2章 執行人
第5夜
「はぁ~泣けたわ~。ほんッと最高、やっぱりエシュリの演技は最高よね。あなたもそう思うでしょう?」
「前に見たのとあまり変わらなかったな」
「ちょっと! 全然違うわよ! 先週見たのは身分違いの貴族と使用人が禁断の恋を勝ち取る話で、今日見たのは夫に裏切られた令嬢が厳しい生活の中でも必死に生き抜いて悔いなく息を引き取る話でしょ!」
「同じじゃないか……?」
「全然違うわよ! もしかして寝てたんじゃないでしょうね!?」
劇場を後にしたヴェルディはゆっくりと歩いている。
一人の少女と肩を並べながら。否、腕を組まれながら。
「ところでお嬢様。歩きづらいんだが」
「あたしが攫われたら困るのはあなたでしょ、ヴェルディ」
「なんでこういう時はいつも車を使わないんだ?」
「ふふっ、秘密よ。文句言ってないでリードして頂戴。お腹減ったわ」
「行き先が決まってるのにリードもなにもないだろう……?」
陽光に照らされ煌めく長いブロンドヘアー。目に映る世界すべてを記憶するかのように翠色の瞳は見開かれ、青いドレスを揺らす姿は妖精のように愛らしく美しい。
ウルスカーナ=ウィズダム。
ウィズダム家のご令嬢。ディルファイアの孫娘。
気まぐれの外出にすら一人を許されない高貴なる少女は、一切の護衛をつけず、その身をヴェルディに預けていた。ジャケット姿の一般人を侍らせる様は街から浮いている。
なぜ自分は懐かれてしまったのか。
こうして遊びに誘われるようになって数ヶ月が過ぎた――
片腕から伝わる温もりにはまだ慣れない。
◇
「で、どうしてお爺様にあんな大怪我させたのよ」
「仕方ないだろう。彼の指示だ」
「本当に? お爺様ったら階段から転んだの一点張りなのよ」
「……君をこういうことに巻き込みたくないんだろ」
「私はウィズダムの娘よ? むしろこういうことには慣れておくべきよ」
熱々の湯気を発するプレートの上にはふっくらとしたハンバーグが乗っている。普段こういったものを味わわないウルスカーナは感嘆を漏らしながら堪能するのに対し、ヴェルディは淡々と口に運びつつ、お喋りな少女へ返事をしていた。
もちろんこの会話は部外者に聞かれるわけにはいかない。
そして、貸切状態の喫茶店G&Kには現在、部外者は一人もいない。
「ねえガルガラ、キオ。あなたたちもそう思うでしょう?」
喫茶店G&K。ここはウィズダム家が秘密裏に資金援助して建てられた店だ。
キッチン担当のガルガラとホール担当のキオ関係者――即ち、ヴェルディと共に救出された
「いやぁお嬢の言う通りだ。旦那に言えば我が子の成長ぶりに感涙するだろうなぁ」
「ははは……。ウルスカーナ様、キオの言うことを真に受けてはいけませんよ」
「つれないわね。あなたもお父様と同じ考えなのかしら」
「いえいえ。僕なんかにはアレックス様がウルスカーナ様を想う気持ちなんて推し量り切れませんよ」
カウンター席が六つ。テーブル席が三つ。喫茶店は二人だけで切り盛りされており、店は決して広くない。純白の壁紙、アンティークな壁掛けランプ、簡素なテーブル。庶民向けの喫茶店はブルジョワのご令嬢に占領されており、さながら秘密基地のよう。
「ただ、荒事は僕たちに任せてほしいなとは思いますよ。まあ、僕にできるのは料理くらいですが」
客に向けるものより一層恭しい笑顔でガルガラは微笑んだ。
◇
「で、その謎の女の足取りは掴めたの?」
「それがお手上げなんすよ。窓が閉まってたから女の声も足音も聞けなかったもんで」
頬をぽりぽりと掻きながらキオが弁明する。
派手な赤髪。両耳のピアスは十を超える。夜明けのような金青の瞳は勇ましいが、本人には一切の戦闘力はない。キオは尋常ならざる聴力を誇る。その気になれば国の端と端で交わされている会話を同時に聴くことすら可能だ。逃げる足音、敵意を抱く心拍、言動の真偽まで。
さらに遠隔にいる人間に声を届けることもできる。
アーリンドレスにて遭遇した
「ただ飯ぐらいめ……」とヴェルディが呟いた。ガルガラは吹いた。
「おいおい、それなら壁に穴とか開けといてくれよ。連帯責任だろこれは。俺が密室には弱いって知ってるだろ」
「悪いな。集中しすぎてうっかり」
「まあまあ。問題はこれからだよ。
「えぇ、このままじゃこうして遊べなくなるかもしれないわ。早くなんとかしてよヴェルディ」
「私に言われてもな」
「なによ。あたしを救ったときみたいにこう、颯爽とやっちゃってよ」
「私は物語の騎士様じゃないぞ」
本来であれば、ウルスカーナがこうした時間を共にすること自体がありえない。
