第43夜

 颯爽と現れたレイニアの奇襲はルクシィには届かなかった。

 側頭部を吹き飛ばす一撃は寸前で軌道が逸れた。時計塔での戦闘を彷彿させるいなし方。あの時と異なり、今回は肌を掠めることすらできなかった。


「ちょっとー、やめてよね。また頭を吹き飛ばされたらたまったもんじゃないわよ」

「魔女ってのは頭を吹き飛ばせばちゃんと死ぬのか? 良いこと聞けたぜ」


 その未来を視ていたレイニアはあえて発砲したのだ。耳をつんざく音は否が応でも注意を惹く。ヴェルディは落下しながら肉体を修復していった。


「むっかつくなぁ。……あぁ、そういえばあんたの眼には興味あったんだよね」


 ルクシィが人差し指を自分の方へ動かす。入れ替わるようにレイニアの体が持ち上がり、混沌の女王へ献上される。


「ちょっ、なんだよこれ!」

「レイニア!」


 ヴェルディは反射的に鎖を伸ばし、レイニアの足へ絡める。見えない手と見える鎖に引っ張られるレイニアの顔に苦悶の色が生じた。

 不安定の姿勢のままライフルを発砲して抵抗するも、銃弾は魔女の傍を通り過ぎていった。


「その眼、ちょうだい? 未来が視える眼なんてあたし持ってないから」


 顔色一つ変えずに眼球を入れ替えると宣う魔女を睨みながらヴェルディは思考を巡らせた。このままではレイニアの足が引きちぎれる。

 自分はどうやって得体のしれない浮遊感を克服したか。


 それを思い出したヴェルディはレイニアの頭上を薄い壁で覆った。簡単に壊されそうな血の膜が魔女の姿を遮った途端、レイニアの体が真っ逆さまに落ちていく。

 鎖で一気に引き寄せ受け止めると、ヴェルディの頭上で薄壁が砕け散った。


「平気か?」

「あと少しで足が千切れるとこでしたよ」

「お前が体を張ってくれたおかげでわかったよ。遮蔽物に身を隠せばあの摩訶不思議な引力から逃げられる」

「お役に立てたならなによりっすよ」

「ああ、最高に感謝してるよ」

「なんすか急に。ヴェルディさんがそんなこと言うとか明日は雨……。あぁ! だからこんななんすね」


 トンネルのような空洞を急造したヴェルディはレイニアを引っ張って中へ飛び込んだ。

 二人の背中では次々とトンネルが崩壊し、ヴェルディは走りながら拡張を続けていく。


「前からも来ますよ!」


 レイニアが数秒後の未来を告げる。

 ヴェルディは進路を二つに増やして行き先を変えた。


「やっぱりお前の眼は便利だな」

「都合のいい女みたいな扱いやめてくれません?」


 そこからは進路を三つ四つと増やしながら霍乱と逃走を続ける二人。

 上空にいるルクシィからすれば粗悪な迷路が成長し続けているように見えるだろう。


「ここに来るまでにキオから聞いたっすよ。屋敷の方は片付いたって」

「なら、あとは魔女をどうにかすればいいだけか」

「一応確認なんすけど、あれ、元々はユリアリスなんすよね?」

「ああ」

「大胆なイメチェンっすね」

「ユリアの方が万倍も美人だがな」

「こんな状況で惚気るのやめてくれません?」


 レイニアの未来視で常に安全な道を選びながらヴェルディはこれまでの戦闘で得た情報を伝えた。

 埋め込まれた心臓。ズインたちの死。魔力。魔素。自分たちの眼を通じてこの世界を見ていたこと。


「じゃあ逃げるのやめてちゃちゃっと心臓ぶち抜きましょうよ」

「あの磁石みたいな技で引き寄せられたら骨にされるぞ」

「でもあいつ、あたしが攻撃した途端ヴェルディさんのこと野放しにしたじゃないっすか。同時に二人以上は無理なんじゃないっすか?」

「……視界の外にいる人間は対象外ということか。いまこうして隠れているみたいに」


 ズインと一緒に殺された研究者たちは同じ場所に固まっていた。魔女が彼ら全員を能力の対象とできたのは、一人残らず視野に収めていたからなのかもしれないと推測するヴェルディ。


