7章 魔女ルクシィ

第41夜

「おう、レイニア。ヴェルディが目印を残したって言ってんだけど、何か見えるか?」

『めちゃくちゃデッカイ柱が見えるっすよ』

「んじゃあ、そこに向かってくれ」

『了解っす。弾薬も回収したんでダッシュで向かうっすよ』

「おう、頼むぜ。……ってな具合だ、マスター。向こうはこれから本番だぜ」

「二人とも無事でなによりだ」


 ディルファイア、アレックス、キオ、ガルガラ、ハンナはディルファイアの書斎に集っている。使用人たちの姿はない。被害状況の確認を手分けして行っている。


「ディル、今いいか」


 そんな折、執事長イデアルがドアをノックした。


「全体の状況が確認できた。邸宅全体の屋根が損壊。噴水や東屋などの設備も大部分が瓦礫の山だ。あと、ガルガラが使った別棟は爆発の影響で傾いた。あれは撤去したほうがいいな。そのうち倒壊する」

「ごめん、イデアルさん。責任を持って僕が解体するよ」

「私も謝罪します。マスター」

「功労者が謝る必要はねえ。人的被害は皆無なんだからな。なぁ、ディル?」

「形あるものはいずれ壊れる。それに遠慮しなくていいと言ったのは私だ」

「まあ、まさかあれほどの大爆発になるとは思いもしなかったけどね」


 苦笑するアレックスにつられて笑い声が波紋した。


「当面はお客様をお招きするのも難しくなりましたね」

「おいおい、そんな呑気な事言ってられねえぜハンナ。それより先に国が滅ぶかもなんだろ?」

「ひいては、世界だ。世間の心配はこの危機を乗り越えてからでいいだろう」

「だな。ヴェルディにゃいつも通りスマートに解決……あ? おいおいちょっと待てよ……」

「キオ?」


 身近に迫っていた危機から脱した余韻が、キオの表情から脱色する。

 黙り込んだキオを周囲の面々が注目する。その視線すら意に介していないように、キオは耳を澄ました。自分の耳に届く音が、聞き間違いであることを願うように。


「……なんつうか、あれだな。社交界終了のお知らせってやつだ」


  ◇


 年老いてなお、ズインの脳裏には幼い頃の鮮烈な光景が網膜に焼き付いている。

 自分の家族。家族の友人。或いは喋ったこともない人々。彼らは泣き叫びながら無罪を訴え、次々と断頭台の刃に声を奪われた。奪われるたび、観衆が湧いた。幼かった頃のズインはその娯楽の最後を飾る役目で人生を閉じるはずだった。

 役人を呼び止める一人の男がいた。その人は何かを訴えて、結果、自分は生き延びた。


 命の恩人のせいで、自分は死にかけた。幼いながらもそれを知っていたズインは、すぐにはクルスアイズを信用できなかった。

 しかし、月日の中でその真心を知る。本当の父親のようにクルスアイズはズインを育て上げた。その過程で、ズインの心もまた父親へと向き合っていく。

 それがすべて、ある女性の為の単なる保険だったとも知らず。

 ある歴史的戦火を経験した後に、その側面を知る。

 ズインは二十二歳だった。


「魔女……ですか?」

「ああ。この世には本物の魔女がいる」


 あの処刑から十五年が経過していた。

 スィル=クリムの内乱が鎮まり、ズインも社会で働く大人となった。


「君の兄は、魔女を殺し、彼女の力を奪った。そして己のためにその力を振るっていた。だから私はあの時、王族へ密告したのだ」


 一人称も口調も年相応となったクルスアイズの言葉をすぐには呑み込めないズイン。

 他者との交流を通じて常識を蓄積していった彼にとって、魔女というのは空想の存在だった。或いは、内乱が勃発するより前に流行した冤罪における方便。


「父上。なぜそのようなことをいまさら……私はもう、その件のことは気にしていません」

「いいや、違う。私が言いたいのはそういうことではないんだ、ズイン。もちろん、あの件に関する贖罪は、私の人生を捧げても足らないだろうが」

「では、いったいどういう――」

「これを見なさい」


 クルスアイズは突然手のひらを差し出した。なにも持っていない手のひらを。

 

 炎が、生まれた。


「……………………え?」


 内乱の際、クルスアイズはタレスの誘いに応じた。貴族としての肩書は失ったが、知事としての立場を得て、以前と変わらぬ暮らしを送っていた。

 他の戦友たちが、今度は血で血を洗う権力抗争に明け暮れる中、クルスアイズは一切関与しなかった。しかし一定の権力を有する者はなにかのきっかけで迷走しがちだ。父は魔女という空想への信仰心を抱いてしまったのだとズインは危惧した。