ディルファイアは孫娘に〈執行人〉の職責を教えるつもりはなかったのだから。
きっかけがあったのだ。二人を引き合わせた、命がけのきっかけが。
「ところで、例の
「僕は『手』。キオは『声』。ヴェルディは『血液』。その人の場合は……」
「『水』だろうな。だが私のとは違う気がする。私は血液そのものを操るのであって、私の体を根本的には弄れないからな」
「そいつ、腕伸ばしたんだっけか?」
「ついでに首もな。しかも殺したと思ったら体は水になった。こちらの能力が一方的に知られているというのは歯がゆい……」
「あぁ、ここにいたんだね。ルナ」
穏やかな昼食に不釣り合いな話が熱を帯びた始めた折に、ドアベルが鳴った。
表には貸切を示す看板が立っているというのに。
「最近滅多に会えないから、つい君の事を探しちゃったんだ。ごめんね」
「……テム」
◇
金持ちは他人の人生を鑑賞したがる。
ヴェルディがここ二年の生活で得た知見の一つだ。
毎週末、ヴェルディはウルスカーナに付き合わされて演劇を観るが、そのどれもが誰かの生き死にや恋愛事情を基にした舞台ばかりだった。そういうものを好む人間が一定数いるのだと、何度か劇場に足を運べばヴェルディでも理解できる。
「こんな狭い場所で食事なんてしても、味なんてわかんないでしょ? もっと広い場所に行こうよ。最近見つけた新しいお店があるんだ」
「結構よ」
「そう言わずにさ。きっと気に入るよ。料理だって美味しいよ」
「だから、行きたくないって言ってるでしょう」
ヴェルディにはその感性が理解できなかった。
そして最も理解できないのが、悲劇に涙を流し感動することだった。
せっかくなら幸せな結末の方が良くないか。現実はこんなにもくだらないのだから。
「ねぇルナ。いったいどうしてそんなそっけないんだい。そんな庶民と一緒にいると、君も、君の家名だって汚れちゃうよ?」
「お願いだから口を閉じてくれるかしら、ミスターテム。でないとこのナイフであなたを刺しちゃいそう」
「やだな。君に暴力は似合わないよ」
今日見た劇の内容をすでに忘れかけているヴェルディの傍では、冷めきった男女のやり取りが続いている。
「いったいなにが楽しくてこんな……こんな場所にいるんだい?」
喉まで出かかった最低な修飾語をなんとか呑み込んだ少年は、他の一切に目もくれず、呆れるようにウルスカーナに微笑んだ。
テム=デグァリ。
ウルスカーナの許嫁である。
「それに感心しないな。僕を差し置いて他の男と逢引きだなんて」
「彼女は女性よ」
「……あ、そう、なんだ。それは失礼」
機械的に謝罪を口にしたテムの視線がヴェルディに向くことはない。
店内の空気は冷めきっていた。二人の間に奔る張りつめた緊張感のせいで。
ヴェルディは黙って食後のコーヒーを啜っている。ガルガラとキオは黙って仕事に取り組んでいた。ラジオのニュースばかりが漂う店内はまるで喪に服しているかのような寂しさすら感じさせる。
「……ねぇ、ルナ。少しは考えようよ。身分にあった付き合いをするべきだ。庶民と仲良くしてたら周りからの評価が下がるよ」
「『ブルジョワ』なんていうのはただの称号で、すごいのはあたしたちの親であって、あたしたち自身じゃないのよ。ご両親の権威を振りかざして威張るのはやめなさい」
「……僕はただ、君と仲良くしたいだけなんだよ」
「なら、私の好きな人たちを侮辱する癖を直すことね」
ウルスカーナはもはやテムに見向きもせず、最後のハンバーグを咥えた。
少し冷めてしまったことを悔やみながら呑み込み、カウンターに笑顔を向ける。
「ガルガラ、ごちそうさま。美味しかったわ」
「身に余る光栄です、ウルスカーナ様」
「キオ、勘定はあとでね」
「了解だ、お嬢」
「さっ、行きましょうヴェルディ。まだ遊び足りないわ」
「待ってよ」
席を立とうとしたウルスカーナの前に、男が立ちはだかる。
「どいて頂戴テム。あたし、あなたのこと嫌いになりそうだわ」
「僕はただ君と――」
いつまで続くんだ、これ。
呆れるヴェルディの視界の中、入り口の外で不穏が蠢き、ドアベルが鳴った。
表には貸切を示す看板が立っているというのに。
「おうおう、今日はついてるな。こんな場所でお貴族様のガキ二人と会えるなんてよ」
足音は複数。皆一様にスーツ姿だが、テムが連れていた従者のような洗練さはない。
ヴェルディはウルスカーナを下がらせていた。
その者たちの素性をこの場の全員が知っている。
マフィア――国の腫瘍。暴力を振りまく者共。
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