第37夜

「あのバイクたけぇんだぞボケ!」

「大好きなご主人様に尻尾振っておねだりすればいいじゃない! どうせ金なら腐るほどあるんでしょう!」

「その辺の豚と一緒にすんなッ! こっちの主人はな、無駄遣いは趣味じゃねーよ!」


 陽の光を求めて背を伸ばす大樹がひれ伏す。

 巣を失った鳥が空へと逃げ、狐も兎も逃げ場を求めて茂みを潜る。

 レイニアが駆け抜けるごとに、自然を織りなす要素が悉くバラバラになる。

 一人の獲物のみを狙った、一人の円舞曲ワルツによって。


「もうちっとお淑やかに踊れねえのかよ。女らしくねえ!」


 意志を持ち、姿をも得たかまいたち。一度でも触れれば出血死を免れない死の水鎌。

 環境を破壊する凶暴な触手をレイニアは避ける。

 一撃でも食らってしまえば命取りとなる乱舞の中、引き金を引く。


「うっさいわね! だったらアンタも止まんなさい! さっきからうろちょろされて面倒ったらありゃしないわ!」

「メイドは常に一手先を読むもんだ! 奉仕すんのが仕事だからなぁ!」


 冷や汗を隠すように軽口を捲し立て、木々の隙間を縫うように駆け回り、一手先を見通して猛攻を掻い潜り、確実たる一撃を必中させる。

 頭を、胸を、背中を。腕に、腹に、脚に。

 ライフル弾に風穴を抉られても悲鳴一つなく、傷口は一瞬で治ってしまう。

 

「まあでもこっちは楽しいぜ! 何発撃っても駄目にならねえ的なんて今までなかったからな! 撃ち放題だ!」

「なんですって……ああ、もうっ! ちまちま煩わしいわねぇッ!」


 無論、レイニアはいたずらに狙撃を繰り返しているわけではない。ヴェルディが伝えた情報のすべてを記憶しており、今はランターニールの特性のみを脳内で反芻している。


 心臓である核がある限り、奴は不死身。血肉はすべて水へ変容しており、防御は不得手。


 その情報に誤りがない前提で、体中に身に着けた弾薬をつぎ込む勢いで引き金を引く。ライフル弾は敵の肉体を貫通していた。全身を蜂の巣にしてしまえば、いずれは核を撃ち砕くはず。


「面倒くさいったらありゃしないわ! その目ん玉から潰してやろうじゃない!」


 手ごたえを得るより先に、敵の挙動に変化が生じた。

 長大な刃に変形し、やたらめったらに環境破壊を繰り返していた二本の腕。

 ムキになっていた踊り手が本領を発揮する。


 片腕がまっすぐレイニアへ突撃する。それは進路上でウニの棘のように破裂した。レイニアが転がるように回避すると、逃げた先の真上、頭上から別の腕が曲射のように襲い掛かる。

 未来視のメイドにはそれも避けられると見越したのか、触手は地面に突き刺さる勢いのまま、モグラのように地面を突き進み、地中から再度襲い掛かる。同時に、棘上になっている触手を爆発させ、四方に棘を吹き飛ばした。

