第14話 別離

 佑羅はみのりの姿が見えなくなったのと同時に、力なく膝から崩れ落ちた。


「みのり……どうしてだ。みのり……!」


 みのりの名を叫び続ける彼の目からは、次第に熱い涙がボロボロとこぼれた。それだけ彼女を溺愛していたのだろう。


「みのりがいなくなったら……わしは困る! それに狗神がみのりを無事で済ますわけがない!」


 おいおいと泣き続ける佑羅に気がついた女房と綺羅々が彼のもとにやってくる。佑羅がなんとか事態を説明すると女房達は慌てた様子を見せた。

 綺羅々は口をぎゅっと尖らせて無言を貫く。


「龍神様、これからどうするおつもりなのですか? もしも奥様になにかあったら……!」


 女房のひとりの言葉に、佑羅は地面の土を爪を立てながら掴んだ。


「もちろん、取り戻すに決まっておろう」


 佑羅の目からは涙が消え、代わりにぎらりと光が輝く。


「待っておれ、みのり。必ずやわしがそなたを取り戻してみせる!」


 佑羅の決意は地面を揺るがす程の力強いものだった。

 一方みのりはもみじと共に木蓮の背に跨り水渡村へと向かっていた。無言が続く中、最初に切り出したのはみのりの前にまたがり背中を見せているもみじだった。


「アンタ、龍神様によくしてもらってたんでしょ?」

「はい……」

「あーし、本当にアンタ見てるとムカつく。だってあーしとママからパパを奪ったんだもん。パパも最低だしアンタも、アンタを産んだ女も最低。大嫌い」


 もみじがみのりに対して恨み言を吐くのはこれが初めてではない。みのりは反射的にごめんなさい。と小さな声で謝るも、みのりはチッ……。と納得いかなさそうに舌打ちする。


「……でもアンタを責めても何にもならないのよね。本当に悪いのはパパとアンタを産んだ女なのはわかってる。それなのに……」


 みのりの実母は既に故人。もみじは彼女に怒りをぶつける事は出来ない。

 線香の灰を彼女の戒名が記された位牌にぶつけた事はあるが、それくらいしか発散出来なかったのをもみじは今でも覚えている。


(ムカつく! みのりはあーしより不幸でいないといけないんだよ!)

「アンタが生まれてこなければこんな事にはならなかったのに」


 この刃だらけの言葉も、みのりに放ったのは数え切れないくらいある。だが、それでももみじはまだ言い足りないくらいなのだ。


「……もし、私が生まれて来なければどうなっていたでしょうか?」

「みのり?」

「私がいなかったらどうなっていたんでしょうか?」


 みのりからこのような事を言われるのは初めてだったもみじは少しだけ動揺を見せる。


「……たぶん、パパはママに叱られるだけで済んだ。あとはアンタを産んだ女に慰謝料を請求するとか? いずれにせよ今よりは楽だったでしょうね」

「……そうですか」

「アンタはどう思う訳?」


 もみじから意見を求められたみのりは、私も同じ考えです。と返した。


「……あっそ。あーしと同じ考えって訳ね」

「はい。だってそうじゃないですか。私がいるから余計にややこしくなった。もみじさんは未だに私を許せないでいる」


 ぐさりともみじの胸が短剣で刺されたかのような衝撃を受ける。そして、だからこそ龍神に愛されたのだと理解した。


「アンタさ、本当優しいんだね。バカみたい」

「優しくないですよ。出来ればあなたとは金輪際関わりたくないと思っていますので」


 思わぬみのりからの反撃に、もみじはイラつきが上昇しつつ衝撃を受け続けている。


(……あの女もみのりみたいな性格の持ち主だったんだろうか)


 と心の中でぼそりと呟いたもみじに、木蓮がそろそろつくよ。と声をかけた。今は真っ暗闇な洞窟を進んでいっている最中で、ここをぬけると上一宮町へと入る。


(そろそろか……あれ、頭の中に佑羅様の顔が思い浮かんでくる……なんで?)


