第2夜
「最高だよディル。だがすまない、甘くない仕事を依頼してしまって」
「気にしないでくれ
「それを言うなら君こそだ。君が、軍の勧誘を断って菓子職人になると宣言したあの時は皆がその才能を惜しんでいたじゃないか」
「ライフルを握ったのは内乱を生き抜くためだった……それだけだ。私は好き好んで銃を撃ったりしないよ。もちろん、昔のようにクッキーを焼く時間も少なくなったが……家族と一緒にいられることが、今は至福だ」
「ああ、わかるよ。この国は当時よりずっとよくなった。まだ問題はあるが、それでもだ」
アーリンドレスは単なる個人店だったが、内乱を経て大手呉服店へと成り上がった歴史を持つ。スコットのような経歴を持つ者は一様にブルジョワと呼ばれる。
アーリンドレス本社に到着したヴェルディ達はスコットの秘書に迎えられ、入り口から入ってすぐの応接ソファへと案内された。その先はマネキンや生地、ミシンに作業机。懐かしい慌ただしさと職人の熱が広大な面積を埋め尽くしている。
「この間、孤児院の様子を見に行ったんだが、ああいう子供は減らないな……」
「スィル=クリムは自由になったとよく言われるが、その反動が格差だ。支援を必要とする者は多く、彼らが未来を掴み取るのを保証するのが我々の役目だろう」
「マフィアが年々増えているなんて話も聞いたよ。なんというか……昔の、王族と貴族が国を牛耳っていた頃の私が聞いたらきっと腰を抜かすだろうね」
ソファに座る二人の社長。その後ろに侍る二人の女性。鏡映しのような配置で雑談は続く。
ヴェルディは窓の外を眺めるように、対角線にいるその女性を意識した。
「それに最近は物騒じゃないか。『埋葬屋』なんて名乗る輩が次々と事件を起こしてる。今回はルゥだ。これで何人目だ、共に戦い抜いた友人が不名誉な最期を迎えるのは」
ディルファイアと対面する男性――スコット=アーリンには目もくれず。
「臨時で護衛を増やした方がいいかもしれないな、オットー。今回は手伝えたが、私だって四六時中電話に出られるわけでもない」
ディルファイアはグルガーの懐中時計を差し出した。
殺した相手の遺品を手土産にすることが任務遂行の証になる。
「……確かに。これはグルガーの物だ。ありがとう。本当に最高だよ」
スコットは時計を眺めるように俯いたまま静かに笑った。
そこには称賛とは異なるなにかが含まれているようで。
「オットー、約束通り、君のお気にいりのワインを割ったことは水に流してもらうぞ」
「はっはっは。安心してくれ、ディルファイア。もうそんなこと気にしていないさ」
「そうか。ならよかった――」
「君が
遮るように言い放ったスコットの声は、溶けた鉄のように鼓膜に纏わりついた。
突然の言動に戸惑う二人の視界の外で、スコットの秘書が動きを見せる。その仕草は踊るように滑らかで、腕は流水のような残像を描いた。
「アハッ!」
実際のところ――それは比喩でも、残像でもなかった。
水の奔流が宙を奔る。豪速の直線はずるりと音を立てながらヴェルディへ迫った。
身動き一つしない体の真ん中に大きな穴が空く。
地面に倒れこんだ彼女はマネキンのように動かなくなった。
◇
「社長。その男も殺していいんでしょ?」
「いいや待ってくれランターニール君。こいつの泣き顔が見たい」
「ふぅん……。まっ、早くしてよね」
「……君の秘書は変わった特技を持っているな。まさか私の護衛を一撃で倒すとは」
腕を水にする人間などこの世にいない。炎や雷を操る能力者などというのは空想の産物だ。しかしヴェルディはその空想じみた方法で今しがた殺害された。
ディルファイアはゆっくりと言葉を紡いでいる。自分を落ち着かせるように。
「『埋葬屋』なんて名前で世間を騒がせる方がよっぽどすごい特技じゃない。ねぇ、お菓子職人さん?」
「…………」
「あら、無視? 殺されたいの?」
「まあ待て。推理してやろうじゃないか。この一年間、新聞の見出しを掻っ攫ってきたその悪行を」
ディルファイアは見た。女の腕が透明な触手のように変形し、蠢き、槍のように伸びてヴェルディを刺し貫く瞬間を。彼は咄嗟に反応できなかった。今では女の腕は元通りになり、普通の人間と変わらない。
ランターニールと呼ばれた女は鼻歌を歌っていた。社長机の椅子に座りながら。
スコットは拳銃をディルファイアに向けながらゆっくりとソファの周りを歩く。革靴が床を踏む音が鮮明に響く。錆びた鉄の臭いが立ち込める。
