第7夜
「ほんッとぉ~~~に心配したよ、ルナ……!」
「無事でよかったわ。キオから連絡が入った途端、アレクったらもう泣き出して」
「酷いなラナ。君だってティーカップを落としかけたじゃないか」
「ちょっと、お父様! お母様! ヴェルディが一緒にいるんだから心配いらないでしょ!」
テムが気絶したおかげで血塗れの喫茶店はヴェルディが即座に清掃した。死体は髪の毛一つ残さず、血痕はすべてその身に呑み込み証拠を抹消する。ゆえに『埋葬屋』が警察に捕まることはない。
レイニアを始めとした護衛たちとともにウルスカーナは屋敷へ戻り、無事を確認した両親からの熱烈な抱擁を受けている。
「帰っていいか?」
「駄目っすよ。お楽しみはこれからなんで」
「着せ替え人形にされる未来しか見えないんだが」
「毎日同じジャケットばっか着てるんだし、たまにはおめかししましょうよ」
「お前だって毎日同じメイド服しか着てないだろ」
「わかってないっすね。これはお嬢様があたしの意見を取り入れてくれたオーダーメイドっすよ?」
「だからどうした」
「この世で極上のメイド服ってことっすよ」
干からびた魚のように中身のない会話をする二人の視線の先では親子のやり取りが続いている。
抱き着いては遠慮のないパワーで押し返される父の名はアレックス=ウィズダム。
ドレスから零れ落ちそうなプロポーションで永遠と抱擁し続ける母の名はイッシュラーナ=ウィズダム。
「ちょっと二人とも! 見てないで助けなさいよ!」
彼らは気が気でなく、玄関先に車が到着するや我先にと娘を出迎えたほど。もしこの場に訪問客が居合わせたとしても気づかなさそうなほどの熱意で屋敷が溶けそうであった。
ウルスカーナの救援要請をヴェルディもレイニアも聞かなかったふりをした。
「あぁ二人とも。いつも悪いね」
「そのだらしない顔をどうにかしてから喋ってくれ、アレックス」
「娘の無事を知ったばかりなんだ、勘弁してくれ」
「そうねぇ、うふふ。ごめんなさい、ヴェルディ。でも今だけは許してちょうだい。ほんとこの子ったら手がかかるんだから」
太陽の光を凝縮したような金髪を揺らしながらイッシュラーナが笑う。夫を虜にしたであろう豊満な果実が描く縦線は相変わらず厚い。その色艶が猥らさではなく一種の神々しさを発揮するのは彼女の人格からか。
しかし瞳の色は娘と違う。彼女のそれは、夏の青空のような淡い色だ。
「もういいでしょ! 今日は大人しく屋敷にいるから! ほら、ヴェルディ行きましょう!」
遊び足りないご令嬢が嬉々としてその腕を掴もうとして、止まる。
アレックスに肩を掴まれて、先に進むことができないから。
「……済まない、ルナ。それはできないんだ」
「……どうしてよ」
「ヴェルディには今からやってもらいたいことがある。その為にここまで来てもらったんだ」
溺愛の眼差しはアレックスから消えていた。イッシュラーナも至極真剣な表情に切り替わっている。その豹変ぶりは誰もが戸惑うであろうが、ウルスカーナも含め、誰も動揺を示すことはなかった。
代わりに、この場で唯一なんの力も有しない少女だけが、顔を歪めた。
「なら、あたしも――」
「いや、君は……。ここから先のことを、君が知る必要はないんだよ」
「でも……っ、でも! ヴェルディにやらせることって、あたしと関係してるんでしょ!? 大方、さっきあたしたちを襲ったマフィアの報復でしょう!?」
癇癪を起こしたように声を張り上げるウルスカーナは一度言葉を区切ると、深呼吸をしてから、今度は夜道を手探りで歩くように声を沈ませた。
「……執行人として、でしょ?」
◇
ウィズダム製菓。
四十年前の内乱終結後に起業した製菓会社がウィズダム家の家業である。
表向きは。
執行人――それこそがウィズダム家の秘匿すべき真の姿だ。
その業は、ディルファイアの私怨と初代大統領タレスの提案を発端とする。
国の脅威は内外から生じる。マフィア、猟奇殺人鬼、密告者、或いは諜報員。警察という正義の公的機関では手に余る存在は多数する。執行人に依頼されるのは、迅速な処理を要する敵ばかりだ。更生の余地など微塵もない、悪人と呼ぶべき者ども。
