第13話 それぞれの動き

「木蓮様ぁ〜!」


 もみじの甘い声が木蓮の鼓膜を揺さぶる。対照的にもみじと触れ合っていた部下達は、小さな悲鳴を挙げながら蜘蛛の子を散らすようにもみじから離れていった。しかも皆揃って真っ青な顔をしている。


「木蓮様、これからどこに行きますか? せっかくだし神域色々巡ってみたいです!」


 もみじは胸の前で手を合わせながら、木蓮へおねだりする。これはよく当主や男達に使ってきた手法だ。


「ああ、そうだね。一通り巡ってから君のお家に帰ろうか」

「ええ……あーし、お家にはまだ帰りたくないかもぉ。だって結婚反対する人がいるだろうし」


 木蓮は大丈夫だよ。と言いながらもみじを抱き寄せて額に軽くキスを落とした。


「木蓮様……」


 もみじの顔がわかりやすく赤く染まる。


「俺がいるから大丈夫。みっちゃん」

「あーし、木蓮様と出会えて本当に良かった……!」


 人目ならぬ狗神達の目も気にせず抱き合う2人を、部下達はしんみりと見つめていた。

 だが、部下のうちのひとりがある事に気がつく。


「そういや木蓮様恋人いたような」

「あれはセフレ……いや友達だろ」


 隣の部下から突っ込まれると、腕組みをしながら顔を傾ける。


「そっかぁ。ならいいのかな?」

「まあ、大丈夫なんじゃねえの? だって告白したとかそういう話は聞いてないし」


 木蓮はもみじから離れると彼女の手を引いて歩き始めた。

 雪はまだ止む気配なく降り続けている。


 ◇ ◇ ◇


 狗神の襲撃および槐との戦いから大体1週間ほどが経過した。あれから龍神宮を襲うような神はいないが、ひりついた空気はまだ残っている。

 みのり達は守りを強化した龍神宮内で、ひっそりと暮らしている状態だ。


「みのり、ウインナー食べるか? 赤ウインナーとぱきっとした大きいのとどっちが良いか?」


 佑羅がみのりに対してウインナーを指さしている。


「そうですねぇ、じゃあ赤ウインナーで」

(赤ウインナーはよく焼いたものをお父さんのお弁当に入れていたな……今は誰がお弁当作っているんだろう)


 今、彼らが食べているのはお昼ごはん。焼いたウインナー2種とオムライスにシーザーサラダ、フライドポテトにオニオン風味のポタージュという洋食な品が並ぶ。

 ちなみに品の一部はみのりが自ら手がけたものでもある。


「綺羅々、美味しい?」

「うん。どれも美味しいよ。特にシーザーサラダ好き」


 女房達も美味しそうに食べているのを見て、みのりはほっと安堵しつつ喜びを見せる。


「みのりの作る料理も美味しいのぅ。なあ、良かったらお弁当作ってもらえんか?」

「お弁当ですか?」

「ああ、たまにコンビニやスーパーで売られているものを買って食べたりするのだが……美味しくて気に入っておるのだ」


 佑羅は人間の住まう領域に足を踏み入れた際時々コンビニやスーパー、お弁当屋さんで食材やお弁当を買って帰るのだ。神域には無い珍しいものだからの。とみのり達に聞かせてくれた。

 へへっと少年のように笑いながら尻尾をゆらゆら揺らす佑羅に対し、みのりはでは作ってみます。と少し照れ笑いを見せながら答えた。


「本当か?! 本当に作ってくれるのか?!」


 目をダイヤモンドのように輝かせる佑羅へちょっと落ち着いてください……! となだめながらも、勿論作りますよ。とみのりは語る。


「いつもあなたにはお世話になっていますから。それにあなたが喜んでくれるなら私も嬉しいんです」

「そうかそうか……ははっ! 愛する妻のお弁当を頂けるなんて幸せじゃ……!」


 はっはっは! と佑羅が笑っていると、綺羅々が興味ありげに口を開く。


「ねえ、みのり。私にも作ってよ。たまには水以外のごちそうも食べてみたい」

「もちろん。綺羅々にも作るから。それと女房の皆さん、お弁当必要な方いらっしゃいますか?」


 女房達は互いに目を見合わせると全員が控えめに右手を挙げた。みのりの心のうちからやる気が炎のようにみなぎってくる。


「奥様、もちろん私達も手伝います!」

「皆で作った方が楽しいですし!」

「……ありがとうございます。大人数での料理、楽しみです」


 いつも屋敷で家政婦と共に2人で料理を作っていた事を思い出したみのりは、頭を小さく左右に振ってその時の記憶を消そうとした。


 (もう淵沼家には戻らない。あの家の事は私には関係ない。と思っていないと。じゃないと胸が辛くなる……)


 これが正当防衛なのか、或いは現実逃避なのかまでは今のみのりにはわからないでいた。

 