 佑羅が笑う顔、彼の真剣なまなざし、そして口づけを交わした時の事がスローモーションに流れていく。


(あ……やめてよ、こんな時に)


 洞窟を抜けて森を経由し、ついに水渡村へと到着した。彼らの姿を見た村民は神だ! とか、もみじちゃんだ! などと驚きながら声を挙げるがみのりの名を呼ぶものはいない。


「ほら、屋敷よ」

「あ……」

「ふたりとも――降りる準備してねえ」


 淵沼家の屋敷の目の前に木蓮が停止すると、2人はよっこいしょ。と飛び降りるようにして降りた。彼女達が無事降りたのを確認してから木蓮は人型の姿に変わる。


「……帰って来たんだ」


 淵沼家の屋敷の玄関には、紅白幕が飾られていた。水渡村では結婚式前から数週間にわたって玄関に紅白幕を飾るのがしきたりとなっている。


「……もみじさん、木蓮さんと結婚したんですか?」

「うん、あと木蓮さんじゃなくて木蓮様な」


 ばしっとみのりの頬を叩いたもみじは、木蓮も置いてひとり玄関の扉を引いた。


「ママ! パパ! 帰って来たよ!」


 もみじが大きな声を挙げると、家政婦と当主が早歩きで玄関へと姿を現した。当主はもみじの姿を確認したのと同時に、みのりに対してひっ。と情けない声を漏らす。

 だが家政婦はみのりを見てもみじや当主にバレないよう、安堵した顔を見せてくれた。


「さあ。3人ともどうぞごゆっくり」

「はあい。ママ! お茶入れて!」


 もみじはなぜかみのりにはお茶を淹れるよう指示をしなかった。単に忘れていただけか、それとも何か別の理由があるのかまではみのりにはわからない。

 広間にて3人がお茶を飲んでいると、当主が父親を連れてきた。


「みのり、ちょっとお父さんと話いいかしら?」

「は、はい……」


 もみじと木蓮は当主に促され、広間から出ていく。そして当主も広間から去ると、みのりと父親のふたりだけとなった。


「お父さん……帰って来たよ。勝手にいなくなってごめんなさい」


 最初にみのりの謝罪が発せられると、父親は頭を右手で掻いた。


「今更だが、みのりに何度謝っても自分のした事は一生許されないと思っている。だが謝らせてほしい。本当にすまなかった……」


 父親がみのりに謝罪するも、みのりには彼の謝罪の言葉は胸の奥にはなかなか降りてこないでいる。


「……なんでそんな事してしまったの。どうしてこうなるってわからなかったの」

「……」

「私を引き取ったらこうなるってわかってた? お母さんの方の親戚は私を引き取ろうとはしなかったから、私を引き取ったの?」


 父親の方からは無言が続く。唇をぎゅっと噛み締め、言葉を必死に出そうとしているのがみのりにも見えていた。


「……ああ、そうだ。それにアイツの面影を、お前から感じ取っていた、から……」

「だったら当主様とは離婚すればよかったんじゃないの? それならお父さんとふたりにはなるけど、こんな虐められてつらい目には合わずに済んだのに」

「それは出来なかった。だって俺にはもみじもいるから……」

「……私を優先する事は出来なかったんだね」


 みのりは自分がこんな事を言えるだなんて最低だと考えながら、歯止めが効きそうにない事も理解していた。だから……流れに身を任せていく。


「私がいなかったら、良かったって思ってたでしょ?」

「! そ、それは……!」

「中途半端すぎるよ。もみじさんが大事だと言ってるくせに、私の事を引き取って! それに高校に行かせてくれなかった! 一体何がしたかったのよ!」


 みのりの目からはぼろぼろと大きな雫のような涙が落ちている。そんなみのりに父親は慌てて近くにあったティッシュを箱ごと差し出した。みのりはそれを震える手で受け取るとティッシュを1枚1枚使って涙と鼻水を拭いていく。


「お父さん、私を引き取ってもみじさんにばっか大事にするなんて中途半端なんだよ……どうせなら私ともみじさんを対等に扱ってほしかった! それならまだ私は酷い目に合わなくて良かったんじゃないの?」

