第42夜

 ルクシィはクルスアイズの瞳を通して権力者どもの醜さを目の当たりにしてきた。

 

 保険としてズインを篭絡することを提案した。実験体の調達を隠密に遂行するための基盤が完成するまでの片手間にそれは終わった。

 己の死肉を植えこんだ人間が全滅する過程に一度は落胆するも、その死んだ人間の肉を別の人間に植えるよう提案したのもルクシィだった。

 死んだ人間の肉は、魔女の死肉が有する魔性を中和しつつ、魔女の特性もわずかに継承していたことに気づいたのだ。

 遺伝子操作ならぬ魔性操作を繰り返して、ヴェルディ達は生まれた。


 クルスアイズ亡き後はヴェルディたちの瞳を通して世界の愚かさを味わった。

 己を神か統率者かと僭称する人間の多いこと多いこと。

 ささいなきっかけで殺し合う人間の多いこと多いこと。

 ルクシィは思い知らされた。飽きるほど。呆れるほど。


 人間は、種としての生まれ変わりをするべきだと決心した。


「……魔女、ね」

「うん。別に信じなくてもいいよ」


 ルクシィが人差し指をくいっと動かす。

 ヴェルディの体は宙を浮いた。


「あんたも死ぬし」

「っ!?」


 磁石のように引き寄せられながら、ヴェルディは咄嗟に血の鎖を床に打ち繋いだ。魔女に触れられれば白骨遺体となってしまう。自分の体を支配する正体不明の浮遊感から離脱すべく、血の剣を放つ。

 六本の剣は敵めがけて突き進んだ。そのすべてが敵の傍を通り抜けた。


「無駄だよ。あんたの攻撃なんて当たらないから」


 ルクシィは一歩も動いていない。まるで剣がすすんで避けたような軌道を描き、壁に突き刺さる。

 その原因を推察するより先にヴェルディの体を繋ぎ止めていた鎖が地面から抜けてしまった。風で浮くのとはまた別種の浮遊感に足をすくわれたまま引き寄せられる。


 行きつく先は完全なる死。

 ルクシィが先ほどやってみせた芸当は、単なる殺害方法ではないとヴェルディは直感していた。

 自分にとってとても馴染み深かったからだ。もっとも、ヴェルディの場合は死体にしか使用できなかったが。


 ヴェルディは前方に壁を出現させた。一か八か、壁に着地できないか試すために。

 二人の間を阻むように壁がそそり立つ。すると、ヴェルディは解放された。

 奇妙な浮遊感はぷつりと途切れ、転がりながら着地する。


「……これは」

「あッ、ちょっと。抵抗しないでよ。手加減は得意じゃないんだからさ」

「随分と余裕だな!」

「そりゃそうでしょ」


 なにかが地面を食い破る轟音が叫喚し、屋根を食い破る。

 大きな気配が暴れ狂い、ソレは血の壁ごとヴェルディを薙ぎ払った。

 受け身も取れず吹き飛ばされ、小屋の壁を貫通して外へ放り出される。


「っ!」


 根。

 それは植物の根っこだった。伝説の海魔クラーケンの触手のごとく巨躯で、地中より伸び続ける全長には終わりがないと思わせるほど。常時うねうねと揺蕩う肥大化した自然の化身。それが身じろぎするだけで小屋が崩壊していく。


