第12話 龍神と狗神

「狗神ってどんな神様なの?」


 綺羅々が白と青系の十二単に身を包んだ女房に質問すると、実はあまりよくわからないのです。と自信なさげに返した。


「一応、龍神様と長らく敵対関係にあった事は知っていますが、龍神様はその話題をしようとはしませんから……」

(あ、生贄になる前の小屋にあった本に、そんな事が書いてあったわね)


 ――上一宮町の山あいには人が足を踏み入れる前から狗神の群れが生息していた。狗神に気に入られた娘は結婚する事で一族に繁栄をもたらす事がある……か。

 ――狗神は水渡村の龍ヶ池に住まう龍神とは長年対立関係にあった、と……へえ、神様も戦争するのね。

 

 水渡村の龍ヶ池に住まう龍神は佑羅の事。あの本に書かれていた事は事実であり、対立関係もまだ続いている事を理解したみのりはその事を女房や綺羅々に伝えた。


「私も上一宮町の山あいに狗神がいたというのは聞いた事があります。姿を見た事が無いので噂だと考えていましたが本当だったんですね」

「狗神……どのような見た目なんだろう。狗って事?」

「さあ……狗だから狗の耳が付いてるとか? それともオオカミみたいな見た目だったりするのかも」


 シェルター内で彼女達は佑羅の無事と勝利を祈りながら、身を隠す。


◇ ◇ ◇

 

 龍神宮の外では佑羅と槐が互いに向かい合っていた。佑羅が用意した水龍は槐の攻撃によって消滅してしまったのである。

 だが、水龍の苛烈な攻撃によって槐の身は傷つき体力を消耗させていた。息も上がりスタミナも残りわずかとなっている槐とまだ余裕のある佑羅とでは形勢は一目瞭然と言えよう。