 その不安は一蹴され、代わりに別の不安が全身を包んだ。


「私は魔女の眷属なんだ。ズイン」


 紅蓮の燃え盛る炎は、色合いを暖色へ変えると手元を離れた。そしてズインへ迫る。


「父上、なにを――」


 殺される。全身から危険信号が発する。極度の緊張がズインの筋肉を強張らせた。

 咄嗟に動けないズインを炎が迫り――それは、彼の頬を撫でた。


「……温かい?」

「魔法は、扱う者の想像力次第だ。炎は、人を傷つければ、温めることもある」


 炎は、無差別な暴力だ。無差別な、はずなのに。

 ズインは初めて犬を見た子供のようにその炎に触れた。じんわりと熱が肌を伝う。

 その熱に包まれながら、ズインは初めて、父親の口から思い出話を聞いた。

 運命的な出会いから始まり、燃え盛る非業で閉じた過去を。


「つまりだ。君の兄やその友人たちが殺した魔女は、私の主だったんだよ」

「…………」

「もちろん、すぐに信じてほしいとは言わない。だがこれは嘘ではない。そしてこの話をした上で、私は君にあることを打ち明けたかった」

「と、いうと?」

「この世界の在り方を変えたいんだ」


 あまりに突飛な話を、ズインは笑い飛ばすことすらできなかった。


「この国をどう思う、ズイン。人間をどう思う? 自然を切り刻んで科学をおしつけ、権力のために他者を蹴落とし、神の威光を騙る不法が感謝されている。魔女狩りを覚えているだろう? 殺した者も、殺された者も、本物の魔女を知りはしない。その名を都合よく利用しただけだ。私はね……その浅ましさに心底呆れていたよ」

「……私は……」


 ズインの脳裏に焼き付いた、光景。

 悲嘆に耳を傾けない非情な役人。死にゆく者を嗤い嘲る民衆。

 ズインも知っていた。人間の本質を。

 あの時理解できなかった要素が、彼の心に染みこんでいく。

 炎が、彼を熱している。


「人間が人間をまとめ上げ、階級を生み出した。その時点で人間社会は失敗していた。本当に必要なのは絶対強者による平等な統治だ。教会が崇める架空の神などではない、肉体を持つ者のね。彼女の下にいる人間は、誰もが単なる人間となれる」

「それが、魔女……?」

「そうだ。魔女ルクシィを復活させる。そして彼女の威光を以て世界を一つにするんだ」

「ですが、魔女は、その……どうやって?」


 自分が魔女を殺してしまったような罪悪感に苛まれたズインが問う。

 クルスアイズは、息子の前では一度も開けたことのなかった机の引き出しの鍵を開けた。


「これは、魔女の心臓だよ」


 最高品質のルビーを思わせる、純血の宝石。

 クルスアイズの手の平に収まるその石は、硬質でありながら、確かに脈動している。

 生きているのだ。


「彼女は生きている。そして私の身に流れる彼女の血のおかげで、私は意思の疎通ができるんだ。蘇生方法も彼女から聞いた」

「っ…………」

「彼女を生き返らせるには……多くの犠牲が必要になる。人間の法において、それは犯罪とみなされるだろう。それでも私は成し遂げたいんだ。ヒトが、人らしく生きている世界のために。そのためにはやることが山積みだ」


 クルスアイズは、ズインの瞳を見つめながら問うた。


「我が息子よ。頼む。力を貸してほしい」


 もしもズインが断った場合、クルスアイズには記憶消去をすることもできる。

 しかしあえて、それは黙っていた。

 伝える必要がなかったからだ。


「もちろんです。父上」


 ズインは、最上の敬意を示す姿勢を取った。


「私はあなたに救われました。人間の醜い本質が渦巻くあの場所で……。必ず成し遂げましょう。魔女の威厳で、世界に変革をもたらしましょう」


 その過程で、罪なき人間がどれほど犠牲になるのかを知りながら。

 彼は最期まで己の信ずる道を疑わなかった。

 人間の心は根本的に害悪だ。どこまでも醜くなれる家畜同然の者どもで世界がごった返しだ。すばらしき世界への架け橋となれるなら、彼らにとって最上級の名誉に違いない。

 この時点でズインの思想は染まっていた。父親の期待以上に。

 彼は最期まで疑わなかった。己の道も、先導者のことも。


 最期まで。


  ◇


 現在――


 ヴェルディは目印を設置してすぐ、敵のアジトへ単身乗り込んだ。

 それは立派な小屋という表現が適切だった。

 二階すらないただの小屋。しかしみすぼらしさはなく、正面から見るだけでも広い。かといって人工的な色も薄く、遠目からではわかりづらいほどに周囲の木々に溶け込んでいた。


