第6夜

「なんだお前らは!」

「頭のいいお坊ちゃまなら分かんだろ? お前らが大嫌いなマフィアだよ」

「……っ! お前ら、僕に楯突いたらどうなるかわかってるのか!?」


 テムが吠える。マフィアたちはケラケラと嘲笑うばかりだ。

「なら、どうなるのか教えてくれよ」と、先頭の男が笑みを消して問う。

 その手にはロングナイフが握られている。


「くっ……!」


 テムは刃を向けられるや後ずさり、たじろぐ。彼は権力者の息子だ。父親は大手新聞社の社長である。大抵の場面において、その力を利用すれば自分の思い通りに事を動かせる。

 しかし相手がマフィアであれば別だ。

 ウルスカーナと変わらぬ華奢な男児の借り物の威光は、純粋な暴力だけが支配する空間において無力極まりない。


「ヴェルディ」とウルスカーナがつまらなさそうに声をかけると、

「あぁ」と、ヴェルディが前に出る。

「あっ、おい! 女がでしゃばるな!」

「それはこっちの台詞よ、テム。あなたこそ黙って見てなさい」


 いっそウルスカーナの方が堂々としている始末である。

 キオは店の奥へと姿を消し、ガルガラは食器の片づけをしていた。


「女だからって容赦しねえぞ」

「容赦って言葉を知ってるのか? すごいな」

「――なめんじゃねぇぞ!」


 男が一気に距離を詰める。ヴェルディは構えず、平然としたまま前進した。

 男がナイフを突き出す。ヴェルディはそれでもなにもしない。

 男はなぜかその場で躓いて床にキスをした。ヴェルディは無防備な頭を踏んづけた。


「ぶへッ!?」


 誰も気づきはしない。視認できないほど細い血液の糸が男の足首に絡みついていることに。

 誰も気づきはしない。男の首を見えないなにかが締め付け、一瞬で気絶させたことに。


「次」


 他の男たちが警戒と恐怖に襲われる。鮮やか過ぎて、細部が見えなかったから。

 皆一様に固まった。ヴェルディが一歩踏み出すと、足並みそろえて後ろに下がる。

 誰かが店の外に逃げようとした――

 その逃避は、外から吹き飛んできた肉塊によって遮られた。


「入り口で固まってんじゃねえよ汚物ども。消し炭にされてえのか」


 メイドだ。

 外を固めていたマフィアを吹き飛ばしたのは、両手に拳銃を握る一人のメイドだった。


「あっ、お嬢様~。ご無事っすか~?」


 ウルスカーナを認めるや、人形のように硬い表情のまま、声音だけが弛緩した。


 ◇


「こっちは大丈夫よ。外はどう?」

「怪我してる人たちがいたんで、今手当てしてるっすよ」


 明るいピンクのツーサイドアップ。ゴシック調の派手なメイド服。冷徹な眼差しは夕焼けを閉じ込めたようなそひ色。化粧っけのない白肌とほとんど動かない表情筋が相まってマネキン人形が服を着ているかのようである。

 メイドの瞳には愛しい女主人以外が映っていないのか、物騒な男たちを無視して店内へと入ろうとした。

「てめぇ――」と男が襲い掛かる。「うぉ――」「がッ――」「ごふぉ――」と、次々と倒れていく。

 至近距離で振るわれたナイフはかすり傷一つ与えられず、男たちは一様に手足を撃ち抜かれていた。


「どうすかどうすかヴェルディさん。今の中々ヤバくなかったっすか?」

「そうだな。来るのが遅いのもヤバいな」

「えー。屋敷までガンガンに飛ばしてきたんすから褒めてくださいよ」

「お疲れ様レイニア。ごめんなさいね、また手間を掛けさせて」

「いいんすよ、お嬢様になにかあれば駆けつけるのもあたしらの仕事っすから」


 レイニア=シューティル。

 ウルスカーナの可憐なる忠犬が、主人の危機を察して参上した。

 

  ◇


 ブルジョワが外出中にマフィアに襲われることは間々ある。

 そのため、誰しも外出時に護衛を傍に侍る。一人で出歩くことは攫ってくれとアピールしているに等しいのだ。ウルスカーナの異常行為が許されるのもヴェルディという存在が常に一緒にいるからに他ならない。


「んじゃあこの男たちはするとして、お嬢様のことはぁ……ってあれぇ~? テム坊ちゃんじゃないすか~。どうしたんです、そんな怯えた顔して~。もしかして護衛の皆さんがマフィアにやられちゃったからヴェルディさんの背中に隠れてたんすか~?」