 全身の骨や内臓を修復しながら敵の全容を認める。

 身に纏うスーツの装甲を当てにはしない方がいいだろう。


「化け物め……」


 依媒キャタリスは魔女の死肉で死んだ人間の死肉、そのさらに死肉の死肉から生まれた。

 根本的な能力差でいえば勝ち目など無いに等しい。

 真っ黒なインクの塊の中に、究極的に水で薄めた赤いインクを垂らすようなものだ。


「ならこちらも――遠慮しなくていいってわけだ!」


 しかしヴェルディが諦める理由にはならない。

 力強く立ち上がり、右腕に血を纏う。どろどろしい赤黒さが緑の世界で不気味に光を放つ。触手は雄叫びを上げるようにその全身を震わせて小さな敵対者を迎え撃つ。


 常識外れの規格外な化け物を従わせるルクシィへ、右腕を振り下ろす。

 山をも切り崩す質量の鮮血が一刀両断せんと迫り、巨大化した何本もの根が縦横無尽に身を呈して束となる。一本断ち切るごとに鮮血は勢いを失い、やがて霧散した。


「はい、ざんね――」


 嘲笑う魔女に向けて、二発目。

 右腕に再度血を濃縮して解き放った、寸分たがわぬ傷口を抉る赤い三日月。


「ああ、もう、うざったい」


 魔女が人差し指を頭上に掲げる。地面から突き上がるは正方形の土の塔。

 角張った巨体は空を仰ぐような傾斜のまま立ち塞がり、その身の半分を犠牲にした。

 剣の時のように受け流さず、受け止めた。その意味を推し量ろうとしたヴェルディの眼下が、戦慄く。


 咄嗟に足元へ血の盾を造ったヴェルディの体が宙へ飛ばされた。

 根の触手が地中より飛び出し、空を舞うヴェルディを高く打ち上げたのだ。

 第二の触手へ血の十字斬りを繰り出す。紅の刃は根を刻み、地面すら裁断した。

 次にヴェルディは、苦痛に震えた。


「ぐぁっ――」


 光が。腕や足から生え伸びる光の根元から鮮血が零れ落ちる。

 胸、腕、腹、足。杭のような形状の光が突き刺さり、炉の炎に焼かれたような熱がスーツを貫通する。態勢を崩したまま落下して、べちゃりと、肉塊となるヴェルディ。


「血で体を覆うなんて器用だよね。でもそれ気持ち悪くないの? 血の匂いが体にこびりつきそうでイヤだな」


 じくじくとした痛みに脳髄を支配されながら修復に専念するヴェルディは呼吸だけで精いっぱいだった。千切れた足が生え変わるより先に、その身が宙を浮く。


「あんたのことは殺したくないんだよね。栄養が減っちゃうからさ」

「……るな……」


 あっけなく手繰り寄せられ、あっけなく敗北する――


「ユリアの体で、その気色悪い声で喋るなぁッッッ!!!」


 時が凍りついた。

 世界そのものを瞬間冷却したように、ヴェルディの叫びによってすべてが止まった。

 ルクシィの動きも、声も、ヴェルディを包む浮遊感も。


「ッ……! ……。あー、びっくりした。大声出さないでよ」


 数秒後。なんてことはないといった風にルクシィは動き出した。世界も、同様に。


「にしても困ったなぁ。この体、あんたの眷属になってるせいで戦いづらいんだけど」

「……眷属なんかじゃない。その子は友人だ。侮辱するな」

「いや、そういう意味じゃなくてさ。あんた、この体に自分の血を注ぎ込んだでしょ? それって魔女が人間を眷属にするのと同じことで……あ、もしかしてこれ、喋らない方が良かった感じ?」

「…………」

「まあいっか。だけど幸運だったじゃん。ちゃんとした手順を踏まないと普通は壊れちゃうのに……。多分、私の一部が体の中にあるおかげかな。感謝していいよ」とルクシィが嘲る。

「ああでも不公平だなぁ。根っこの部分だとあんたは私の眷属なのに、血が薄すぎて命令が届かないや」

「……なにがどうあれ、お前の命令なんて聞きはしない」


 眷属。言葉の意味を正確に理解できずとも、今しがたの不可解な現象を自分が引き起こしたことは明白だった。咄嗟に湧きあがった憤怒。敵の存在を心の底から否定したいという憎悪。それが眼前に佇む女の体内にある血液と共鳴したような感覚。


「言っとくけど、今みたいにむりやり言う事を利かせられるのも数秒くらいだよ」

「数秒もあれば十分だ。お前を殺せる」


 周囲に血の柱を突き立てていくヴェルディ。


「ふぅん? お友達のこと殺しちゃうんだ? 助けるの諦めちゃったの?」

「さっき埋め込んだ心臓を引き抜いて砕いてやるって意味なんだがな」

「それは諦めなよ。私に勝てるわけないじゃん。赤ん坊は親に勝てないでしょ?」

「……つまり、私が勝って心臓を取り除ければユリアは助かるってことだな?」

「……私ってさ、お喋りは好きな方なんだけどね」


 ルクシィの声が重苦しくなる。

 笑みが牙を剥き、血の柱が砕け散った。


「あんたみたいに探ってくる人は、やっぱり嫌いだね」


 なにかを諦めたような視線から放たれる重圧。

 ルクシィを中心として空も大地も鳴動していく。

 ゴ、ゴゴと、天が協賛に吹き荒れ、地が引き裂かれて泣き叫ぶ。

 そして境目がなくなった。


「知りたがりで無知なあんたに良いことを教えてあげる。私もあんたも魔法を発動するには魔力が必要なの。あんたの場合は死肉が自動的に魔力を生み出しているの。空気中を漂う魔素を吸収してね」