「じゃあ決まりっすね。なるべく距離を取って交互に仕掛けましょうよ。あのデッカイ柱を並べてくれればあたしは隠れられますし」

「本当にお前の眼は便利だな」

「そこは心強いって言ってくれると嬉しいんすけどね」

「ただ……心臓を引き抜けばユリアが助かるという確証はない」


 魔女の反応からして、決して間違った線ではないはず。

 それでも不安を払拭しきれない。もしそれで、ダメだったらと思うと。


「それでもやるしかないっすよ。忘れたんすか? あたしらは優しい優しいお嬢様から依頼を受けてここに来てんすから」

「…………」


 ――「ううん、なんでもない。……ヴェルディ。約束して。ユリアリスをあたしのところに連れてきなさい。絶対に。首にリードをつけてでもね!」


 この道を切り開いてくれた友人の声を思い出す。

 そうだ、これは依頼だ。考えるべきは、目的を達成するための方法だけ。

 いつも通りに。


「そうだな。連れていかないとなんて言われるかわかったもんじゃない」

「あたしは怒られたくないんで、大マジメにやりますよ」


 未来視という能力もそうだが、いかなる場面でもブレない自我こそがレイニアの最大の武器なのかもしれない。ヴェルディは息を切らしながらぼんやりと思った。


「お前の眼には私の未来も視えるんだよな?」

「うぃっす」

「なら、提案がある」

「聞くっすよ」


 あちらこちらで迷路の崩落が連続する。

 眷属への絶対命令と未来視。その二つを掛け合わせた、分の悪い賭け。

 レイニアはすぐには首肯しなかった。


「あたしの責任重すぎ……ってか、台本のない即興劇じゃないっすか」

「魔女が人間の台本通りに動くわけないだろう」

「えー、んー、う~~ん……」

「やるしかないんだろう?」


 意地悪く笑いながら問いかけるヴェルディを、レイニアは目を細めて睨んだ。


「マジでそれしかないんすね?」

「ああ。お前が来てくれたおかげで思いついた、私なりの作戦だ。他にあるなら聞くぞ?」

「……じゃあ約束っす。絶対に死なないこと」

「それはお互い様だろ。どちらかやられたらその時点で負けだ」


 二人は足を止めた。もう迷路が道を伸ばすことはない。

 互いに背中を向け、言葉もなく駆け出そうとした――

 足の裏から伝わる異様な地鳴りが二人を止めた。


「なんだ?」


 しゃがみこんだヴェルディは足元から根が飛び出てくるのではないかと警戒した。しかしレイニアが警告を発することはなく、体を突き上げられるような震動は勢いを増していく一方だ。

 奇妙な浮遊感を味わった二人だからこそ、共通の直感を抱いた。

 手足の自由はそのままに、しかし胃袋や背骨が浮いているような気持ち悪さ。

 視界の痙攣が止まらない。


「これ、まさか……」


  ◇


「おいおい、まじかよ……」


 ルクシィがスィル=クリムにもたらした変化は誰にでも等しく観測できた。

 キオだけでなく、ウィズダム邸にいる者たちにすらも届く地鳴り。

 隆起する崖は天然の牙城。ヴェルディが時計塔上空に展開した真っ赤な血の森にひけをとらないほど、その貫禄は国中に、周辺諸国に轟いた。


「地面が隆起してる……それにあれ、いったいどれだけの高さなんだ?」

「キオ、二人はあの上にいるんだな?」

「ああ、間違いねえ。魔女がなんか愚痴を零して……そしたら、ああなった」


 トンネルの破壊を繰り返したルクシィの魔力は土地に干渉するほどに回復していた。

 このまま続けばその場の気分で山を生み出すことも可能となるのではないか。戦場から拾った会話から推測するキオの口ぶりはどこか疲れていた。


「魔女っていうのはとんでもないね。あれなら世界を滅ぼせるよ」

「私たちの能力の親玉ですからね。常識なんて当てはまらないのでしょう」

「せっかくなら死ぬ前に崖登りとかやってみたいな」

「おや、奇遇ですね。実は私もそう思っていたところです」

「……お前ら、なに話してんだ?」


 観光旅行を企画しているような二人をキオが呆れた顔でみやる。

 ハンナはディルファイアへ振り返った。


「マスター、私たちをあの場に行かせてください。ガルガラなら私を背負って登るくらいはできるはずですから」

「ちょちょ、本気かい? あそこはいまとんでもない状況だよ」とアレックスが割って入る。

「でも、なにもしないで傍観するのも嫌ですよ、アレックス様。ここの仕事は終わりました。同僚の仕事を手伝うのはおかしなことじゃないはずです」

「……キオ、〈ラ・コトン〉は壊滅したとみていいな?」

「おう」

「……。ハンナ、君は私と来なさい。イデアル、車を頼む」

「構わないが、我らが素晴らしきコックは置いてけぼりか?」窓際に佇むイデアルが笑う。

「いいや。ガルガラ、君は後片付けだ。爆破した別棟の撤去を完了させなさい。キオは引き続きここで情報収集を。特に戦場の周辺に人の動きがないか注意しなさい。アレク、今すぐ大統領に連絡を取り、ギダス山地周辺を封鎖するように要請してほしい」

