6章 反撃、混戦
第37夜
「ああでも、遊んであげるのはメイドの方だけよ。できれば首を斬ってくれたお返しがしたかったけど。ザルファルクが待ってるから、とっとと消えなさい。鉄錆女」
「その変なあだ名は私のことか?」と木陰から問う。
「アンタ以外に誰がいんのよ。何か月もシャワーを浴びてない獣みたいな臭いがここにまで飛んできてんのよ」
「ヴェルディさんそんなにシャワー浴びてないんすか」
「なら嗅いでみるか?」
ヴェルディは腕をぐいとレイニアに近寄せた。「全然臭くないっすね」と呑気な感想を右から左へ聞き流しつつ、敵の出方を伺う。
ランターニールは棒立ちのままだった。
「いったいどういうつもりだ」
「アタシとしてはここでアンタをぶっ殺してやりたいとこだけど……いいからとっとと失せなさい。あとで細切れにしたメイドをお届けしてやるわ」
「…………」
罠の可能性を警戒しつつ、ゆっくりと姿を現す。ヴェルディが数歩前へ歩いても、ランターニールは微動だにしない。律儀に言葉を守るように。
ヴェルディのことなどまったく眼中にないように。
「……レイニア」
「大丈夫っすよヴェルディさん。ここはあたしに任せて先に行ってください」
「……なら、任せた」
柱を顕現し、鎖を使って上空へ踊りだす。
途端にランターニールの両腕が蠢き出した。ヴェルディを背中から襲い掛かることはなく、レイニアが隠れ潜んでいるであろう辺りを乱雑に剪定していく。
スパスパと断ち切られる巨木が次々と寝かしつけられる。
「隠れてないで出てきなさいよ。それとも物陰からちまちま玩具を撃つのが得意なのかしら」
「……あたしもツイてねえよ。わざわざここまで来て残飯処理しなきゃならねえなんてな」
「はぁ?」
「まあでも、一回言ってみたかったんだよなぁ。『ここは任せて先に行け』って」
ランターニールは返事をせず――声がした辺りに片腕を投げ飛ばした。
放物線を描いて落下したソレは落下直前に先端が無数の針となって爆発し、倒木も茂みも一緒くたに穴だらけにする。
「ちょっと目がいいだけの人間もどきが吠えてんじゃ――」
銃声。
未来視の
その前提条件に酔っていたランターニールの頭部が大きく左へ持っていかれる。
「ちょっとじゃねえよ間抜け。ブッサイクな面がくっきりわかるわ」
オーベックの報告は間違ってはいない。ランターニールの判断も間違ってはいない。
レイニアが相変わらず二丁拳銃を使っていたならば。
「……おまえっ!」
「脳天撃っても死なねえとかほんと。あーあ、あたしもてめえらみたいにイカれた力が欲しかったよ」
ヴェルディから得た情報をもとに、レイニアは誰にどの武装で挑むべきか準備しておいたのだ。バイクが蜂の巣になる未来を視たレイニアは、即座にその一丁を引っ掴んでいた。
持ち主の上半身を超える身の丈のボルトアクションライフルを。
硝煙をくゆらせる丸穴から射出された一発の弾丸は、ランターニールの側頭部に大きな穴を穿った。崩れた生クリームが逆再生するように、傷跡が修復されていく。
「まあでも、お前を殺すのには不自由ねえか」
人形のように整った顔を威圧的に歪ませながら、排莢と装填を済ませる。
標準を心臓へ定めながら。
◇
「キオ、ユリアの声がしたのはこっちであってるのか? ……キオ?」
連綿と聳える樹木の上を軽々と飛ぶ。一人と一台がなくなったおかげで身軽になったヴェルディは、キオの『声』が聞こえなくなったことへの警戒心で心を強張らせる。
嫌な予感。
それとは別に、ある種の確信を持って前へと進む。大きな手においでおいでと手招きをされているように。
黒い雨が進路を阻み、血の柱を次々と切り崩していく。嫌な予感が面倒な現実となる。
「待っていたぞ、『埋葬屋』」
「っ!」
回避ではなく反撃を。闇の嵐が迫りくるのをヴェルディは斬撃を以て迎撃する。
空に向かっての一閃。どす黒い弧が雨の一枚一枚を払いのけながら突き進み、しかし源流と衝突して塵となる。
曇天を仰げば、そこには翼があった。
「私はお前に用なんてない。ユリアを出せ」
「焦るな。前回提案した件はまだ保留のままだ。答えろ。魔女の復活に賛同するならば、お前のことだけは仲間にしてやろう」
「私はユリアを取り戻しに来ただけだ。無駄話はやめろ」
ザルファルクは吐き捨てるように失笑した。