「なッ……! 貴様、誰に向かって――」

「やめておきなさいレイニア。事実ばかり指摘しちゃ可哀想でしょ」

「それもそっすね」

「ッ~~~~!」


 しかし、マフィアの襲撃があった場合は即座に屋敷に連絡が入り、レイニアを含めた護衛が現場に駆け付けるようになっている。連絡をするのはキオの役目だ。

 事態の鎮圧後、ウルスカーナは必ず屋敷に戻る。

 その取り決めのおかげで、彼女は週に一度の自由を手に入れたのだ。


「んじゃ、お嬢様。お屋敷まで戻りましょう」

「そうね。ヴェルディ、行きましょう」

「私が行く必要はないだろ?」

「なーに言ってんすかヴェルディさん。昼は長いっすよ」

「訳の分からないことを言うな。ここの掃除だってやるべきだろ」

「大丈夫だよヴェルディ。お店のことは僕らに任せてよ」

「そうそう。でねーとお嬢に俺らが怒られるんだぜ」

「ちょっとキオ、聞き捨てならないわね」


 殺伐とした空気は消え失せていた。マフィアたちは回収され、喫茶店は軽い掃除のあと通常営業に戻り、ヴェルディは屋敷にてウルスカーナの相手を続けることになる――



      パチ、パチ、パチ、パチ。



 未来は、順調には運ばなかった。

 拍手がした。

 場違いでゆったりとした拍手。ずっとそこにいたように、いつの間にか真っ白な衣装で身を固めた人間が入り口に立っていた。

 ヴェルディの頭に警報が鳴り響く。

 この店に訪れるいかなる音もキオが聞き逃すはずがない。マフィアが襲撃した際、彼が密かにハンドサインを送っていたように。

 肝心のキオすらも、幽霊のようにぬるりと出現した女に露骨に驚いている。


「……あたしの仲間に言われなかったっすか? 入っちゃ駄目っすよーって」

「…………」

「……はぁん?」


 謎の人物は言葉もなく肩をすくめた。

 挑発だと受け取ったレイニアが足にめがけて発砲する。

 その無機質な暴力は常に最高の結果をレイニアにもたらしてくれた。

 それは彼女の特性も相まって――

 そしてたった今、その自信は粉砕する。

 銃弾は見えない壁にぶつかったかのように空中で弾け飛び、店内の壁に穴を開け、力を失った薬莢がカランカランと床を転がった。


「なっ――」


 その者は身動き一つしていない。盾を構えたわけでもない。何が起こったのか誰にも理解できていない。

 それでも、唖然とするレイニアの肩越しにヴェルディは目が合ったような気がした。

 深く被った純白のフードの奥に潜む双眸は、自分だけを見つめているようで。

 ウルスカーナとは異なる色合いの金髪だけがフードからはみ出ている。


「お前、何者だ」

「……ふふっ」

「…………」


 その笑い声は女のものだった。

 レイニアはなおも銃口を向けている。

 ガルガラですら鋭い目つきを向けている。

 しかし女の意識の矢印はヴェルディだけに向いていた。

 誰もがそのように感じ取っていた。


 スッと女が右手を差し出す。

 親指と中指の腹をくっつけた指先は、次の瞬間に軽快な音を発し――


「皆ふせてッ!」



 爆発。

 床に散らばる人間も肉塊も、等しく飛び散った。


 まるで血の噴水だ。ダイナマイトが何個も炸裂したような轟音が突き抜ける。床も壁も赤く濡れ、錆びた鉄の臭いが充満する。吐き気を催す不吉な死の気配が質量を伴ってぶわりと体を押しのけ、衝撃が視界を覆う。

 ヴェルディが瞼を上げれば、レイニアに覆い被さられたウルスカーナがまず目に入り。

 迂闊としか言いようがない数秒の間に、謎の襲撃者は姿は消えていた。


「……いない?」


 今しがたのことが夢だったかのように。

 しかしそれが現実であると、一面に飛び散った血飛沫が、椅子やテーブルからぼたぼた滴る鮮血が、剥き出しの臓物が物語っている。


「今のは……なんだ……?」


 ヴェルディが口にした疑問に答えられる者はいなかった。

 呆然と、連なる血の滴りの旋律に聞き入っていた。

 これまで直面したことのない、得体の知れないなにか。

 それが自分たちの日常を突然蝕みだしたことだけを、ひしひしと実感しながら。


 恐らくアレも依媒キャタリスなのだと、テム以外の全員が直感的に感じ取った。

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