ディルファイアを筆頭とし、ウィズダム家に連なる者だれもがその業を背負っている。アレックスも、イッシュラーナも、執事も、メイド長も、庭師に至るまで――
二人は伝える時期を熟考していた。将来家督を継ぐ長男にも、愛らしい愛娘にも。
二人の慎重さを裏切るようにして、ウルスカーナは知ってしまったのだ。
一年前、とあるマフィアに誘拐された際、ヴェルディにその身を救われたことで。
◇
「……そうだよ。でもね、ルナ。君はまだ子供なんだ。こういうことは大人の俺たちに任せてほしいんだ」
「ヴェルディもレイニアもあたしと変わらないじゃない! なのに、なんであたしだけっ! ……あたしだけ……。…………」
「…………」
このやり取りも初めてではない。
ヴェルディに救われてからウルスカーナは変わった。良くも悪くも。
「ルナ。執行人の仕事は人殺しと変わらない。決して善行ではないんだ。分かるね?」
「それは、わかってるけど……」
「戦うことを怖いことなのよ、ルナ。私だって実際に現場に行くことはないわ。でもそんな私たちにもできることはあるのよ?」とイッシュラーナが続く。
「そうじゃなくて……」
膝をついて視線を合わせるアレックスの声音は凪のようだ。
頑なに視線を合わせようとしないウルスカーナは床を睨み、反論は徐々に湿っていく。
――あの子はどうしてこんなことに首を突っ込みたがるのだろうか。
ヴェルディがウルスカーナを救って一年が経つ。
片や令嬢、片や依媒。ヴェルディには理解できない点がいくつもある。その中でも特に、ウルスカーナが執行人に抱く興味は難解だ。煌びやかな生活に身を置く身分でありながら、腐臭と死臭漂う暗い世界を嬉々として覗こうとする少女は彼女くらいだ。
きっと、まだ遊べるのにそれが叶わないことに腹を立てているのだろう。
それに、誰かに何かを強制されるのはいやだ。私も、そうだ。そうだった。
そう判断したヴェルディはウルスカーナの傍に歩み寄った。
「ウルスカーナ」
名を呼ばれた令嬢はびくりと肩を震わせて、おずおずと顔を上げた。すっかり意固地になった愛娘に手を焼いていた親ばか二人は黙ってヴェルディの次の手を静観する。
「次会う時は、どんな服でも着てあげるから」自分と変わらない背丈の女の子の目尻を拭い、「だから今日はここにいてくれ」普段通りに、要望を口にするだけだった。
「………………はい」
間近から覗く紫の輝きを見つめていたウルスカーナが短く返事をする。夢から覚めたように、その声はどこか浮ついていた。
大の大人二人が説得しきれなかったご令嬢は、一人の少女の言葉によって容易く素直になったのだった。
◇
「俺の娘の頬に触れるとはいい度胸だねヴェルディ」
「涙を拭いただけだ」
「旦那様の言う通りっすよヴェルディさん。万死に値するっすよ」
「そこまで言ってないだろ」
「いや、値するね。流石だよレイニア。国民栄誉賞をあげよう」
「いえーい」
「……馬鹿みたいなこと言ってないで、早く行くぞ。ディルファイアが待ってるんだろ?」
イッシュラーナとウルスカーナを残し、三人は廊下を進む。
アレックスの顔つき、纏う雰囲気は柔らかさを脱ぎ捨てていた。
襟足を伸ばした楊梅。娘と同じ翠の眼光。薄青のスーツ。その要素はどれも変わらない。社長として奔走し、妻と娘の前では家族としての素顔を晒す。それがアレックスだ。
「そうだね。可愛いルナに手を出した連中も、俺たちのことを待っているだろうし」
執行人としての殺意を一度宿らせれば、笑みを浮かべることはなくなる。
レイニアがドアをノックすれば、中から一人のメイドが姿を現した。
「ハンナ」
「お待ちしておりました、アレックス様」
ハンナと呼ばれたメイドが中へ誘導する。
部屋の中央には天蓋付きのベッドが鎮座し、一人の男が身を起こして来訪者たちを出迎えた。
「済まないな、ヴェルディ。急で悪いが、君に依頼がある」
髪を下ろしたままのディルファイアが静かに言葉を紡いだ。
身内に向けたものでありながら、銃口を突きつけるような覇気を孕んでいる。
「ルナを襲った害悪どもを、殲滅してほしい」
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