「俺たちがどんな思いで魔女を復活させるのかも知らないままにか?」
「どんな思いがあろうと、あの子の命を踏み台にする時点で話にならないな」
「お優しいことだな。だが私欲のために俺たちの邪魔をするお前と、世界のために魔女を復活させる俺たち。正義はどちらにある?」
ヴェルディは無言で血剣を投げ飛ばした。ザルファルクは翼でそれを切り伏せる。その隙に柱を造り、視線の高さをむりやり同じにする。黒く煌めく羽根が、流星群のように襲い掛かる。
「これは知り合いからの受け売りだがな」
まるで世界が敵に回ってしまったかのような光景。世界が、ユリアリスという一つの犠牲を求めている。ヴェルディは唾を吐きつけるように、右腕に纏う凝血で薙ぐ。
「殺し合いとは即ち、正義と正義のぶつけ合いだってな!」
「下らん屁理屈だな――だが、面白い」
空は、ザルファルクになんの制約ももたらさない。
滑らかに空を駆ける大翼は一定の距離感を保ちつつ妨害も並行した。マシンガンさながらの物量で、ハヤブサの如く速度で、凶刃が一点集中する。
対し、ヴェルディは常に重力という重荷を背負わされている。
絶えず鎖を用いて飛び続けなければすぐさま離されてしまう。蝗のように群れる羽根を回避しても、鎖を斬られ、柱をバラバラにされる。
それでも鮮血ですべてを振り払う。空を覆う曇天すらも拭い去る勢いは衰えない。
「ならばどちらの正義が正しいのか競い合おうか。もっとも、お前一人が足掻いたところで無駄だろうがな」
「…………」
「その反応からして、当然予想していたのだろう?」
そんなヴェルディを嘲笑するように、あるいは、遠い場所の破滅を思い描くように、ザルファルクは鼻で笑った。
「今頃あの屋敷は蹂躙されているだろうな」
◇
ヴェルディ達が接敵したのと同時刻――
「敵襲だ!」
キオは思わず声を張り上げていた。
ディルファイア、アレク、数人の使用人と書斎におり、屋敷とギダス山地を俯瞰していた。樹海に二人。ならば残りの二人は屋敷に来るはず。
いつ敵側の
「まさか……こんだけのマフィアが押しかけてくるたぁなぁ!」
その足音は百を超えていた。下品な笑い声。重なり合う銃器の擦れ。屋敷を蹂躙した後を想像しながら色めく会話が、屋敷を包囲していた。
「敵の数はどの程度だ?」
「百……いや、百五十はいるぞ」
「そういえば、連中はディロッツァファミリーと繋がっていたね。なら他の奴らを抱き込んでいてもおかしくはないか」とアレックスが分析していると、書斎の窓の向こうから迫る人影が大きくなっていく。
「連中の中に
「いや、いねえ」
「……前菜、と言ったところか。ガルガラは?」
「まだ準備中だな」
「ハンナは……いや、でも彼女をマフィア相手に使うのはもったいないか」
「キオ、使用人たちに伝えなさい。ラナたちを避難させたら、護衛は少数に留め、残りは全員配置につくように。マフィアの相手は人間で十分だ」
「了解!」
しかしキオがその内容を復唱することはなかった。
『キオ、あのゴミの掃除は私にお任せください』
「は? ……って、おいハンナ! あんたの能力は多人数相手に使うとよくねえだろ!」
『ゴミ掃除に気を取られている内に本命が来てしまったら、それこそ混乱が生じます。こちらに来る
「でもっ……ああ、くそ! マスター! ハンナがいま屋上にいて、マフィアの掃除は任せてくれっよ!」
「ハンナが? でもそれだと、
「……それならば、任せよう。彼女も考えた上で行動しているはずだ」
◇
「ふむ。つい衝動的に提案してしまいましたが……まあいいでしょう。後のことは未来の自分がどうにかしてくれるはずです」
やや無責任な独り言と一緒に紫煙を空に吹くハンナ。
屋上からぐるりと屋敷を見渡せば、銃器を手にする夥しい数の人間が目に映る。
遮蔽物のない屋上に佇むメイドはよく目立ち、むしろいい標的であった。
「おい、誰かいるぞ!」「メイドがなんであんなとこに」「いいから撃っちまおうぜ!」
彼女がただのメイドなら。
「まあ……汚い人間がいると煙草も不味くなりますからね」
右手で挟む煙草が煙を昇らせる。今日は無風だ。こういう日は庭で静かに煙草を燃やしたい。燃やしたかったというのに。
「合理性よりも感情を優先してしまうのは、人間として仕方ないですよね」
なにも持たない左手をすっと持ち上げて、狐を模すように、中指と薬指を親指と繋ぐ。
