第16話 欠けた半身

 御上碧にとって、御上灯莉という存在は単なる姉に留まるものではなかった。


 碧には10歳より以前の記憶がなかったが、灯莉曰く、二人の両親は研究者であり、碧たち姉弟を含む異質な能力を持って生まれた子供たち対して研究という名の人体実験を行っていた外道だったらしい。

 思い出したくない出来事なのか、あまり詳しくは語ってもらえなかったものの、最終的に研究所が崩壊するレベルの大事故が発生した結果、両親は他の研究者もろとも命を落としたのだとか。

 それ以降は、生活するために灯莉と共にダンジョン攻略者となり、最初は彼女に護られながら急速に力をつけ、最終的に二人で世界最強の攻略者と呼ばれるに至ることとなる。


 故に両親がおらず、学校にも通っていなかった碧にとって8歳年上の姉は、親代わりであり、友人であり、相棒であり、半身と言っていいほど碧の人生に欠かせない唯一無二の存在だったのだ。

 だからこそ、それが喪われたときは自分でも驚くほど冷静さを欠いてしまい、半ば暴走状態のままダンジョンを脱出することになってしまった。


「――ふむ。簡潔にまとめると、キミはあの裏ルートではぐれてしまった仲間の捜索及び、異形化してしまった姉を元に戻すためにあのダンジョンに挑み続けている、ということでいいのかな」


 碧は夕花の言葉に対して、否定も肯定もしなかった。

 ただ、虚ろな目をしながら、当時のことを思い返して強烈な後悔に襲われているだけだ。

 あの時、碧がまともに戦えなかったばかりに。力を使うことをがばかりに、最も大切な人を失ってしまったのだから。


 ダンジョンから脱出して以降、碧は以前より関係があったNDKの人間の勧めで学校に通うことになり、それから2年後にNDKの職員として雇われることになった。


「でも、あれから6年も経っているんですよね。ということは多分、もう――」


「リン。それは……」


「あっ、その、すいません……」


 リンが謝罪すると、場が一度静寂に支配された。

 皆、察しているのだろう。もしDトラベラーズの他のメンバーが、ダンジョンの脱出に失敗していた場合、今も生存している可能性はほとんどあり得ないということを。

 だからこそ、碧も皆も口を閉ざした。この場でそれを明言するべきではないと判断したからだ。


 だが、そんなことは碧はとっくの昔に理解していた。

 だからこそ碧は、すぐに応援を呼んでダンジョンに潜ろうとしなかったのだ。

 その理由は、碧が*******************だからに他ならない。

 

 全てを理解している碧の目的は仲間たちの救出ではない。仲間たちの痕跡――即ち遺品を回収する事。

 それこそがたった一人の生き残りである自分の役目。

 が果たさなければならない、Dトラベラーズとしての最後の仕事の一つ。

 

 しばらくして、碧がようやく重たい口を開いた。


「――俺は、姉さんを救いたい。解放したいんだ、あの忌まわしき旅人の残影を」


 もう何度相まみえたか分からない、あの悍ましい姿となった灯莉と決着をつけたい。


「だけど、俺一人では残念ながらそれが出来なかった。だから……勝手な言い分なのは分かってるけど、どうか、俺に力を貸してくれませんか」

 

 そう口にして頭を下げた碧に対して、皆は僅かに口角を挙げた。

 それに対して拒否の意思を示す者はこの場にいなかった。


「こんな話聞いちゃって、断るなんてできるわけないよね、みんな」

「えぇ。いずれにせよあのダンジョンの攻略は私たちの仕事だし、何より御上さんは私たちの――」

「ボクたちの命の恩人、だもんねっ!」


 リンベルサウンドの3人は立ち上がってこちらに対して肯定のアピールをした。

 同僚である竜生と藍里はこちらを見て無言で頷いた。

 そして上司である夕花は軽く目配せをした後、端末を取り出して何かを調べ始めた。


「――ありがとう」


 ああ、こんなことならばもっと早くに協力を仰げばよかったな。

 重く凝り固まった心が少しだけほぐれるのを感じる。

 そして調べ物が終わったのか、タブレットを片手に夕花が前へ出てきた。

 

「幸い、と言っていいのかは分からないが、我らがNDKには人間の魔物化についての研究が行われている。魔物化した人間を完全に元に戻せる保証はないが、体さえ確保できれば何とかなるかもしれない」

「……そんな研究があったんですね」

「ああ。だが問題は、あの凶悪極まりないダンジョンで、キミの姉を拘束して身柄を持ち帰ることが出来るか、という点だ。どうだ、御上クン。現在のキミの実力から見て、あのお姉さんと戦って勝てる自信は?」


 その問いを受けた碧の表情が曇る。

 あの忌まわしき旅人の残影は、最悪なことに世界最強の攻略者が素体であり、なおかつ異形化しダンジョンに取り込まれた影響で体力等もほぼ無尽蔵と言っていい。

 前提としてもし姉が人間の体だったとしても、6年前のアオイが全力を出したとして勝つことは難しかっただろう。

 だが、碧は確たる意志を持って宣言した。


「――勝てます。の状態で一対一の状況に持ち込んでくれれば、後は俺がを捨てるだけ……を出すことさえ躊躇わなければ勝てます」

「――その根拠は? あまりこういう言い方はしたくないが、昨日の調査でキミはお姉さんを取り逃がしている。あの時のキミは万全に近かったと思うのだが、」

「それは……」


 碧は再び言葉に詰まる。

 何故、碧は今の灯莉に勝てると言い切れるのか。その理由は確かにある。

 だが、今の碧はその言葉を口にしたくはなかった。

 それではせっかく言葉を濁した意味がなくなってしまうからだ。


「――まあいい。いずれにせよキミが勝てなければどうしようもないというのが現実だ。勝てるか勝てないかではなく勝ってもらわなければそもそも話が進まない。それで、キミがお姉さんと戦う舞台を整える役を担うのがリンベルサウンドの3名ということになるわけだが……」

「――はっきり言って、実力不足、だと自覚はしてます」

「……あまり言いたくはないが、そう言うことになるだろう。その問題はどうする?」


 今度の問いは、碧が答えるべき模範解答が既に決まっていると夕花の視線が訴えている。

 碧はゆっくりとリンベルサウンドの3人の方向へと体を向けて、言った。


「俺が鍛えます。元世界最強格の攻略者として、3人があのダンジョンをまっとうに攻略できるように」

「――よろしい。期間は?」

「2ヶ月、ください」

「良いだろう。上にはそう報告しておく」


 夕花が満足そうに頷いた。

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