 レイニアは直撃こそ回避したものの、棘の一本が髪をわずかに切り裂いた。


「てめっ! ヒトの命をなんだと思ってんだクソ赤毛!」


 空中で回転しながらレイニアが一撃をお見舞いする。胸部のど真ん中を撃ち抜かれたランターニールは、初めてその顔を憎悪で歪ませた。


「っ! アンタいま、あたしの髪を馬鹿にしたわね!」

「はんっ! 親から貰ったもんだろ! 大事にしろよ! あたしのお嬢様は奥様譲りの金髪を大事に手入れしてんだぜ! もちろんあたしが毎晩手伝ってんだからな!」

「惚気てんじゃないわよボケメイド!」


 苛立ちを吐き出すように、精巧さに欠いた動きで暴れ回るランターニール。

 それでも物足りないように怨嗟が口から溢れる。


「こんな赤毛、欲しくてもらったわけがないでしょうが! これのせいで、アタシは……!」

「なんだ、好きな男に振られでもしたのか」とレイニアがおちょくった。

「えぇそうよッ!」


 マッチ一本で山火事が起きたように憤怒が吹き荒れる。

 八つ当たりのように、見えないなにかを蹴散らすように、かまいたちが唸る。

「周りから馬鹿にされてきたわ! アンタにわかる!? 努力しても変えようがない要素が一生纏わりつくことの辛さが!」

「…………」

「でもね、ボスのおかげでアタシは変わった! ボスはアタシの髪を褒めてくれた! アタシを馬鹿にした連中は全員この手で殺してやったわ! だから――アタシの赤毛を馬鹿にした奴は例外なくぶち殺すって決めてんのよーッ!」


 触手の先端が蛇のようなしなやかさを宿し、分裂する。一が二に。二が四に。計十六本の蛇の頭が形を為し、合図もなく地を滑り出した。

 レイニアは脱兎のごとく距離を取り出していた。倒木を踏み潰し土煙を上げながら進む水蛇の大群は、一つ一つが人間を丸のみできるほどに巨躯。


「せっかくだからいいこと教えてあげる! アンタの攻撃は絶対に効かないわ! アンタじゃアタシを殺せやしない!」

「どんな化け物だって心臓潰せば死ぬだろ! ドラキュラだってちゃんと殺されてんだ!」

「えぇそうね! なら、その心臓が場所を移すとしたら?」

「……はぁ?」


 なに馬鹿げたことを。

 レイニアはそう言いかけるも、腑に落ちてもいた。

 人体における急所を徹底的に撃ち抜いてきた。弾薬の消耗がそれを証明している。

 まして、敵が心臓をどこかに放出した気配もない。あの体は今も意志を持っている。


「アタシの心臓は常に動くのよ! ほら、わかったら諦めて降参しなさいよ!」


 ユリアリスの情報は間違っていなかった。

 ただし、彼女にも知らなかった一面を敵は内包していたのだ。


「……ったく。後で文句言ってやんねぇと」


 それでも、目に宿る闘志は滾り、脚力は萎えない。

 腰に携える『過剰火力』の使いどころだけを、レイニアは考えていた。


  ◇


 一方、ヴェルディは樹海上空で終わらない追走劇に没頭していた。


 敵の進路に沿って血の柱を顕現させては鎖を伸ばし、必死に追いすがろうとする。一本一本が大樹よりも太く、山の頂上にも届きそうなほどに高い列柱。それらは生み出した直後には切り刻まれて、崩れてゆく。

 上空より降り注ぐ闇夜の片鱗によって。


「空は俺の狩場だ。そんな方法で俺に追い付けると思ったら大間違いだぞ」


 高速飛行と飽和攻撃の両立。敵の射程には入らず、己の強みを叩きつける。

 柱の破壊による妨害はもちろん、羽根はヴェルディも狙う。羽根を避けながら進むことを強いられて、二人の距離が縮まることはない。

 先日の屋敷での戦闘は手加減されていたのだとヴェルディは歯噛みした。


「あの女と空で遊べたくらいで俺と張り合う気か?」

「張り合うつもりがあるなら逃げずに戦え、腰抜け!」

「はっ! その柱を利用して俺を閉じ込める算段なのだろう? その手は食らわん。お前たちの戦闘の様子は聞いているからな。しかし、あの女は本当に余計なことしかしないな」


 苛立ちを込めた血濡れの斬撃を解き放つ。山すら両断する斬撃は雲を縦に切り裂いた。しかし空を謳歌する神父風の黒衣はもちろん、双翼に掠りもしない。


「お前の正義はその程度か?」

「逃げながら羽根を飛ばすだけのつまらないお前はどうなんだ」

「崇高であり誠実だ。なにものよりも! 一つの国に籠り、言われるままに殺してきただけのお前は知らないだろうな、『埋葬屋』。人間の醜さを。愚かさを!」


 ザルファルクの怒りに呼応するように、雪崩れ込む風の刃の密度が増していく。


「俺がいた教会の神父たちは誰もが腐り、淫蕩に堕ちていた! 神の御業を方便とし、宗教を利益のためだけに利用していた! 小さな一組織ですらそうなのだ、国も同じだ! 虚飾に満ち、根幹は腐っている!」