「
血飛沫。
指の腹が重なると、数十人単位のマフィアたちが肉塊へ様変わりした。
まるで巨大なハンマーで叩き潰したかのように。
ぐちゃり。ぐちゃり。途端に悲鳴の大合唱が発生するも、一拍ごとに声量が減る。
減るごとに、血だまりは増える。
ハンナはただその場に突っ立って、指先を動かすだけだ。機械的に。淡々と。
五度目の指の咀嚼。汚い合唱を構成していた要素は跡形もなく潰えた。
圧倒的な殲滅力。代償は、後始末がタイヘンな汚れ。
「はぁ、あとでヴェルディに血抜きしてもらわないと。土が錆び臭くなってしまいます。ああというか、死臭がここにまで……うっ。だから嫌なんですよね、戦うの」
『おいハンナ、腹の方は大丈夫か?」
「おや、下品ですねキオ。女性にそんなことを聞く男はモテませんよ」
自分はいま、いつも通りの声音を演じているだろうか。
不快な高鳴りで満ちる心臓の辺りをさすって、一服する。
一仕事終えた後の一服ほど美味いものをハンナは知らない。
だからこれは、『一仕事』の内に入らないのだ。
「……まったく、嫌になりますね。視界に入るだけでも鬱陶しいのに、掃除してもゴミを残すだなんて。これだからマフィアは嫌なんですよ」
ハンナは親の借金によってマフィアに攫われ、人攫いに売りつけられた。
親が返済しきれない借金をする羽目になったのはマフィアの仕業だった。すべては仕組まれていたのだ。マフィアだけは駄目だ。マフィアだけは、冷静に処理できない。
マフィア相手だけには、暴食を止められない。
『……ご苦労さん。で、
「いえ、それが驚くほどに――」
まだ騒々しい耳の内側を沈めようと、深呼吸する。
その口には、なにも咥えられていなかった。
影が、ハンナを覆う。
「……大きいんですね、男の人の腕って」
もうキオの声は届かない。ハンナの意識はその影の主へ。
巨人の如き腕を振り下ろそうとしたダヴィエンツへ向いている。
「いってぇな! なにしやがんだてめぇ!」
「奇襲を仕掛ける人にそんなことを言われましても、ねぇ?」
そしてその腕は、ハンナが『食べた』。襲撃者の両腕は肩の辺りでぶつりと千切れてとめどなく血を流す。しかし、食いちぎった腕は一瞬で再生した。
「おー。いてぇいてぇ。ただの雑魚だって聞いてたけど……こりゃ楽しめそうだな」
「……いえいえ。私は戦闘能力など欠片もない一介のメイドですよ。元は教師でしたが。僭越ながら、煙草の美味しさを解説しましょうか。あなた、興味あります?」
「煙草なんかより肉の方が美味いに決まってんだろ、クソババア!」
野獣が牙を剥く。
◇
「いや、ハンナはまだ若いだろ……」
そんなツッコミを入れつつ、キオは思考をシフトする。
想定とは異なる戦況になった。ギダス山地に二人。屋敷に二人。
ダヴィエンツは音もなく屋上に現れた。ならば、あの巨人の運び手は。
「ガッツ、オーベックはまだ敷地内にいるはずだ! 敷地は塞いだか!?」
『ばっちりだよ』
キッチンの準備を終えたガルガラはとても落ち着いた調子で返事をした。
「ちょうどいま、虫が手のひらを這いずり回ってるところだ」
戦場の空気から男が一人、悠然と歩を進めていた。
◇
ハンナが屋上で戦闘を始めたころ――
「さて。では私は一旦アジトに戻りましょうか。ランターニールの支援でもして……おや?」
ダヴィエンツを送り届けたオーベックは影のまま来た道を引き返そうとした。
彼は気づく。一つの異変に。
まるで透明な壁に仕切られたように、敷地内から出られないことを。
「これはいったい……あひゃぁ!?」
そして、彼のすぐ傍をなにかが押しつぶした。
まるでダヴィエンツが裏切ったかのように、大きな拳の後が地面に出来上がったのだ。
「初めまして。ミスターオーベック」
「あ、あなた……!」
コック服に身を纏う少年の顔をオーベックは知っている。知っているからこそ、即座に理解できなかった。どうやって自分の居場所を突き止めたのか。
「……あなたは目に見えない拳で戦うと事前に聞いていたのですがね。この見えない壁はあなたの仕業ですか?」
「そうだよ。僕を倒さない限りここからは出られない。そして、お前は僕がここで殺す」
「料理人としてね」
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