「そうだったな……でも、当主には逆らえない」

「じゃあ私を無理に引き取る理由も無かったじゃない! 全部自分さえよければそれでいいって思ってるでしょ?!」


 痛い所を突かれた父親はまたも黙り込んでしまった。


「施設に入れると言う考えも無かったんだよね?」

「ああ、無かった……お前には側にいてほしくて」

「私がもみじさんにいじめられる所を近くで見てたかったんだ?」


 ずばっと言い返したみのりに、父親は違う! と反論する。


「でもそうじゃない、お父さん何もしてくれなかったんだから一緒よ」

「……っ」

「……謝罪はそれだけ? 当主様は何もおっしゃらないのね」


 すると廊下で話を聞いていたのか、当主がふすまを開けて中へ入って来た。


「みのり……私からも謝罪するわ。本当にごめんなさい」


 黒と赤の着物を着こなした当主が、みのりにむけて丁寧に土下座する。みのりは果たしてこれが心の底からの謝罪なのか或いはパフォーマンスなのかと疑いの眼をもって見ていた。


「ご当主様……」

「あなたがまさか龍神様に娶られるとは思っていなかったの。でも龍神様に気に入られるという事はとても喜ばしい事だと私は考えているわ」

「もみじさんが狗神の方とご結婚されたとお伺いしました……」

「ええ。そうなのよ。まさか淵沼家の娘がふたりも神と結婚出来るだなんてとても光栄かつ幸運な事だと思わない?」


 みのりはええ、思います……。と返しつつも言葉に言い表せない違和感を感じ取っていた。


(なんだか嫌な予感がする……なんて言うんだろう、私と佑羅様にただ乗りしようとしている感じが)

「それで、今後私をどうするおつもりなのでしょうか? 私は高校へはいけませんでした。このままこの屋敷でゆっくりと暮らせという事でしょうか?」


 みのりは自分でも驚くくらい、当主に向けてすらすらと言葉を放っていた。当主も驚きながら、みのりを見るも驚きのせいで言葉が出てこないようである。


◇ ◇ ◇


 龍神宮に戻った佑羅はさっそく人型の小さな式神を飛ばした。式神はふわふわとクラゲのように空を漂う。


「淵沼家の屋敷であればまだよろしいのですが……」


 女房の中には淵沼家の出身の者もいる。彼女達からすればどこか知らない場所よりも、もみじが言っていたように淵沼家の屋敷の方が探しはしやすい。

 それは佑羅も同じである。


「狗神の事だ。みのりを淵沼家の屋敷とは違う場所に連れていく可能性もありうる」

「佑羅、そうだったらどうするの?」

「その為の式神だ。みのりの居場所を狗神や人間に気づかせる事なく追ってくれる」


 佑羅は式神が消えた方角に視線を移す。


「頼んだぞ、みのりを探し出してくれ」


◇ ◇ ◇


「ご当主様は何をお考えなのですか……?」


 みのりが少し警戒心を見せながら、当主に対峙している。


「あなたが、龍神様に娶られるとは思わなかったから……」

「それはそうですが……私もこうなるとは思っていなかったもので……」

「だから、あなたとはこれから仲良くしたいと思っているの」


 にこりと笑う当主からは、怪しさが見え隠れしている。


「なぜ急にそのような事をおっしゃるのですか?」

「それは……あなたの結婚を祝して、よ。龍神様と結婚したのだからあなたとも仲良くしたいのよ」

(……待って、私が佑羅様と結婚したから?)


 みのりは立ち上がると、意を決して自身の考えを当主に伝える。それを聞いた当主はぎくりと罰の悪そうな顔をした。


「……その顔。やっぱり私の事なんかどうでも良いんですね」

「だって、なんであなたが龍ヶ池の龍神様に娶られるのよ?!」


 やはりと言うべきか、本性を露わにした当主。父親がおびえてしまっているがみのりは真正面から向かい合っている。

 いつもなら身体を縮こませていたみのりだったが、この時だけは当主と渡り合えるという妙な自信があった。それも佑羅との生活が生み出してくれたものかもしれない。


「やっぱりそうだと思ったんですよ。なんだかおかしいと思っていましたので」

「みのり……! あなたも本性を現したわね。やはりあの女の娘だわ」

 

 父親が肩を震わすが、みのりにとっては知ったこっちゃないといった具合である。


「あなたこそ本性を現しましたね、ご当主様。でももみじさんも狗神である木蓮さんとご結婚されたのだからそれで良いではないですか。わざわざ私に固執する必要はないと思います」

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