「さて、裏切り者よ。貴様はこれまで大統領直属の部下として気に入らない連中を排除してきた。先日殺されたルゥのように」
「それは国のために――」
背筋が震え上がるような銃声が響く。
ディルファイアの右足のすぐ傍から煙がのぼっていた。
「口答えするな。次は殺す」
「……今はヴェルディに仕事を任せている。彼女が仕事を終えたら、私は『埋葬屋』という名前で殺害した相手の素性を報道会社に流した。これでいいか?」
「いいやまだだ。まずは……その女は〈レヴォルト〉を壊滅させた際に拾ったな?」
「あぁ」
「このクソ野郎が! あの組織が残っていればとっくに人類は救われていたというのに!」
硬直していたディルファイアの表情に変化が現れた。
向けられた銃口に対してではなく、友人の口から吐かれた下品な言動に。
「……見境なく人を攫い、非合法の実験を行い、数多の死者を出した秘密結社が?」
「人類を救済するためだ! そこで寝っ転がっている女はその贄になりうる存在だったんだぞ! それを貴様、我が物顔で使役しやがって! さぞ便利な道具だったのだろうな! 殺した証拠をすべて隠蔽できるのだから!」
「……そうだな。彼女の能力は強力だ。だが道具ではない。一人の人間だ」
「はっ! しらじらしい。なら次の質問だ。なぜわざわざ殺害を公表した?」
「平和のためだ。君のような国の脅威を牽制するために」
「内乱を共に生き抜いた友人を殺すことはお前にとって正しいのか!」
怒りに震えたスコットの糾弾が響き渡る。正義感と共に握る拳銃が今にもディルファイアを撃ち殺しそうなほどに震えている。ここは秘匿された処刑場だった。
「あぁ、そうだ。ルゥは麻薬の密輸を主導していた。君たちが裏で繋がっている組織〈ラ・コトン〉――
「……なんだ、知っていたのか」
しかし、明確な善と悪などというものはこの世に存在するのだろうか。
少なくともこの場にいる誰もが善良であり、邪悪でもあった。
「私は徹底的に〈レヴォルト〉を滅ぼしたと思い込んでいたが……〈ラ・コトン〉はその組織の生き残りなのだろう? そして私たちの手が届かない場所に潜み、勢力を増やしていった」
「……さて、どうかな」
「教えてくれオットー。ルゥも、クリシアも、シェイドも、なぜその組織に組みした? なんと唆されて――」
発砲音。鈍い悲鳴。場違いな笑い声。荒い呼吸。
革靴は歩みを止めた。
ランターニールはただ唇を吊り上げてばかりだ。
「お前は大馬鹿野郎だ! 人類の進化を百年は遅らせた重罪人だ! 〈レヴォルト〉が残っていれば、今頃は魔女の統治によって世界は平等に――」
「社長、あまり余計なことを喋らないで」
「……ははっ、安心しろ、ランターニール君。冥途の土産だ。それにこの部屋の音は外部に漏れることはない」
「早く済ませてもらえる? 茶番に飽きてきたの」
「……そうだな」
ディルファイアは苦痛に呻いていた。足を撃たれ、上等な生地に真っ赤な斑点が浮かぶ。しかし命乞いをすることはない。脂汗を滲ませながらも、友人を見つづけている。
「オットー……なぜ……」
「それはこちらのセリフだ。なぜだ。なぜ……なぜ、友を殺した」
「……国のためだ」
「…………」
ディルファイアは譲らなかった。黒曜石のように硬い意志は鉛玉を食らっても砕けない。
貫かれた部位はガソリンに火が付いたように燃え上がり、今や熱は痛みとなって彼の脳を侵食しているというのに。
「そうか。なら――私がお前を殺すのも、この国の未来のためだ」
傲慢に言い放ったスコットの双眸は怒りで固まっている。わなわなと震える腕が標準をぶれさせる。不滅と信じた友情を裏切られたことへの憤怒か、共通の友を失ったことへの悲しみか。
「言い残しはあるか? 安心しろ、お前の家族もすぐ送ってやる」
「……いや、いい」と、ディルファイアは言った。
「そうか。お前はつくづくつまらない男だったよ」
引き金が引き絞られる。
「死ね、ウィズダム」
三度目の銃声。男にとって、それですべてが終わる――はずだった。
鉛玉が肉や骨を貫く音がしない。むしろ、それよりもずっと硬い。
銃弾は弾かれ、あらぬ方向へと散っていった。
「……は?」
スコットは瞬いた。
銃弾が止められたのだ。赤黒く薄い壁によって。
なにより――
死体が彼の前に立ちはだかっていた。
「もう少しで寝落ちするところだったぞ、ディルファイア」
二度と立ち上がるはずのない観客が、舞台へ上がる。
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