 蝋燭に照らされる廊下をまっすぐ突き進む。窓一つなく、並び立つ燭蝋の先は開けていた。

 駆け抜けた先で、ついに再会を果たす。

 何人もの下郎どもに囲まれるユリアリスと。


「ユリアを解放しろ!」

「断る、と言ったら?」

「お前らを今すぐ殺す!」

「ほお」


 全身から殺意を迸らせるヴェルディの周囲に血が渦巻く。

 しかしそれがなんらかの形を為すことはなかった。


「できるものならやってみなさい」


 ユリアリスの側頭部を突く、黒い金属のせいで。


「っ……おまえぇぇ……!」

「死なせたくはないだろう? 私も同じ気持ちだよ。だから、そこで大人しく見ているといい」


 研究者の一人がぴったりとくっつける銃口が、ヴェルディのすべてを封じた。地下に血を伸ばして奇襲するか。しかしうるさい鼓動のせいで、器用な真似はできなかった。

 焦燥と遺憾が入り混じり、呼吸の度に表情筋が異なる姿へ変わる。

 ズインはその様を眺めてほくそ笑んだ。


「ああそうだ。その顔が見たかったんだよ、ヴェルディ。君のその顔が見れただけでも回り道をした甲斐があったというものだ」


 そして、その手には、蠢く宝石が握られている。


「魔女が命を落とした場所で、二年以上の歳月をかけて魔女の肉片を慣らした体に心臓を埋め込む。この瞬間を迎えるのを心待ちにしていたよ。……私の愚かな身内が魔女ルクシィに及ぼした非礼を、ここにお詫び申し上げます。我が父クルスアイズの悲願を、ここに成就します」


 胸に手を当て一礼をした老人が、宝石を近づける。


「……やめろ」


 ヴェルディにできることは、口を動かすことだけだった。


「さあ魔女ルクシィよ、お目覚めください。この世界をお救いください」

「やめろおぉぉぉぉぉぉぉ!」


 毒々しい赤い輝きを放つ塊が、白い肌の中へと沈んでいく。


 絶叫の中、ぬぷりと。沼の中へ石が落ちる波紋。


 ユリアリスは目覚めない。


 目覚めることなく、変化はすぐ訪れた。


 金髪は青く染まり、顔の輪郭が変化し、服の中で骨格が蠢く。


 見開いた眼の色は、青かった。



「……ず、っと……この瞬間を、待ってたわ」


 氷漬けの化石が声を取り戻したかのように、たどたどしく、喋り方を思い出す女。

 その声を聞いた途端、ヴェルディは膝から崩れ落ち、ズインは歓喜の涙を流した。

 それはユリアリスの消失を意味していた。


「おぉ……おぉ! 魔女よ! 魔女ルクシィよ! あなた様の復活をずっと願っておりました!」

「えぇ……ありがとう、ズイン。ずっと、あなたのことは見ていたわ」

「おお、おおおおぉぉおおっ!」


 もはや人語を忘れたように吠えるズインの頭に、ルクシィは手を置いた。

 撫でるように。褒めてあげるように。


「ほんッと……イライラしてたのよねぇ。あんたがちんたらしてたから。ていうかなに素体に銃なんて向けさせてんのよ。危うく台無しになるところだったじゃない」

「おおぉ……ん、あ、あぁ? ルクシィ……」


 微笑みから豹変した表情をズインは知らない。

 その手をどけることなど彼にはできないから、というのもあるが――

 彼の体はゆっくりと干からびていた。


「ていうかどんだけ遠回りしてんの? あんたがあっちの国で拾った奴らを育てて素体にすればよかっただけじゃん。ほんっと、声が届かないのって不便だわ」

「なに、を……」

「じゃあね、無能な跡継ぎさん。最期に一つ教えてあげる――クルスはあんたのこと大事にしてなかったわよ。あんたはただの保険よ」


 ズインの口がわずかに動いた。ように、ヴェルディには見えた。

 返事をする権利はその時点で奪われていた。みるみるうちに干からび、薄くなる。眼球が溶け、骨が消え、皮だけとなって、消失した。

 持ち主を失った衣服だけが車椅子に残る。盛大な悪事の末路は、あっけない。


「まあでも、救ってあげるわよ、この世界を」


 周囲の研究者たちは次々と魔女の元へ吸い寄せられ、触れられ、骨となる。

 ある者は逃げようとするも体が浮き、ある者は銃口を向けるも腕がもぎれた。

 誰もが、理想の救世主に殺されていく。


「あんたら人間を滅ぼして、ね」


 衣服の海の上から、魔女ルクシィは一人の依媒キャタリスを見定めた。

 彼女からすれば、依媒キャタリスも人間も大差ないかもしれないが。


「お前は……誰だ」

「ん? ……ああ、そっか。私はずっと見てきたけど、あんたは私のこと知らないもんね」


 ルクシィが手をポンと叩くと、彼女が来ていた黒衣は消え失せ、青い装束へと一瞬で変化した。それは彼女が来ていたドレスと寸分違わぬが、知る者は誰もいない。


「私はルクシィ。魔女のルクシィよ。あんたが特殊な能力に目覚めた理由、魔女の血肉の持ち主」


「で、そうするようにお願いしたのも私よ」

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