「もう、戦える狗神はおぬしだけか。槐よ」

「いや、まだ戦える……貴様達! 気合を入れよ!」


 だが、彼の手下達はぐったりと倒れたままぴくりとも動かない。


「諦めよ。そしておとなしく退却して兵を整えよ。槐」

「くそ……ならば!」


 槐は勢いよく後ろ足を蹴り上げると、佑羅を飛びこえて龍神宮へ飛んでいく。

 だがそれは佑羅にはお見通しの行動だった。


「みのり達には手を出させんぞ」


 槐の目の前に竜巻の壁が現れた。行く手を阻まれた槐は竜巻の壁の勢いのせいか、思わず後ずさりしてしまう。

 その隙を佑羅は狙っていた。


「隙が出来たな」


 背後に回った佑羅はくるりと前転し、尻尾と右足の踵を槐の背中に落とした。

 踵と尻尾の攻撃はまるで岩山が落ちてくるくらいの威力を誇る。回避しきれなかった槐は右脇腹にかけて大きな傷を負ってしまった。


「ぐ、う……がっ……」


 槐の山の如き巨大な身体はゆっくりと崩れ落ちていく。

 地面が彼の身体を受け止めた刹那、轟音と土煙が巻き起こった。


「槐。負けを認めて撤退するんだな。命までは取らぬ」

「な、情をかけるつもりか……貴様……」

「わしは戦いたくないのだ。そもそも」

「……」


 槐達がよろめきながらも起き上がり、撤退していく様子を後ろから視線を送る佑羅。彼の姿が見えなくなった所で龍神宮の中庭の池に戻ったのだった。


「もうこちらへ来ても大丈夫だぞ!」


 シェルターから中庭へみのり達が戻る。みのりは土ぼこりが服のあちこちについた佑羅の身体に勢いよく抱きついた。


「佑羅様……!」

「みのり……帰ってきたぞ。もう心配はいらん」


 佑羅の胸に顔を埋めるみのりは、なんで私達に黙って姿を消したのですか……。と小さな声を吐き出す。


「戦だと伝えて心配させたくなかったのだ。皆、申し訳無い」


 女房達は泣き出しそうな顔をしたり、ほっと息を吐いたりと多様な表情を見せていた。綺羅々はじっと佑羅とみのりを硬い顔つきで見守っている。


「私……佑羅様が心配で……心配で……!」

「すまんかった……もう、そなたに黙って戦にはいかぬ」

「佑羅様……」


 互いに熱い抱擁を長い時間、交わす。みのりの目からは熱い涙がぼろぼろと湧き出しては止まらなかった。


◇ ◇ ◇


 槐が撤退し、他の部隊も秋魈らの活躍により大打撃を受けた事で退却を余儀なくされた事は、未だ淵沼家の屋敷にいる木蓮にもスマホを通じて知らされる。

 淵沼家では沼尻家の者はじめ村のトップ達や、近くに住まう淵沼家の者達が揃ってもみじと木蓮の結婚について会議を重ねていた。


「私は賛成です。狗神の者と結ばれたら、もみじさんは死ぬまで幸せに暮らす事が出来るでしょう」


 賛成の意見もある一方で……。


「狗神は龍神様と長らく敵対関係にある神ではないか。龍神様の逆鱗に触れたらどうなってしまうのか」

「水渡村が滅ぼされてしまうのではないか? そうなったら俺達は死んじまう!」

「淵沼家の娘が龍神様に気に入られているのだろう? 姉妹同士で敵対するのはかわいそうなんではないか?」


 という反対の意見もあがった。


「あーしは木蓮様と結婚したいの! だって神様と結婚できるって最高じゃん!」


 もみじはそう言って皆の前で木蓮と結婚したいと何度もアピールを続けた。当然の如く内心では龍神様が良かった……。と言っていたが木蓮も神である。彼の事は割とすぐに様付けして媚びを売るようになった。


(とりま木蓮様はキープしとかなきゃ)


 一方。もみじ達がいる大広間の裏にある小部屋で木蓮はスマホをタップしていた。槐とは別のリーダーにメッセージを送っているが既読はつかない。更に槐とも連絡がつかない状況が続いている。


「ったく……結構やられてんな。いつもならすぐ返すのに」


 代わりに部下へ被害状況や槐の状況などを何度も確認するメッセージを送り、徐々に状況を飲み込んでいく。


「これだからバ怪力で嫌いなんだよ龍神は。ゴリラかっつぅの」


 悪態をつきながらスマホ画面を眺める木蓮。ふうっと肩で息を吸っては吐くと、大広間にいるもみじの元へと近寄った。


「木蓮様……! あ、あの、どうしました?」

「ちょっと神域に行ってくるよ。様子を見たい事があってね」

「あ、あーしもついていく! あ。いや、ついていきたいです!」

 

 もみじは慌てて木蓮の服の裾を引っ張っておねだりする。木蓮はややうざったい顔を見せるものの、すぐにこれは何か使えるんじゃないかとひらめいたのだった。


「じゃあ、ついてきてよ。はぐれたら駄目だからね?」

「やった! じゃあ、皆ちょっと席外します!」


 木蓮は屋敷を出ると、槐よりも小さいがそれでもヒグマくらいはある大きさの灰色をした狗に変身する。


「背中に乗って。しっかり捕まっててよ」

「はい! 木蓮様……!」 


 もみじと木蓮が向かった先は上一宮町の山あいにある洞窟。洞窟の中は神域内にある彼らの本拠地に繋がっている。

 

「わああ……」


 神域内にある狗神の本拠地にはぼたん雪が静かに降り積もっていた。木々にも雪の塊があちこちに乗っかっており冬の日本海から東北にかけての景色を思わせる。桜が芽吹いていた龍神宮とは真逆の景色を見せているが、ここもまた雅な景色と言えるだろう。