「会った事もない御伽噺の存在が、そんな都合よく世界を変えてくれるとでも?」

「ならば、罪を犯した者を殺しまわれば世界は幸福に満ちるのか? いいや、違う」


 次々と乱立する血柱を、闇の風が怒涛の勢いで切り刻む。

 ザルファルクはギダス山地を周回するように飛んでいる。

 赤黒く淀んだ柱が倒れては粉々に爆ぜる音が山地を覆っていた。


「殺意は殺意を生むだけだ。罪を犯す者は消えん。ディルファイア=ウィズダムの同胞が我々の誘いの手を握ったようにな。お前たちがやっているのは単なる一時しのぎに過ぎん」

「…………」


 この二年間で、依頼を受けたのは何回か。ヴェルディは自問した。

 弱者をいたぶる権力者。女子供を攫う人攫いに、殺すためにナイフを握る殺戮者。

 それは『埋葬屋』という名前を世に知らしめるようになってから減ってきている。

 それもまたディルファイアの狙いだった。

 けれども、執行人が粛清を始めてなお、悪人が根絶することはない。

 もしかすると、執行人という存在が歪んでいるのかもしれない。


「そんなこと、私にはどうでもいい」


 淀みなく、ヴェルディは言い放つ。

 大義など元よりない。すべては大切なあの子を救うため。

 かけがえのない存在に手を伸ばすため、数多の骸を踏み越えてきたのだ。


「私の目的はユリアを救うことだ。救うために人を殺めてきた。そのことに後悔はない。それ以外に手段がなかった以上、正しさを探す余裕なんかないからな。そうだ、私は……目的のために人を殺めてきた! それ以上の理由はない!」

「子供の暴論だな、『埋葬屋』! そのような傲慢さで崇高な儀式を邪魔されているとは思いもしなかったぞ!」

「どうとでもいえ。だがそうだな、不満ならそれ以外の理由を作ってやる」


 耳の穴に詰まった水が抜けたように、ヴェルディの思考がクリアになっていく。

 敵の論調に付き合っていたせいで、余計な力を脳みそに回してしまっていた。

 次にヴェルディが足場となる柱を乱立させたとき、それはギダス山地の半分を占めた。


「ちっ」

「他人の人生を踏み台にする奴を私は許さない。昔の私を、今のユリアにしているようにな。だからそうだな――気に食わない。気に食わないから、私はお前をここで葬る」


 密度を増した闇風の暴力に弱気になっていたことをヴェルディは認めた。

 しかし物怖じする必要はない。どれほど膨大でも、一枚一枚は羽根に過ぎないのだ。

 ならばこちらが、より強大な一撃ですべてを圧倒してしまえばいい。

 最初にそうしていたように。

 雑音を取り除いた今の思考でなら、勝利への道筋を思い描くことは難しくない。


「どうやらお前とはとことん分かり合えんらしいな! 人に縋ることもできず、偶像も信頼できなくなった者の悩みをお前は生涯理解できんだろう! 理解できぬままに死ね!」

「ああ、理解できないな。私の人生は私のものだ。誰にも譲る気はない」


 柱が破壊しつくされる前に、飛ぶ。その推進力のままに右腕を振り払う。

 回避という選択肢はもうない。

 山々を切り伏せる思いで。大地を分断する思いで。天空を八つ裂きにする思いで。

 より広大な目標に向けて放ったならば、有象無象を一掃することなど容易い。束の間の晴れ間がヴェルディの前に広がった。

 その大元を除いて。


「ならば殺し合おう。どちらの正義が正しいのか証明するために!」

「最初からそのつもりだ」


 ゆっくりと状況を俯瞰していく。視界が開けていく。黒風に惑わされることはない。

 だから、ぼんやりと背中で感じ取る、片身のような気配に意識を向けることができた。

 ユリアリスの体に流し込んだ己の血が発する、命の信号。

 彼女はここにいる。しかしザルファルクを追っていると、まるで。


 彼女を中心にしてひたすら飛び回っているようだった。

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