 次の日の午前中。早速みのりは厨房へ赴き、お弁当作りを始めた。厨房の棚の中にたまたままげわっぱ型の弁当箱がたくさんあったのと、重箱もそれなりにはあったので、お弁当箱を買う必要はない。

 また、お弁当箱は既に厨房担当の女房達が洗って乾かしてくれていた。


「よし、作っていきますか」


 佑羅がどこからか入手してきた業務用の大型冷蔵庫からぽんぽんと食材を取り出して、木製の調理台へと並べていく。


「奥様、手つきが慣れておりますね」


 女房達から早速驚きと憧れめいた視線を投げかけられたみのりの身体は少しだけむずがゆくなる。でも不快ではなくむしろ嬉しかった。


「へへへ……」

(卵焼きと、ブロッコリー茹でたやつに、いかにんじんとネギを入れた卵焼きに……ウインナー茹でたやつ! あとは……ハンバーグもあった方がいいかな? 重箱があるもんね。ごはんはおにぎりにしてしまおう)


 何を作るかを脳内で考えながら、てきぱきと品を作っては弁当箱や重箱に詰めていく。

 そしておにぎりは鮭フレーク、ツナマヨ、佑羅が好むはちみつ漬けの梅干し、昆布の4種類にした。


「よし、こんなもんかな?」


 弁当が出来上がると、厨房内からは女房達による歓声が沸き起こった。


「奥様すごいです!」

「どれも美味しそうで……食べるのが楽しみです!」

「いやあそれほどでも……」


 とはいえ、佑羅と出会う前は殆ど褒められる機会の無かったみのりにとって、女房達から称賛されるのは素直に嬉しかった。


「では、持っていきましょう。佑羅様喜んでくれるかな……」

「きっとお喜びになってくださいますよ。龍神様は奥様が作った料理なら何でも美味しく頂くと思いますよ?」

「そう言ってくれるとなんだか照れますね……」


 歴史本を読んでいた綺羅々と、中庭で刀の手入れをし終え、片付けていた佑羅の元に弁当がやって来た。


「おっ出来たか! 重箱もあるとは楽しみだのう……まるで花見のようだわ」

「花見ですか……した事ないですね」

「ほれ、せっかくだ。中庭に向いて食べよう」


 佑羅がぱちんと指を鳴らすと中庭に花が咲いた桜の木が2本、地面を突き破って生えてきた。


「わっ……」

「元々秋魈に貰っていた種を植えておったのを思い出しての。しかもわしの気分で咲かせる事が出来る気の利いた種だとか。あやつらしい」

「そうなのですか……」


 さあ桜を見ながら食べよう食べよう! と佑羅が女房達に声をかえていく。みのりは花見は初めての経験という事もあって高揚感を感じ始めていた。


「では、いただきます!」


 廊下の上に色とりどりの風呂敷を敷かれ、さらにその上にお弁当箱や重箱が並ぶ。綺羅々はみのりが作ったおかずの数々に目を奪われていた。


「食べるのがもったいない」


 綺羅々はそう言って食べずにじっと眺めている。反対に佑羅は早速卵焼きを頬張っていた。


「うんまい! いやあ、うますぎる!」


 オーバーリアクションにも見える佑羅の反応だが、みのりにとってはほほえましく見えた。


「へへ……ありがとうございます。卵焼きは得意なので」

「おお! いやあ、他のおかずもうまいぞ! みのりの手料理が食べられてわしはもう……泣いてしまいそうだ」

「そ、そんなに?!」


 だが、みのりは嬉しさを隠しきれていなかった。


「もう……佑羅様」

「みのり、顔赤くなってるよ」

「だって佑羅様があんなに喜んでくれてるから……」


 気がつけばみのりははははっ……! と明るい笑みを見せていたのだった。


「やはりそなたには笑顔がよく合うな、みのり」

「佑羅様……」


 その時だった。佑羅が何らかの気配を感じ取る。


「……狗神か。この龍神宮に近づき、結界をくぐり抜けようとしておる」


 気配を感じ取った佑羅の金色の目がぎろりと鋭く光る。先ほどの温かな空気は一瞬にして緊張感あふれるものへと変貌した。


「ゆ、佑羅様……」

「佑羅、どうするの?」

「気配の数は2。人間と狗神だのう」

「龍神様! 木蓮と名乗る狗神が正門に来ております……! 人間の娘も引き連れておいでです」


 息を切らしながら報告に訪れた女房を見た佑羅は、みのり達にここで待っていよ。と告げると、足を引きずるようにして正門に向けて歩き出した。


「佑羅様! ご無事で……!」

「ああ、必ず帰ってくる。心配するな」


 一度みのりの方向へ振り返った佑羅は、にこりと笑って歩きだすが、みのりの胸の中は彼の笑みでは消えないくらい不安でいっぱいだった。

 佑羅が正門に到着すると、そこには人型の木蓮とブレザータイプな制服姿のもみじがいた。


「おうおう、まさかここに来るとはなぁ。木蓮よ」