「木蓮様がおかえりになられたぞ!」


 部下達が一糸乱れぬ動きで頭を下げ、木蓮を出迎えた。


「皆、出迎えありがとう。俺はこの子を妻に迎えようと思う」

「おおっ! 番でございますか?!」


 狗神は結婚相手となる人間の花嫁・花婿の事を番と呼ぶ。この番は基本、狗神側が本能で判別する事が出来るのだが、木蓮の本能はもみじには作動していない。

 その為、もみじは正式な番と言える存在ではないのだ。


「ああ、そうだよ。可愛いだろ?」


 木蓮の嘘を見抜けるものはここに誰ひとりとして存在しない。槐などリーダー達もわからないだろうし、わかっても理解してくれるはずだと木蓮は考えていた。

 もみじはふわっと雲のように狗から人型に姿を変えた木蓮の左腕をぎゅっと抱きしめる。


「あの、あーし淵沼もみじって言います! よろしくです❤」


 愛想を振りまくもみじに、木蓮の部下達はすぐにめろめろになった。


「おお――! かわいい!」

「木蓮様うらやましい! こんな番と出会えたなんて!」

「式はいつ挙げるんですかい?!」

「めっちゃかわいいじゃないっすか! ああ、俺もこんな番を迎えられたらな!」


 ぴょんぴょんと跳ねたりごろごろ転がったりして浮ついた様子を見せる部下へ、木蓮は咳ばらいを見せるとすぐさま落ち着きを見せた。


「君達の気持ちは分かるが、あまり浮つかないように」

「すみませんでした!」


 軍隊のように揃った謝罪を受けた木蓮は、もみじを連れて槐の元へと向かう。

 全身のあちこちに傷を負った槐は本拠地の奥で伏して部下達から治療を受けていた。傷は骨や内臓まで見えるくらいの深いものもありそれらは治療に手間取っている状態である。


「……木蓮か。俺を笑いにでも来たのか? 好きなだけ笑うと良い」

「会話は出来るんだね。それならちょっと良かった」

「木蓮。その子はどうした? 番には思えないが」

「ああ、バレちゃったか。やっぱり槐は鼻が良いねえ」


 もみじが何を話しているの? と木蓮に尋ねると、彼はいいや別に。とはぐらかした。


「紹介するよ。淵沼もみじちゃんだ」

「もみじです。はじめまして❤」

「……槐だ。好きなように呼ぶが良い。木蓮はその娘と何をする気だ?」

「勿論結婚しようと思ってね」


 即答する木蓮に対し、槐はちらりともみじを見た。もみじは上目遣いで槐に対して媚びを売る仕草を見せる。


「その娘、ちょっと外に出してもらえないか? 木蓮とふたりっきりで話がしたい」


 槐に対してもみじはえっ、なんでですかぁ? とわざとらしく口を尖らせた。


「すまないが、一旦外に出てほしい。また呼ぶ」

「……はぁい」


 渋々外に出たもみじ。彼女の姿が見えなくなった所で槐は話を切り出した。


「その娘、淵沼の娘か。淵沼の娘のうちひとりは佑羅に嫁いだと聞いているが」

「ああ、そうだ。本当は佑羅を狙っていたが、取られたと言っていたぞ」

「たぶん作り話だなそれは。これを見てみろ」


 槐を治療していた部下のひとりが、木蓮に婚儀中のものと、中学時代の卒業アルバムに載っていたみのりの写真を見せた。


「地味な子だな。まあ、かわいげはあるけどもみじよりかは容姿が劣る」

「そうだろう? そのような娘がもみじのような派手な娘から神を寝取るような真似、すると思うか?」

「ああ……確かに」

「それに聞き集めた情報によれば、その娘はもみじから虐められていたそうだ」


 槐が大きくため息を吐く。木蓮はまじかよ……。と呟いた後しばらく言葉が湧いてこなくなった。


「……どうするつもりだ? 木蓮。その娘、これから我らに嵐をもたらすやもしれんぞ?」

「槐はどうすりゃいいと考えているんだ?」

 

 ちらりと槐を見ながら口角をほんの少し上げた木蓮。反対に槐はめんどくさそうに両目を閉じる。


「俺なら水渡村にお返しする。佑羅を必要以上に刺激するのもよくないからな」

「アンタ、いつも佑羅と決着付けたい! って言ってたじゃんか」

「それはそれ、これはこれだ。必要以上にいたぶったり煽ったりする趣味は俺にはない」


 真面目なやつだな。と木蓮が半ば呆れたような口調で返すと、槐はなんとでも言うが良い。と小さな声で呟いた。


「まあ、俺はもみじちゃんと楽しくやらせて頂くよ」

「そうか。木蓮の好きにすると良い」

「んじゃま、そういう事で。さっさと怪我治すんだぞ」

「ああ、わかっている……」


 木蓮が槐の元から去ると、外ではもみじが部下の狗神達に囲まれていた。


「もみじちゃん可愛いなあ」

「ねえ、ハグしていい?」

「いいよ」


 木蓮が近くにいるにも関わらず、ハグやキスをするもみじに対し、木蓮は尻軽だなと感じつつ、駒にするならちょうど良いとも感じ取っていた。


(これくらいならむしろ割り切れる)

「みっちゃん! おまたせ!」


 木蓮が作り笑いを浮かべながら両手を振ると、もみじは目を輝かせながら木蓮に抱きついた。

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