 岩が、大樹が、土塊が。束縛から解放されたように宙を浮く。

 それは自由でありながら、しかし鎖で繋がれたように、合図を待つように止まっていた。


「で、あんたの血なんだけど、霧散するとどうなるか知ってる? 魔素になって空中に還元されるんだよ」

「随分と私に詳しいな。ストーカーなのか?」

「そりゃあ、襤褸切れ着せられて奴隷みたいに実験に付き合わされてたあんたたちのことをずっと見てたからね」

「っ……!」


 ヴェルディが睨もうと意に介さず。

 或いは逃れるように、ルクシィもその身を宙に躍らせる。

 大樹や巨岩が宙ぶらりんのまま静止した世界を、一人の女性が泳ぐ。まるで巨大生物の群れを統率する女神のように。


「で、普段ならその散らばった魔素はあんたの体に吸収されて再利用されるはずなんだけど。今は私がいるから、魔素はぜんぶ私が貰ってるわけ。分かるでしょう? 戦いが長引くほどにあんたの魔素は減って、私は回復するってわけ」

「私の血が尽きるまでにはお前を殺してやれるさ」

「……あんたを取り込むの、やっぱナシ」


 ルクシィの背後に聳える無数の物質が予備動作なしで駆けだした。


「準備運動に使ってあげる」


 雨が降る。

 それは一粒一粒が人体を挽き潰し足りえるほどに巨大で、速度は銃弾並み。

 隕石の嵐だった。鴉が隕石に化けて突っ込んでくるような悪夢。

 唯一の幸いは、そのすべてがただ一人に向かっており、他の誰にも危害を加えなかったことだろうか。


「今ので何回死んだかな?」


 直撃のたびに風が荒れ果て地が割れた。

 ダイナマイト数百発分の土煙が昇り、ルクシィの吐息で晴れていく。

 煙の中から現れたのは、粉微塵になった死体――

 ではなく、赤黒い半球状のなにかだった。


「へえ。やるじゃん」


 樹海の中に突如現れた謎の建造物然としたそれは、表面を棘で覆われつくしている。

 構成要素の一切が赤黒く、今の攻撃を受けてなお穴一つ開いていない。

 生物のように棘が蠢き、その全てが上空に向けて発射される。

 棘はもちろん、球体を構成するものも棘へと変容して群れをなす。


「面白いこと考えるんだね! 人間って嫌いだけど、そういうところは憎めないかも!」


 その棘の一本をヴェルディは掴んでいた。


「でも不便だよね。一人で空も飛べないなんて」

「お前を殺せれば便利さなんて関係ない!」

「たいした減らず口だね」


 感心を口にしたルクシィの下、地中より殊更に巨大化した根が顕出する。その長さには果てがない。

 あまりに太い根が何本も絡まり合い、一つの集合体となる。大きな護り手がルクシィを包んだ。さらに鋭利な先端を誇る根が何本も衛兵のように立ち塞がる。


 強大な地の触手が迫る瞬間、血の棘から手を離す。

 頭上すれすれで質量の塊が通り過ぎるのを冷や汗一つかかず、別の棘に乗り換えようとしたヴェルディは、しかしその手でなにかを掴むことは叶わなかった。

 空中で無防備なところを狙われた引き寄せ。手足の自由を奪われたままどんどん距離が迫る。


「やめろッ!」


 しかしヴェルディにとって、ルクシィに近づくことこそが真の目的だった。

 手繰り寄せられ、触れる直前、心の底から滾る怒りをぶつける。

 油断していた敵こそが硬直し、縛り付けていた拘束から解放される。

 慣性を生かして飛びつき、心臓を抉りだそうとしたヴェルディの視界が、暗転する。


「がっ……!?」


 根が、ヴェルディを突き上げた。空へ近づき、離れていく。

 肺が麻痺して呼吸ができない四肢を、青白い光が焼き貫く。


「私には命令できても、私の魔力で動くモノには意味ないよ。残念だったね」


 抵抗する力を失ったヴェルディが引き寄せられる。

 奴は言った。「そうするように願ったのは自分」だと。

 自分の体を人間ではない何かに変えた元凶が目の前にいる。

 その元凶がのうのうとユリアリスの体を利用している。

 怒りだけなら毛穴から零れそうなほどに沸き立っている。

 だから、なにか。なんでもいい。この傲慢の化身に一矢報いる、チャンスを――



 銃声が嵐の隙間を小突く。

 魔女の意識はその音の源に向き、ヴェルディの体が自由落下する。



「すいませーん、ヴェルディさーん。やっぱこの辺の道は足腰にきついっすよー」


 その呑気な声を聞いて、場違いにも口角を上げる自分がいることに、ヴェルディは安堵した。

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