 もみじは相変わらず木蓮の左腕に抱きついている。佑羅の顔はまだ笑顔を浮かべているが笑顔に温かさは感じられない。


「何をしに来たんだ? 木蓮。答えよ」

「ようゴリラ龍神。アンタに報告に来たんだ。アンタの嫁さんはどこにいる?」

「今はみんなでゆっくりくつろいでおる。そなた達の相手はこのわしで十分よ」


 ここでもみじが佑羅の元にゆっくりと近づいた。


「龍神様……おきれいでかっこいいですね……あ、あーしは淵沼もみじって言います。はじめまして♥」

「ああ、よく知っておるぞ。わしの花嫁を虐げた仇がよく龍神宮へ来てくれた」


 佑羅は屈託のない笑みを見せているが、両手からは笑みとは真反対の殺気を孕んだ、小さな竜巻が渦巻いていた。

 そして彼の身体から放たれる重苦しい圧力と殺気にもみじはひっ……! と小さな悲鳴を挙げる。


「いやあ、鴨が葱をしょって来るという事はまさにこの事よなあ? 木蓮よ」

「おい! 俺はみのりには何にもしてねぇぞ!?」

「その女の隣にいる時点で貴様も同罪よ」


 佑羅は容赦なく両手から編み出した竜巻2つをもみじと木蓮にぶつけた。木蓮がもみじの前に立ちはだかり、竜巻から身を挺してもみじを守る。

 そんな中、異変に気がついたみのりが佑羅の近くまでやって来た。


「佑羅様……? それにもみじさんがなんでここに……」

「みのり、あの女はどうやら狗神を味方に付けたらしい」

「はは、ゴリラ龍神にはお見通しのようだなあ」


 木蓮が顔に手をやって笑っていると、もみじがそこにいるみのりをこっちに連れてきなさい! と怯えながらも佑羅に言い放った。


「何をする気だ? 我が妻の仇よ」

「……あの子に話したい事があるの。あーしとしては不本意だけどね」


 みのりは注意深くもみじを見ているが、彼女以上に警戒心を高めていたのが佑羅だった。


「もみじさん? なんの話ですか?」


 みのりが試しにもみじへ質問してみるともみじはああ……。と気だるい顔つきを見せる。


「パパとママの話よ。龍神様の花嫁に選ばれたアンタに謝りたいんだってさ。だからこっからさっさとお家に帰るわよ。パパとママが待ってるから」

「お父さんとご当主様が……? 私に?」

(……お父さんが私を待ってる? そんな事あるのかな、でも……確かめたい)


 近づいたみのりの腕をもみじは素早く握った。みのりはもみじの言葉を何度も頭の中で繰り返す。自分は佑羅にはふさわしくない。という思考で雁字搦めになっていっていた。


「待て。それは罠ではないのか? 我が妻を陥れる為の」


 佑羅はざっざっと足音を荒々しく立てながら、みのり達に近寄る。


「みのり、ついていってはならぬ。さあ、龍神宮で楽しく暮らそう」


 佑羅の顔には必死さが表れている。みのりは佑羅から顔を背けるが佑羅は真っ直ぐにみのりを見つめている。


「みのり? みのりちゃん? 騙されてはだめだよ。みっちゃん……もみじちゃんの言う事が正しいんだから」


 木蓮がみのりの肩に手を置いた。佑羅の顔がさらに厳しいものへと変貌していく。


(……いつもそうだった。屋敷ではもみじさんの言葉が絶対で正義だった……だからお父さんは……)


 木蓮はみのりの顔に真正面から視線を向けたのと同時に、ぎらりと目が不気味に光った。


「しまった!」


 佑羅の大きな声が響きわたるが、もう遅い。


(……私は、彼らの謝罪の言葉が欲しかったのね。そりゃそうか)

 

 木蓮が使った能力は、己の精神の負の部分を増幅させるというもので、みのりの場合は、自信の無さと劣等感が増した……。という事になる。

 だが、木蓮の能力は既に佑羅と結婚していたせいか、みのりにはほとんど効いていなかった。みのりは自らの意志で佑羅から離れて水渡村に戻る事を決めたのである。

 みのりの脳内には、父親と実母、そして継母である当主の3人の顔が映し出されていた。


「みのり……」

「佑羅様。すみませんが私は……水渡村に帰ります。やっぱり私、あなたには釣り合わないかもです……」


 みのりは敢えて佑羅を突き放す。そうでもしなければ望んでいたものが手に入らないと咄嗟に考えたからだ。例えるならずっと心の底で望んでいたものが、今手に入るかもしれない。そんな期待感もほのかにある。


「みのりやれば出来るじゃん。ほらパパとママの所にいくよ。木蓮様、案内お願い」

「わかった。さあ、乗るんだ」


 巨大な狗の姿に変身した木蓮の背にゆっくりとまたがるみのりを、佑羅は悲しい顔つきで見るよりほかなかった。


「みのり!」

 

 佑羅はありったけの声で愛しい人の名を叫ぶが、みのりが反応する事はついぞなかったのである。

 

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