第7話 限界

「……ここに来るのはこれで何度目だろうな」

 

 10から先はもう数えていない。

 無骨な石壁に囲われた地下迷宮。その最下層の一角にある、不自然な壁を撫でながら、碧は一人呟いた。

 はじめてこの場所を訪れたのは6年前。

 その時はこの先にあるモノを何一つ認識しておらず、ただの探求者として嬉々としてこの壁を破壊して先へ進んだのを覚えている。

 

 次に訪れたのは2年前だ。

 ダンジョン管理人としての仕事を得て、旅人の傷痕に配属されてから半年経ってからのこと。

 碧は当時のことを懐かしむようにゆっくりとその時のことを思い出す。


「――なぁ、竜生たつき。折り入って話があるんだが、いいか?」


「なんだよ碧。改まって」


「お前にしか頼めない、大事な話なんだ。真面目に聞いてくれると助かる」


 それは同僚である竜生とある程度の信頼関係が築けたと判断した時に切り出した話だ。

 竜生は碧と同じ22歳ではあるが、碧よりも早くこの旅人の傷痕で働いている先輩でもあった。

 余談だが、現在この旅人の傷痕に常駐している管理人は碧を含めて4人しかいない。

 というのも、現代の日本には多数のダンジョンが存在しており、ダンジョンに関わる仕事をしようとする若者は、大半が攻略者の道を選ぶことから、管理人になろうとする人材が不足しているのだ。

 そんな訳で、竜生はその時点で旅人の傷痕の管理人としてはNo.2の立場にあった。


「――分かった。そこまで言うなら聞こうじゃないか」


「ありがとう。それでだな、俺が頼みたい事というのは――」


「ああ」


「俺を匿名でダンジョンに潜らせてほしいんだ」


「――なに?」


 その言葉を聞いた竜生の顔は、「なに言ってんだコイツ」と言った顔だった。

 当然だろう。ダンジョン管理人が、自分の管理するダンジョンに仕事以外で潜りたいなどと言う事自体あり得ないことなのだから。

 そんな事を望むような人間は、管理人ではなく攻略者になっている。

 だが、碧は違った。

 だからこそ、なんで攻略者にならなかったんだ、と問われたときにこう答えたのだ。

 

「俺は、ダンジョン攻略なんてしたくない。誰かとパーティを組む気も、各地のダンジョン巡りもする気はない。でも、ここだけは――このダンジョンだけは、俺の手で攻略したいんだ」


「……ってことは、お前は元攻略者だったって訳か。一応言っておくが、Dレート制限は無視できねーぜ。実力がない奴を送り出して死なれたら俺は責任が取れねー。俺に相談したってことは、お前が持ってるDライセンス、見せてくれるんだよな?」


「……あぁ、だが絶対に他言しないと約束してくれるか。俺はもう、表舞台に出たくないんだ」


「安心しろ。これでも口は堅い方だ。ってなわけで、いっちょ拝見――って、はぁっ!?」


 Dライセンスとは、NDKが発行するダンジョン攻略者としての身分証明書のようなものだ。

 登録する際には実名が必須であるが、Dライセンスに記載する名前は必ずしも本名である必要はない。

 ダンジョン攻略者として名乗りたい名前を名乗ることが出来る。

 碧が差し出したライセンスに記載されている名前は”アオイ”。

 そして表示されているDレートは――


「ちょっ、嘘だろ!? お前まさかあの――」


「あ、あんまりでかい声で言うな! 事情は――察してくれ」


「……正直なところ、この数分で聞きたいことは山ほどできた。だが、答えたくないんだろ?」


 その問いに、碧は無言で頷いた。


「……分かった。協力するよ」


「助かる。ありがとな、竜生」


「だけど、いつかもっと俺を信用できるようになったら、いろいろとちゃんと話してくれよな。約束だぞ」


「――分かってる」


 そのようなやり取りを経て、碧は竜生の協力を得ることに成功した。

 碧は元々ダンジョン救助者としての資格を持っていたため、救助ルートのチェックという名目で、定期的にダンジョンに潜ることが出来るようになった。

 そしてそれだけではなく、碧が休日で、竜生が受付担当の際は、黙認という形でダンジョンに潜ることも可能となった。

 これは竜生にとっても当然リスクがあることなのだが、碧の正体を知ったことで、その実力を信頼し、万が一にも事故はないだろうと判断したからこそこのような形をとったのだ。


「――悪いな竜生。ここから先は、俺でも生きて帰れる保証はない。でも、感謝してる」


 そして、迎えた第1回目の秘密の調査。

 碧はその一言と共に、何故か再生していた壁を破壊し、赤色の地獄へと潜り込んだ。


 ♢♢♢


「だが結局、大した成果を得られないまま二年を浪費した」


 自嘲するように、あるいは自戒するように言葉を発した。

 命を最優先にすること。それが竜生との約束。

 だがそんな約束があろうとなかろうと、碧は常に慎重だった。

 御上碧という男は、この数年で自分でも驚くほどの臆病者に成り下がっていたのだ。


 今回あの地獄に迷い込んでしまった、リンベルサウンドの面々を救助できたのも、その場所がだったからだ。

 もし彼女たちにもっと実力があったら。もっと先へ進めてしまっていたら。

 碧はきっと彼女たちを助けることは出来なかっただろう。

 それほどまでにあの場所は恐ろしい。


「一人でできることには限度がある、か。天音さんの言う通りかもしれないな」


 変な意地を張って、いつまでも目的を果たせない。

 そんな情けない自分を碧は段々と許せなくなってきていた。

 俺にもっと力があれば。俺にもっと技術があれば。


「――いや、そんなことを言い出したら、だってあんなことには……」


 ああ、ダメだ。

 いつまでもこんなところで突っ立っていたら、頭がおかしくなってしまう。

 今日はもう、帰ろう。そう判断した碧は、地獄への入り口に背を向けた。


 天音さんの言う通り、今回の件は転機なのだろう。

 これからは正式な調査という名目で、堂々とこの地獄に挑むことが出来るようになる。

 そう、ここが自分の限界だったのだ。

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