に戻った。勿論、護衛騎士は一緒だけど。
公爵令嬢の私にも護衛騎士は常に付いている。レオとお茶している時もちゃんと遠巻きに護衛してくれていた。王太子が護衛騎士もなく放置されて、栄養失調になるまで追い込まれたり、身体的に怪我を負わされたりしているなんて誰が想像できるだろうか?
確か、ゲームではそんな過酷な状況で育ってきた王太子レオの心の傷をヒロインが癒すという展開だった記憶がある。もしかしたらヒロインの邪魔をしてしまうのかもしれないが、あんな状態じゃあと5年なんて持たないよ。
ゲームの展開的に私がレオと婚約する可能性があるのかもしれないけど、話し合いで穏やかに解決することができるかもしれない。レオは話が分かりそうな人だったし。うん。
お父さまとお母さまは王宮から戻って来ると、私を抱き上げて嬉しそうにはしゃいでいた。
どうやら私が毎日王宮に通うことがレオから国王に伝えられ、それが何か誤解を招いたらしい。
……うーむ。やはりこれは婚約路線かな~。
でも、レオときちんとコミュニケーションを取っておけば、たとえ婚約したとしても断罪・処刑ルートは避けられる……と信じよう。私はいつでも婚約破棄を喜んで受け入れる、と強調しなくては。うん。
私は早速厨房に入り、料理長と一緒にレオの食事を話し合う。
両親には詳しいことは伝えず、私の手料理に興味があると言って貰えたので、食事をお届けすることになった、と言うに留めておいた。
料理長にはもう少し詳しい事情を説明した。彼は正義感が強く、子供も二人いる。10歳の王太子が毒殺されかかっていて、碌な食事も出来ていないことを伝えると、わなわなと怒りに身を震わせていた。
絶対に美味しいものをレオに食べさせて、肥えさせよう!という私達の情熱が一致した。
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