「マスター、なぜ」

「頂上ならともかく、崖登りなどすれば依媒キャタリスという存在を世に周知させてしまう。君たちを守るためだ。戦いが終われば、日常が待っている。わかってくれ、ガルガラ」

「……わかりました。ですが、なぜマスターが現地に?」

「これほどの異常事態だ。外野がでしゃばらないはずがない」


 ディルファイアは弾薬を確認しながら答え、ホルスターに仕舞い立ち上がった。


「特に……タレスの部下が周辺を探っている可能性がある。くれぐれも邪魔はしないよう嘆願しなければな。ヴェルディ達が気兼ねいなく仕事を完遂できるように」


  ◇


「まさか生きている間にこんな景色を見ることになるとは思わなかったわ」


 己の書斎にて、タレスは紅茶の香りを味わいながら窓の外を眺めていた。

 天を突き破る勢いで上昇していた土の塔は動きをやめ、はるか遠くから聞こえていた地響きもない。天変地異の前触れの如き光景の余韻が、いまなお舌の上を転がっている。

 現地を見張る部下から届いた電信に目を通す。内容の一言一句が荒唐無稽な創作小説じみており、自分の優秀な部下は毒キノコでも食べてしまったのではないかと何度も疑った。

 いまや、その毒は文字越しにタレスにまで伝染していた。


「タレス様。たった今、ディルファイア=ウィズダムが邸宅を出発したとのことです」

「もしかして、こちらに?」

「いえ、行き先はギダス山地であると推測されます。それから、大統領命令でギダス山地一帯の封鎖が発表されました」

「……現地の狙撃兵には引き続きそこにいるように伝えてちょうだい」

「かしこまりました」


 洪水のように情報が流れ込んでくる。

 今夜もまた徹夜かしら。時計塔が瓦解したあの夜を思い出すタレスは、ここにはいない者の名を呼んだ。


「もし私を警戒しているのであれば、それは杞憂よ。こんな芸当を為す存在に、人間の技術が通用するわけないじゃない」


「でも、人間って知りたがりなの。そうよね、ディル?」


  ◇


 そこからは、世界のすべてを見渡せる気さえした。自然は緑色と青色、人間が集う場所は赤色や黒色。時計塔レミールリクスが豆粒に映り、スィル=クリムが足元の芝生のよう。

 人生で初めての光景を、しかし呑気に眺める時間はない。


 空前絶後の地形変動があったところで、二人がやることに変わりはなかった。

 ルクシィの狙いは逃げ道を塞ぐことだったが、二人には最初から戦うという選択肢以外残されていない。


 樹林のように乱立する血の円塔の間を一人が駆け抜け、一人が飛び交う。


「ねえ、そろそろ鬼ごっこは終わりにしたいんだけど」


 空を闊歩するルクシィにとっては、ただ景観を悪くするだけの障害物に過ぎない。

 筒状の光が血の柱を貫通する。影から転がり出たヴェルディは別の柱に鎖を伸ばして移動しようとするも、その体は空中で浮いたまま止まった。

 ルクシィの引力と拮抗しているのだ。


「それっ!」


 掛け声と一緒に血の鎖が断ち切れる。鋭い風がヴェルディの髪を撫でた。

 無防備となったヴェルディが風に乗るようにルクシィへ手繰り寄せられる。

 銃声が、二人の間に割り込んだ。


「こっち向けや、阿婆擦れ女!」

「口の悪さだけは一等賞だよ、あんた!」


 銃弾がルクシィの傍を通り過ぎる。ヴェルディを蝕む無重力も消えた。


「私も鬼ごっこには飽きてきたところだ」


 血の剣を飛ばして牽制しつつ、ヴェルディは右腕に纏う鮮血を解き放った。


「ユリアを返してもらうぞ、魔女!」


 たった一つの勝ち筋を掴むために。

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